浦和レッズ・藤口光紀社長 ――誰がパスをつなぐのか(クラブ編)  06.2.1

 もはや説明は不要だろう。最大にして、最強のクラブ、それが浦和レッズである。
 最大――年間予算およそ70億円(昨年推定)。言うまでもなくJリーグ31クラブ中、最大規模である。しかも親会社である三菱自動車から“自立”して、つまり自らこの金額を稼ぎ出す。
 最強――昨シーズン最終戦。6万を超える赤い集団が埋め尽くす埼玉スタジアムで、ついにJリーグ王者に就いた。そればかりか天皇杯も連覇。それも主力を欠きながら元旦に凱歌を響かせたのだ。最大予算が実現する陣容は、豪華にして重厚。要するに最強。
 まさしく「ビッグクラブ」である。

 そんな浦和レッズを目前にして、改めてJリーグが歩み続けた14年間を想う。1993年、リーグ創設元年の最下位は(それも第1ステージも第2ステージも)浦和レッズであった。翌1994年、2年目の最下位もやはり浦和レッズだった。専門誌では「レッズ再建委員会」なんて企画が連載されていた。
 付け加えれば創設元年の観客動員数でも浦和レッズは最下位だったのである(1試合平均9149人)。
 象徴的に言えば、最小にして最弱。あの頃の浦和レッズはそんなチームだった。

 当時、スタッフ10人、年間予算10億円のクラブを事業広報部長として率いていたのが、昨秋、社長に就任した藤口光紀である。そんな彼に浦和レッズの<あの頃>と<これから>についてきいた。

――ついにリーグチャンピオンになりました。おめでとうございます。優勝パレードには65000人の市民が繰り出したそうですね。レッズにとっても浦和(さいたま)市民に至福のときだったと思います。
「本当にお互いがそう思えた瞬間でした。Jリーグが始まった頃は「どうしてこんな弱いチームが浦和に来てしまったのか」と何度も言われたけど、何も言い返せませんでした。まさしくドン尻でしたから。「いまに見てろ」と噛み締めるしかなかった」

――思い出してみれば、レッズのホームタウンが浦和に決まったのは土壇場でした。
「そもそも三菱と浦和に接点があったわけではないですからね。三菱は他の候補地を探していたし、浦和も他のチームを誘致しようとしていました。それがぎりぎりのタイミングで出会ってくっついた。もしも三菱が他の都市をホームタウンにしていたら、浦和が他のチームを決めていたら、両者の出会いはありませんでした」

――多くのチームは事業所があったり工場があったりして地縁のある都市をホームタウンにした中で、レッズと浦和は唐突に出会って結ばれたというわけですね。
「そうです。利害関係も目論見もまったくなしに。だから僕は浦和とレッズの関係を「純愛」と表現しているんです」

――言い換えれば、過去のしがらみがない両者だったからこそ純愛を貫けた、という面もありますか。
「確かに。他のクラブは日本リーグ時代の拠点をベースにして、それを大きくしようとしていたけど、レッズにはそれがなかった分、色んなことをやれたという面はあるかもしれません。僕たち自身「三菱サッカー部ではなく浦和レッズなんだ」という意識も強かったです。とにかく、それまでの延長ではなく、「新しいスポーツ文化を創るんだ」という思いがあった。だから、それまでのアマチュア体質を壊すことから僕たちは始めました」

――当時はJリーグブームの真っ只中でした。「百年構想」や「理念」は喧伝されていましたが、各クラブのフロントがどこまでそれを理解していたか。いま振り返ると疑問です。
「その意味では、クラブ設立時のスタッフにドイツのスポーツクラブを知っている者が何人かいたことは大きかったですね。目指すべきクラブの姿を具体的にイメージし、共有することができましたから。だから、まずはホームタウンを作ることが大事だと考えることができたんです」

