このたび「I'm here」をDiary風にマイナーチェンジすることにしました。やってみないとわからないけど、可能な限り、この調子で続けるつもり。


 8月1日(木)
 
今日から8月である。いや、何月でもいいのだが、ワールドカップ閉幕から丸1ヶ月ぼけーっとしてきた僕としては、そろそろ働かなければならないわけで、景気付けの意味でも、さあ8月だっ!というのは大切だったりするのである。
 折りしも昨晩、別冊宝島での打ち合わせで、復帰第一作(?)の仕事、「ワールドカップ総括本」が決まったところ。プレーや戦術などピュアサッカーだけではなく、政治とかビジネスとか日の丸とか韓国とか、6月の一ヶ月間に起こったことを検証し、総括する企画。なかなか面白そう。おまけに僕はなんと「監修」という大仰な役回りを任じられた。これは頑張らねばなるまい。
 そんなわけで昨晩飲んで帰った深夜から、内容案を練り始め、気がついたら朝、というか昼前だった。

 8月2日(金)
 高校時代の旧友で三重県教員の友人Nが上京。東京農大での研修を終えた後、昼に世田谷通りのロイヤルホストで会う。こいつは高校時代の級長で、ジュリーが好きで、同窓会の表幹事も務めてくれる(ちなみに裏幹事はいつも僕)、素晴らしくいい奴だ。もちろん時の流れはごまかしようもなく、東京で、マスコミで、おまけにフリーで15年間も生きてきた僕とは、随分話が噛みあわないことも多くなってしまって、それは同窓会などで旧友再会フォーエバーヤングな夜を過ごしても、いつも思うことではあるけれど、でも、今日の彼は少し違った。
 同和といういまも厳然とある(にもかかわらず“見えない問題”として押し込めている)問題に、いま彼は現実に立ち向かっているからである。僕は、生の感触、当事者の手触りを重んじる。というわけで、今日は彼から色々な話を拝聴した。差別/被差別を生徒に体感してもらうためのトランプゲームのくだりは、特に感じ入った。
 夕方、宇都宮の弟宅へ向かう彼を送りがてら車で出掛けるが大渋滞。結局、青山通りのど真ん中で降りてもらう。伊賀上野から出てきて、246の中央分離帯を荷物を抱えて渡る彼の後ろ姿を見ながら、なぜか温かさと冷たさが背中を走った。
 その後、赤坂見附の旅行代理店へ。ワールドカップ中の領収書を発行してもらう。M氏のいつもながらの手際の良さに感服。

 8月3日(土)
 湘南vsC大阪の結果を気にしながら、渋谷で元ストライカー、現スポルティーバ編集のT氏と、P事務所のJちゃん、あとカメラマン志望、いやいまやカメラマンの端くれのMと飲む。Mは途中で富士ロックへと行きやがった。仕事と将来と、夢の実現への不安をいつも口にしながら、テキトーに楽しくやっている彼女を見ながら、僕はいつものように苛立つ。逃げとは言わないが、他にテキトーに楽しいことやイベントがあれば流されるに決まっている。人間はそんなに強いもんじゃない。
 Tや僕たちと付き合っているから彼女はいつも若手だが、もう20代半ば。みんな社会人として、立派かどうかはともかく、現実を生きてる年齢だ。たまには、少なくとも一回くらいは、勝負をしなければならない時があると僕は思うのだ。そして、勝負をするためには背水の陣に自分を追い込まないと。人間はそれほど強いものではないのだから。自分の20代前半を思い出し、彼女のことを応援している僕は、だから苛立つ。
 TとJちゃんとは夜中まで飲んでたが、やっぱり僕はどうも体調が悪い。酒が飲めなくなり、頭が痛くなり、腹のあたりがムカムカ。つい1ヶ月前まではこんなことになったことがないだけに、何というか、自信喪失だったり、健康不安だったり、憂鬱だったりする。

