「JFAニュース」のコラム原稿の切れ端          05.4.20

 原稿を書いていると、ページ数の関係だったり、書いている途中で気分が変わったり、「やっぱりこれはいらない」と方針が変わったりして、削除してしまうことがしばしばあります。
 今回、ごっそり削除した原稿があったので、ちょっと載っけてみます。
 こんな調子で書き始めてはみたものの、「ん? このペースじゃ分量のバランスがとれないな」、それに「この話はそもそも必要なのだろうか、意味があるのだろうか」と疑問になって削除した部分です。
 ちなみに「JFAニュース5月号」に掲載される連載コラム「DREAM〜夢があるから強くなる」の原稿の冒頭――は当初こんな調子でした。

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 夢や挑戦が大流行である(感動だとか“泣き”もやっぱり流行している)。
「それって夢じゃなくて欲望なんじゃないの?」と首を傾げることも少なくないが(「それって感動じゃなくて願望なんじゃないの?」とやっぱり首を……だけど)、とにかく流行っている。

 流行ってはいるけれど、その一方でリスクや失敗は忌嫌し、あげくの果てには「傷つきたくない」なんて早めに腰を引いてしまうのだから、せっかくの夢もめったに現実にはならない。
 せめて「目標」と呼べるくらいには具体的にしないと夢なんてものは破れていくばかりである(破れればまだいいが、大抵はキレイさっぱり忘れ去ってしまうみたい)。

 では、夢を実現し、身震いするほどの感動を手にするための条件は、と問われれば、僕はロマン(理想)とリアル(現実)の両立と答える。
 もちろん、これは相当に難しい。
 ただのロマンチストでもダメだし(そのレベルによって、ナルシストだとか、ほら吹きだとか呼ばれることになる)、ただのリアリストでもダメということだ(彼に向かって「面白みがない人」などと言ってはいけない。逆ギレされる)。
 とにかく、大胆なほどのロマンチストで、なおかつ綿密で周到なリアリストでなければデッカイ夢を実現することはできない、そう思っている。

 さて日本サッカーである。「2050年、ワールドカップ優勝!」である。それこそ「願望でしょ」と笑われても不思議ではないほどの壮大な夢である。
 でも、「2050年」という期限が切られている以上、これは「目標」である。しかも、キャプテンが「47都道府県協会を代表して」と宣言した以上、これは日本サッカー界が共有する夢であり、実現へ向けて挑戦すべき目標であるということだ(忘れないように、ちゃんと文書にもしている)。
 まさしく、大胆なほどのロマンチスト。これが日本サッカーの一つの顔だ。
 ではリアルな方はどうか。

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 自己愛が満ち溢れる時代である。他人には「自己責任」などという大そうな(そしてイカニモな)言葉を投げつけ、その一方で自らの責任は棚上げして国や政治家の無策をなじる(そして選挙にさえ行かずに小さな声でやっぱりイカニモな不平不満を口走る)。
 自己愛ではなく自己憐憫?