11月1日(金)
 テレビを見たり、音楽を聴いたりしながら一日仕事場の片付け。何というのんびりとした一日なんだ。そうそう、「笑っていいとも」を何となく見ていたら大場久美子が登場。僕が初めてファンになった人だ。中学時代、下敷きに彼女の切り抜きをはさんでいたものだ。久々に見た彼女の目尻のしわに25年の時の流れを感じる。ちなみに僕のアイドルの系譜はその後、森尾由美へと続く。
 夕飯は、美樹ちゃんの愚痴というか悩みというかしゃべってすっきりしたいというか、そんな話を聞きながらファミレスで。自分も通ってきた道、でも僕とは少し違う道、彼女の話を聞いているといつもそんなふうに思う。あと、いま一度踏み出す勇気みたいなことを自分自身の現状を考えつつ思ったりもする。
 松井がメジャー行きを表明。希望に燃えて、というより、巨人軍4番の座を捨てることのプレッシャーと戦わなければならない痛々しさの方が画面から滲む。あと、シーズン終了後に監督がオーナーを訪問し、報告を行なう様子を見ていると、やはりプロ野球はオーナーのものなんだなあといつも思う。

 11月2日(土)
 今日も朝から片付けの続き。雑誌、切り抜き、資料、メモなどに目を通しながら、僕にしては大胆に捨てていく。面白いのは切り抜きやメモ。その時代時代で僕が興味を持っていたことが何だったのかよくわかる。にやにやしながら読んで、いまも興味をそそられるものだけを残して、あとはどんどん捨てる。
 それにしても仕事部屋がすっかり広くなった。あと1・5メートル四方ほどを片付ければ、床が全部露出する。
 大分トリニータがJ1昇格を決めた。4年越しの悲願成就。4年間もずっと願い続けてきたのだから、正しく悲願というに値する。彼らの歓喜の様を見ながら、やっぱりJ1昇格、せめて昇格争い…とベルマーレを想う。ここ数年それどころではなくて、何が何でも勝利!なんて思わなくなっていたけれど、やっぱり目指さなきゃと改めて。

 11月3日(日)
 午前中、仕事場整理の続き。午後、原稿。夜、ナビスコカップ前夜祭@高輪プリンスホテル。

 11月4日(月)
 ナビスコカップ決勝@国立。国立競技場で辛いニュースを聞いたので、出掛ける時と帰る時との気分がまったく違う。誰かの死を悼むということは、たぶん亡くなった人や残された人の心中を察することで、誰とか、どんなとかに関わらずいつも辛い。
 ナビスコファイナルは鹿島が優勝。僅差ではあったが勝負的には完勝だった。だとしても浦和の大応援は感動的なくらいにすごかった。

 11月5日(火)
 所用で中野へ行ったついでに思い立って奈緒ちゃんにTEL。うまいタイミングで会えたので、そのまま飲みに。2年ぶりくらいで会った奈緒ちゃんはなんと今日特許庁に特許の申請に行ってきたのだという。建築科大学生である彼女が思いついたのはR型巾木。巾木というのは壁と床をつないでいる接合部のことで、それをR型にすればホコリもたまらず便利なのではないかと彼女は思いついたのである。
 残念ながら同じアイデアが1年前に特許申請されていて彼女の大発明は陽の目を見ることなく終わったが、それでもたったの1年前なのだ。まだ社会人でさえない彼女の発想は建築業界でも「最」とは言わないが「先端」にあるということ。すごいなあと素直に感心。もっとも一攫千金を夢見ていた彼女は相当落ち込んでいたけど。

 11月6日(水)
 
高木沙耶がフリーダイビングのワールドカップで銀メダルを獲得した。この大会で彼女は、先月自身が出した45メートルという日本新記録をさらに更新する53メートルを潜った。53メートル。どんな世界なのだろうと思う。グランブルーといえばとても美しく聞こえるが、たぶんそこは漆黒の闇のはず。精神的な孤独だけでなく、身体的な死がすぐそこにある。意志とか根性が及ばない生理学的な死が1メートル下にはあるかもしれない闇の中に沈んでいく恐怖。それに打ち勝つための心の鍛錬が必要な素潜りの道は、必然的に哲学の道に続く。禅やヨガに傾倒する人が多いのもその証であり、ジャック・マイヨールもその一人だった。それほどのマイヨールが自殺した時の衝撃、というより脱力感は1年経ったいまも僕の中に残っている。
 それにしても高木沙耶。彼女のデビュー映画「沙耶のいる透視図」を池袋文芸地下で見たのはもう20年近く前のことだったけれど、いまだにあの時の彼女の思いつめたような表情と消え入りそうな存在感はよく覚えている。

