取材後記 ――誰がパスをつなぐのか(クラブ編)   06.5.29

 清水とエスパルスが紡ぐ悠久の物語

●創業二百年の歴史がサッカーを救った
 早川社長は元々サッカー人ではない。1967年に鈴与に入社。グループ会社の社長なども務めながら社業に励み、1980年代後半に女子サッカーチームを鈴与がサポートしたことをきっかけに「サッカー」と関わるようになった。
 その後、Jリーグが始まり、エスパルスが立ち上がった際にも、鈴与は一貫して女子サッカーを支援し続け、早川社長は責任者として毎週末の試合に通い続けていた。
 そしてインタビューでも触れた通り、1998年にチーム解散危機のエスパルスを鈴与が引き受けて以降、マネジメントのトップとしてクラブ経営を切り盛りしてきた。
 ちなみにエスパルスでも試合観戦は欠かさず、女子サッカーから今日に至る20年間、“欠席”したのはわずか5試合程度という現場主義の人でもある。

 今回のインタビューでは清水エスパルスの社長としてだけでなく、鈴与の副社長としても答えてもらった。この連載の趣旨が、Jクラブをピッチの上、スタジアムの中だけに限定するのではなく、タッチラインもスタジアムの屋根も取り払って、ホームタウンの時間的・空間的な広がりの中で捉えてみたい、というものだったからだ。

 その意味では1801年この地で創業した「播磨屋」を祖とする鈴与は、「清水」というホームタウンの歴史と風土を体現する格好の存在であった。
 江戸時代に清水を本拠に商いを始め、200年かけて総合商社に発展した地元の企業が、21世紀に清水のシンボルである「エスパルス」の危機を救い、支え、さらに未来へ向けて育くもうとしている――わずか15年のJリーグに、ホームタウン史を掛け合わせれば、こんな柄の大きな物語が生まれるというわけだ。

「百年構想」と口にするのはたやすいが、いまから百年後、「僕たち」はもう誰も生きてはいない。つまり僕たちが死んだ後も、また次の「僕たち」がこのチームを応援し、運営し、愛し続けるという前提の下に、JリーグもJクラブも成り立っているのである。
 要するに僕たちはいつの時代も、パスの受け手として生まれ、パスの送り手として去っていかなければならないということだ。連載タイトルの「誰がパスをつなぐのか」とはそうした考えでつけた。

●語り継がれる「清水」
 無論、エスパルスをはじめとしたJクラブが(それどころかJリーグそのものも)百年存在し続けることができるかどうかはまだ予断を許さない。すでに「フリューゲルス」という悲劇を目の当たりにしている以上、今後も消滅するクラブが出ることも覚悟しておかなければならない。
 すでに述べた通り、エスパルスも危うかった。市民持ち株会が最大比率を誇った「市民クラブ」として発足したからこそ、期待も大きかったし、その分落胆も深かった。エスパルスの歩みは企業の支えなしには(現在も年間4億円程度が鈴与から支援されている)まだJリーグは成り立たないことを示している。

 もっとも最近ではクラブどころか自治体が百年続くのかさえあやしい。ボランティアの森田さんはかつては清水市役所の職員だったが、いまは静岡市役所の職員である。一連の「平成の大合併」で多くの自治体が消えた。いや人も土地も残ってはいるが、名前は消えた。いつか「清水市」を知らない世代が、かつて清水と呼ばれた町に暮らす日がやってくるのである。

 そのときに「清水エスパルス」が存続していれば、それは間違いなく幸福なことだ。老サポーターが日本平のゴール裏で、若者に語って聞かせるのだ。
「昔、ここは少年サッカーが盛んでな。多くの名選手を輩出したもんだよ。サッカー王国なんて呼ばれたこともあったもんさ。だから決して静岡エスパルスではなく、清水エスパルスなんだよ」。
 そうしてエスパルスと清水の物語が、また次の世代へ紡がれていくのである。


*本稿は「サッカーJ+」に掲載されたものです。