COLUMN

 男の花道に 〜北澤豪引退試合         03.6.21

 何のことはない一日のつもりだったのです。引退したのはもう半年も前のことだし、先月も取材で会ったばかりだし、今日が特別な日という思いはそれほどなかったのです。
 あの頃の選手たちが勢揃いする懐かしい一日になるだろうとは思っていたけれど、どちらかと言えば楽しくにこにこ笑いながら観戦できる試合になるだろうと。少なくともしんみりなんかしないだろうと。

 でも、甘かった。ものすごくしんみりしてしまいました。しんみりして、センチメンタルになって、感動して、そして、最後にやっぱりこの男が好きだなとしみじみ思ってしまいました。
 そう、僕は彼のことが相当好きなのです。

 初めて口を利いたのがいつだったかはよく覚えていません。でも、十年前、Jリーグが始まった時すでに、長髪をなびかせてピッチを疾走する彼の姿が僕は好きだった。
 ちょうどバブルが終焉を迎えて、日本中に沈滞、閉塞した空気が満ちている頃でした。そんな頃にJリーグが始まった。
 とても華やかで煌びやかで、それまでのサッカー場とは一変した輝きがJリーグにはありました。ブームだったかもしれない。ミーハー人気だったかもしれない。いや、確かにそうでした。
 だけど、あの時代にあってJリーグは閉塞感を打ち破り、新たな時代の幕を開ける装置として、鬱屈を吹き飛ばすことができる場所として、間違いなく特別なものでした。新たな価値観を僕たちに提示してくれたのもJリーグだったと思います。

 シンボルはヴェルディ川崎でした。ラモス、カズ、武田、そして北澤。
 彼らが奏でるリズムも、描き出す色も、本当に魅力的でした。自由で奔放で、享楽的で、「非」秩序で、それでいて緊密な連帯があり、結果的にカタルシスがありました。
 なかでもキーちゃん。彼がなびかせる長髪は、時代の風に吹かれているようでした。爽やかで心地よく。
 Jリーグから吹き出した風があの頃の僕たちを爽快にさせてくれたし、あのピッチに吹いていた風が新たな時代の息吹を感じさせてくれた。そして、それを目に見える形で示してくれたのが、キーちゃんが疾走する姿でした。僕はそんなふうに感じていました。

 あの年、93年の秋にはドーハの悲劇がありました。日本中が息を呑み、沈んだ。多くの選手たちの震える背中が思い出されます。汗で顔中に貼りついた髪の毛もそのままにサポーターに一礼したキーちゃんの姿も。
 あの悔しさが深かったから、みんなそれからの4年間挑戦を続けることができた。

 前に何かのコラムに書いたことがありますが、僕自身にとってもドーハはスタートラインになりました。
 僕はドーハの悲劇を家のテレビで見た。負けた悔しさと、あの現場にいない自分の不甲斐なさが、それからの4年間のエネルギーになった。
 ファルカン、加茂、岡田と変わっていく代表監督、そしてそれ以上に移り変わっていく代表選手たちを追い続けることができたのは、あの悔しさと不甲斐なさがあったからに他なりません。
 アメリカ大会の予選では現地に行くことはできなかったけど、フランスの予選は絶対何が何でもチームと選手に随行して取材したい、いや取材できるようになりたい。そう心に決めて、ドーハからの4年間を過ごしました。

 97年秋、アジア最終予選の初戦は国立競技場でのウズベキスタン戦でした。
 キックオフより随分早く国立競技場に行きました。4年間かなり意地をはって頑張ってきたかいあって、取材を許可されるフリーライターになれていました。そして今日からホーム&アウェーでアジアを行ったり来たりする2ヶ月が始まる、そう思って、かなり昂揚していました。
 千駄ヶ谷の駅を降りたところでまず涙が出そうになった。総武線の車中からすでに雰囲気が違ったのです。4年前の悔しさが4年間で熟成されていたからこそ、みんなの思い入れも深く強かった。だから空気の密度が違ったのだと思います。