 11月7日(木)
 青梅線小作駅下車、カシオ羽村技術センターにて佐野貴司さんに電波時計について話を伺う。電波時計というのは内臓されているアンテナで日本標準時をのせた電波をキャッチして時刻設定を行なう、10万年に1秒しか狂わないという精緻な時計。ちなみに日本では福島と佐賀からこの電波が発信されているのだとか。まったく知らなかった。
 ドイツでは20年前からすでに実用化されていたこの電波時計も、内臓アンテナの小型化の実現で、ようやく個人ユース商品になってきて、いまや家電店などでも販売されている。そして、佐野さんこそがこの小型化をはじめとした電波時計技術の日本最先端を行く技術者というわけ。難しい話はよくわからなかったけど、一生懸命に説明してくれる彼を見ながら技術者はすごいなあ、こんな仕事はいいなあ、なんて思っていた。もっともめったに時計をはめない僕には「10万年に1秒」のメリットは享受できないけど。

 11月8日(金)

 サッカー批評の半田編集長と渡辺カメラマンを連れてベルマーレへ。ここのところ僕がすっぽりはまっているNPOについてまたもや話を聞く。それでも今日は同行者がいたおかげで、フジタ撤退→存続危機あたりからの色々ないきさつも聞くことができた。僕一人だと何となくわかっていることなので、はしょってしまいがちな話も改めて具体的に聞くとリアリティが増す。何と言っても僕はベルマーレの人間ではないし、地元市民でもないし、存続のために頑張った一人でもないのだから。
 でも実は、少なくともマスコミの中では(特に中央のメディアに限定すれば)やっぱりベルマーレへの愛は誰よりも深く長い…と勝手に自認している。こういうことは勝手でも手前味噌でも、そう思い込めるかどうかがすべてなので、その意味では僕は少し離れたところにいるけれど、やっぱりベルマな人間の一人に入れてもらってもいいと思う。とにかくそんなこんなで半日大神のクラブハウスで過ごした。

 11月9日(土)
 ものすごく寒い。しかも僕が一日の大部分を過ごす居間のエアコンの調子が悪くて、部屋にいるのに毛布をかぶっている。かと言って修理する気はまったくなくて我慢すればいいや、と思っていたりするのだから、僕は本当に家事向きの人間ではない。
 夜中、お友達の漫画家さん宅へ。久々に会った彼女は相変わらず一見高慢ちきに、しかし痛々しく酔っ払っていた。

 11月10日(日)
 一日、うちで雑誌をめくり、面白いページ、感心するページ、仕事に役立つページ、好きなページなどを見つけては読み、読んでは破りしながら、未読雑誌の山を減らしていく。

 11月11日(月)
 アルゼンチン戦のメンバー発表@協会。会見を聞きながら、トルシエ時代とのあまりの変わり様、真っ当さを改めて感じ、同時にあまりのスムーズさに物足りなさも感じていたら、終了後にサッカーマガジンの北條くんがまったく同じ感想を。極論すれば「つまらない」のだ。トルシエ期は怒りとか呆れとか理解不能とかで会見直後には軽口もきけないような状態だったのだが、ジーコは何もかもが共感できるし、よくわかるし、つまり真っ当なのである。文句のつけようのない常識的なスーパースター代表監督を「つまらない」と感じてしまう僕たちはある意味、トルシエ症候群に悩まされているというべきかも。
 会見後、お仲間の渡辺さん、室井さん、浅田くんと軽くお茶のつもりが気がつくと夕方になり、あげくの果てには「一杯飲んでく?」。サッカー、業界、女、人生…と話題も流れに流れて普段見られない顔がちらりと覗いたりして、なかなか楽しい時間ではあったのだが、それにしても2時の会見に行って帰宅が12時すぎというのは、いい年した大人としてどうなのだろうか。それともいい年した大人にしては頑張っているということなのだろうか。まあ、僕にしてみれば仲間がいてよかったの一言に尽きるのだけど。

 11月12日(火)
 何を、どう書こうかと原稿について妄想のようにあれやこれや考えている。考えている時間が長すぎると、いざキーボードに向かった時に苦労するのはわかっているのだが。

 11月13日(水)
 小学館の山崎さんからのお誘いで歌舞伎町。本当にこの町は落ち着く。おかげで悪い癖が出てしまって、結局帰宅は翌早朝。

 11月14日(木)
 午後から翌朝まで原稿に取り組み続けるが、どうにもうまくいかない。のめり込むと感傷に流されすぎ、脳みそを使いすぎると味気なくなってしまう。思い入れの強いネタはそのバランスで苦労する。原稿は「サッカー批評」用、ネタはベルマーレ。

