COLUMN

 [After 2001.9.11]
 テロから2週間経って。(01.9.24)


 9月11日の夜、ドラマの最終回がぷつっと切れ、神妙な顔の女子アナがニュース原稿を読み上げ始めた時、僕はただの事故だと思っていた。ただのCRASHだと。

 二機目が突入した時も、僕は“事の重大さ”ではなく、事件の大きさに驚いていただけだった。あまりに悲惨な映像に、犠牲者と犠牲者の家族のことを想像して、ひどいことが起きた…と画面を凝視していた。

 でも、少し経って、目の前で起きていることは、事件の大きさもさることながら、それをはるかに凌ぐほど重大で深遠な問題、あるいはその端緒に過ぎないのだ、ということに気づかされて、沈思状態に陥りそうになってしまった。

 これは善玉と悪玉、正義とならず者の戦いではない。
 領土や資源や富など欲望を満たすための争いでもない。

 誤解を恐れずに言えば、互いに「義」を信じての戦い。異なる価値観の対立。
 そこに互いが納得できる和解点などあるはずはない。

 となれば、解決策は限られている。
 例えば力。力とは…暴力。ねじ伏せる、そんな野蛮ではあるが、もっとも原始的な終点以外に何がある?
 間をすっとばして言えば、究極的にはこの流れは個人と個人の対峙に行き着くように思える。
 進化とはこういうことなのかと諦観を装いたくもなる。

 個人的には、実は少しほっとしている面もある。
 実はここ2週間ほどはものすごく忙しかった。毎日睡眠を削ってでもこなさなければならないほどの仕事があった。
 だから、助かったなあ、と実は個人的にはほっとしている。

 かつて阪神大震災の時、やはり沈思してしまった僕は、およそ1ヶ月間、人とほとんど口をきかないで過ごすことになった。
 あの時は、ちょうど仕事の狭間で、時間もたっぷりあって、だからこそどっぷりと画面の中の映像と、それによって生じている様々な出来事とそのニュース、そして文明とか人生とか時間とかに対して芽生えた疑念に、本当にどっぷりと浸ってしまって、すっかり浮世離れしてしまった。
 あげくの果てに、自分自身の生き方にまで想いが広がってしまい、社会復帰するのに時間がかかってしまった。

 でも、今回は(僕にとっては)幸いにして、そんな深い井戸に降りる時間的余裕がなかった。締切がそれを許さなかったのだが、おかげで(僕のような人間にとっては)適度な距離感でテロ事件の報道に接することができた。

 とはいっても、やはりきちんと考えてみる必要はあると思う。いや、頭の中ではあれ以来色んな想いがぐるぐると渦巻いている。
 そんなものを放置したままにしておくのも、漠然と忘却していくのも、僕の流儀に反するので、これから折りをみて、少しずつ想いを言葉に置き換えながら、きちんと考えていこうと思っている。