COLUMN

 久しぶりの鈴鹿8耐(01.8.8)

 ものすごく久々に鈴鹿へ行ってきた。先週末の8時間耐久レースに。
 本当にいつ以来か結構真面目に考えてみたのだけど思い出せない。たぶん10年近くになるのかもしれない。
 今年久々に行くきっかけになったのは、仕事の知人A氏が声をかけてくれたことだった。
 まだ知り合ってそれほどの時間が経っているわけでもない彼が「8耐行きます?」と言ってくれた瞬間、僕は「おおっ!」と思い、8月の週末を鈴鹿で過ごすことを決めたのだった。
 ずっと前からしっかりと予定を組んで、きちんと向こうでのスケジューリングもして、いざ!と力んでいくのではなく、そんなふうに思いがけない誘いに乗って、ほんじゃ行くか!みたいなノリで出掛けるのが、僕にとってはいかにも8耐的だったから、彼が声をかけてくれた時、僕は「おおっ」と思って身を乗り出したのだった。

 僕にとって、8耐は長くて、熱くて、汚くて、だるくて、大変で、そのくせ最後に泣ける真夏のお祭りという認識だ。
 もう少し詳しく言えば、その「大変」と「泣ける」の間には、思いがけないハプニングとかアクシデントがたくさんあって、にもかかわらず午後7時30分のゴールの後、花火を見上げていると、そんなことはどうでもよくなって、ただただ感動だけが残る、そんなイベント。
 確かに長時間のエンデュロ。でも、同時に一期一会。しかも夏真っ盛りならではの気だるいルーズさと狂気。
 そんな色々な可能性−−チャンスとリスク、予期せぬ幸運と悲劇−−を内包しているからこそ、僕はこの真夏の祭典が大好きだった。
 そう言えば、まだ大学生だった頃、8耐をモチーフに小説らしきものを書いたこともある。

 以前フルマラソンを走っていた。
 42・195キロくらいの距離になると、スタート時点では全くの無傷であっても、途中で故障を起こし、それが痛みを感じないほどに悪化か回復かわからないが進行してしまう。
 つまり、一つのレースの間に、何かが始まり、それが終わってしまうこともあるくらいに長い。
 8耐も、まさしくそういう類のもので、サーキットで初めて出会い、恋心が芽生え、ワクワクドキドキしながら過ごし、そして最後に花火を見ながら思い切って手を握ったら、向こうも握りかえしてくれた…なんてこともあった。

 彼女とは結局、あの日、一日きりの出会いだったけど、いまも元気にしているのだろうか。
 そう言えば、あの時、僕と一緒に行っていた友達は、いま2歳の男の子の父親だ。
 彼が過ごしてきたこの10年間と僕の10年間、それからあの夏、ただ一度手を握り合った女の子の10年間…なんて思いを巡らしていたら、結局、今年の花火もちょっと酸っぱい味になってしまったけど、8耐が僕にとっていまもSWEETなお祭りであったことが何だか嬉しかった。

 わずか1日。でも8時間。
 たかがレース。でも真夏の炎天下、そして夕暮れ。
 8耐には、やっぱり特別な魔力があると思う。少なくともコンビニやファミレスやネットでは感じられないものがあると、久々に訪れた鈴鹿で僕は思った。