9月1日(日)
9月だ〜!
進まない原稿書きの一日。
9月2日(月)
昨日から鼻水がやけに出るなあと思っていたら、今日は煙草がまずい。どうも風邪をひいたらしい。夜になって少し微熱。
ん? 少し微熱というのは、頭痛が痛い、すごい猛暑、大きな巨乳…間違った日本語の用法だ。用例としては少し違うけれども、そういえば最近は「チョービミョウ(超微妙)」なんて言い方も一部ではする。この前、テレビを見ていたら、渋谷の家出少女たちが朝日の昇る直前の空を「ビミョウに朝っぽくない?」「本当だ、チョービミョウに朝だあ」と表現していた。その感じは僕もチョー微妙にわかる気がした。
9月3日(火)
昼、JOCにてアジア大会の広報説明会。JOCには「フリーランス」というカテゴリーはない。例えばワールドカップの取材枠には「フリーランス」があるが、JOC仕切りのオリンピックなどには、そんな枠すらない。つまり、少なくとも雑誌においてはほとんどの原稿を書き、写真を撮っているフリーランスという存在そのものを、JOCは認めていない。そんなわけで個人であるはずの僕は、「川端」ではなく、「集英社の川端」でなくてはならない。いつもながら少しの窮屈と、居心地の悪さを感じる。そして、そんなシステムのこと以上に、JOCのような組織にいる人の大部分がフリーランスという生き方自体を想像できないらしいことに、何とも言えない違和感を感じてしまう。
夕方、歌舞伎町友達の華ちゃんを女子医大に見舞う。鹿児島出身の華ちゃんは今年4月に区役所通りに「まりはな」というお店を出したばかりなので、とっくに受けなければならない手術をペンディングして営業に励んできた。すごく生意気な奴だが、その手のガッツがある侮れない女である。先週入院して胆嚢をとったばかりだが、割と元気で、しかも明日退院できるとのこと。「風呂入ってんの? 金曜から入ってない? 臭いぞ。え? 明日退院。来なきゃよかった」などと茶化して帰る。
夜、カメラマンなりたてのMよりTEL。このところ、あ〜だこ〜だ愚痴大魔王だった彼女にしては声に張りがあると思ったら、「やりたいと思っていた雑誌」の仕事をすることができたらしい。そういう手触りのある実績の積み重ねで、人間自信がついてくる。よかった、よかった。
9月4日(水)
このところ再放送中の『金八先生』にはまっている。この回の『金八先生』は、上戸彩扮する鶴本直の性同一性障害という重くて難しい病気をモチーフに、(あまり好きな言い方ではないが)社会的弱者として見えない存在になっている(している/されている)マイノリティを、見える存在にすることにテーマを置いている。
とってもおセンチな僕はストーリー自体にもほろりと来てしまったりするのだが、それはさておき、このドラマを見ていて実は大発見をしてしまった。それは僕自身に関する自分なりに何となく気づいていた傾向の再確認と、なぜそういう傾向なのかという自分では全く気づいていなかった理由だった。ああ、そういうことだったのか。だから俺はこうなのか、と目からうろこが落ちるようだった。あ、別にそれは性に関することではないです。ちなみに僕はおちんちんもついてるし、本当は自分は女なんだと思ったこともありません。
夕方、クール宅急便で幸せが届く。幸福は、いま冷蔵庫の中にあります。何のこっちゃ。
9月5日(木)
夕方、前にもちらっと書いた、代議士になるかもしれない友人Kの奥さんが登壇する自民党の立会演説会を拝聴するため青葉公会堂へ。前に書いた時はまだ「国政までの道は長い」状態だったのだが、いまや代議士までの道のりは二つの関門を残すのみとなっている。わずか1ヶ月の間に、すごいことになっている。もちろん、当人たちにとっては、生活も周囲も激変した1ヶ月だったに違いない。
