10月1日(火)
 MMC発のメディアバスでウルサンへ。まず7人制ラグビーの日本対韓国。競技場に着いたら、大学時代の大親友、田村に会った。彼はいまやラグマガ編集長。ラグビー界ではそれなりの顔である。もちろん僕にとっては相変わらず友達のままなのだが。その後、卓球会場をちらっと覗いて、タクシーでサッカー会場へ。
 ワールドカップ用に建設されたウルサンムンススタジアムは山の中。宮城、大分など6月に巡った日本のスタジアムを思い出す。ピッチではカタールとアフガニスタンが戦っていた。といってもアフガニスタンは一方的に攻められていた。サッカーの技術以上に意外だったのは体格がものすごく小さく細いこと。もう少しごつい国民を何となく想像していたのだ。結果は0対11。でも国際舞台から15年以上も遠ざかっていた彼らは、このプサン2002からまた新たなスタートを切ったのだ。
 その後、日本対バーレーン。剣が峰と思われていた試合だが、前半だけで4対0。日本は素晴らしいパスゲームを展開して、ゴールを量産した。後半追い上げられたので、口の悪い人々はあれやこれやと難癖をつけているのが、素直に誉めてもいいのではないかなぁ。

 10月2日(水)
 午前中はメイン会場内のプールで水泳の予選。プール独特の匂いを久々に嗅いだような。午後はこれもメイン会場にある野球場で中国対韓国。ここは普段はロッテジャイアンツのホーム球場。試合は韓国が初回に4点をとり、中国は投手はボールがシュート回転だし、野手もまだまだ高校野球レベルに僕には見えた。そういえばシアトルマリナーズのスカウトが来ていた。アジア人の祭典といえども野球やサッカーあたりになると世界のスカウトがやって来るのである。
 野球を早々に切り上げて、再びプールへ戻って今度はシンクロナイズドスイミング。立花・武田ペアが金メダルをとった。ただ僕は採点種目がどうも苦手らしく、いまひとつ感情移入ができなかった。その後、体操(女子)を生まれて初めて生観戦(かわいい女の子たちが飛び跳ねたり、宙返りを決めたり、素直にびっくり。カザフの選手だけが胸もお尻もしっかりしてて立派な女性体型なのが妙に艶かしかった)の後、今日三度目のプール。水泳決勝。北島の世界新記録&金メダル、そして大人気の寺川綾ちゃんと今日もスポーツ満喫の一日だった。
 それにしても、こう毎日色々な競技を見ていると、体を動かしたくてうずうずしてくる。特に今日は、中学時代水泳部だった僕としてはプールに飛び込んで泳ぎたくて泳ぎたくて。観戦しながらストレッチをしてしまった。

 10月3日(木)
 昼からクドックにてソフトボール、韓国対北朝鮮。韓国選手はなかなかかわいい。韓国応援団から差し出される色紙に北朝鮮選手がなんと書いているのか覗き込んでみたら「チョソンヌンハナダ(朝鮮はひとつ)」だった。その後、日本対台湾を途中まで見て、柔道会場経由でサッカー。タイ対UAEはなかなかの好試合。ちなみに両チームともイングランド人監督。アジア大会といえども参加者がすべてアジア人とは限らないということ。
 夕方、柔道で井上康生が見事な一本で金メダルを獲得。「大きな人を投げるのが楽しみ。無差別級にこれからもこだわりたい」という言葉に素直に感心した後、再びサッカー会場へ。トルクメニスタン対バングラディッシュ。こちらは見事に退屈な試合。アメリカワールドカップの一次予選で対戦した時には、それなりの相手だったはずのバングラディッシュだが、あれから10年、同じ時間が流れたとは思えないほど日本とバングラディッシュのサッカーは差がついている。
 夜はいつものメンバー+スポナビの南條、岩本両氏とソミョンでクッパッ。

 10月4日(金)
 ビーチバレー決勝@ヘウンデ。第1セットはデュースの連続でどうなることかと思ったが、日本の白鳥・渡辺組がインドネシアを破って金メダル。株式会社ベルマーレフットボールクラブの真壁さんと遠藤さんが、NPO法人ベルマーレスポーツクラブ所属の2人の応援に来ていた。このあたりの新たなトライについては、いつかきちんとレポートしたいと思っている。余談ながらベルマーレのユニホームを着た彼らを見て、今大会のボランティアユニホームがベルマーレカラーだといまさら気づく。
 午後はMMCにて雑用など。日本語学科の女子大生からインタビューとアンケートを受ける。こういうのが(大袈裟ではなく)ちょっとした潤いで楽しい。

