COLUMN



 ソウルにて。(00.4.29)

 韓日戦の取材で韓国へ行ってきた。
 石原都知事の「三国人」発言で、あるいは「反日感情」の影響も…と少しばかり懸念していたのだが、そうした匂いは個人的には一切感じることなく、いつものような平和な訪韓だった。
 チャムシル競技場もすでに何度も訪れた勝手知ったるスタジアム。変な話だが、Jリーグでもあまり行ったことがないスタジアムへ行くと、「トイレはどこ?」「記者席へはどこから行くの?」とうろうろすることがあるのだが、ここではすでにそんなことはない。トイレの場所はもちろん、どこで何を入手できるか、どの経路が空いているのか、まで何となく把握できているので、落ち着いて観戦することができた。

 盛り上がりは相変わらず。いや日本人サポーターが少なかったせいか、これまでよりもよりパワーアップしたような気さえした。
 この国の人たちは、日本人より間違いなく、熱い。しかもストレートに。
 試合中にはワンプレーごとに歓声や罵声が飛び、ハーフタイムになると抽選会で盛り上がるスタンドを見ながら、いつものように、そう思った。
 それにしても、真っ赤に染まるゴール裏で発煙筒が炊かれる風景はきれいだったなぁ。まるでヨーロッパのようだった。

 試合の前日、南大門市場近くの食堂で遅い夕食をとっていたら、隣りのテーブルの男性が話しかけてきた。ハングルで(ハングルとはそれ自体が言葉のことです。たまにハングル語という人がいますが、それでは『韓国語語』ということになり、おかしいです)。
 彼は、僕たちのことを韓国人だと勘違いしたのだった。この手のことは韓国ではよくある。これまでにも明洞で道を尋ねられたり、本屋で声をかけられたりしたことがある。顔が似ているのだから当然のことだが。
 こちらが日本人だということを告げると、彼らはびっくりしていたが、それをきっかけにしばらく話が弾んだ。
 彼ら、3人組、のうち2人はプサンからわざわざ韓日戦を見にやって来たのであり、もう一人は彼らを迎えたソウルの兄貴分。
「日本は昔はサッカーが弱かったが、ここ数年はすごく強いですね。明日はもちろん韓国に勝ってほしい。中田が来たらわからないけど、明日は韓国が勝てるのでは…」

「中田は来てるよ」
 そう言うと、「えっ」と、キムくん・22歳は、やや大袈裟に頭を抱えたのだった。
「名波は別にいいけど、中田は…困る」
 名波には失礼だが、中田と名波の評価は韓国ではそれくらいに違う。いや、名波の評価が低いわけではなく、中田の評価がものすごいのだ。
 こうしたことはアジアの他の国、タイやカザフスタンでも経験した。NAKATAはもはやアジアサッカー界では特別な存在、高く評価され、有名であり、そして人気がある。
 もちろん、アジアに限ったことではなく、ヨーロッパでもその知名度は、少なくとも総理大臣よりは、高いのだが、アジアで聞くNAKATAという響きには、敬意と脅威が入り交じったものを感じることができる。

 プサンからわざわざ見に来たくらいで、彼らはサッカーにものすごく詳しかった。
「ノ・ジュンユンは日本では人気があるのか?」とか「カズはいま京都だろう」とか。
 そんな中で、今度は僕たちが頭を抱えるはめになった。それは「Jリーグで一番人気があるのは誰だ?」ときかれた時だった。
 僕たち、サッカー記者3人、カメラマン3人、は、「誰だ?」と、互いに顔を見合わせたまま、誰も即答できなかったのだ。
 少し前なら「中田」と言えたのだが、いまでは彼は「Jリーグ」ではない。もっと前なら「カズ」と答えればよかったかもしれないが、いま「一番」とは言いにくい。
 個人的に好きな選手ならば口にすることができるのだろうが、客観的に「一番人気がある選手」と問われると、答えに窮してしまう…。それが現状だということに改めて気づかされたのだった。
「新聞の一面に来れる選手って誰だろうな…」
 そんな独り言に「トルシエくらいじゃないの…」なんて揶揄する声もあった。
 そんなわけで、プルコギはとってもおいしかったけれど、何だかちょっと寒風吹くソウルの夕食になってしまったのだった。

 ところで、キムくんは「初めて日本人と話した」らしく、やや興奮気味。
「あなたは何歳ですか? 35歳! えーっ、信じられない…メールアドレスを教えてください。私、あなたにメールします…明日はどこで見てるんですか? 一緒に見ましょう!…この後、もう一軒一緒にどうですか?」などなど、とっても無邪気に、若者的に、はしゃいでいたのだが、「学生ですか?」ときくと、少しトーンダウンして、こう答えた。
「いまはそうだけど、来月からは兵隊です」

 韓国に徴兵があることは周知の事実だが、僕にしてもこれから徴兵へ行く本人と話したことはなかった。
「来月から徴兵に行くから、今日は彼らを連れて遊びに行くんです」
 そんな兄気分の言葉を聞きながら、韓国にはいまも徴兵制がある、という事実を初めて、生身のものとして感じた気がしたのだった。
 そして…
 ふと日本の若者たちの際限ない言動が頭に浮かんで、複雑な気持ちになった。


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