 8月4日(日)
 別冊宝島に意気軒昂なのはいいが、実はその前に締切が一本あることに、リアルに気づく(忘れていたわけではないの意)。『サッカー批評』に、日本サッカーがこの十数年に間に成し遂げたことについて、の原稿を書く。
 ワールドカップ閉幕後、初の締切。時間に余裕がありすぎて、随分のんびりしていたが、そろそろ始めなければ…と思い、パソコンに向かう。何に向かって書くか、何のために書くか、をはっきりさせないとこういう原稿は意味のないものになってしまう。

 8月5日(月)
 ここのところ日本テレビで再放送中のアニメ『タッチ』にすっかりはまっている。これはこれで僕たちの世代の青春だったような。シリアスな心情を、軽妙な間で隠す“おしゃれ”感もこのアニメと、わたせせいぞうあたりから、だったような。

 8月6日(火)
 別冊宝島の企画で、大島裕史氏、西部謙司氏に原稿を依頼する。大島氏は韓国のスペシャリスト。著書の『日韓キックオフ伝説』はサッカーのみならず、戦後の日韓史を想像喚起させてくれる好書。西部氏は僕より少し年上なのだが、商社勤務を経て、ストライカー編集部という変わった経歴の持ち主。その感性が日本人離れしているのを、彼がフランス在住経験があるからだと思っている人もいるが、僕はそうは思わない。彼は人と違ったセンスを持っていたからこそ、フランスへ行ったのであり、少なくともフランスへ行く前からきっと面白かったのである。
 それは僕が手紙やメールを書いた相手から「さすがライターだからうまいね」とか言われた時に感じる違和感の答えでもある。僕自身はライターになってから文章がうまくなったとは全く思っていないし、少なくともライター的テクニックを使って私信を書いたことはない。
 ちなみに西部氏は今月でストライカー編集部を離れて、完全フリーランスになる。ということでご祝儀、いやフリーランス祝いの原稿依頼でもあった。もちろん、今後は完全に同業者になるわけで、物事がわかっている人に言わせれば「敵に塩を送る」ということになるのだろう。などなど書いているが、本当はそこまで深い意図はなくて、お互い頑張りましょう!という程度の意味。

 8月7日(水)
 渋谷で宝島のA氏と、僕の大親友にしてスカパー退社間近のK氏の顔合わせ。ワールドカップ総括本の企画打ち合わせがメインだが、二人ともとても頭がよく、面白い男なので、今後もしかするといいコラボレートができるかもという期待感も僕的にはあったりもした。
 帰りに久々にゆっくり本屋を散策する。やっぱり本屋は楽しい。面白そうな本、つまらなそうな本、売れそうな本、売れるに決まっている本、売れなさそうだけど思い入れがつまってそうな本などが、いっぱい並んでて。
 さらに帰路、うちと駅の間にできたブックオフに、そういえばと寄ってみる。店内が狭いせいもあり、あまり面白そうな本はなかった。それにしてもいつも思うのだが、ブックオフのあの「いらっしゃいませ」の連呼は何なんだろう。どこの店に行っても、同じように連呼しているからきっと決まり事(マニュアル)なのだろうが、うるさくてしょうがない。といつもムカついていたのだが、もしかしたら立ち読み防止なのではなかろうか、と今日気がついた。確かにあのうるささでは、立ち読みはできないわけで。でも、本を選ぶ気力も失せるというのが僕の感想なのですが。

 8月8日(木)
 
4ヶ月前、ソウルの夜で意気投合した編集のS氏、カメラマンK氏、特派員N氏と、N氏の帰国を祝して六本木にて集う。酒と女とロマンを愛する男4人が揃うと、やっぱりこんな夜になる。最後は生ギター伴奏付きで吉田拓郎まで歌ってしまった。薄目の水割りで通した結果、懸念された症状は出ず、ホッ。
 あと高校野球が開幕した。牧野高野連会長が「楽しく続けられる野球部へ」「週に1日は休みを」「坊主頭はオーストラリアでは囚人」など変革をのたまっていた。違う、全然違う! と元高校球児のカワバタは憤慨しながら聞いていた。時代錯誤も甚だしい。そういう必要があった時代もあったかもしれないが、いまはむしろかつての高校野球的なものこそを社会が欲求している時代なのだ。そして、何より変革すべきは、あなたたちの方だ。

