COLUMN

 “日本”代表監督を巡る正直で切なる思い。   02.3.14


「メンバー発表に先立って、まず申し上げたいことがある。昨日の件について、とても申し訳なく思っている。みなさんが練習に参加できなかったこと、つまり会社の監督や番組に対してご迷惑をおかけしたことをお詫びします」

313日、午後2時10分、サッカー協会で行われた記者会見の冒頭で、トルシエ監督は突然、こう切り出した。
 この会見の目的は「ウクライナ戦メンバー発表」だったが、前日、御殿場での顛末――練習「公開」の予定を急遽、しかも何の通知もなく「非公開」にしたこと――を受けてのトルシエ監督のコメントだった。

 強化推進本部にお灸を据えられて改心したんだなぁ。
 この時点で僕はそう思いながら、聞いていた。
 しかしながら、彼の話は思わぬ方向へ進んだ。

「毎晩わずか4秒だけサッカーを取り上げて頂いているが、みなさんの仕事の内容を考えれば大変申し訳なく思っています。将来的にこうした問題が起きないように、私はプロとしてのお付き合いをしたいと思うので、今後は一切の練習を非公開とすることにします。FIFAルールにのっとって試合前後の練習の12分を公開し、時には私の特別なはからいによって『今日は特別に練習を見せる』ということにしたい。この件については、これで終わりにします」

 いやはや。呆れた。
 そして協会の担当者がきっと彼をいさめるのだろうと思って、周囲を伺ったのだが、誰も動く気配はなかった。
 結果的に怒りと情けなさで体が震えてしまった。

 僕のすぐ近くにいた事情のわからない女性記者(ワールドカップイヤーの今年は、これまでのサッカー、日本サッカー、日本代表についての流れを全く知らない報道陣も増えつつあります。ちなみに「今日の会見は何の会見なんですか? ウクライナ戦というのはどういう試合なんですか?」なんてことを臆面もなく尋ねてくる記者もいたらしい)が、ふふっ、と笑ったときには、その記者を殴り飛ばしてやりたいような衝動にも駆られた。それくらいにムカついていたということだ。

 トルシエ監督の言動については、ある意味、もう馴れている。いや、馴れてしまったというべきか。報道陣を小馬鹿にし、愚弄し、選手と選手の心を弄び、あげくの果てには日本と日本人を見下すような発言は、これまでにもしばしばあった。
 だから、だからというのも癪なのだが、ある意味、馴れてしまっている。無論、だから、「いい」というわけではないが。

 しかしながら、トルシエ監督=被雇用者がこんな勝手なことを公式の場で発言しながら、日本サッカー協会=雇い主が、何らペナルティを課さないことへの「?」はもはや疑問を超えて、憤りでさえある。
 ちなみに前日の「非公開」事件に対して、協会はトルシエ監督と担当者に厳重注意を言い渡したというが、それでもこうした発言をされ、しかも、その場で何の行動も起こさないのでは、協会はすっかりなめられている、としか言いようがない。

 サポーターの方々の中には、メディアに対する不信感をお持ちの方もいると思う。端的に言えば、「メディアが悪いから、トルシエ監督が「非公開」にするんだ」と考える人もいると思う。
 メディアが信用できるか、信用できないかについては、ここではさておくが、現実は「メディアが悪いから非公開ではない」と断言しておく。
 もっと言えば、メディア=悪、トルシエ=善というイメージ自体が、極めて不可解だ。すべての物事をそういうトーンではかるサイトなどを時に拝見するが、メディアはさておき、「トルシエ=善」の根拠は何なのだろう(大部分の報道陣は、直接トルシエと接し、散々無礼千万な物言いをされながらも、それを飲み込みながら、記事を書き、番組を作ってきたのが現実です。なぜ飲み込むか。報道陣とて日本代表を応援しているからです)。

 少し話題がそれてしまったが、仮に今後「すべての練習が非公開」になった場合、日本代表についての情報は、極端に言えば、なくなるということになる。
 メディアとは、対象と消費者、日本代表と読者・視聴者との間にある、まさに媒体で、媒体がなければ、読者・視聴者・サポーターへは何も届かないという原則にして事実を思い出してほしい(念のために付け加えれば、メディアやマスコミという職業について、僕自身は全く特権意識はもっていません。むしろ、下卑な仕事だとさえ。もちろん、その職業に対する責任感、使命は意識するようにしていますが)。

