COLUMN

 [AFTER 2001.9.11C]
 テロから1年が経って。             02.9.11


 あの壮絶な光景をテレビ画面を通して目にしてから、1年が経ちました。
 一年後の9・11は、NYを中心地に、アメリカ各地、そして世界のあちこちで、追悼セレモニーが行なわれた一日でした。
 世界のあちこち――なんて漠然とした書き方をするとピンとこないので、具をつめると、僕は平塚競技場にいました。湘南ベルマーレ対大分トリニータの取材で。
 そんな極東の2部リーグのキックオフ前にも、同時多発テロの被害者を悼む黙祷が捧げられました。世界のあちこちとは、例えばそういう「あちこち」です。

 あちこち、にはアフガニスタンも含まれるし、リビア、イラクなどのテロ支援国や悪の枢軸と名指しされた国々も含まれていると思います。死者を悼む、ということに関しては、宗教やイデオロギーや貧富は、たぶん関係ない。

 でも、死者を悼むということと、テロを憎むということと、テロリストを憎むということと、ビンラディンを憎むということと、アメリカを支持するということは微妙に、いや明らかに異なっているようです。
 そして、平和という、あたかも人類恒久の正義でさえも、それぞれの主義や置かれている立場によって異なる。

 この一年は、僕たちがそんな当たり前のことに、今さらながら気づかされた重苦しい時間でした。
 そもそも正義でさえも、国や民族や宗教によって違うのだ、ということを目の当たりにして立ちすくんだ一年だった。

 まったく逆のことを言うようですが、あのテロをきっかけにして世界が「ひとつ」になったという感触も僕は持っています。
 経済のグローバル化やインターネットの発達で、すでにひとつになっていた世界が、さらにひとつになったような印象です。

 その意味では、テロ直後のブッシュ大統領の演説は滑稽でさえあった。

「テロリストの側につくのか、それとも我々の側につくのか?」

 彼はそう問いかけたのでした。
 僕たちの答えは明白だった。テロリストの側にもつかないし、アメリカにもつけない。
 たぶん、この「僕たち」という言葉に、僕は世界がひとつになったと感じているのだと思う。

 そんなひとつになった世界に、しかし、価値観は多種多様に存在している、という現実が明白になったことで、僕たちは立ちすくんでしまった。
 そして、そのギャップを埋めるためにはどうすればいいのか、についてすべての「僕たち」が考えたのが、この一年だったと思います。

 ギャップがなぜ生じるのか――。
 その一部は、イスラムと自由主義社会に象徴されるように宗教やイデオロギーによるのでしょう。でも、そんなことは別にこれまでもみんなが理解していたことでした。

 僕たちが考えさせられ、そして理解させられたのは、そのギャップがなぜ紛争につながってしまうのか、という方です。

 無論、「それ」も僕らはもともと知っていた。
 しかし、これまで「それ」は知っているだけで、つまり知識のレベルでとどめていてもよかった。それがこの一年で、そうはいかなくなってしまったのだと僕は感じています。

「それ」とは、例えば、貧富。富める国と貧しい国(地域)。
 僕は小学校の頃に習った「発展途上国」という言葉を思い出します。それまで使っていた「後進国」ではなく、これからは「発展途上国」と呼ぶのだと僕は教わった。

 9・11が起きてようやく僕はその偽善と欺瞞に気づかされました。
 発展途上国。何とも美しい、未来を感じさせる言葉です。
 でも、現実には先進国はますます先進し、一方で発展途上国はいつまで経っても先進国に追いつくことはない。もちろん発展途上国が先進国を追い抜き発展することもない。富める国はますます富み、貧しい国はますます貧しくなる。

 この夏、スポーツの世界でも似たようなニュースがありました。
 ストライキが懸念されたメジャーリーグです。その根には球団格差がありました。つまり、金持ち球団と貧乏球団の格差が開きすぎ、リーグそのもの運営に支障をきたし始めた。
 スポーツのビジネス化についてはご存知の通りです(ちなみに僕自身は、スポーツの商業主義を「悪」と決め込むアマチュア主義者に組する立場ではありませんが、ここではそれには触れません)。

 市場原理によって運営されている現在のスポーツでは、今回のメジャーリーグと同じようなことは、あらゆる国のあらゆるスポーツで起きています。オリンピックやワールドカップでも起きている。
 それを防ぐためには日本のプロ野球のように護送船団方式をとるしかない。もちろん、それとて根本的な解決策ではありません。

 とにかくスポーツでさえもそうなったように、金持ちはますます金持ちになり、貧しい者はますます貧しくなる。それが資本主義の経済原則というわけです。そうして両者のギャップは広がっていく。

 ちなみにメジャーリーグは課徴金制度を設け、ものすごく大雑把に言えば、富の分配を決めましたが、世界が同じ手法をとることはありえません。
 金持ち国が、一定以上の黒字をあげた場合、それを世界に配分するなんて国際法ができるはずはない。なぜなら世界のルールを決めるのも、やはり金持ち国(先進国)の側だからです。

 そればかりか先進国は発展途上国という名の貧乏国から奪います。資源や自然や労働力や人を奪う。買うということです。もちろん安い金で。
 貧乏国から安い金で買った資源や自然…は、金持ち国において、買い付けた金よりも大きな利益を生み出します。そうでなければ、買い付ける理由がないのだから当たり前です。
 もちろん金持ち国は、貧乏国に与えることもします。売るということです。売ることによっても当然利益をあげます。

 いずれにしても、金持ち国はさらに金持ちになり、貧乏国とのギャップもまた開いていく。つまり現在の経済原則が世界を動かしている限り、貧富の差が縮まることは難しい。
 だからと言って、資本主義解体などと叫んでいいものかどうかは僕にはわかりません。

 少し考え方を変えてみます。
 僕が子供の頃は、日本でも停電が珍しくなかった。水道が止まることも時々あった。
 いまはそんなことはありません。
 僕が生きている間だけでも、日本は豊かになった。

 別の考え方とはつまり、僕が知っている日本と同じように、世界のすべての国が、少しづつでも豊かになっていけるのであれば、貧富の差は縮まらないまでも、世界中がそれなりに納得できるのではないかということです。
 つまり世界中の生活水準が右肩上がりに上昇していくことができれば、テロや紛争につながるほどのストレスはたまらないのではないかという考え方。

 でも、残念ながらこの考え方には無理があります。なぜなら地球の資源は有限だから。
 電気にせよ、水にせよ、石油にせよ、無限ではありえない。
 それらが残り少ないことは、それこそ僕が子供の頃から警鐘が鳴らされ続けていることです。

 残り少ないものは、価値が高い。価値が高いということは、値段が高い。となれば、それを買えるのは…。
 経済戦争においてどちらが勝つかは言うまでもありません。
 それどころか残り少ない資源を巡って、本当の戦争が起きる可能性もある。その戦争に勝つのも、やはり…。

 なぜ世界の低いところにストレスがたまるのか。紛争が絶えないのはなぜか。
 その仕組み(システム)はこの一年間に、色々なジャンルの人々からの指摘で大まかにわかってきたように思います。

 さて、それではどうすればいいのか――。

 汎用性のある解決策は、たぶんないのでしょう。
 だとすれば、それぞれのジャンルで、それぞれの解決策を考えていく作業をやらなければいけない。
 これから僕たちがやらなければならないのは、そういうことなのだと思っています。



01.9.24 [After 2001.9.11@]テロから2週間経って。

01.11.20 [After 2001.9.11A]テロから2ヶ月が経って。

02.2.11 [Afer 2001.9.11B]テロから5ケ月が経って。



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