 8月9日(金)
 ここ数日、原稿を書いているのだが、実は書いていない。要するに、原稿を書かなければいけないので、パソコンに向かっているのだが、どうも書くことができない。1ヶ月のブランク? 別に芸術やってるわけではないのだから、スランプに陥るなんて随分お門違いだとわかっているのだが、やっぱり書けない。
 締切が明日なので、それでも今日は無理やりでも必死で絞り出す。うん、書けない時の原稿は、確かに絞り出すという感じなのです。

 8月10日(土)
 
結局、徹夜で原稿に立ち向かい続け、午後になってそれなりの格好がつくところまでこぎつけた。本当は今日が締切なのだが、どうしてもはずしたくない用事があったので、そこでポーズして自由が丘へ。
 僕がリクエストして、親友Kくんに主催してもらったワールドカップ関係暑気払い。ワールドカップ関係とは、マスコミ、官僚、ビジネス、組織委員会で、言い換えればワールドカップ当事者の集い。お友達の編集者T氏、JAWOCのS氏、マーケティングのYさん、国土交通省のK氏、そしてK夫妻と僕の7人で集まって、ワールドカップについてあれやこれや話した。
 K氏以外は僕は多少なりとも知っている面々だったのだが、それでもワールドカップというイベントに関わった直後だけに話題が淀まないし、何よりそれぞれの人生の中でワールドカップが決して小さくないイベントだったことが話をリアルにしていて面白かった。例えばS氏もYさんも期間限定就職だったために、これから職探しなのである。素晴らしいじゃないですか。
 虎ノ門から参加のK氏は初対面だったのだが、想像していた通りのやさしいナイスガイだった。人生には色々なことがあるとは言うけれど、普通には想像できないようなことを経験した後だというのに、やさしい笑顔を浮かべていて、とても嬉しくなった。
 またある程度みんなの興味や考えが伺えたところで、意識的にワールドカップから話題を住基ネットとか、日々是努力とか、にずらしてみたら、これがまた打てば響いて。いやあ、なかなか贅沢な時間でした。
 そうそう、そんなこんなを話していたら、とんでもない発表が。Kくんの奥さまが、国政に出るかもしれないというのだ。ビジネス才女だということは周知の上だったけど、身近なところから国会議員が誕生するかも、なんてことは想像だにしたことがなかった。無論、まだまだ議員バッジまでの道は遠いのだが、立候補の折には応援することを即座に約束する。付け加えるならば、才女であるのと同時に、とてもデリケートな面ももつ彼女が疲弊しないことを祈念しつつの応援宣言だった。

 8月11日(日)
 
昨日アップできなかった原稿に朝から専念。夕方、一休みした後、夜にメールにて送信。『サッカー批評』の半田編集長は以前から一緒に仕事をしてみたい人だったのだが、一発目の原稿がこんな面倒なものだと、愛想をつかされるかもしれないなと思う。9月発売号で速報性を廃したワールドカップ総括をやるという一冊なのだが、それにしても僕の原稿はちょっとズレてるかもという懸念。
 夕方中抜けしたのは、Fさんと夕食のため。Fさんは折に触れて、メールをくれたり、色々と気をつかってくれる。そして当然のことながら一方で、たぶん何かを求めて僕と接点をもとうとしてくれる。僕はそういうことにうまく対応できないことが多くて、時々申し訳ないような顔をしたり、言ったりしてしまう。
 時々彼女のような人が現れて、僕は嬉しいやら、どうしていいやら逡巡するのだが、一体彼女たちは僕に何を感じ、何を求めているのだろうか?と考えて、また逡巡する。あくまでも僕自身だけのことなので、他の人がどうなのかわからないけど、どうやら僕には、弱った時に会う相手の資質があるらしい。少なくとも一部の人は、確実にそういう匂いを感じ取って、僕のもとへやってくる。何もしてやれないダメ男にもかかわらず。まったく不可解なことに。