――なるほど。象徴的な数字が初年度の観客動員記録です。レッズは最下位です。しかし、これはレッズが、極論すればレッズだけがホームタウンにこだわっていたことの証拠でもあります。
「その通りですね。当時はチケットは飛ぶように売れましたから、多くのチームが国立競技場でホームゲームを開催していました。でも僕らは駒場にこだわった。だって僕らの家は駒場です。そこをしっかりやらないとダメだと思った。家を空けて、よそのパーティ会場でばかり試合をやっていたら、ホームなんてできるはずもないわけで」

――おかげで経営的(入場料収入)には苦戦したと思いますが……。
「それはそうですね。国立でやれば5万人入るのに、(当時の)駒場は1万人。5分の1ですから。でも目先の利益にとらわれていては話になりません。だって、僕たちは新しいスポーツ文化を創ろうとしていたんですから」

――あの時期に「家」の土台をしっかり築いたからこそ、ブームが去って他クラブが観客動員を落とす中、人気を維持することもできたというわけですね。
「しかも、それに応えて浦和市が2年連続でスタンドを増築してくれました。市もすごいし、市を動かした市民の力もすごかったと思います。チームの成績は最下位なのに、あんなに応援してくれる人たちがいた。ありがたいことです」

――そして2001年埼玉スタジアムという、大きな家ができて観客動員も急増。レッズはビッククラブへの階段を昇り始めます。チームも2003年にナビスコ杯を獲り、2004年にステージ優勝。そして昨年の元旦に(三菱以来25年ぶりに)天皇杯を獲得し、ついにJリーグチャンピオン。最下位が定位置の時代に悔しい思いをしただけに格別だったのでは?
「それはもう言葉にできないくらい。実はあの最終戦の朝、スタジアムに到着したときから、(じーんと)きてしまってたんです。昔の横断幕とかが張ってあって……。そしてスタジアムに入ってみたら、あの雰囲気でしょう。62241人のサポーターがスタンドを埋めてて、そこにエンブレムが現れて……。負けるはずないと思いましたね。試合は安心して見てましたよ」

――シーズン終盤には「ALL COME TOGETHER」プロジェクトも展開していました。まさに浦和レッズ14年間の底力を感じる盛り上がりでした。
「天皇杯を獲って、チームもスタッフもサポーターも、みんなが「さあ、あとはリーグ優勝だけだ」という気持ちで戦ってきたけど、やっぱり勝負の世界は甘くないですからね。最後の最後に、もう一度みんなの力を結集して戦わなければ、という思いで、「共に戦い、共に頂点へ」という合言葉の下、あのプロジェクトをやったんです。僕たち自身、もう一度原点に帰って浦和の町を歩いて、ホームタウンのみなさんに力を借してもらおうと。
 その結果、最後の4試合は全部満員。苦しい最後の上り坂で、みんなの後押しをもらうことができました。だから勝ち切れたんだと思います。その意味でもタイムアップの瞬間は、本当に幸せな気分でしたね」

 クラブもチームも、そしてホームタウンもJリーグの頂点に君臨した浦和レッズ。今季は、アジア、そして世界への挑戦が始まる。Jリーグのチームがいまだ勝つことができないACL、そしてその先にあるクラブ・ワールドカップへの挑戦だ。
 オフには阿部を獲得。三都主は抜けたが、戦力はさらに豪華に分厚くなった。
 指揮はオジェック監督がとる。11年ぶりの復帰。前回は就任した1995年に最弱チームを4位に躍進させ、1996年も6位と安定した結果を残している。
 もちろんサポーターたちはリーグ連覇を熱望しているに違いない。ビッククラブだからこそ、常勝を課せられることにもなる。だが、勝負の世界。「最強」を維持するのは容易ではない。

――昨シーズンの優勝で名実ともにJリーグ随一のビッグクラブになりました。
「これまでチーム力が追いついてないと言われてきましたが、これで名実ともにリーディングクラブになったのかなという気はします。でも、大事なのはこれから。一回だけならどこでも(チャンピオンに)なれます。これから真の力が問われることになる。その意味で2007年はレッズにとっては大切なシーズンです」

