BELLMARE 2003
[取材ノートからF]
95年8月23日・平塚競技場 ベルマーレ1対0セレッソ
前節のエスパルス戦に敗れた後、古前田監督は珍しく怒りを露にしていた。
「選手の目が輝いていない。自分たちのレベルが低いことを忘れてしまっている。これじゃあまるで草サッカーだ」
それはニカノールコーチも同じだった。
「どこが悪いか? 何もかも悪い」とお手上げ状態だったのである。
しかし、そんなチーム状態で迎えた95年ニコスシリーズ第4節のセレッソ大阪戦、ベルマーレが見事に復活する。
といっても快勝だったわけではない。1対0。それも延長Vゴール勝ち(決めたのは名良橋だった)。ボール支配率では上回っていたものの、決定的なチャンスの数ではむしろセレッソに押されていた。
それでもこの試合で“草サッカー”からチームが蘇生できたのには理由があった。
公文が言う。
「選手のミーティングで『みんなでガッーと攻め上がっていこう』と話していた。何となく中途半端になっていたから」
Jリーグになってから2年目。当初ただ若くて勢いのあるチームだったベルマーレは、この頃には自立した大人へと変わり始めていた。名塚を中心とした選手だけのミーティングによって、この試合のようにチームを立て直すことも珍しくなくなっていた。そこには自覚の芽生えが確かにあった。
そしてもう一つ、見逃せないのはバイプレーヤーたちの存在だ。
例えばこのセレッソ戦ではスタメン起用された松山大地がサイドチェンジ、スルーパスなど静学出身らしいテクニックを発揮した。前線で奮闘した西山哲平も活躍をみせた。
そんな彼らの存在がチームを支えていたのだった。
* *
今年ベルマーレはJ10年目を迎えました。この機会にベルマーレの「あの時」を振り返っておこうと思い、過去の取材ノートを引っ張り出してみました。今後も不定期で綴っていくつもりです。
なお本稿は「ベルマーレホームタウン新聞」に掲載されたものです。