 8月12日(月)
 
高校野球第一試合。久居農林高校。三重県内的に言えば、僕の津高校と同じ中勢地区の学校で、僕らの頃は「負けるはずのない」学校だった。
 三重県予選で久居農林が代表になったのを知った時にも驚いたが、今日のゲームでは(当たり前だけど)ちゃんと甲子園レベルの野球を農林がやっていることに、また驚いた。一体この十数年間の間に何が変わって、こうなったのだろうか。
 でも前向き思考の僕は、つまるところ十年くらいあれば、どんなダメ野球部も甲子園に出れるくらいに変われるし、ということはいまダメダメの人間も十年くらい頑張れば全国レベルになれるということだなぁ、なんて確信する。
 農林は玉野光南に競り負け。玉野光南は派手ではないが、とてもいいチームだった。
 午後、別冊宝島にて進行状況の確認と打ち合わせ。サッカー本の打ち合わせで、野村秋介なんて名前が飛び出す。とても面白い本になると思う。その後、JAWOCに直接足を運んで、取材の根回しなどをする。

 8月13日(火)
 
小牧次郎氏に取材。小牧氏はいまはフジテレビに戻っているが、ワールドカップ期間中はスカパーを仕切っていた人。ワールドカップジャーナルに僕が2度出演したこともあって、初対面で、しかもこちらが取材に伺っているにもかかわらず、「お世話になりました」と逆にお礼を言われて恐縮する。スカパーとフジテレビとテレビ視聴率とコンテンツとしてのスポーツについての話を伺う。
 夕方、著名サッカーライターS氏の新居で神宮花火を見る会に出席。S氏は以前は僕の家の近所に住んでたのだけど、裏原宿にマンションを購入。とても口が悪く、過剰なほどの自己アピールで誤解されがちだが、実はとても真面目で、几帳面な人であることがよくわかる会だった。S氏の新刊を出版したばかりの実業の日本の方々と、WSG編集部のみんなが来ていた。
 帰りは一緒に参加していたMがまるで子供のように駄々をこねて、結局浦安まで送って行く。まるで子供のような駄々、というのは、子供のように無邪気とか、純真とか、かわいいというのとは全く別次元なので、猛省を促すべく、ちゃんと怒って叱った。

 8月14日(水)
 
JAWOCにて御園慎一郎氏と川端俊宏氏に取材。ワールドカップのチケット担当だったことで随分厳しい批判に晒された御園氏は今春以来、2度目の取材。愚痴も交えて、正直な話をしてくれた。チケット空席問題は世間の批判を集めたけれど、感情論に流されて本質からそれてしまったと思う。そのあたりを別冊宝島では正すつもり。
 同姓の川端氏はぴあからの出向者。実際にバイロムへ詰めていた人で、彼の語る事実証言は貴重なものになると思う。

 8月15日(木)
 
まったくかわいい奴の僕は、終戦記念日だということで、『火垂るの墓』をわざわざ見て泣いたりしている。

 8月16日(金)
 
昨日に引き続いて、『明日』を見てしんみりしている。まったくかわいい奴だ。『明日』は原爆投下前日の日常を丹念に描いた名作。結婚式を挙げた南果歩と佐野史郎、子供を生んだ桃井かおり、亭主の弁当を作る妻とその弁当をそっけなく楽しみにしている夫などなど、そんなすべての人の明日が、あの瞬間に消えてなくなったのである。
 話は違うが、仙道敦子はやっぱりいい。予備校時代だったか『白蛇抄』を見て以来、トレンディドラマ時代も含めて贔屓女優で、緒方直人と結婚したときには勝手に祝福したことを思い出す。

