清水エスパルス・早川巖社長 ――誰がパスをつなぐのか(クラブ編)  06.5.29

 言わずと知れたサッカー王国・清水。
 そのシンボル、エスパルスの15年は決して順風満帆な旅ではなかった。
 市民クラブとしての旗揚げ。しかし経営破綻によるクラブ消滅危機。
 救ったのは市民31万人の署名と、200年間この地に根を張った地元企業だった。そして1999年ステージ優勝。エスパルスは蘇った。
 あれから8年。かつての“三羽烏”、長谷川健太を指揮官に、いまエスパルスは新たな挑戦の真っ只中にいる。サッカー王国の威信と、清水のレーゾンデートルを背負って――。

――いいチームになってきましたね。長谷川監督になって3年。世代交代に取り組んできた成果で年齢バランスがよく、しかも適材適所に魅力的なタレントがいる。実は開幕前に専門誌の順位予想で僕は「1位=エスパルス」にしました。ちょっと早いかなとも思いましたが、ポテンシャルはありそうだと感じて。
「それはありがとうございます(笑)。まだまだ力を出し尽くせていませんが、若いチームにとって前半はこのくらいの位置取りがいいのかなと。はじめから上位にいるとプレッシャーがかかりますから。でもシーズンを通して伸びしろは期待できるチームですから、終盤戦にはかなり成長しているはずです」

――タイトルから随分遠ざかっています。リーグでは1999年のステージ優勝が最後です(天皇杯は2001年度優勝)。
「あのシーズンは前後期合わせてもほとんど(30戦7敗)負けませんでしたからね。チャンピオンシップでジュビロに負けましたが、本当に強いチームでした。澤登が29歳、斉藤、森岡が25歳前後、市川、三都主が20歳前後と、円熟味と若さが融合していてね。会社は経営破綻から2年目でしたが、チームは間違いなくもっとも強かったと思います」
――本当に。市川と三都主のサイドチェンジなんてホレボレするほどでした。

●エスパルスの危機は清水の危機

――ところでいまも話に出た経営破綻について。エスパルスの運営会社「エスラップ・コミュニケーションズ」の経営危機が表面化したのは1997年でした。20億円を超える負債を抱え、経営の中心だったテレビ静岡が撤退を表明し、チーム解散の危機に直面しました。
 結果的に火中の栗を拾うような格好で「鈴与」が支援に乗り出し、エスパルスは存続することができた。早川社長は当時鈴与の常務でした。当時の状況と経緯について教えてください。
「テレビ静岡さんから打診は受けていたので、私なりに予算案は作ってみたのですが、資金が相当かかるし、かといって選手の年俸を急に下げるわけにもいかないし、見通しは厳しいものでした。しかも、ちょうどバブルが弾けた後だったこともあり、社内でも(エスパルスの支援に)消極的な意見が多かった。
 でもあのときエスパルス存続を願う署名が、清水市の人口より多い31万人分も集まった。同時に「どうして鈴与は立ち上がらないんだ」というムードもありました。鈴与は1801年の創業以来、この地で歴史を刻んできた会社です。清水の人々と喜びも痛みも共にするという精神で200年やってきた。そんな我々にとって、あのときの市民のみなさんの強い思いは捨て置けるものではありませんでした。
 それで「これはサッカーの問題ではなく、清水の問題であり、鈴与の問題です。清水のみなさんがこれだけ望んでいるのだから期待に応えましょう」と社長に進言しました」

――エスパルスの危機はサッカーだけでなく、清水という町の危機だと。そして、それは清水で生きてきた鈴与にとっても他人事ではないと。それで損得勘定を抜きにしても乗り出した。江戸時代から代々この町で商いをしてきた地元企業だからこその決断だと思います。
「私の中には、清水という町のレーゾンデートル(存在理由)がなくなってきているという危機感もありました。かつては造船の町であり、缶詰の町であり、土曜の夜の盛り場なんて人いきれで歩けないくらい栄えていた時代もあったんです。それが段々寂れてきてしまった。そんな清水にとって最後に残っていた誇りが「サッカー」だと思いました。そして「サッカーまでなくなってしまったら、この町はますます元気がなくなってしまう。何が何でも守らなければならない」、そんな気持ちになったのです。
 もちろん会社としては(エスパルスを支援することで)儲かるわけではありませんから、あくまでも御恩返しということになります。それにしては、やや、というか、かなり予算的にも大きいので大変なんですけど(笑)。でも多少重たい荷物であってもそれを背負って立つという気概を鈴与の社員が持つことで、鈴与にとっても得られるものはあるはずだと私は信じていますが」

――当時エスパルスだけでなく、いくつかのクラブがやはり経営難に陥りました。旧運営会社の経営破綻をつぶさに見直してお感じになったことは?
「当時のJリーグは億万長者がたくさんいましたからね。当初の試算では優秀な選手は2000万円、そこそこの選手は1000万円程度の年俸を予定していたのに、それがブームで舞い上がって一ケタ増えてしまった。旧エスパルスも監督とコーチだけで1億8000万円くらいかかっていましたから。スタジアムのキャパが決まっている以上、収入も決まっています。当然、支出がそれを越えていては経営難になります」

