15年目の5月15日に                     2008.5.15

 5月15日です。
 毎年この日を迎えるたびに、何とも言えない気持ちになります。いまから15年前、その日を迎えるまでの高揚感と、あの日の興奮を思い出します。
 あのとき、まさに始まろうとしていたJリーグに僕は夢中でした。

 どうしてあんなに夢中になったのか。
 動機もバックボーンも思い当たることはさほどないのに不思議ですが、とにかく、僕はまさしく夢の中にいて、だからこそ、この夢の中に自分の居場所を作ろうと必死でした。

 夢の中で、でも必死になる、ということは、結局のところ、現実的なあれこれ(主に面倒臭いこと、楽じゃないこと)に取り組むということに他なりません。DDREAM COMES TRUE というのは、要するにそういうことなんだろうと思います。
 夢を生きたければ、現実を生きなければならない――なんて、ちょっとカッコよすぎですが。
 ま、でもそのへんが「自分探し」という名の自慰的行為に甘んじるナルシストと、本物の夢坊主との違いだと僕は信じているのです。

 もっともあれから15年が過ぎたいま、僕はもう「夢の中」にはいません。残念ながらそれは誤魔化しようもない真実。
 つまり「本物」を名乗る資格は、いまの僕には明らかにない。

 青春とは人生のある期間のことをいうのではなく、心のあり様をいうのだ――S.U

 頑張るべし、立ち向かうべし、まずは勇気を奮って捨てるべし、踏み出すべし
 そうでなければ、これまで僕が諦めたり失ったり、つまり切り捨ててきた人やモノやコトたちに顔向けできないじゃないか、と強く思う15年目の5月15日です。

 一昨年、ドイツワールドカップの観戦記&旅日記として出版した『フットボールタイム』の中に、「5月15日」からの心持ち、について吐露した部分があったので一部抜粋して紹介します。
 もちろん全編読んでくださることを(一冊買ってくれることを)僕は職業物書きなので希望します。
                *              *

 僕はJリーグ世代のライターだ。1993年5月15日、ヴェルディ川崎対横浜マリノス(いずれも当時)のオープニングマッチはゴール裏の最上段で見た。
 家族や親戚の名前を無断借用して出した応募ハガキは全部はずれた。何が何でもあの試合を生で見たいと思っていたから、すごく悲しかった。そしたら奇跡が起きた。当時付き合っていたカノジョが、彼女が働いていた雑貨屋さんに出入りしていた宅急便のお兄ちゃんからチケットを2枚もらってきたのだ。
 嬉しかった。カノジョと一緒に国立に出掛けて、チケットを手にシートナンバーを探しながらスタンドを登った。最上段の隅の隅だった。僕らの後ろにはもう席はなくて、振り向くと日本青年館があった。
 でも本当に嬉しかった。カノジョに感謝した。そしてマイヤーのとんでもないミドルシュートやディアスのゴールをこの目で見た。

 それより何年も前から僕はフリーライターだったけど、「サッカー」を書くようになったのはあの夜からだ。Jリーグがなかったら僕はきっと「サッカー」を書いてはいない。
「ドーハの悲劇」はテレビで見た。ピッチに倒れ込む選手たちの映像を涙目で凝視しながら、僕は二つの悔しさでいっぱいだった。日本代表が負けた悔しさと、僕自身がその場いない悔しさ。
 だから自分に約束した。4年後は必ず現場にいて、日本の勝利をこの目で目撃し、それを伝えるライターになると。そして選手たちがグランドで戦う姿を追いながら、僕も自分のフィールドで励んだ。

 4年後、ジョホールバルにいた。歓喜に辿り着くまでの、あの旅は忘れない。最近めっきり記憶力が怪しくなってきて、特に大人になってからのことは掌から砂がこぼれ落ちるように忘れていってしまうけど、でもあの最終予選のことは死ぬまで忘れない。
 国立競技場でのウズベキスタン戦にはじまり、2ヶ月間で8試合。東京、アブダビ、東京、アルマトイ、タシケント、東京、ソウル、東京。日本で試合を見て、すぐに飛び立ち、どこかで試合を見て、日本に戻り、またすぐ飛び立つ、そんな旅だった。
 終着点のジョホールバルにはとびっきりの感激があった。岡野のゴールが決まった瞬間、いや決まる直前には僕は両手を突き上げていて、気がつくと飛び跳ねていた。
 嬉しかった。タツヤさんやシュンちゃんや仲間のライターたちと抱き合って喜びを分かち合った。本当に嬉しかったし、それに誇らしかった。
 そして日本代表とともに僕も世界に出た。ワールドカップも3度も見た。