 8月17日(土)
 
横浜vs清水@国立。柏vs磐田の結果次第ながら優勝の可能性もあった横浜だが、残念ながらスコアレスドロー。攻撃意欲はあったのだが、後半途中くらいから試合は崩れ始め、延長はとても優勝絡みの試合とは思えなくなってしまった。でも、松田や奥の今季の変貌は彼らの未来を想像させてくれる。
 それにしても何だか急に涼しくなって、肌寒いくらいのナイター観戦だった。そして、何より優勝が決まる最終節すら地上波放送なしとは、一体どういうことだ。結局ワールドカップ後、J中継「0」。
 いかがなものか、TV?と憤慨、というよりむしろ不思議。だってミーハーだって何だって、いまサッカーやればそれなりの視聴率とれるでしょ。マツダくんかっこいいだって、何だって。
 と思ってたら、テレビ関係者曰く「本当はやりたいんだけど、ワールドカップ前にすでに編成が決まっていて」。
 ということは何かい、ワールドカップ前から「ワールドカップはブームだから」とTVは決め打ちしてたってこと? せっかく掘り起こせるファン、視聴者がいるのに? それはそれでサッカーから見れば「ひどい」し、ビジネス的に見ても「失態」なのではないだろうか。
 夜中、3時すぎに飲み仲間のMからTEL。かなり酔っているらしい。そして、最近いつもそうなのだが、不満と不安と焦燥に駆られているらしい。不満や不安や焦燥が、怒りとなってこぼれるタイプの人間がいる。彼女はまさしくそのタイプで、経験的に言えば、そういうタイプは実は弱さや脆さを併せ持っている人が多い。もちろん、彼女はまさしくそうなわけで、そんな人が酔っ払って夜中にかけてくる電話を受けてしまった場合、意味はよくわからなくても、その感情の発露を懸命に拾ってあげなければいけなくなる。当然のことながら、電話を切った後、相当ぐったりと疲れる。

 8月18日(日)
 今月に入って、ずっと早起きをしていたのだが、久々に夕方まで爆睡。24時間テレビを何となくつけていたら、結局、最後は西村知美を見ながら、じんわり来てしまった。彼女が顔をしかめ、歯を食いしばり、目をつぶり、うっすらと笑顔を浮かべるリアリティに感動する。きつくて顔が歪み、叱咤しながら唇を噛み締め、気が遠くなって目をつぶり、少しでも楽になりたいと笑う、マラソンのリアリティを思い出して。初めてフルマラソンを走った時、30キロを過ぎた頃のことを思い出し、じんわり来たのだ。そして、ゴールした後、やったー!と彼女の口が動くのを見て、外へ走りに行こうかなと思う。
 結局何を思ったかと言えば、したり顔で、例えば「番組の終わりに合わせて、ちょうどいいタイミングでちゃんとゴールするもんだなぁ」とか言う人より、僕はよっぽど幸せだなぁということ。ウンチクやゴタクではなく、自分の体に記憶として残っているリアリティを感じられる方が幸せだと思うからだ。
 夜中、煙草がなくなったので、コンビニへ。うちを出る時には小雨だったのだが、コンビニを出たら雨が激しくなってて、結局びしょ濡れになってしまった。台風が来ているのだし、傘をもって出ればいいのに、と人は言うが、僕はそういうことができないタチ。その点では本当にダメ人間。考えてみたら、玉子焼きすら作れないし、衣替えとかも気づくのが遅くて、もう全然話にならない。18年も一人暮らしをしていて、このテイタラクではこの分野に関しては一生変わらないな…なんてど〜でもいいことを一人確認した。