――いわゆる身の丈経営ですね。新会社となった後はそのあたりも厳しく予算組みしたのだと思います。スポンサーの顔ぶれも変わったようですが。
「地元企業が中心になって支えるスタンスが強くなりましたね。オフィシャルスポンサーや看板スポンサーの他に、特別サポートメンバーとして3つのカテゴリーを設けて、できるだけたくさんの方々に支援してもらえる形をとりました。1000万円や500万円は出せないけれども50万円ならエスパルスを応援したいという個人商店の方もいますから」

―― 一方で観客入場者数はまだまだ順調とは言い難い数字です。実は「清水=サッカーどころ」のイメージがあるので、何もしなくてもスタンドは満員になるのかと思っていたのですが、そんなことはないようですね。
「残念ながら。日本平の収容力は2万人です。試合はナビスコ杯を含めても20回しかありませんから40万人の人が年に一回スタジアムに来てくれれば満杯になるはずなのですが。(静岡市と合併して)ホームタウンの人口は72万人ですよ。署名が31万人も集まったんですよ。それなのにスタンドは満員にならないのが現状です」

●エスパルス×夢=清水の未来

――今季は平均入場者数の目標を「1万5500人」と設定しています。昨年より1200人増の目標です。
「社長に就任してから1万1000人、1万2000人、1万3000人と観客は増えてきていますが、1万5500人はかなり高いハードルだと覚悟しています。おまけに日本平だけですから」

――今季はホーム全試合を日本平で行なうそうですね。レッズが経営的に爆発できた一因に「さいたまスタジアム」があります。収容力の多いビッグスタジアムが莫大な入場料収入を生み出した。エスパルスにとってエコパは“打ち出の小槌”にはなりませんか。
「ならないですね。観客のみなさんに2000円くらい余計な交通費を負担させることになるし、我々にも(日本平より高い)使用料がかかりますから。何より選手が戦いやすいところでやらせたいと思っているんです。観客動員的には多少苦しくても、社長(経営)が監督(現場)の足を引っ張ることはしたくないので」

――エスパルスの年間売上は約30億円です。そのうち入場料収入は4億6000万円ほど。これが増えれば経営規模も大きくなり、さらに強いチームへの夢も膨らみます。
「入場料に関しては毎試合1万8500人くらいコンスタントに観客が来てくれて、多少入場料も値上げすれば、10億円近くまで上げられるかなと思っています。ただし経営規模が大きくなることがすべてではありません。少なくともエスパルスは利益を上げるための会社ではない。その代わり、お客さんに夢を感じてもらう、ということは譲れませんが」

――それが実現できていれば、鈴与もコストを負担しがいがあるということでしょうか。
「そうですね。「エスパルス」をみんなで応援することで清水の人々が元気になり、清水の町も元気になるということが目に見えない経済効果ですから」

――そういえば「エスパルスドリームフィールド」という取り組みも始めています。
「清水を皮切りに、沼津、藤枝に人工芝の全天候型サッカー場を作っています。これまで色々なグランドを借りて行なっていたサッカースクールを、もうちょっとしっかりした形でやろうということで。
 子供の頃にエスパルスのユニホームを着てプレーした思い出は死ぬまで消えません。そんな思い出を持つ人が大きくなって、恋人ができれば2人で、結婚して子供ができれば家族でスタジアムに来てくれる。いま2500人の子供がいますから彼らが4人家族になれば1万人です。20年後には日本平が満員になる。20年なんてあっという間ですからね。
 それからスクールを通じて、サッカーの技術だけでなく、礼儀などの教育もする。人材は地域が疲弊しないためのベースですから。その意味ではドリームフィールドは社会貢献という面もあります」

――まさしくドリームですね。エスパルスの夢が巡り巡って、未来の清水の礎となる。最後に「チーム」に関する夢もお願いします。
「長谷川監督には清水のファーガソンになってほしいと思っているんです。強いチームを作り、強い監督であり続けてほしい。栄枯盛衰は世の習いで、Jリーグでも常勝チームはなかなか現れませんが、なんとかエスパルスでそんな歴史に挑戦してみたいと。今季の優勝を予想してくれたカワバタさんの期待に沿えるかどうかはわかりませんけど(笑)、2、3年先には必ず……そんな確信は持っています。みなさんの期待を裏切らないように頑張りますので、引き続き応援よろしくお願いします」


■「清水」は静岡県中部に位置する港町である。駿河湾に面し、天然の良港として古くから海運中継地として栄えた。みかん、お茶の生産みならず、冷凍マグロの水揚げ高も国内随一を誇る。また富士を望み、三保の松原をはじめとした景勝地としても知られる。
「清水エスパルス」は1991年設立。母体チームを持たない新たな市民クラブとしてJリーグ創設時のオリジナル10入り。地元出身選手を中心にメンバーを構成し、サッカー王国の象徴となった。1999年にステージ優勝。ナビスコカップ(1996)、天皇杯(2001年)のタイトルも獲得。1997年、当時の運営会社が経営破綻。1998年より新会社によって運営している。なお清水市は2003年4月に静岡市と合併。現在は静岡市清水区。


*本稿は「サッカーJ+」に掲載されたものです。