COLUMN

 反町康治とアルビレックス新潟についての原稿の切れ端 04.5.7


 原稿を書いていると、ページ数の関係だったり、書いている途中で気分が変わったり、「やっぱりこれはいらない」と方針が変わったりして、削除してしまうことがしばしばです。
 今回、ごっそり削除した原稿があったので、ちょっと載っけてみます……(以下略。前回と同じ)。

 ちなみに「サッカー批評」(6月10日売り号)に掲載される反町監督についての原稿の冒頭、および結び近く――です。

                  *       *

 世界のサッカー地図に日本は載っていない――。
 そんな言葉がかつてあった。アジアの、それも極東の日本という国のサッカーは、ワールドサッカーにおいて取るに足らない存在でしかない、という自嘲気味な言葉である。
 ちなみに、それはただのレトリックではなかった。1996年初夏、初めてチューリヒにあるFIFAハウスを訪れた際、僕は呆然としたものだ。そのエントランスにある世界地図のレリーフには、本当に日本が描かれていなかったのである。

 あれから8年が経った現在、「日本は載っていない」なんてフレーズを聞くことはなくなった。98年のフランス・ワールドカップに初出場し、中田英寿をはじめ多くの選手がヨーロッパに飛び出し、そして何より、2002年ワールドカップ――あの8年前の初夏にあのFIFAハウスで決定した「共同開催」のワールドカップ――でベスト16に進出した日本は、いまや少なくともアウトサイダーではない。地図に描かれているかどうかはともかく、世界にその存在感を示せる国になったのである。

 ところで、同じようなフレーズを使ったら怒られるだろうか。
 かつて日本のサッカー地図にニイガタは載っていなかった――。
 世界地図に載っていなかった、その島国の地図にも載っていなかった、と言ったら怒られるかもしれない。だが、神田勝夫が引退したいま、新潟県出身のJリーガーがほとんどいないことで明らかなように、日本海に面した新潟という地域のサッカーは、日本サッカー界において取るに足らない存在でしかなかったのである、かつては。
 そう、かつては、だ。日本サッカーが2002年ワールドカップを契機に世界に存在感を示したように、「新潟」もワールドカップ開催を経て日本のサッカー地図に太字で記されるビッグタウンになった。

「おとぎ話の第一話が完結しました」
 昨年1123日、J1昇格を決めた際、反町康治監督はそうコメントした。
 2001年、ビッグスワン竣工とコンフェデレーションズ・カップ開催。
 2002年、ワールドカップ開催。
 2003年、J2優勝。そして66万7447人。
 2004年、J1昇格。
「第一話」のあらすじを記せばこうなる。ワールドカップのために建設されたビッグスワンが観客を呼び、コンフェデとワールドカップがサッカーの熱を高め、アルビレックスの躍進が人々を惹きつけ、押し寄せる観客がチームを後押し、
J1昇格を実現し、J史上最多入場者数を記録した。「ワールドカップ」を機に派生した「ハード」(スタジアム)と「ソフト」(チーム)が相乗的に作用した末に、サッカータウン「ニイガタ」は誕生したのである。

 たぶんどれが欠けてもニイガタは生まれなかっただろう。とりわけ、チーム、それも魅力的なチームの存在なくしては、ニイガタはありえなかった。
 その成績。
 2001年、4位(残り3試合で昇格消滅)。
 2002年、3位(残り2試合で昇格消滅)。
 2003年、優勝(最終節で昇格決定)。
 完璧である。年々順位を上げ、期待を膨らませ、その分、深い落胆を経験した末に、最終節でのドリーム・カム・トゥルー。
 無論シナリオがあったわけではない。しかし、結果的にアルビレックスの「第一話」は完璧なドラマツルギーでエンディングまで突っ走ったのである。これではサポーターが増えないはずはない。
 超満員のオレンジ色のスタンドには今日も歌声がこだましている。
 アイシテルニイガタ、そして、俺たちの誇りニイガタ。
 いまや日本中のサポーターから羨望をもって見つめられるサッカーどころである。

            *     *

 表現は悪いが(そしてすでに結びが近づいた今ごろになって明かすのも何だが)、一筋縄ではいかない人だという印象をずっと持っていた。スタイリッシュな外見とは違って、偏屈な人だとも(職人気質といった方が聞こえがよければ、それでもいい)。

 思い起こしてみれば、周りがプロリーグ創設に沸き、高収入に踊っていた頃にはアマチュア選手だった。そして横浜フリューゲルスで天皇杯を制したと思いきや、プロ契約を結びベルマーレ平塚(当時)へ移籍。結果的に2年連続元旦で優勝を飾ってしまう。
 清水東高校、慶応大学(それに全日空)という経歴は疑いようもなくエリート街道。しかも花形職業であるプロサッカー選手になり、引退後もメディアから持てはやされ……と人も羨む人生をひた走っていたにもかかわらず、突然ぷいとスペインへ飛び立ち、今度は単身コーチ留学。そのスペインではエージェントの不手際で一度は門前払いを食らいながら、それにもめげずバルセロナFCに潜り込み(?)、ベルリッツでスペイン語を学び、クーマンから手ほどきを受け、帰国後にはコーチ経験をすっ飛ばしていきなり監督に就任したと思ったら、チームをJ1に押し上げ、いまや新潟の名士である。
 こんな人生、そうそう歩めるものではない。少なくともバランス感覚のある普通の人なら、こんな人生選ばない。





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