(中略)

 しばらく歩き回って、それから誰もいないピッチの中に入って、靴を脱いだ。裸足の足に芝生の感触が気持ちいい。寝転がってみたりする。青空と緑にはさみこまれて、贅沢な気分になる。
 大会中、ずっと持ち歩いていたトーナメント表をポケットから出して開いた。こんなふうに寝転がって眺めていると、なんだか旅の地図のように思えてくる。日程と対戦カード、それにスタジアムを目で追いながら、そこで出会った情景や誰かの顔を思い出す。
 いま振り返ってみると、いつも青空の下にいたような気がする。もちろん本当は雨が降った日もあったし、寒い日だってあったのだけど、そんな気がする。

(中略)

 ふと杉並区の野球場を思い出した。22歳の夏、早朝のその草野球場に一人で行った。物書きとして生きる覚悟を固めて、でもまだ僕は何者でもなく、誰も僕のことを知らず、毎日ひもじくて水を飲んで腹を満たしていた。腹が減って眠ることができなくて、夜も昼も朦朧としながら過ごしていた。
 今日の空腹は耐えられた。でも明日も間違いなく空腹で、来月もきっと同じで、来年もやっぱりこうなのかもしれない、そう思ったら心細くて仕方なくなった。
 真夏で、もちろんエアコンなんてなくて(おまけにあの中野の部屋には風呂もなかった)汗をだらだらかいているのに、全身に鳥肌が立った。怖くてどうしようもなかった。
 頭も心も変になりそうだと気づいて、慌てて部屋を出た。夜が明ける頃から歩き始めて、早朝にその野球場に着いた。
 誰もいなかった。ベンチに座ってダイヤモンドを眺めた。もう覚悟なんて忘れて、とりあえずどこかに就職でもしてしまおうかと思った。あのとき、たった一度だけ、心が揺れた。
 あの朝も今日みたいに空は青くて、広くて、でも目の前しか見えなかった。

 起き上がってあたりを見渡す。薄い芝生の緑を濃い木々の緑が取り囲んでいて、その向こうに青い空が広がっている。何かを見ようという気にならないほど、視界がどこまでも広がっていく。
 見渡す限り、僕しかいなかった。やっぱり少し心細くなった。20年も経ったのに、こんなに遠くまで来たのに、やっぱり心細かった。笑いが込み上げてきた。だって20歳もトシをとって、もう40歳を過ぎているのに大して変わっていないのだ。笑うしかない。おまけにまた角を曲がりたくなっている。本当に懲りない奴だ。

 退屈だなと思う。人生ってなんて退屈なんだろう。どれだけ角を曲がっても満たされない。また次の角を曲がって、見たこともない風景や人に出会いたいと思ってしまう。
 終わったなぁとも思う。ワールドカップの旅が終わったら、夏も一緒に終わっていた。もしかしたら、もうとっくに終わっていたのかもしれないけど、ごまかしながらずっと夏の名残の中にいた。
 ドーハから始まったサッカーロードは長くて曲がりくねったデコボコ道だったけど、でもフレッシュな本物の感動に満ち溢れた刺激的な道だった。だから、飽きもせずこんなに遠くまで来ることができた。
 そういえば、と中田のことを思い出した。引退のメッセージに「新たな旅に出る」とか何とか書いてた。
 どんな旅にも必ず終わりは来るのだ。ひとつの旅が終われば、また次の旅を始めるしかない。それがどんなに特別な旅だったとしても、ものすご〜く大きな旅の、ほんの一部に過ぎないのだから。旅は、やめない限り、続いていく。

(後略)