BELLMARE 2003
[取材ノートからH]
98年11月14日・横浜国際 マリノス4対2ベルマーレ
悲願のワールドカップ初出場から5ケ月後。日本中がセリエAへ移籍した中田英寿の大活躍に沸き立っていたこの秋、しかし、Jリーグ最終戦が行われた横浜国際競技場はお祭ムードとは程遠い、深い悲しみと憤りに満ち溢れていた。
試合は2対4。マリノスの中村俊輔がハットトリックを記録し、ベルマーレでは呂比須と栗原が見事なゴールを決めた。
だが、(断定的な物言いをすれば)23412人の観客はもちろん、スタジアムにいたすべての人の胸にあったもっとも大きな思いは「M」でも「B」でもなく「F」だったに違いない。
試合後、ベルマーレの選手たちがスタンドへ向けて振った旗には「B」ではなく、「F」のロゴが染め抜かれていた。それに呼応するようにサポーターからも「F」のコールが送られた。
記者会見での植木監督のコメント。
「こんな形でひとつのチームがなくなってしまうのが残念でならない。クラブチームは親会社のものじゃない。地域の人々の夢を奪ってしまうことには憤りを感じる」
そして「F」を襲った悲劇は彼らにとっても他人事ではなかった。この時、すでに新聞紙上には「B」の危機的状況が連日取り上げられていたからだ。
親会社であるフジタの撤退、クラブの財務状況の悪化、それに伴う大リストラ案が発表されたのは最終戦から2週間後のことだった。
多くの報道陣でごった返すクラブハウスの外でベテラン選手と会った。理不尽さに顔がひきつらせながら、彼は不満と不安を小声で漏らした。
「結局、フジタの頃と何も変わらない。口では地域密着と言ってるけど実際には企業スポーツ……。来年残るかどうか? まだわからない」
4ヶ月後。99年の開幕戦をベルマーレは「横浜F・マリノス」と戦った。しかし、そのピッチにあのベテラン選手をはじめ、かつての暴れん坊たちの姿はなかった。
* *
今年ベルマーレはJ10年目を迎えました。この機会にベルマーレの「あの時」を振り返っておこうと思い、過去の取材ノートを引っ張り出してみました。今後も不定期で綴っていくつもりです。
なお本稿は「ベルマーレホームタウン新聞」に掲載されたものです。