 11月15日(金)
 うまくいかないので天の啓示が降ってくるのを待ちながら、原稿以外のことで時間を潰す。もちろん明らかに言い訳だと気づいているのだが。
「原稿以外のこと」でもっともウケたのは20年前のカセットテープ。受験を目前にした高校三年生の冬、友人の田端、川口と自作の曲を歌っているテープが偶然出てきたのだ。いやあ、あまりの照れくささに鳥肌立ちました。でも、いい記念だからとMDにダビングしておく。

 11月16日(土)
 セレッソ大阪のJ1昇格決定。今季僕が見た試合でのセレッソは相当ひどいサッカーをしていたわけで、それでも2位を確保できるメンツはやっぱりJ2では図抜けていたのだと思うし、だからこそ優勝できなかったのだとも思う。こういう文脈は、来季J1では苦労する…と結ばれがちだが、それとこれとは話が違うわけで、来季のセレッソがどうなるかは来季になってみないとわからない。
 夕方から翌朝まで原稿に没頭。

 11月17日(日)
 朝9時ごろ原稿アップ。頭のクールダウン後、就寝。
 起きたら夜だったのでファミレスで早朝までぼけーっと考え事したり、読書をしたり。

 11月18日(月)
 銀行、美容院、買物など午前中に雑用こなし、昼に仮眠して、夕方から原稿。

 11月19日(火)
 主に原稿書きの一日。

 11月20日(水)
 日産自動車本社にてフェアレディZの開発責任者・湯川伸次郎氏に取材。リバイバルプランを達成し経営危機から生還した日産が、社内外へ向けて本当の意味での再生を宣言するシンボル、それがZの復活だった。
 銀座から浦和美園へ南北線直通埼玉高速鉄道にて。ギュウギュウ詰めでなおかつ蒸し風呂状態の車両は不快指数がかなり高く、現実に貧血で途中下車する乗客も出る。「混雑してご迷惑をおかけてしています」という空々しい定番アナウンスを聞きながら、これほどの高度サービス時代に鉄道会社は怠慢ではないかと腹が立ってくる。おまけに「この列車はワンマンで運転されています」なんて車内放送まで。
 実は先週もたまたま乗り合わせたラッシュの山手線で急病人が出たのだが、車掌が現場に辿りつくまでに十数分も要したのだ。考えてみれば、数千人の乗客に対して鉄道会社の社員は運転手と車掌のわずか2人。これでは最初からサービス放棄だし、それどころか責任も放棄していると言うしかない。とにかく劣悪な環境と信じられないほどの低サービス。諸事情(人口の集中とか地価の高騰とか)あるにしても、もう少し何とかするべきではないだろうか。金とってるんだから。
 日本代表対アルゼンチン代表@埼玉スタジアム。前半互角に近い戦い…に見えたのは大きな勘違いで、アルゼンチンはノーリスク、ノーチャレンジで慎重に戦っていただけだった。終わってみれば2対0。実力通りの結果というにふさわしい。もちろん、評価すべきはそれくらいの実力を日本がわずか10年足らずの間につけたこと。奇跡的にすごいと思う。
 日付が変わる頃、都内に戻って食事&飲み。お仲間の田中くん、芳樹くんと日本代表とかサッカー誌とかフットサルとかで盛り上がって朝7時まで。

 11月21日(木)
 さすがに夕方まで爆睡。うちに泊まった田中くんは昼には取材に出掛けて行った。えらい。
 夕方から夜までテレビの前でだらだら過ごして、夜中から朝まで原稿。中休みは深夜再放送中の「IWGP(池袋ウエストゲートパーク)」。今日が最終回だったのだけど、本放送時から若干カットしてあったような。気のせいかな。脚本宮藤官九郎、演出堤幸彦、助演窪塚洋介。いずれもこのドラマで「おおっ」と気になった人たちだった。

 11月22日(金)
 気がつけば今週はずっとソファで寝ている。睡眠時間が不安定で、なおかつ睡眠時刻が不規則すぎるので、ベッドに向かうのがかったるくなってしまうのだ。エアコン不調で南極みたいな部屋のソファでわざわざ毛布にくるまって寝る僕はあまりに自堕落だが、そんな僕に付き合ってくれるマンちゃんは素晴らしく立派な猫だ。上(寝室)に行って寝てもいいんだよと声をかけても、文句一つ言わずに隣で寝ているのだから。それにしても寝室にまったく入室してないなあ。あっちはエアコンも動くし、布団もちゃんとあるのになあ。