ちなみにKくんの奥さん=小崎有佳さんの現在の立場は、衆議院神奈川8区補欠選挙へ向けた自民党候補者選考のための予備選挙候補者、である。要するに彼女は、中田宏(元議員)が横浜市長になったことで空席となった神奈川8区の衆議院議員、を選ぶ補欠選挙に出馬する自民党候補者、を選ぶ予備選挙の候補者、なのである。
これまでなら水面下で決められていた候補者を、今回自民党は公募し、選挙区内の自民党員による選挙で決めるという新たな方式を採用した。彼女はそこで最終選考の2人にまで残ったというわけだ。もし、この予備選に勝てば10月27日に全国6選挙区で一斉に行なわれる補欠選挙に、彼女は自民党の候補者として立候補することになる。そして、もしそこで当選すれば、なんと本当に代議士になってしまうのである。
演説会自体は、両候補とも自分の言葉で、また自分の経験から、とても真っ当なことを話していたから、僕にはどちらが代議士にふさわしいのかわからなかった。となれば、当然個人的な知り合いの彼女に僕は投票することになる(もちろん僕は自民党員ではないし、それどころか神奈川8区の住民でさえないので、予備選でも、補欠選でも一票を投じることはできないのだが)。ましてや、今週末の予備選は党員による選挙だから、自民党神奈川県連内の思惑と力関係で決まるのだろう。「勝算は?」みたいなことを旦那のKくんにきいたのだが、「本当にわからない」と言ってた。そりゃそうだわな。つい1ヶ月前までは自民党の派閥なんてことと無縁の場所にいたのだから。
でも、僕にとっては彼ら夫婦のおかげで、そんな人が代議士になり、国政を司るという可能性がある時点で、日本の政治も少しづつ変わりつつあるのだなあ、と実感することができた。できることなら、本当に国会議員になってもらって、その後を見守ってみたいとも思う。とっても第三者的意見で、友達としてはいかがなものかとは思うけど。
あと中田宏新市長に敗れた高秀秀信前横浜市長は2002年ワールドカップに多大な尽力をした方だったが、先週突然亡くなった。ついこの前まで開催10都市のリーダー的立場で行政を牽引していた前市長の訃報にはとても驚き、また寂しさも感じた。ここに哀悼の意を表しておく。合掌。
9月6日(金)
夜半から降り出した雨の音を聞きながら徹夜。明日からソウルへ行くので、その前にやらなければならない原稿を仕上げる。昼すぎに終了後、雑用などこなし、夜は体勢を整えてテレビの前へ。「北の国から」最終回(前編)。
9月7日(土)
9時55分成田発のJAS機にてソウルへ、のはずが…。いや、忌まわしい記憶は、深い反省とともに忘却の彼方へ追いやろう。まあ、なんせ今日はそれだけじゃなく、天中殺のような一日だった。それでも最後には、救う神あり。手前勝手に言えば、志在るところ道在り。最終的には、無事、南北統一蹴球競技(韓国対北朝鮮)@ソウルワールドカップスタジアムを興味深く堪能。
9月8日(日)
明洞で雑用をすませた後、ホテルで原稿。夜は、朝日新聞の中小路氏とカムジャタン&飲み。平壌取材の話など聞く。半分冗談ながら「世界遺産として残すべき国」というのが彼の感想。
9月9日(月)
ワールドカップ前からソウルに来るたびにお世話になっている金智栄さんと昼食。いつものように彼女との会話を通して、韓国と韓国人の「○○」について感触をつかむことができる。今回の○○は、やっぱり北朝鮮、そして南北統一。
夕方、仁川発17時20分にて帰国。行きの失態を、帰りで取り戻す。ややズルではあったけど。帰宅後、深夜、コラム原稿。
あと友人から自民党神奈川8区予備選の結果報告。残念ながら落選だった。
9月10日(火)
原稿書き。今日もコラム。南北統一蹴球競技について。
9月11日(水)
湘南ベルマーレ対大分トリニータ@平塚。キックオフに先立って、同時多発テロの被害者への黙祷が行なわれた。僕は祈る人ではなく、想う人なのだと思いながら。