 国立競技場に入って、メインスタンドにある記者席の最上段まで登りました。まだ開門前でサポーターは外で並んで待っていた。その列を見ました。競技場をぐるりと回り、千駄ヶ谷駅前を通り、その列は代々木の方まで続いていた。また涙が出そうになりました。
 そして君が代。キックオフ。
 情けないけど、そのたびに胸が熱くなった。かっこ悪いので、周りの記者と目を合わせないようにしていました。
 前半すぐに日本はPKを得ました。カズがボールをセットします。その時、記者席のすぐ前の一般席にサポーターにまじってキーちゃんがいることに気づいた。
 キーちゃんは両手を握り締めて、祈っていました。そしてカズがボールを蹴り、ネットが揺れた。ガッツポーズ。ピッチでもスタンドでもたくさんのガッツポーズが生まれました。僕も、そしてキーちゃんもやはりガッツポーズをしていました。

 その後、日本は韓国に逆転負けして、中央アジアでも苦戦し、加茂監督が更迭され、岡田監督が就任し、選手も入れ替わりました。
 そんな中でキーちゃんも選ばれた。僕は嬉しかった。1ヶ月前に一般席で祈っていた彼が僕たちの代表としてプレーすることになったことが嬉しかった。彼にとっても、僕たちにとっても、とても真っ当で、幸福なことだと思った。

 あれから6年が経ちます。予選途中からチームに合流し、ワールドカップ出場に貢献した彼はフランス本大会のピッチには立つことはできなかった。2002年のピッチにもやはり立てませんでした。
 でも、どんな時も彼は真摯な姿勢を決して崩さない男でした。かつてのチームメイトが去り、どんどん若返っていくヴェルディでも、彼は自らの練習にも、他人の心中にも、チームの雰囲気にもいつも気を配ってきた。
 選手としてベテランになっていっただけでなく、男ととしても夫になり、父親になった。
 サッカー選手であり、一家の大黒柱であるだけでなく、さらりとボランティアをやったりもしました。さらりとナチュラルに、というあたりがとても彼らしかった。

 そんな彼のサッカー人生の後半に僕は何度も取材で彼と話すことができました。彼と話すのはとても楽しかった。とにかく気風がよくて、彼と話すと僕まで元気になれた。
 サッカーからはずれて、男として、大人としての話もできた。そういう選手はそう多くはありません。
 何より彼は潔くて、女々しい僕はいつも感服していました。自分もこういう男になりたい、こういう雰囲気を醸し出せるだけの中身を体得したいとも思った。
 武士のような気合と潔さ、そのくせ少年のような無邪気さと茶目っ気。かっこいいなあといつも思っていました。

 最後のスピーチを聞きながら、そこに彼がいたいくつもの風景を思い出しました。
 そういえば、いつだったか忘れましたが、駒沢のレストランバーのカラオケで一緒に「夕焼けの歌」を歌ったことがありました。僕の大好きな歌で、キーちゃんが歌っているのを聞いたこともあったので、無理やりデュエットしてもらったのです。まだそんなに彼のことを知らない頃でした。仕方なくマイクを握った彼は、それでも「ゆらゆらと〜」と一緒に歌ってくれた。たぶんキーちゃんは覚えていないだろうけど、僕にとっては結構自慢の思い出です。

 引退試合の日は梅雨時にもかかわらず、Pカンでした。よかったなあと思った。北澤豪という痛快な男の花道にふさわしい空だと思った。
 挨拶を終え、長い時間をかけて彼は場内を一周しました。スタンドの一人一人とちゃんと向き合うように時間をかけてスタンドを回った。

 その途中でBGMが変わりました。THE BOOMの「風になりたい」でした。
 どういう経緯でこの曲になったのか僕は知りません。でも、キーちゃんにふさわしいラストソングだと思いました。
 軽く口ずさんでみたら、思いがけず胸が熱くなりました。ああキーちゃんのことを本当に好きだったのだなあと改めて気づかされました。
 そして、しみじみしながらも、でもやっぱり最後には爽快な気分になった。

 別に面と向かってお礼を言わなければならないような義理はないけれど、僕個人にとって彼はとても特別な存在でした。
 だから、これまでありがとう、そして、これからもまたよろしく、と心の中で呟きながら、彼の最後のユニホーム姿を見送りました。




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