元旦の国立競技場で日本サッカーを想う               06.1.6

 新年はいつものように国立競技場でつらつらと思いを巡らせながら迎えた。
 天皇杯決勝。草サッカーからJリーグまで、要するに日本中のすべての選手とチームに開かれたこの“ジャパン・オープン”のファイナルが「元旦」に行なわれるようになったのは……とプログラムをめくってみたのは「天皇杯をどうして元旦にやるようになったか知ってる? 近くに明治神宮があるでしょ。あそこには250万人も参拝客が来る。せめてその1%でも国立競技場に流れてきてくれれば2万5000人になる、ということで元旦にしたんだ。それでも当時は(お客が)入らなかったけどね」という元サッカー協会会長・長沼健の昔語りが蘇ったからだった。

 プログラムによれば、初元旦は第48回(1968年度)。
 38年前のこの日、このスタジアムで歓喜の雄叫びを挙げたのは釜本邦茂擁するヤンマーで、その軍門に下ったのは三菱(重工)。当時のメンバーにはGK横山謙三、HB森孝慈と現浦和レッズの重鎮が並ぶ。
 目前のピッチで優勢に試合を進める平成の赤きビッグクラブを眺めつつ、歴史の活断層にも触れた気分で「一挙両得!」なんて一人ごちていたら、チーム創設わずかに13年、サッカー王国がJリーグ仕様でこしらえた清水エスパルスが1点を返した。

 決めたのは、あの初めてのワールドカップで注目を集め、しかしユニホームを着ることなくエクスレバンでサポート役に徹した市川大祐だった。あれから8年か……と“フランス”を想いながらメンバー表で確認するとまだ25歳。高卒ルーキー3人が名を連ねる若きエスパルスにあって上から4番目だった。
 ちなみに最年長は“アトランタ”の伊東テル、続いて“2002年”の森岡隆三。日本サッカーの成長は急で、生存競争は激なのだ。

 そんなわけで彼らからは早くも歴史の匂いさえ漂ってくる。
 21世紀のフットボーラーは、活字として定着されるまでもなく、ピッチを駆けながらすでに歴史となっていくのだろう……と考えて、この時代を始めた牽引者であり主人公であるカズに思いが至り、昨年末の世界クラブ選手権の居心地の悪さに行き着いた。
「でも今年の大会には浦和レッズが」と気を取り直そうとしてみたが、2006年元旦の勝者がACLに出場するのは2007年なのだそうだ。選手の契約もサッカーカレンダーもすり合わせは容易ではないらしい。
 うーむ。結局、歴史と現在の狭間で腕組みしながらワールドカップイヤーを迎えることになった。


*この原稿は「VS」に掲載されたものです。