 いずれにしても根本的な問題は(もちろんいくつかの根本があるのだが)、被雇用者をコントロールできない雇用主=協会にあると言わざるを得ない。また“およそ国民の夢と希望を担う集団のリーダーとしての器量を備えていない被雇用者”と、メディアやサポーターとの間をとりもつという難しい役割を果たすためのスキル(能力)、それ以前の社会的常識をもっていない担当者にあると言わざるを得ない。

 だって、そうではないか。報道陣は馬鹿ではないのである。また報道陣はスポーツの現場を知っているのである。そして、繰り返すが、何よりも報道陣の多くは日本代表を応援しているのである。
「公開」の予定が「非公開」に変更になったというだけで、今回のように怒りはしないのだ。「公開」のつもりだったが、チームの状況によって「非公開」なることだってあることくらいは、たぶんほとんど人が理解しているし、享受もするのだ。なぜなら、くどいようだが、報道陣とて日本代表を応援しているのだから。

 だが、今回のように「11時から公開」と言われながら、何のインフォメーションもなく、ただだらだらと待たされ、あげくに練習が終わっていた、では怒らない方が不思議である。途中で「実は状況が突然変わったので、今日は公開できない」とでも一言入れておけば、少なくともここまで怒りは大きくはならなかったはずだ。
 そうした当たり前のちょっとした気遣いさえできない人間に、広報という役割が果たせるのかどうか理解不能だ。一般の企業であれば、そんな人材を、メディアや社外と直接接するポジションにつかせはしないだろう。

 怒りと落胆に駆られるままに書いていたら、すっかり長く厳しくなってしまったが、さらにもう一つ付け加えるならば、今回のことがこれほどまでに怒りをかったのは、トルシエ監督就任からの3年間で直接彼と接してきた報道陣に相当のストレスが蓄積していたからに他ならない。これまでにあった様々な出来事で、もともと不信・不満が募っていたのだ。

 それでも我慢してきた(そして、結局のところ、いまも我慢している)のは、トルシエ監督のためではなく、日本代表チームのため、である。
 もっと大袈裟に言えば、日本サッカーのためである。
 少なくとも、フィリップ・トルシエという個人と、日本サッカー協会のため、ではないはずだ。
 それがいまや、本当に日本サッカーのためなのだろうか…と疑念を抱かねばならないような状況に陥りつつある。そのことを僕はとても悲しく思う。
 もしも、誰かが怒りをぶちまければ、それに呼応して、様々な憤りがあちこちから噴出する危険性をはらんでいるのだ。それだけの怒りの根は十分すぎるほどあるのだ。
 もしも、そういう事態になれば、それは当然、日本代表チームにとって悪影響を及ぼすことになる。そうなってしまったら…と考えると、僕は怖い。

 実は、トルシエ監督会見の数時間後、川淵チェアマンとお話をした。取材テーマはもちろん、トルシエ監督のことではなかったのだが、これまでの日本サッカーの歴史をお話する過程で、「いまはこんなふうになっているけど(お金とか人気とか)、思い上がってはいけない。いまはつけあがっている」とチェアマンは厳しい顔で話していた。
 多額のスポンサーマネーによって潤い、黙っていてもメディアが(決して4秒ではなく)大きく取り扱い、たくさんのファンが応援し、現在の日本サッカーは大活況を呈している。
 しかしながら、わずか10数年前は協会の予算も、取材に訪れる報道陣も、取り上げられる量も、スタンドも、いまとは比べものにならない状態だったのだ。

 ファンやサポーター、その間にあるメディアに対しての(表面的なものでも構わないので)感謝の姿勢を失ってしまって、あるいは忘れてしまっては、また冬の時代に逆戻り、あるいは低迷した瞬間にそっぽをむかれることになりかねないと思う。
 そして、何よりも、そばや富士山が好きなのかもしれないが、しかし日本と日本人には敬意を持っていない“日本”代表監督(もちろん日本サッカー協会だってなめられているのだ)を雇っていることに対して、僕は強い疑問を抱いている。

 コーチにとって必要なのは、コーチとしてのスキルであって、人格ではない、と僕も思っているが、それにしても……と思ってしまうのだ。
 日本代表というものは、やっぱり「僕たちの代表」と心から応援できる存在であってほしい、といま僕は願ってやまない。



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