 8月19日(月)
 メールの受信箱に、見馴れた名前の、しかし見馴れないアドレスのメールが。ん?と思いながら開いてみたら、うちの両親からだった。何でも父が携帯電話をauでもらってきたらしい。機械音痴である以前に、メールというものの仕組みすらわかっていない両親が、わかりにくい取説に首ったけで、息子にわざわざメールを送ってきたのだから、と僕は律儀に返信を返した。
 ただその一方で、携帯電話をもったために、これから彼らが遭遇するであろうストレス、ワン切りとか迷惑メールとか、を思うと複雑な気分でもある。文明とは本来利便性を高めてくれるもののはずだが、それはあくまでも性善説にもとづいている限りなのであって、いまのような世の中では悪意を増殖させる装置でもあるのだから。

 8月20日(火)
 台風が去って快晴。なので、西村知美にあやかってジョギングをする。太陽はPカンなのだが、ものすごく爽やかで気持ちよかった。ほとんど汗もかかなかったし。
 夕方、TFMで「今日の東京は8月としては記録的な湿度の低さ」だったことを知る。確かになあ、あまり経験したことない体感だったもんなあ、と思ってたら、さらにTFMはすごい情報を教えてくれた。
 なんと今日の東京の湿度は「アフガニスタンのカンダハルと同じくらい」だというのだ。ものすご〜く感じ入って、遥か彼方の人々のことを少し想像した。

 8月21日(水)
 高校野球決勝。明徳学園優勝。明徳といえば、やはり92年夏の松井5敬遠。高校生らしくない、卑怯だ、そんなにまでして勝ちたいか…などなど多くの非難で馬渕監督らは集中砲火を浴びた。勝負してほしいというファン心理はともかく、ルールを遵守しているのだから卑怯ではないし、何が何でも勝ちたいと思って365日練習してこないと甲子園になんて出れないわけで、一粒の汗もかかずに、突然文句を言い始める大衆の身勝手さに当時僕は相当憤慨したものだ。
 5つのフォアボールを投げた河野和洋選手にはその4年後に会った。彼は専修大学で投手ではなく、野手として大活躍をしていた。プロを目指したい、と素朴な口調で語るナイスガイだった(当時は、「週刊ベースボール」で大学野球の取材をさせてもらっていて、井口とか今岡とかいまプロで活躍している選手にインタビューをした。年二回の仕事だったが、とても楽しかった。何より体育会野球部の空気がすごく心地よかった記憶がある)。
 そんなわけで明徳が優勝し、男泣きする馬渕監督を見ながら、現在は専大でコーチをしているという河野くんにまた会いに行きたくなった。
 夜になって、ちょっと気になる情報がもたらされたのだが、そのことは意識的に思いの外に置く。

 8月22日(木)
 U‐21中国vsU‐21日本をフジテレビで観戦。結果は0対1。日本が圧勝するのだろうと思って見ていた人にとっては「あれっ?」という内容だったかもしれない。でも、U-21代表を見続けている人に言わせれば、いまの段階としては対中国としては真っ当な結果と内容らしい。ただ、日本選手のスキルの高さはテレビ画面を通じても、よく伝わってきた。欧州に決して負けないレベルだと思う。もちろん、それだけでは勝てないのだが。
 全然話は違うが、ソニンの『カレーライスの女』。はじめ聴いた時は何じゃこりゃと思ったのだが、真摯に聴いてみたら、すごいいい歌だった。あの裸にエプロンというビジュアルに引っ張られると気がつかないけど。

 8月23日(金)
 別冊宝島に収録するメディア座談会@水道橋。僕は出席者ではなく司会者。ワールドカップ報道をメディア自身に評価・反省してもらおうという企画。大会開催中から巻き起きたメディア批判、またいまや残念ながら消費者に蔓延しつつあるメディア不信に対してのカウンターになればと企画・キャスティングした。
 スポーツ新聞、テレビ、専門誌、ネットからそれぞれ出席してくれたみなさんの発言から、メディアがワールドカップに向けてどれだけの準備をして、どれだけの思い入れを持ち、なおかつ常に立ち位置を省みながらワールドカップを報道してきたかということを、読者に提示することは少なくともできたと思う。ワールドカップ総括・検証という意味でも、意義のあるページになると思う。
 夜中、『コリアン世界の旅』(野村進)読了。何年か前に初めて読んだ時は、かなり感銘を受けたのだが…。逆に、仕事の誠実さはいまになってさらによくわかる。

