風の歌1984-1988――中野区野方(1)                  05.4.11


 昼の光に夜の闇の深さがわかるものか。
 オハイオ州の小さな町にあるアメリカの冒険作家の墓標にはそう記されている(それはハイヒールの踵くらいの、うっかりすると見過ごしてしまいそうな小さな墓らしい)。
 読み辛い文章と出鱈目なストーリーと稚拙なテーマの小説を武器に戦った(誰と?)小説家は、1938年6月のある晴れた日曜の朝、右手にヒトラーの肖像画を抱え、左手に傘をさしたままエンパイアステートビルの屋上から飛び降りて死んだ。彼が生きていたことと同様、死んだことも大した話題にはならなかったという。

 それから70年が過ぎようとしている。読み辛く出鱈目で稚拙な物語を書き続けた一人の小説家が、エンパイアステートビルの屋上から飛び降り、蛙のようにペシャンコになって死んでから70年が過ぎようとしている。
 気がつけば時代は変わり(それもすっかり変わり)、エンパイアステートビルや自由の女神が何かの象徴であった世界は遠い昔になろうとしている(キングコングがエンパイアステートビルに登り、自由の女神が猿の惑星となった未来の地球で発見される物語が特別な意味をもった時代もあったのだ)。

 それでも(時代はすっかり変わったけれど)変わらないこともある。70年も前の冒険作家の自殺から学び取れることもある。「彼」が生きていたことも死んだことも大した話題にはならなかった、ということだ。
 話題になる生や死もあるに違いない。でも、それとて所詮うたかたの話題にすぎない。究極的に言えば、彼(僕であっても誰であっても)の生も死も、とりたてて大したことではないのだ。なぜなら僕たちは誰もが生まれ、そして死んでいくからだ。それが真実だ。だから変わらない。事実は捏造されることもあるけれど。

 いや、ちょっとシリアスになってしまった。もっと身近で、それも卑近な話をするつもりだった。
 そう、これから始めるのは卑近な話だ。これ以上の「卑近」はない、というくらいに卑近な物語である(一人語りと言ってもいい)。

 例えば「大したことではない」に関して、僕はちょっとしたオーソリティだ。そもそも僕の日常は(ホントに)大したことない出来事の連続で成り立っている。
 目が覚める、腹が減る、人と話す、うんこをする、不安になる、やる気になる、後悔する、海を眺める、物思う、惚れる、旅をする……。
 それぞれのパーツに意味をつけようとすればできないこともない。でも、やっぱりパーツはパーツだ。それも大したことないパーツだ。そんなパーツがたくさん集まって僕の日常となり、僕の日常が連なって僕の人生は構築されているというわけだ。

 でも、だからといって「そんな人生もまた大したものじゃないのさ」と僕は言わない。口が裂けても言わない。人生を「大したことではない」と言ってしまえば、すべては無に帰してしまうからだ。そう言い切れば話はそれで終わってしまい、あらゆることは単純に解決してしまう。
 でも真実はそうではない。たとえ人生が大したことのないものだとしても、それを生きる人間は複雑で不条理で、だからその人生もまた決して単純ではなく重層的で、意外と大したものなのだ(だからこそ、その狭間で哲学が生まれるのだ)。

 高名な作家の手による唐代の漢詩の名訳。
 「コノサカヅキヲ受ケテクレ
 ドウゾナミナミツガシテオクレ
 ハナニアラシノタトヘモアルゾ
 サヨナラダケガ人生ダ」
 は、だから時にその源となる。

 このフレーズを重用した異能の劇作家はこう続けている。
 「さよならだけが人生ならば
 また来る春はなんだろう。
 はるかなるかな地の果てに
 咲いてる花はなんだろう」

 いま僕も語ろうと思う。
 僕の生と死について、つまり日常と人生について。大したことがないにしても、そこに何らかの真実を見出すことはきっとできると信じて。
 そう、事実ではなく、真実だ。
 もちろん複雑で重層的で、おまけに不条理な日常のすべてを語ることなんてできるはずもない。僕が語ることができるのは、せいぜい僕の日常の中の、ごく限られた領域だけだ。

 例えば、僕が読み辛く出鱈目で稚拙な物語を書き続けた一人のアメリカ人小説家の死と、その死にまつわる真実、について知ったのは、僕が(本当の意味で)初めて「女性」と付き合い、それと同時に「男とは……」なんていまにして思えば不毛なことに深刻に頭を悩ませ、その果てに「人生」という大そうなことについて真剣に考え始めた20歳頃のことだった。(いまや国民的作家として日本一の愛読者をもつ)小説家のデビュー作を読み、僕はそのエピソードを知った。
 その頃、僕は中野区野方(3年前に出版され、やはりメガヒットとなった彼の小説に登場する街だ)にある家賃3万3000円、6畳(トイレ付!)の並木荘というアパートに住む大学生で、しかし大学へはほとんど通わず、そのくせ大学で知り合った友達と遊び、語り、毎日を過ごしていた。

 毎日を過ごしていた。
 毎日を過ごしていた。

 もちろん、そんなはずはない。友達と遊び、語り、毎日を過ごしていたわけではない。
 毎日毎日友達と遊び、語っていたわけでもないし、友達と遊び、語るだけで毎日が過ぎていったわけでもない(僕は月曜から金曜まで朝から夕方まで本屋さんでアルバイトをしていたし、初めての恋人といがみ合ったり、許し合ったり、突っ張ったり、妥協したり、そんな作業も面倒を厭わずやらなければならなかったし、それに友達だって「毎日僕と遊び、語る」ほどヒマではなかったに違いない)。
 まだ20歳で、ロクなものじゃない「僕」にも、それなりに複雑で重層的で、もちろん不条理な日常があったということだ。すべてを語れるはずもない。

 おまけに正直に語ることはひどく難しい。正直に語ろうとすればするほど、正確な言葉は波に飲み込まれ海の底へと沈んでいく(おまけに最近の僕の脳は「記憶」の面においても、「言葉検索」の面においても、かなりあやしい)。
 それでも大事なことは、それが成し遂げられるかどうかではなく、それを成し遂げようと試みることだ。これは僕の人生訓だ。正直に語れるかどうかわからないから口をつぐむのではなく、正直に語ろうと声を出してみるべし。そうすれば海の波の続きにも、風の先の終わりにも、いつかは辿り着けるかもしれない。少なくとも、そこを想像することはできる。

 とにかく――いまから20年前、1980年代半ば、一冊の本を読み、エンパイアステートビルから飛び降りたアメリカの作家の墓標に記されている「昼の光に夜の闇の深さがわかるものか」というニーチェの言葉に一人前に共感し、性欲と誠実(と信じていた何か)の狭間で女性と世界の不思議と遭遇し、不毛なことや大そうなことを馬鹿みたいに真剣に考えながら、毎日を過ごす20歳の青年がいたのだ。中野区野方に、確かに。
 それが「僕」だ。