取材ノート ――誰がパスをつなぐのか(クラブ編)   06.7.26

 山梨とヴァンフォーレの終わらないストーリー

●Jリーグ史上に残る“事件”
「ホントにヤバイ、甲府が消える」。
 そんな大見出しがスポーツ紙に踊ったのは2000年の暮れだった。対談中でも触れた通り、この頃の甲府は会社もチームも息絶え絶えで、本当に消滅しても不思議ではない状態だった。
 しかし、あれから7年。甲府は消えてしまうことなく、ちゃんと存在していて、それどころかJ1を戦っている。上位を伺うにはまだ心許ないが、アクティブでスリリングなサッカーは、お世辞抜きに魅力的で、J1の中でも見応えのあるチームに仕上がっている。
 経営のみならずチーム強化にもフロックはない。「奇跡」と枕詞をつけて片付けるのは簡単だが、そこにはちゃんと理由がある。
 その意味で、海野社長をはじめとしたフロント陣と、大木監督をリーダーとするコーチングスタッフの成し遂げた仕事は、高く評価されるべきだろう。

 また甲府の物語は多くのJクラブに希望を与えるものでもあった。クラブ存続危機からの復活劇とそのプロセス――ひとつひとつは小さくとも地域の力を結集して経営を安定させた――は、大企業のバックを得にくい地方都市のクラブにケーススタディを示す、いわば“甲府モデル”となったし、年間予算6.7億円でのJ1昇格は、J2の小規模クラブを奮い立たせた。
「もしかしたら俺たちもやれるかもしれない」。
 すでにJ2に固定化し、諦念さえ抱き始めていた彼らは、甲府のサクセスストーリーに一筋の光明を見出し、勇気を得たのである。ヴァンフォーレ甲府の復活と躍進は、それほどインパクトのある“事件”だった。

●視聴率88.5%のサッカーどころ
 成功の肝が「地域」にあったことは言うまでもない。「はくばく」をはじめ、ニプロ(社長が山梨県出身)も東京エレクトロン(韮崎市に技術開発部門がある)もホームタウンに縁のある企業。その連なりが“現物”支援を行なう「クリーニングすわん」などへと広がっている。
「もしメインスポンサーがなくなっても、うちは潰れない」(海野社長)と言い切る自信の源はそこにある。オール山梨。それがヴァンフォーレの強みである。

 ホームタウンについてもう一つ。見逃しがちなのは山梨がそもそもサッカーどころだったということだ。
 静岡と接していることもあって、この地域はサッカー少年団の結成も早かった。サッカーに親しんだ子供が多いということは、サッカー好きの大人が育つということだ。1981年の高校選手権決勝(羽中田昌擁する韮崎対武南)の県内視聴率「88.5%」はその証拠である。
 そんな土地柄だから(と結びつけてしまうが)甲府クラブも存在した。ニラコウで全国を目指し、東京の大学を出て地元に戻って教員となり、サッカー部の指導をしながら、甲府クラブでプレーをする――。
 Jリーグ以前のサッカー少年たちがそんな夢を描けた場所、山梨とはそんな地域でもあるのだ。

 随分キレイな話ばかりになってしまったので、最後に少しだけ苦言も。
 ヴァンフォーレには専用の練習場がない。横浜FCが(かつてフリューゲルスが使用していた戸塚のグランドを)手に入れたことで、いまやJ1で唯一練習場のないクラブとなってしまった。
 予定ではいまごろは専用練習場を使っているはずだった。2002年W杯の剰余金を原資とする助成金で、昭和町に自然芝・人工芝それぞれ1面とクラブハウスができる予定だったからだ。
 いやグランドもクラブハウスも完成している。完成しているが、使えない。4月の統一地方選挙で昭和町の体制が変わった影響で、ヴァンフォーレの使用に難色がついているからだ。
「サッカー」を主語にとらえれば首を傾げる話だが、無論、社会はサッカーを中心に成り立っているわけではない。自治体には自治体の論理があり、公共事業にもそれぞれの背景と思惑がある。Jリーグが地域密着を謳う以上(謳うことで食っていく以上)、そんないくつもの文脈が絡まりあう中で、すべてのJクラブは生きていかなければならないのである。
 その意味で、未来への期待を込つつ、オール山梨いまだ道半ば、と今回は結んでおく。



*本稿は「サッカーJ+」に掲載されたものです。