試合の方は予想に反して、いや嬉しいことに、ベルマーレが押し気味。これはもしかしたら…、いやそんな淡い期待を抱くと結局は…なんてファンならではの妙な葛藤を抱きながら見ていたら、後半高田保がゴール。最後ピンチもあったけど、1対0で本当に勝ってしまった。タイムアップの瞬間、スタンドのあちこちに立ち上がってガッツポーズする人々。僕も同じ気持ちだった。贔屓チームが勝つ瞬間に立ち会う幸福を噛みしめる。
帰宅後、日本テレビが独占で買い取ったドキュメンタリー「カメラはビルの中にいた」を見る。いわゆる衝撃映像ではなく、9・11「以前」と「その瞬間」、そして「以後」を追ったドキュメント。もともと一人の新米消防士を描くプランだったからこその偶然だが、それだけに「点」ではなく「線」で9・11を感じることができた。
9月12日(木)
夕方から宝島社にて、ワールドカップ総括本の原稿チェック。思いがけず時間がかかり、結局深夜3時までかかってしまった。
かなりの意気込みで臨んだ仕事だったが、まとめの段階に入ってジレンマ。僕のポジションと権限をもう少し明確にしておくべきだった。その辺を曖昧にしてしまったせいで、いま一つ中途半端な関わりしかできなかった。反省。
9月13日(金)
本を読んだり、映画を見たり、原稿を書いたり、仕事友達の佐藤俊ちゃんとファミレスで雑談したり。
9月14日(土)
2001年9月11日を世界中の監督が描いた競作映画「セプテンバー11」を、少しづつ見ている。一作品11分9秒。一気にみたって2時間程度なのだが、息苦しさに襲われて、続けて数本を見るということができない。
9月15日(日)
東京ヴェルディ対鹿島アントラーズ@国立競技場。一時のひどい状態から抜け出したヴェルディが、単純ながらはっきりとしたサッカーでアントラーズを追い込む。結果的には2点のリードを守れず、逆転負けを喫したが、こんなふうに戦術が整理されればチームは立ち直るという好例。いずれにしてもセカンドステージのJは、ヴェルディ、グランパス、レッズなどが好調で楽しめそう。
帰宅後、ラツィオ対キエーボ@WOWOW。早稲田対オックスフォード@NHKをはさんで、ボーフム対ドルトムント@WOWOWとウディネーゼ対パルマ@CXとはしご。仕上げに東京対鹿島@日テレ(録画放送)まで見たので、セリエAとブンデスリーガをJリーグでサンドイッチにして、おまけにラグビーまでトッピングして、のべ6試合を見たことになる。Jの特徴と面白さが何となく見えてなかなか面白かった。
9月16日(月)
ついこないだまで冷房をつけていたというのに、気がつけば涼しいどころか肌寒い。そう言えば2、3日前からマンちゃんがやたらと寄り添ってくる。ベッドの中でもべったりだし。秋だなと実感。
9月17日(火)
早起きしてテレビ。平壌発の細切れな情報を想像力で紡ぎながら。夕方、出先で「死亡」のニュースに接する。早朝にはあった高揚感が褪せて、立ちすくんでしまう。世界の隅でぽつんと。1年前の9月11日以来、ずっとそこから出られない気がする。
「いずれ人は必ず死んでいくものです。めぐみは濃厚な足跡を残したと信じています」「死んでいった若い者たちの心の内を想ってください」。横田めぐみさんの母親の、重厚で豊穣な言葉に耳を澄ます。
9月18日(水)
朝鮮学校へ嫌がらせ電話をする奴がやっぱり出た。もちろん匿名だ。電話、ネット、必ずこの手の恥知らずで卑怯な輩が出てくる。在日3世でWBC王者徳山昌守のホームページにも悪意の書き込みが相次いでいるらしい。
夜、P社編集者と飯&飲み。先日ソウルで買った統一Tシャツを着ていく。
9月19日(木)
竹書房30周年パーティ@パレスホテル。コンパニオンがバニースタイルというあたりが竹書房らしくていい。出版不況下にここはとても元気だということ。
9月20日(金)