 10月5日(土)
 いつもより早くホテルを出てバスで1時間半ほどのところにあるマサンへ。マサンへは6年ほど前にアジアスーパーカップの取材で一度来たことがある。たぶん初訪韓時だったと思う。
 今日の僕のお目当ては、ボクシング51キロ級に出場する東チモールの選手。今年5月に独立したばかりの世界で一番新しい国家だ。この大会へは駆け込み、かつ暫定出場。ちなみに世界最貧国と言われている。この東チモールをはじめ、アフガニスタンやパレスチナや北朝鮮など、今大会にはあらゆる歴史と現実を背負った国々が参加している。
 東チモールのボクシング選手はほとんどパンチを出すことすらできずに、タイのボクサーに負けた。ややへっぴり腰ではあったけれど、彼が踏み出した一歩が、この先につながっていくはず。最初の一歩を踏み出す不安と勇気は素敵だと思う。
 夕方からはサッカー2試合。イラン対カタールと日本対ウズベキスタン。カタールは決勝トーナメント進出のチャンスもあったのだが、自慰的プレーで好機を逃した。日本はウズベキスタンのラフなプレーに負傷者を出しながらも、まあ楽々と勝ち切った。
 プサンに戻ったのがすでに12時近かったので、晩飯はコンビニで調達。夜中、久々に原稿。「あらゆる国々のそれぞれ」について。

 10月6日(日)
 雨。目が覚めて雨が降っているのに気づいて、なんかものすごくびっくりした。もう10日もここいるのだから一度くらい雨が降っても何の不思議もないのに、雨が降るなんて現象をまったく思いつきもしなかった。
 とにかく雨のせいで楽しみにしていたソフトボールの決勝は中止になるし、もちろん僕は傘なんて持って行ってないしで、午後からずっとMMCでパソコンに向かって仕事らしきことをしながら過ごす。
 晩飯はいつもの浅田、菊地氏に、岩澤アナ、サッカーアイの石井さんも加えて、ソミョンでタッカルビ。さらにアメリカンバーでビール。プサンに来てから初めてまともに飲んだ。終電でスヨンへ帰宅。確かにもはや帰宅という感じだ。

 10月7日(月)
 ソフトテニス@サジック。女子シングル決勝の韓国女子選手の「勝ちたい」気持ちを前面に出した姿勢に魅了された。その後、陸上を見るべくメインスタジアムへ向かったのだが、携帯電話をどこかで紛失。テニス場、スタジアムを2往復しながら捜索。結局、陸上はほとんど見れなかった。携帯電話はほとんど諦めかけていたのだが、夕方最後にもう一度テニス会場へ足を運んでみたら「あったよ!」。ボランティアの女の子がとても親切かつ粘り強く探してくれたおかげ。本当にありがとう。

 10月8日(火)
 バスでマサンへ。試合までの待ち時間は、仲間の記者たちとマサンのデパートなどを散策。喫茶店で高校生らしき男女が、合コンらしきことをしていた。
 日本対中国。やや相手が格上感がある試合だったが、日本が山本監督とFW中山の強運で1対0で勝利。たとえ偶然だとしても、勝敗を決める決して小さくない要素の「運」は実力の一部でもある。とにかく、この一戦がこのアジア大会評価の分かれ目だっただけに大きな勝ち。
 深夜、プサンに戻る。今夜宿無しの僕は浅田ペン、清水カメラ氏の部屋に泊めてもらう。

 10月9日(水)
 帰国。夕方、帰宅。帰国と言っても大した時間も体力も使っていないのが、何となくだらだらと一晩過ごす。本当はジムにでも行っておきたい日だったのだけど。

 10月10日(木)
 知人の石田氏のお誘いで、日韓若者交流会「あいのり」@新宿に出席。おとなしい感じの若者ばかりだった。そうそう、先日プサンで僕が見た合コンのことを韓国では「ミーティング」というらしい。あいのり解散後、ほんのちょっと、軽く、さらりと飲んで行こうと「まりはな」に寄ったのが運のつき。帰宅は6時すぎだった。

 10月11日(金)
 うちで雑用。ゲラチェックなど。

 10月12日(土)
 お友達でもあり、人生の先輩でもあるお姉さま方といわき湯本へ。湯本でこれまた友達でもあり、先輩でもあるお姉さまも合流して、女性3人+おまけの僕で湯治。お風呂に入ったり、トランプをしたり、のんびり。

