COLUMN



 ボールの周辺   (00.8.27)

 『ボールの周辺』といっても、近藤篤カメラマンの写真集のことではない。サッカーの周囲のお話を、いつものように、徒然なるままにずらずらと綴ってみよう、ということです。
 ちなみに近藤さんがサッカーマガジンに連載中のPHOTO&エッセイ『木曜日のボール』が僕はとても気に入っていて、毎週雑誌が届くと最初に開いてPHOTOをしばし眺め、活版ページなどの面白そうな記事を読み、カラーページに目を通して情報収集をし、それから少し落ち着いた気分で、近藤さんのエッセイを空想力を抱えて読むことにしている。

 近藤さんの文章はとても慈しみに満ちていて、たおやかな時の流れにゆらゆらと浮いているような気分になれて、心地よい。時の流れに仰向けで浮遊しながら、時の流れが包括する、喜や怒や哀や楽の重みを、背中で、水の底に感じつつ、頭上の真っ青な空を時折目を開いて眩しく眺めている…。好天の午後、ベランダで上半身裸で、近藤さんの文章を読んでいると、そんな気分になれる。
 Numberなどでも時折近藤さんのページを見つけることがあるが、フランス大会の前に読んだ、ジャマイカだったかな、やっぱりとてもお気に入りでした。とても技巧的だったり、レポート調だったりする原稿のなかで、何だかとても和むので。丸い大きな輪っかのようで。
 ちなみに本当の近藤さんはとても野生的な風貌、しかも関西弁で、一見するとデリケートさとは対極に立っていそうな人ですが、よく見ると、とても繊細な方です。それでいて、実はかなり破天荒で、武勇伝の数知れず、そのくせ語学の天才らしい…などなど、これは聞いた話ですが。

 言説、あるいは批評という意味では、同じくサッカーマガジンに『バックスタンドの眼』連載中の佐山一郎さんを凌げる人はいないだろう。佐山さんのフィールドの広さと、想像力のたくましさと、遊び心と自虐的にさえ感じる悟りとの、絶妙なハーモニーが奏でるワールドは、あれは一体何でしょうね。もう随分前になるが『Jリーグよ!』という単行本を読んで以来のファン。真似するためには、相当贅沢な時間を積み重ねる必要があるだろうな、と貧乏根性の僕は、いつも嫉妬交じりです。

「真似」で思い出したのですが、まだ学生の頃、しきりに大作家たちの文章を写し書きしたものでした。かつては(たぶん)そういう文章のトレーニング方法があったわけで、ワープロ、パソコンと移りゆく昨今、そんなトレーニングは生存しているのやら。
 ここ2年くらい、そういう意味で、文体のお手本にすることがあるのは、藤島大さん。主にラグビーについて書いている方ですが、あの体言止めは、かっこいい。時折、気が向くと、真似して書かせてもらったりしました。

 余談ながら、以前僕が書かせてもらった単行本『泣いちゃった…けどワールドカップ』は清水良範さんの真似。真似、というと何か聞こえが悪いけど、昔の物書きはそうやって文章の修行をした、と聞くし、サッカー選手だってよい選手の技を盗め、というので。
 そう言えば、昨年から今年の初めにかけて、マラソン雑誌に連載していたコラムは、なんと大胆にも村上春樹さんの真似だった。村上春樹的とかというレベルではなく、「この連載はこのエッセイを真似してみよう」ときちんと選んで、きちんと真似して書いてみたのだった。別にそのせいではないだろうが、あのコラムは、静かに好評だったらしい、ので、雑誌自体が休刊になってしまったのはともて残念でした。僕も結構面白がって書いていたので。

 何だかもともとの主旨と随分、というか全然違うことがずらずらとここまで来てしまって、冒頭で、近藤さんに触れたのがいけなかった(と言ってももちろん近藤さんのせいではないですが)と反省しきりです。
 本当は、サッカーを巡るスポーツサイトの動きとか、2002年を見据えて、あっちの業種や危ない人たちまで魑魅魍魎がサッカー界にコミットしてきている…なんて話を書こうと思っていたのですが、まあこの際、開き直って続けると…

 サッカーという自由度の高い、非定型の、無秩序アナーキー的、それでいてナショナリズムを内包するモノを書くにあたって、定型的想像力(つまりは思考停止)や紋切り型レトリックの連発は、どうにも居心地が悪いと、強く感じている。相当に勿体ないことだとも。
 無限の広がりとは言わないけれど、せめてなんで小村がそこでシュート打ってんだとか、おいおい副審いまのオフサイドだろうとか、平沢がグランパスに入っていたら日本代表に選ばれたかどうかとか、武田の襟はパラグアイでも立っているのだろうかとか、そんなことも90分の中で、ページの中で、想像/空想/夢想できるくらいの文章であった方が楽しいんじゃないかと思っている。

 その意味では、サッカーマガジンのここ1、2年の挑戦の志は、高く評価するのだが、でもここのところの毎週別の雑誌を作っているかのような誌面を見るにつけ、これはやってる方、真っ白い紙に絵を描く方、は大変だろなと思う。
 最近、時折そうした大変さ、作り出す楽しさから捻り出さねばならない苦しさ、を感じる号もあったりして、僕の想像の中の編集部のみなさんの顔は、ちょっとばかし痛々しかったりもする。
 まあ、でもサッカーというのは、いっぱいシュートをはずしても、1点か2点とればOKの競技なわけだから、野球のように送りバントをしてきっちり点を取らなくてもいいのだから、お気楽に続けていってくれればいいなあ、と願うばかりです。

 時折、ネット上などで、サッカー環境(特にマスコミ)の成熟、あるいは未成熟、場合によっては誠実/不誠実に関しての議論がなされているのを見るが(議論することは悪いことではないですが)、続けていくことが成熟への唯一の道だろうと僕は信じている。仮にそれが後退や退廃であったとしても、続けていくことこそが、と。
 きっと何事においてもね。

 それにしても、またしても一体何を書いているのやら。次回こそは、きちんと考えてから、書き始めようっと。