所用で中野へ行ったので、久々に懐かしいコースを辿ってみる。20歳台の自分史と、黒木香が飛び降りたホテル、オウムが経営していた定食屋などの世相が交錯しながら蘇る。80年代から90年代、時代と共にここにいた。
懐かしさに棹差して、高校時代の野球部の球友の、シゲルと会って、僕の東京のもう一つの故郷の、歌舞伎町へ。飲んで歌って激論して朝6時だった。
9月21日(土)
東京ヴェルディ対横浜Fマリノス@東京スタジアム。90分+30分で1対1の引き分け。「+30分」が必要だったかどうか、懐疑的な声が多かった。
9月22日(日)
深夜、NHKアーカイブス「ドラマ・男子の本懐」。御存知の通り、城山三郎名著のドラマ化。北大路欣也演じる浜口雄幸と近藤正臣演じる井上準之助のセリフと所作に、いまの時代への、またいまの僕への、教えがあるように思えた。ある種の気負いと、覚悟はやはり不可欠なのだ。それぞれの妻、檀ふみと藤真利子の「女の本懐」にも感じ入る。
9月23日(月)
本を読んだり、ビデオを見たり、昼寝をしたりして、終日ごろごろ、ごろごろ。
9月24日(火)
久々の快晴。午前中から駒沢公園で読書。カーラジオからは東京FM柴田玲ちゃんの声が聞こえている。彼女はフランスワールドカップ予選取材の仲間。あの予選は体力的にも精神的にも随分辛かったから、あの現場を共にした人に対してはいまでも仲間意識が強い。そんな仲間の頑張っている様にこんな日に接すると当然、幸福度はさらに高くなる。別にテレビやラジオじゃなくても、電話とか風の噂とかで離れている友達の「いま」に接するのは嬉しいし、それが頑張っている姿で、おまけに趣味ではなくて仕事だとさらにいい。
気分が良いので、そのまま駒沢ジムへ。マシンが新品になっていた。
9月25日(水)
アジア大会絡みの雑用やお願い事などで都内をあっちこっちへ。
9月26日(木)
少し前にお知り合いになって直感的にとても気になっていた林さんと夕食。当たり前のことを当たり前にできる真っ当さと、色々な葛藤にきちんと向き合う真摯さと、自分の心を開ける勇気と、相手の心を開いてしまうやさしさをもった、やっぱり素敵な人だった。そんなわけで一見彼女の話を僕がきいてあげているようでいて、実は僕の方が彼女に心を解放してもらったような。おかげで僕はまた人生を信じてみてもいいような気にさえなれた。
会食の場所は、高校時代の後輩の店。野球部の一年後輩でキャプテンだった嶋典夫はいまや日本の四川料理を背負って立つ、と言われるほどの存在らしい。高校を卒業して20年近く。彼がここに辿りつくまでに積み重ねてきた20年の毎日を想像すると、先輩として男として嬉しくなる。俺も頑張ってきたし、あいつも頑張ってきた。そして、いまここにいる。そういう感じはとてもハッピーで温かく、しかも心強い。
9月27日(金)
14:30成田発KE714にて、プサンへ。昨年末ワールドカップファイナルドローの舞台となったBEXCOが、今回はメインプレスセンター。ADカードを作り、プレスキットを受け取り、移動手段の確認やホテルの確保など、大会期間中の段取りを一通りすませたら、もうすっかり夜。知人記者と焼肉を食べて、ホテルへ帰って、シャワーを浴びて、ベッドで本を開いたら1ページも読めないうちに激しい眠気が…。そういえば、昨晩は何だかハイになってしまって、一睡もしてなかったのだった。
9月28日(土)
サッカー日本対パレスチナ@ヤムサン。プサンからバスで40分程度でヤムサンに到着すると、スタジアム入り口で日本のピースボートが招待したパレスチナ青年がたどたどしい英語で母国の現状を訴えていた。色々な歴史とか業とか背景とかを背負った選手たちがこの大会にやってきている。当然、そんな色々によって大会への思い入れも色々になる。ちなみにパレスチナでもサッカーは超人気競技。足はボールを蹴るために、手はイスラエルに石を投げるためにある、なんて言い方もするらしい。