 10月13日(日)
 早起き(僕にとっては)して朝食をちゃんと食べて、朝から温泉につかる。快晴。気持ちのいい朝だ。石炭化石館で炭鉱を体感した後、いわき名所?のレストラン「メヒコ」へ。メヒコはいわき市内にいくつかのレストランをもち、それぞれモンキー館・フラミンゴ館・水族館といった名前がついている。そして、モンキー館には猿が、フラミンゴ館にはフラミンゴが、水族館には魚が、レストランにもかかわらずいる不思議なお店だ。僕たちが行ったのはモンキー館で、窓の向こうにはかわいい猿がたくさんいて、それを眺めながらカニピラフを食べた。カニピラフはここの名物で、ピラフの上にカニがそのままのっかっていて、自分でカニをほぐしながら食べなければならない。僕たちは地元在住Tさんの流儀にならって、カニを全部ほぐし終わってから食べ始めることにしたので、ピラフを口に入れるまでに数十分を要した。猿を眺めながら、カニの足をほじくり、それから食べたピラフはとてもおいしかった。
 午後、わずかの寂寥感を含む「じゃ、またね」の後、いわき湯本を後にスーパーひたちで帰京。夜、インターネットで「メヒコ」のホームページを見たら、なんと都内にも、そして台湾にも支店があるレストランチェーンだった。ざっと見た限りでは、なぜ猿なのか、フラミンゴなのか、水族館なのかについての謎は解けなかったけど。

 10月14日(月)
 ジーコジャパンが今日から始動。というわけで新しいノートをおろした。「I DENY NOTHING but DOUBT EVERYTHING」というバイロンの言葉と横顔が入っている青いノート。どこで買ったのかは忘れたが、ちょっとかっこいいやつだ。国立競技場での練習はいきなりフルコートでの紅白戦。トルシエ時代には全く行なわれなかったゲーム形式の練習、しかも「公開」に斬新さを覚えてしまう。本当はとっても普通のことなのだけど。
 夜はまりはなの「まり」ちゃんと食事&飲み。恵比寿、白金というハイソなコースを、地元ピーのまりちゃんの案内で。

 10月15日(火)
 今日も国立にて代表TR。今日はセットプレーの守備と攻撃、そこからのつなぎなど。最後のミニゲームでは笑顔と歓声もこぼれていた。フランスと日韓の間の4年間とは180度違う自由なムードにこちらも嬉しくなる一方で、ちらりと不安もよぎったりするのだから、まったく不思議なものだ。

 10月16日(水)
 日本対ジャマイカ@国立。2006年へ向けての第一歩には違いないのだが、それよりも2002年後の初試合という感触方が強い。4年後のチームはまだイメージしにくいので。
 結果は1対1。日本は立ち上がりからすごい勢いで前へ出て、あっという間に小野のゴールで先制したが、その後のまったりとした展開の中で、同点に追いつかれて結局引き分けた。辛口評価をしようと思えばいくらでもできる内容だった。例えばドリームチームと代表チームは違う、とか。
 でもフランス大会が終わった直後に散々語られた「中田+俊輔+小野」がテストされるまでに“1ワールドカップ(4年)”がかかったことの方に僕は違和感を感じる。つまり理想と現実の順番の問題。4年前にここからスタートして、現実的な修正を加えていけばよかったのではないかなあ、と。夢ばかり見ていては確かにまずいけど、現実ばかりではつまらないので。

 10月17日(木)
 早朝から原稿書き。ナビスコカップ決勝戦のプログラム。本当は昨日締切だったのだが、このところ拉致者の帰国ニュースに気をとられてしまって、仕事が後回しになってしまっていた。
 午後、5人の帰郷映像をテレビで見ながら、故郷とか家族とか、そんなことを自分と照らし合わせてあれやこれやと考える。僕に置き換えると、どうも温もりよりもぎこちなさに辿りついてしまうのがちょっとさみしい。
 夜はプサン滞在中にマンちゃんの面倒をみてくれた美樹ちゃんにお礼の食事&飲み。

