COLUMN



 「選挙に行こう」以後の“わがまま”な川バタの雑感。(00.6.29)

 こんなサイトはいつでも見れます。
 それより、今日は投票日。選挙に行きましょう。

 もはや傍観者でいられる時代ではありません。「この国民にしてこの政治」
 まずは参加してみましょうよ。

 さあパソコンの電源を切って、ネットから出て、ハンドル名からあなた自身に。
 投票所はすぐそばです。

 選挙に行こう!(00.6.24)


「選挙に行こう勢」運動に賛同する者として、上記のような呼びかけをしてみたのだが、投票率は62・49%。東京では60・46%、神奈川県では59・64%だった。
 僕の回りでは、連立、神の国、寝ててくれれば…と世間が賑やかだったのこともあって、投票日前には「行かなきゃね」的な発言をする人が多かったのだが、全国にならしてみると、やっぱりこんなもんか…。
「こんなもん…」というのは、結構みんなゴチャゴチャと文句言ったり、政治家を馬鹿にしたり、この国を憂えたりしているんだけど、そんなに本気じゃなかったのね、ということです。

 夜、テレビを見てたら「選挙に行きましたか?」というインタビューに「えへへ…」と笑って「行ってませーん」と答えるカップルなんかが映ってて、(行かなかったこと自体を責める以上に、行かなかったことをテレビで堂々と全国に露呈してしまえる感覚に驚いた。僕なら、行ってなくても「もちろん行きました」と答えるとか「映さないで」と拒否するとかしそうだから)、この二人が結婚して子供なんか作って、その子供に彼らは何を語るのだろう、彼らに語る夢や理想はあるのだろうか…なんて、昨今の事件とリンクさせながら殺伐とした気分になってしまった。

 理想を語ること。あるいはそれを実現しようと努力すること。それこそが親や大人が子供にとるべき態度であり、見せるべき姿勢だと僕は固く信じている。
 そりゃ夢は実現しないかもしれない。でも、頑張っても実現できないことがこの世の中にはたくさんある(というかそういうことの方が多い)ということを子供に示すべきだし、教えるべきなのではないか。
 もしもそれによって親の権威が損なわれたとしても、それは一時的なものにすぎず、大人になる過程で子供もきっと親のことを理解できるようになるはずだ。大抵の人は子供の頃は、親のことを馬鹿にしてたりしても、自分が大人になると親のことも何となく理解できるようになったりするものだから。
 たぶん、それが人の道ってもんなんでしょう。人が必ず歩く道。

 そんなふうに思っている僕からみれば、親たちが、大人たちが、実現しないかもしれない理想を追わなくなったことこそ、現在の大問題に思える。
 だって、そんな親やそんな空気が充満する社会で育った子供が、どんな価値観を築くのかは明らかだから。
 残された道は、消費社会の末端として、しこしこと商品や情報を消費していくことだけ。価値を計る物差しは、やっぱりお金ということに…。

 話はちょっと変わるが、実は最近「正しいことを正しい」という大人が少なくなった気がして、僕はとても困っています。以前は、それが建て前であれ、正しいこと、悪いことを、居丈高に語る大人がたくさんいたものなのに。
 そんな“正しい大人”に接すると、子供の頃の僕は、「そんなことを言うけど、あんたは一体どれほど正しいんだよ!」なんて心の中で呟きながらも、一応それが「正しいことなんだ」とマットウな物差しを身につけてきた。
 それが今は…何だろう? 例えば、得すること、損しないこと、そんなことばかりになっちゃって。

 いや、そんなことはさておくとして、僕が困っていることは、そんな“正しい人たち”が社会の中軸だった時代には、「そんな正しいことばかり俺はできないよ、俺は俺にとって正しいと思うことをやってるからいいじゃん!」と“わがまま”で、“自分勝手”なことを言いながら、わがままで自分勝手に生きることができたのに、いまではそれが難しくなってしまったことだ。

 なぜなら、“正しい人たち”がいるから、正しくないことができるのである。“正しい人たち”がいるからこそ、僕のような“正しくない人間”が成立するのである。
 僕は内心では“正しい人たち”がいるから、僕がやっていけるんだということをわかっていたし、何よりもこの世の中が全部僕のようなわがままな人間だったら、社会なんて成り立たないということを十分承知していた。
 だから、心のどこかに「みなさんのおかげで」という気持ちを抱えながら、確信犯的にわがままをやり、甘えさせてもらっていたようなものだった。

 ところが、“正しい人たち”がすっかり陰が薄くなってしまった現在では、僕がそんなふうにわがままをやったり、甘えさせてもらう相手は少ない。
 そればかりか、周りの誰も正論を吐かないから、代わりに僕が語らなければならないというような“由々しき”事態も起きてしまっている。
 僕はわがままを言えないばかりか、“正しい人たち”の一員として説教をする側に回らなければならなくなってしまったのだ。
 これでは僕は困ってしまう。ペースが狂ってしまって、もう大変です。どうか“正しい人たち”よ、勃興せよ。いや、してください。でないと、僕のような人生的不良は浮かばれません。

 何だか話がめちゃくちゃになってしまったけど、つい先日、正論をきちんと吐く大学教授に出会った時に、僕は何だか郷愁を覚えてしまったのでした。それは、それは、僕にとって、とても気持ちのよいことだったのです。こんな人が回りにたくさんいれば、俺ももう一度浮かばれるのになあ、と瞬間的に悟った次第で。

 それにしても、いまの世の中ってどうなってるでしょうね。これはこれで悪くないのでしょうか。
 そして、この先どうなるのかなあ。別にこの延長でいいのかなあ?
 そんなことを思いながら、梅雨の憂鬱な夜長を今日も過ごす川バタでした(なんて言いながら夜長の主因はEURO2000なんですけどね)。