ゲームはかなり危なげな試合ぶりではあったが日本が1対0で勝った。
9月29日(日)
ビーチバレー@ヘウンデビーチ。空と砂浜と海。やっぱりオープンエアの競技は気持ちがいい。サッカーはもう少し閉塞感があるように思う。今年4月にNPO法人化したベルマーレスポーツクラブ所属の渡辺・白鳥組はバーレーンに快勝。
夕方、開会式@メインスタジアム。3ヶ月前、ワールドカップで訪れたスタジアムだが、こんなとこだったっけ?と随分違うイメージ。あの時は疲労のピークで、しかもプレス席が随分低い位置だったからなあ。ネパールを先頭に(なぜだろう?)始まった入場行進では東チモール、アフガニスタン、パレスチナ(アラファト議長の写真を掲げていた)といった紛争を抱えている国々も続いた。冷戦構造の崩壊から約10年。その余波はいまもアジアのあちこちで疼いている。
難しい話はさておき、入場行進を目の当たりにしながら素朴に感じたのは、アジアは広いし、バラエティに富んでいるということ。民族衣装をまとった選手たちにおっと身を乗り出し、ごつかったり小さかったりあまりの体格差に呆れ、様々な肌の色に感心し、双眼鏡で覗き込んだ顔立ちの違いに何度もはっとした。
開会式の主役はゴール裏の一角に勢揃いした北朝鮮応援団。艶やかなチョゴリに身を包んだ彼女たちは相当な美人らしい。彼女たちの前に殺到するカメラマンたちを双眼鏡で覗きながら、ちょっと羨ましかった。そしてクライマックスは統一旗を掲げて最後に登場した南北朝鮮選手団。BGMも突然盛大なアリランに変わった。ちなみにそれまでの行進曲は「第九」と「釜山港へ帰れ」。僕はチョーヨンピルを口ずさみながら入場行進を見つめていたのだった。
9月30日(月)
今日はプサン市南西部のクドックで一日過ごした。ここはコンプレックスなので、いくつかの競技をはしごすることができる。まずソフトボール・日本対北朝鮮。アトランタ五輪以降大ファンになったソフトボールをようやく生観戦。野球よりスピード感があり、些細なミスも許されないこの競技は本当に面白い。日本チームのボール回しはプロ野球レベルだと思うほど。試合は1対0で日本の勝ち。最少得点差だから苦戦と言えば苦戦だが、日本が許したヒットは1本だけだった。
スタンドでは統一応援団(韓国)と昨日の開会式の主役、北朝鮮応援団が鐘や歌でウリヌンハナ!と大声援。試合後、日本のサード、宇津木麗華が「こんな雰囲気は初めてだった」とびっくりしていた。そんな彼女も中国からの帰化者。僕なんかにはわからない葛藤を越えてきたに違いない人だ。
ちなみに北朝鮮チームのユニホームブランドはフィラ、グローブはミズノだった。応援団の女性たちが身につけていたジャージと帽子はナイキ。拉致云々で一元的なイメージをもっている人には想像しにくいかもしれないが、あの国と国民にも色々な顔があるのだ。どこの国と国民もそうであるように。
その後、柔道を少し覗いてから、再びソフトボール。今度は中国対台湾。さらにその後、サッカー・UAE対イエメンを見て、最後は柔道の決勝。日本が金メダルを2つ、銀メダルを1つとった。柔道も生で見たのは初めて。正直に言えば、テレビほど感情移入できなかった。あと柔道が行なわれたクドック体育館はあまり広くないし、お客さんも多いし、何より韓国の応援がすごくて熱気でムンムンしてた。ただ実を言うと韓国スタイルの応援はあまり好きではない。言い換えれば日本のプロ野球の外野席の応援も苦手。プレーに関係なくのべつくまなく騒ぎ続けられると、いいプレーとかすごい技とか惜しいチャンスとかが霞んでしまう気がするので。特に柔道会場では違和感があった。
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