 10月18日(金)
 ふと思い立って日本サッカーの年代別代表と選手の年齢の相関表を作り始める。はまってしまった。例えば中田英寿と松田と宮本は93年のU17世界選手権に出場した選手たちだが、中田と松田は95年のU20世界選手権に出場し、この時のメンバーには森岡や田中誠がいて、一方、宮本は97年のU20世界選手権に柳沢や俊輔と一緒に出場していて…みたいなことをわかりやすく把握できる表を作ろうと。U17とかU20とかの大会は3歳きざみだが2年おきに開催されるので生年月日によって微妙に有利不利が生じたり、また中田や松田のように飛び級する選手もいたりして、とても複雑で難解なのだ。ちなみにアジア大会に出場していたU21代表の世代が「谷間」と呼ばれていた理由を理解するためにも、その表現がいま一つ的を射ていないことに気づくためにも、こういう作業は意義があったりする。仕事的な意味はいま現在の僕にとってはまったくないのだけど。
 夜はNPO法人についてお勉強。NPO+スポーツの可能性について近々書きたいと思っているので。

 10月19日(土)
 予定がキャンセルになったので、うちでJリーグ中継を見ながら、雑用とか勉強とかをだらだらと。そのまま未明まで日本と欧州とカタールでの日本人選手のゲームを追いながらザッピング。

 10月20日(日)
 家から一歩も出ずにテレビと読書とパソコンに向かう一日。

 10月21日(月)
 このところ突然昔のことが蘇ってきて、はっとしたり、どきっとしたり、きゅんとしたり。あの時出会ったあの人とか、あの時傷つけたあの人とか、あの時あの人が浮かべた表情の意味とかが何の脈絡もなくリアルに思い浮かんできたりする。おまけにそういうことは夜中から朝方にかけて起きるわけで、結果的に睡眠が滞り気味。

 10月22日(火)
 久々に大神へ。93年秋以来、ある時は頻繁に、ある時はものすご〜くご無沙汰しながら通ってきたベルマーレの本拠地。今日は真壁潔氏にNPO法人化について、遠藤さちえ氏にベルマーレと彼女の7年間について伺う。真壁さんはフジタ撤退後のベルマーレを切り盛りしてきた人で、有能かつポジティブかつエネルギッシュな人。彼がベルマーレと湘南の目指すヴィジョンを描き、語り、示すことで、ここ数年のベルマーレは前進してきた。夢想と実務の絶妙なバランスで仲間を増やし、諸問題を解決してきた。
 遠藤さんは95年に押しかけ同然でベルマーレ入り。当時まだ19歳で、ブラジル人選手の家族の世話係のようなことをやっていた彼女も、いまやベルマーレにとって欠かせない存在。親身でマメな対応はメディア関係者にもすこぶる好評だ。何が何でも…という思いに衝き動かされての「押しかけ」からいまに至る彼女の7年間は「本気の夢は叶う」の実証例。ベルマーレが経営難というピンチを、挑戦へのチャンスに換えることができたのも、夢=ヴィジョンを未来に見出し、それを信じる力があったからこそ。その意味で、二人はベルマーレを体現していると思う。

 10月23日(水)
 湘南vsC大阪@平塚競技場。まさしく注文通りのゲームでベルマーレが2対0で快勝した。前半早々に2点をとったので、残りの時間ははらはらどきどき。贔屓チームを応援する時には、この「はらどき」が一番きく。そんなわけで僕は、残り○分、残り○分と時計を見ながら、ヤス頑張れ!(これ高田保へ向けて)、キープ!(これシルバへ向けて)、おい!(これレフリーへ向けて)、あとちょっと!(これチームと自分に向けて)なんて具合にすっかりサポーター状態で応援していた。
 夜中から朝にかけて原稿。NPO法人湘南ベルマーレスポーツクラブが描く夢について。

 10月24日(木)
 昼ごろ寝て夕方起床。ひどい生活、ひどい体調。でも、寝起きで向かった学芸大学での夕食というか朝食というか、とにかく高校時代の後輩、嶋の店「天悠」での食事が楽しかったので、結果的には上機嫌の一日。
 食事に付き合ってもらったのは日々野真理さん。日々野さんはワールドカップ期間中、スカパーで毎日10時間生番組の司会をやっていた人で、しかも三重県出身。そればかりか僕と嶋の母校である津高校の兄弟校、津西高校の出身なのである。おまけに嶋と日々野さんが同じ中学の出身であることも判明したりして、三重トークで3人盛り上がった。さらに話は三重県から東京に辿りつくそれぞれの道のりとか、それぞれの現在とか未来とかにまであっという間に及んだ。根っこが同じなので、その先の話に進みやすいのだ。そんなわけで、とても暖かく心地よい時間だった。

