代表監督はファルカン。「10番」は岩本輝雄だった。
この抜擢に象徴されるようにファルカンのチーム作りは周囲を驚かせるものだった。彼が選んだ選手たちは若く、時には無名でさえあった(ちなみにお披露目試合でカズと2トップを組んだのは佐藤慶明だった)。
それでも今にして思えば、あのチームは破天荒な魅力が詰まっていたように思う。もっとも彼らがその魅力を発揮するだけの時間的猶予はなかったのだが。
そんな彼らが臨んだ初めての、そして結果的に最後となる公式戦が広島で行なわれたアジア大会だった。グループリーグを1勝2分で通過した日本は決勝トーナメントの初戦で韓国と対戦する。
先制は日本。カズのゴールだった。さらに前半終了間際にも決定機をつかむ。コーナーキックのボールが名塚善寛の目の前にこぼれたのだ。GKと1対1。しかし残念ながら彼はシュートの上手な選手ではなかった。
後半に入ると韓国が2点を決めて逆転する。雨足が強くなる中、日本は追い込まれていった。
しかし86分、起死回生の一発が決まる。岩本のパスを受けた井原が渾身の右足で蹴り込んだのだ。日本代表史に残るミドルシュートである。
だが、その直後に日本のゴール前で無情のホイッスルが鳴る。PK。執拗に抗議する日本。しかし……。
黄善洪がPKを決め、試合が終わった後、選手たちはUAEの主審を取り囲み、ファルカンやコーチ、さらには強化委員までがピッチへ飛び出した。鳴り止むことのない怒声がスタジアムに響き続けた。
この敗戦とともにファルカンのチームは終わり、岩本にとっての日本代表も終わる。まだ日本サッカーもベルマーレも若くナイーブで、しかし無尽蔵の夢を見ることができた時代だった。
* *
今年ベルマーレはJ10年目を迎えました。この機会にベルマーレの「あの時」を振り返っておこうと思い、過去の取材ノートを引っ張り出してみました。今後も不定期で綴っていくつもりです。
なお本稿は「ベルマーレホームタウン新聞」に掲載されたものです。