――維持していくのは大変だと?
「維持じゃないです。この先には、アジアも世界もある。まずはアジアbPになる。この目標ははっきりしています。ACLを勝つということはクラブ・ワールドカップに出るということだから、これは世界への挑戦ということになります」

――ACLではこれまでJクラブは苦戦しています。だからこそレッズへの期待はレッズのサポーターでなくとも大きく膨らみます。
「簡単ではないと思います。とにかく初めての挑戦。つまり未知の世界ですから、予測できないようなことも起きるかもしれない。厳しい挑戦だということは覚悟しています。その意味では、今年の元旦に天皇杯を獲ったのは大きかったですね。2年連続でACLに出場できる権利を持ったわけですから」

――Jリーグの方は?
「もちろん連覇を狙います。どちらかを犠牲にして、なんてことはまったく考えていません。両方狙います。よく「二兎を追うものは一兎も得ず」なんて言うけど、これは二兎じゃない。だってアジアbPクラブがリーグで勝たなかったから、おかしいじゃないですか。だから「リーグ連覇」と「アジアbP」の二つの目標を掲げて戦います」

――JリーグとACLの両立にこれまでのクラブは苦しみました。不安はありませんか? ましてレッズの場合は代表との兼ね合いもあります。
「「代表に選手を獲られて大変」という人もいますが、代表選手というのはそういうものです。昨年も闘莉王をはじめ多くの選手がハードなスケジュールに負けずプレーしました。それを乗り越えてこそ代表選手です」

――ACLと代表も見越して、大量補強をするのかと思っていましたが、阿部一人でした。
「チームは数ではなく質です。きっちり質の高い選手で30人。2チーム(ターンオーバー制)作ってというより、1・5とか1・8チームくらいがいいと思っています。ACLといっても、そんなに試合数が多いわけではありませんから、モチベーションの問題もあります」

――指揮官にはブッフバルト前監督が退任し、オジェック監督が復帰しました。
「そこが一番のポイントでしたね。でもオジェックはベースがあるので、ゼロからではありません。エンゲルスをはじめコーチングスタッフも継続してやります。これまでにプラスする形で、さらにステップアップしていけると思っています」

――あの弱かった時代を思い出せば、信じられないほどの最強集団になりました。あらゆる面で不足のない、まさしくビッククラブ。日本からアジアへ、そして世界への挑戦が今季から始まるというわけですね。
「そうです。リーグ連覇とACL優勝。そしてクラブ・ワールドカップでヨーロッパや南米のクラブと対戦する。一発勝負だから(番狂わせを起こす)チャンスだってあるかもしれない。僕自身、いまから楽しみなんです。
 そして、付け加えれば、アジア、そして世界へと乗り出していくのはクラブだけではありません。僕たちと一緒に、サポーターも世界に出て行くのです。日本ではレッズのサポーターの力は知られています。同じことをアジアや世界の人たちにも知らしめたい。「日本の浦和レッズのサポーターはすごい」と感心するような存在になってほしいと思います。
 ACLでは中国、オーストラリア、インドネシアに行くので、まずはそこでフレンドシップで国際交流をしてほしい。騒ぎを起こすのではなくね。そしてサポーター同士で仲間を作って、次に彼らが日本に来たときに迎え入れてあげる。それがサポーターの国際化にもつながるし、さいたまの国際化にもつながります。
 中にはその経験がきっかけになって語学を勉強しようという人も出てくるかもしれない。そんなふうにして、それぞれの人がスキルアップしていければ最高ですね」

――なんだか2002年ワールドカップのときに描いた夢を思い出します。
「そうでしたね。ワールドカップ開催と同じことを、今度はレッズで、もっと身近にできるんです。レッズが世界に出て行けば、サポーターだけじゃなく、メディアも、町の人々も世界を経験することになる。今年からレッズが始める挑戦は、そんなチャレンジでもあるんです」


*本稿は「サッカーJ+」に掲載されたものです。