城のサヨナラゲーム                       08.2.5

 清々しいラストゲームだった。
 1月27日、三ツ沢球技場で行なわれた城彰二の引退試合である。
 実は前日の国立競技場(日本対チリ)でも解説者陣がどこかそわそわしていて、どうしたのかなぁと思っていたら、いずれも翌日の引退試合のメンバーだった。みんな「ショウジのサヨナラゲーム」を前に、特別な思いを抱いていたのである。

 前半、城がプレーしたチームは、前園、小倉、服部、田中、森岡、廣長、秋葉、伊東といった「アトランタ組」と、井原、名良橋、相馬、山口、中山、小島といった「フランス組」で構成されていた。
 言うまでもなく、日本サッカーの頭上で、灼熱の太陽が輝いていたあの頃のメンバーだ。

 もっとも“その後”の彼らの光陰は大きく分かれている。
 城のみならず、服部、伊東、それにこの日は欠席だったが川口(さすがに代表の真っ只中)、中田(登場の噂もあったのだが)あたりはアトランタ組から、フランス組へと昇格した。
 そして、その後も日本サッカー(代表とJ)の中心選手として、メインステージに立ち続けた。

 一方、前園や小倉は、それぞれに事情はあったが、フランス組になることはできなかった。
 さらにバルセロナ組をベースに構成されていたフランス・ワールドカップを終えた後、トルシエ監督を迎えた日本代表は一気に若返り、2002年はシドニー組がチームの中心になったこともあり、フランス組になり損ねたアトランタ組は、タイムポケットに沈み込むようにその姿を消していくことになった。

 それでもこの日のピッチには濃厚なワクワク感が漂っていたように感じた。
 前園も小倉も(廣長にしても秋葉にしても)アトランタ以後はスポットライトを浴びることはほとんどなかったというのに、三ツ沢のスタンドを埋めた1万人を超える観客たちは、とても楽しそうに、生き生きとゲームを見つめていたのだ。

 ノスタルジー? それもあったかもしれない。
 でも、彼らの視線には懐かしさだけではなく、リスペクトと感謝が込められているように僕には見えた。
 同じ時代を生きてきたからこそ、掌に残っている手触りのようなものが、その尊敬と感謝をリアルなものにしているように僕には見えたのだ。

 実は先日川淵キャプテンにこんな提案をしたばかりだった。
 あの頃の選手たちがピッチを続々と去っていく。しかも山口にしろ、名良橋にしろ、まるで自然消滅するかのように、ひっそりとユニホームを脱いでいる。だから、せめて引退試合くらい、協会が主導して開いてやることはできないものか、と。

「現在の選手たちはもちろん大事ですが、あのとき時代を動かした選手たちはやっぱり特別だと思うんですけど……」という僕の提案は、「特別扱いはできない」の一言で残念ながら一蹴されてしまったが、過去に対するリスペクトが薄れているいまだからこそ、日本サッカーのレジェンドを紡いでいくべき、という考えは変わらない。城の引退試合に改めてその思いは強くなった。

 閑話休題。
 それにしても城にしても、前園にしても、すっかり大人になったものだとつくづく思う。
 かつては生意気な若造と映ることもあったが、いつの間にか語り口も穏やかになり、そればかりか態度まで折り目正しく変わった。人間的な深みまで感じさせられることもある。その変わり様の激しさに、また「やっぱり彼らは特別だったかも」なんて思ったりもするほどだ。
 そんな目線で、現在の代表選手や五輪代表選手たちを眺めると……。いや、それこそがノスタルジーなのだろう。時代が違うのだ。人のあり様だって変わる。比べることはない。

「指導者としてJの舞台に戻ってくる」。
 城は、最後にそう夢を語った。あのとき時代を動かした彼らが、今度は指導者として新たな時代に挑もうとしているのだ。
 挑戦は続く。僕らにも、彼らの挑戦をこれからも見守っていく楽しみが続いていく。



*この原稿は「携帯サイト」に掲載されたものです。