 8月24日(土)
 JOMOオールスター@埼玉2002。バブル崩壊とともに一時の華やかな外国人スター勢揃いというわけにはいかなくなって、メンツ的には相当地味なオールスターだった。でも、エジムンドがエメルソンにしかパスを出さなかったり、高原がキレキレだったり、久保が久保らしさを見せたり、見どころはあった。僕は一緒に見ていたライター陣と、新井場の素晴らしいパフォーマンスに盛り上がっていた。
 帰りに送ってもらったカメラマンの末吉氏を連れて、久々にうちの近所のスナックへ。アルコールを体が受けつけなくなってほぼ1ヶ月。用心しながら試し飲みという感じで、ちびちびと。

8月25日(日)
 仕事仲間の佐藤俊氏と近所のデニーズで夕食。佐藤氏は日本で一番忙しいスポーツライター、だと僕は思っている。今日もイングランドから戻ってきたばかり。いつも知らない間に海外へ行ってて、知らない間に戻ってきている。もしもエコノミー症候群が本当に飛行機搭乗と相関関係があるなら、たぶん僕の周囲で真っ先に発症するだろう。しかも、その間に大阪とか磐田とかへ日帰りし、もちろん取材に要する時間の何倍かかけて原稿も書いているわけで、まったくもって多忙なのである。にもかかわらず、いつも陽気で、能天気風の佇まいが素晴らしい…というようなことをいつも僕は言い、佐藤氏は軽く見られて困る、みたいなことを、やっぱりさして困った風でもなく愚痴っている。ちなみにこの秋、4冊の単行本がほぼ同時に出るらしい。
 まあ、とにかく7月の一ヶ月間、一本の原稿も書かないような僕とはまったく正反対のライターなのだが、なぜか気が合うのが面白い。
 夜中、別冊宝島の原稿。「2002年」という大テーマを終えた日本サッカーのこれから、について。

 8月26日(月)
 結局、徹夜で原稿を書いて、そのまま羽田へ。そして小松空港経由で福井へ。
 福井城址内にある福井県庁でスポーツ保険課・西村昭治氏にワールドカップのキャンプ地誘致について話を聞く。企画段階では、未体験の「世界」との遭遇(交渉とか契約とか)に地方自治体が訳がわからないままに、てんやわんやしながら、競争に巻き込まれていく様を取材しようと思っていたのだが、実際に話をきいてみるとどうも少し文脈が違って、あれ?と思っていたら、西村さんは高校、大学、教員とサッカー一筋のとてもサッカーな人だった。行政からではなく、サッカーからの目線でキャンプ地誘致に関わっていたので、訳がわからない自治体職員談話にならなかったのだ。
 こういう時に、先にタイトルと方向性まで決めておいて、それにはめ込むための取材をしている人は困るのだろうが、僕は予想が裏切られたことがかえって面白かった。
 夜、ホテルに落ち着いたら、すかさず眠気が…。でも、そう言えば先日会ったYeahのHさんは、もう3日寝てないと言ってたなあと思い出して、気合を入れ直して原稿を始める。あの時Hさんに、僕は「すごいねぇ。俺はもうそんなことはできないなあ。それどころか1日だって無理だよ」と正直に返事をしたのだが、言った瞬間、何だかちょっと「はっ」としたのだ。
 俺だって20代の頃は週に何度も徹夜で働き、それでも遊び、飲み、なおかつ仕事もやっていたもんだ、と福井ワシントンホテルの部屋で一人ごちながら、夜中まで原稿。馬鹿みたいだけど。

