COLUMN


女子マラソン選考。嬉しい悲鳴と言うけれど…(00.1.30)

 さてさて、これはまた大変なことになってきた。大阪国際女子マラソンで弘山晴美が快走。ラストの駆け引きで“勝負”にこそ破れたものの、2時間22分56秒は世界歴代9位。持ち味のスピードを生かした軽快なランニングは、潜在能力と将来性を証明するに十分なものだった。

 それでも五輪は「候補」止まり。東京国際で力強さを見せた山口衛里、すでに「内定」している市橋有理、さらには日本最高記録保持者の高橋尚子と、有力な選手が目白押し。陸連は「嬉しい悲鳴」なのである。

「選考」は、ぶっちゃけた表現をすれば、3月に名古屋を走る高橋尚子の結果待ち。もっと言えば、もともと高橋をシドニーに送り込みたい、というのが代表を決める側の意向だった。毎レース後に取材を受ける陸連関係者の奥歯にものがはさまったような表現をきくたびに、「高橋を待っている」と感じざるを得ない。
 もっとも別に「高橋を贔屓するのがおかしい…」などというつもりはない。彼女には力も実績もある、間違いなく。

 しかしながら、山口、弘山は、レースまでの苛酷なトレーニングを終えてなお、今度は“待つ”という重圧下に置かれる。出られるかどうかわからない、選ばれるかどうかを常に心に抱えたままで、9月に向けて今も毎日練習を積んでいるわけだから、想像するだけで気の毒になる。

 マラソンは、トラック競技とは違って、コースによって起伏も違えば、気候にも多く左右される。だからこそ「世界新」ではなく、「世界最高」記録という表現もされる。
 だから、そう、だからこそいくつかのレースによって、「選考」によって代表を決める、という論理がまかり通るのだ。

 だが、4年ごとに繰り返される、決して気持ちのよくはない「選考」というウエットな、もう一つのレースを見るたびに思わずにはいられない。
 一発選考にするべきではないか、と。
 運、不運に左右されるかもしれない。実力のある者が敗れるかもしれない。

 だが、レースとはそもそもそういうものなのだ。「選考」によって選ばれた代表が「本番」で失速することだってあるのだ。
 あくまでもベストの選考をしたい、という気持ちに邪心はないだろう。しかし、もともと「ベスト」の選考などというものはないのだ。
 ならば、スポーツというものの本質に立ち戻るべきではないか。そして、それはたぶん「一発勝負」…。
 いずれにしても、間違いなく言えることが二つある。
「嬉しい悲鳴」は選ぶ側の話であって、選ばれる側ではないということ。
 そして、主役は選ばれる側ということだ。