 10月25日(金)
 今日も朝10時ごろ寝て、午後に起床。まったくひどい生活だ。起床後、原稿書き。
 夕方のニュースでフジテレビが横田めぐみさんの独占インタビュー映像を扇情的に大々的に誇らしげに放送していた。一部全国紙との共同スクープらしい。スクープの肝は「笑顔」と「涙」。何よりも「素顔」の暴露。キャスターは「利発的なお嬢さんですねぇ」とワイドショーチックな声色でほのぼのスクープに、あるいは人道的報道に仕立てあげようとしていたが、そのせいでより偽善的印象を受ける。マスコミの人格として、また存在意義としてスクープ撮までは理解できるが、放送に関しては「時期」と「心情」を想えばどうなのだろうと疑問。
 夜はもう10年来のお友達の裕子ちゃんと居酒屋。ちょっと会わない間に、裕子ちゃんは胆石で入院し、手術をしたとのこと。最近、僕の周りは胆石が流行中。彼女も含めて、9月だけで実に3人も手術している。

 10月26日(土)
 就寝11時、起床14時。相変わらずの生活。早朝、日本テレビのニュース番組で拉致者の子供たちの日本への「帰国」について中国残留孤児2世の例を出して一石を投じていた。いわゆる「大地の子」の子供たちについては、ここ数日の滞在延長と家族帰国要求の決定に、僕自身も思い浮かべていたこと。つまり、彼や彼女たちにとっては「帰国」なのだろうか、ということと、彼や彼女たちにとってあの国よりもこの国が幸せな国なのだろうか、ということ。「日本はすごくいい国だと聞いてきたけど、全然いい国じゃなかった」といまだに中国語で語る残留孤児2世の言葉に、拉致問題の深刻さを改めて実感する。「原状回復」という通常の概念を流用できる事態ではないと思う。
 横浜Fマリノスvsジュビロ磐田@国立競技場。試合はジュビロの順当な勝利。だが、そんなことより試合終盤マリノスのウイルが、なんと味方の奥を蹴った。その直前のファウルで2枚目のイエローカードをもらって退場になった直後に、レフリーや相手に文句を言うのではなく、奥に向かって行って蹴っ飛ばしたのだ。あんなの初めて見た。

 10月27日(日)
 昨晩、フツウの夜中に寝て、今日は昼までぐっすり睡眠をとったので、寝覚めはすっきり。それなのに、あるいは、そのせいで、どうも風邪っぽい。

 10月28日(月)
 またもや朝寝て夕方起床。わずか一日でこんな生活に戻ってしまって情けない限り。明らかに「いい子」ではない。でも、面白い本を閉じられずに、おいしい酒を切り上げられずに、楽しい時間を終わらせられずに夜を徹してしまうのは少なくとも不幸なことではないような気も。真っ当ではないかもしれないけど悪ではないような。要するにモラルか、マキシムかという話。
 夜、日本テレビでやっていた桶川ストーカー殺人事件のドキュメントドラマ。あの年は通り魔事件や少年犯罪が相次ぎ、僕もその手の原稿を書いたりした。当時「17歳」の犯行について精神学者とか弁護士とかたくさんの人々がいかにもの解読をしていたが、心に残っているのは「阪神大震災」の影響説。人がいとも簡単に死ぬ瞬間、営々と築いてきたものが一瞬にして崩れてしまう瞬間を幼少期に目の当たりにしたことと関係があるのではないか…という仮説で、つかこうへい氏が何かの雑誌で書いていた。

 10月29日(火)
 深夜起床後、カタールでのU20アジア選手権をテレビ観戦。ウズベキスタンはかなりラフでアフタータックルなどを連発している。そういえばアジア大会でのプレーぶりもこんな感じだったなあ。結果はPK戦の末、日本が決勝進出。

 10月30日(水)
 初めはただの掃除のつもりだったのだが、掃除が大掃除に変わり、結果的に模様替えを始めてしまった。2分の1くらいが物置と化していた仕事場の机などを移動させ、ほとんど使用していないデスクトップPCを片付け、積みあがっている雑誌や資料などの整理。「捨てる」ことを第一義にしているが、それでも雑誌や切抜きなどはゴミ箱行きの前に、どうしてもページをめくってしまい…。これは数日かかるな。

 10月31日(木)
 午後、恵比寿にて「サッカー批評」の半田編集長と打ち合わせ。NPOベルマーレについて書かせてもらう予定。NPOベルマーレについては、いま書店に並んでいる「サッカーマガジン」にも書いているのだが、これは何度も取りあげるに値するネタだと思うし、マガジンではページスペースと読者層のことも考えて随分単純な話にしてしまっているので。
 夜は20日以上前から約束していた瑠美ちゃんと食事&飲み。



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2002年10月