 8月27日(火)
 飛行機までの時間を利用して、一乗谷へ路線バスに乗って出掛けた。福鉄バスで福井駅前から約30分、650円。一乗谷は御存知、戦国武将朝倉氏縁の地。5代103年間にわたって栄えるも、織田信長に滅ぼされ歴史から姿を消し、昭和40年代に発掘が始まるまで約400年間土に埋もれていたのである。つまり戦国時代一世紀分の歴史が、そっくり埋もれていたということになる。
 しかも、いまも見渡す限りの緑。山懐に抱かれて、小川のせせらぎが耳に心地よく響く。朝倉館跡に佇んでいると、400年前のこのあたりをやすやすと想像できてしまうようだった。
 圧巻は復元町並。発掘調査によって判明した礎石や堀や柱などをもとに再現された町並が200メートルにわたって続く。戦国時代の歩行者と同じ風景を、同じ目線で、家々に立ち寄りながら歩く僕は、すっかり400年前の武家、いや町民かな、とにかく入場料わずか210円では申し訳ないほどワクワクする体験をさせてもらった。

 8月28日(水)
 今日は原稿をびしっと書くぞと思っていたのだが、歌舞伎町友達の肇くんが今月いっぱいでお店をやめるというので予定を変更して、結局新宿で一晩過ごす。今後は水商売ではなく、リサイクルのお店をやるとのこと。

 8月29日(木)
 すごくいい天気なのだが、外へ出ずに一日原稿書き。その前に一念発起して食卓(といってもおもちゃのビリヤード台なんだけど)の上を片付ける。最近また腰の具合が芳しくないので。卓袱台からテーブル仕事に切り替えるため。うちには机らしきものが実は3つもあるのだが、そのすべてが物置になっている。この機会に仕事部屋(現状は倉庫状態)も片付けて、腰にやさしい仕事スペースを作ろう…と思っているのだが現実はかなり大変な状況。
 原稿はワールドカップのチケット問題について。「事実」は一つだが「真実」は一つではない、という僕の人生訓のひとつを、空席問題という誰もが知っている「事実」を、担当者にとっての「真実」として伝えることで具現化しようと試みる。

 8月30日(金)
 高円宮杯全日本ユース選手権@西が丘。国見高校対多々良学園。国見の2年生FW、平山相太君はたぶんブレイク一歩前。早ければ今冬か。

 8月31日(土)
 川崎F対湘南@等々力。キックオフ時間を間違えてしまって、到着したらすでに前半半ば過ぎ。しかも2対0。せっかく久々にベルマーレを見に行ったのに、終わってみれば川崎のブラジル人トリオに4失点の完敗。残念。
 湘南ケーブルの水川潔、村上実樹の両氏と一緒にスタジアムを出る。この2人はもしかしたら、僕にとって現存する最古の仕事仲間かもしれない。ベルマーレ平塚がJに昇格した94年以来、今日に至るまで断続的とはいえ、もう9年来の付き合いになる。フリーランスの僕にとってこんなに長期間顔をあわせ続ける人はいないので、とても貴重な存在。
 ちなみに水川さんも、実樹ちゃんもJリーグ以降ほとんどすべてのホームゲームを見ているベルマーレの生き字引でもある。フジタ撤退、新会社移行などを経て、ほとんどのクラブスタッフが入れ替わる中、彼らは粛々と淡々と大神グランドと平塚競技場へ通い続けてきたのである。すごいことだと思う。J各クラブに存在すると思われる彼らのような地元の人々に、Jリーグやクラブは深く感謝すべきだ。
 あと、実樹ちゃんが「あ〜もう夏が今日で終わりだぁ」と叫んでいたので、僕は「もう恋の季節は終わりか」と返した。恋の季節がもう終わったのかどうかについては、最近ちょっと自分なりに考えたことだったので。




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2002年8月