 11月23日(土)
 ジュビロ磐田完全優勝。昨シーズン通年で圧勝しながらJレギュレーション上は2位に甘んじた理不尽を見事に自力で晴らした。2ステージ&チャンピオンシップ制度への疑念が明日以降、メディアに散在するはず。
 それにしても完全優勝でチャンピオンシップがなくなると当事者だけでなく、Jクラブすべてが減収になってしまう…なんて妙なプレッシャーと戦わなければならないのは明らかに妙である。勝っちゃダメよなんてスポーツはあり得ないのだから。
 余談ながら高校スポーツなどで結果(勝利)よりも課程(努力、練習)が大事という文脈を使う人がいるが、あれもおかしい。確かに過程は大事なのだが、それはあくまでも勝利を目指す過程だからこそ。勝っても負けてもいいただの過程なんて、過程ですらない。
 ちなみに高校サッカー岡山県予選での誤審事件はそういう話とは違う次元での大失態。大人も失態を犯すという好例であり、失態を犯した時にどう対処するかを子供に示す機会ではあったのだが。決着を子供たちがどう受け止めたかによって、次の社会が形成されていくのだから、大人にとっては失態の後こそが大事なのだと思う。

 11月24日(日)
 久々に早寝早起き。しかも今日は寝室のベッドで目覚めた。朝から昨晩ビデオに録っておいたドラマ「成り上がり」を見る。御存知、矢沢永吉激白集のドラマ化。ちなみに原作のライターが若かりし糸井重里というのは有名な話。主役のTOKIO松岡、星野真理の爽快さと活力がよかった。まだ何者でもない若者の煌めきと不安、夢と焦燥を懐かしく思う。そして懐かしく思い出している場合ではないと自戒しつつ、心が引き締まる。こういうドラマはありがたい。
 湘南vs川崎@平塚。J2最終節。今季のベルマーレは5位でフィニッシュ。最終戦はぱっとしなかったが観客10万人突破(この日の7771人で。ちょっと「マジ?」と思ったけど)、NPO設立、何よりもチーム力アップといいシーズンだった。低空ではあるが経営も安定してきたし、来季はそろそろ目標を明確にして結果を求めるべきだと思う。何かを目指して戦わないと惰性になってしまうので。そういうムード作りを及ばずながらコツコツやりたいと最近考えている。
 都内に戻って小崎くんとファミレスで近況報告。スカパー退社後、彼は新たな事業、医療法人とスポーツのコラボレーションという興味深いプロジェクトに挑戦中。それにしても小崎くんはヒト持ちだ。こういうのは才能というに値すると、いつもながらに感心する。

 11月25日(月)
 小雨の中、吉田美奈子ライブ@渋谷AX。時に野太くたくましく、時に切なく凛々しく、歌唱もここまでくればまさしくアート(いつの間にか歌手=アーティストと呼ばれるようになっていて「?」と首を傾げる方々もたくさんいるけど)。あと指先の動きがとてもきれいで見とれてしまった。

 11月26日(火)
 ぺりかん社の塚本孝之氏と初対面での打ち合わせ。「なるにはBOOKS」というシリーズで「プロサッカー選手になるには」という企画。はじめありがちな就職モノかと思っていたら、塚本氏曰く「時代を切り取るような」本を目指しているとのこと。既刊数冊を見せて頂いたら確かに短絡的なHOW TO本ではなく面白そうだったので、お引き受けさせて頂くことにした。この手の打ち合わせは大抵の場合、最初に電話を受けた時点が一番面白そうで、直接話すとトーンダウンし、実際に作業を始めるとどんどんつまらなくなってしまうパターンが多いのだが、今回はその逆というのがいい。
 ちなみに「なるにはBOOKS」は現在110数点が既刊。つまり110数職業揃っているわけで日本最大級の職業ガイドシリーズ。データベース化すれば相当なものだと思うが、それは僕の範疇ではない。

 11月27日(水)
 ここ2、3日早起き、というか夜中から早朝に目覚めている。今日は午前中に仕事を終えて、午後はファミレスで読書など。
 週刊宝石時代の仲間、山崎さんからTEL。昔話も交えながら久々に長話。山崎さんとはあの頃毎日のように遊んだり、飲んだりしていたのでエピソードには事欠かない。そんな彼も僕の少し後に宝石を辞め、その後医学誌の編集者として勤め始めてもう十年近く。酒飲みで僕以上に社会人向きではなかった彼が立派にサラリーマンとして勤続し、そればかりか結婚、子育て、マイホームと家庭生活もこなしていることに僕は密かに驚きと敬意を抱いていたのだが、やっぱりそろそろ虫が騒ぎ出したらしい。何歳からだって何かを始めることはできるし、何かを変えることもできるさ、みたいなことを昔の仲間に伝えたいと思いながらしゃべる。

 11月28日(木)
 講談社から出たばかりの「類語大辞典」6500円ナリを購入。例えば「まねる」とひくと「真似る」「真似」「見習う」「模する」「コピー」「なぞる」「引き写す」「顰に倣う」「糟粕を嘗める」と類語が出てくるスグレモノ。実は新聞広告で見た瞬間から欲しかったのだが6500円は高いよなあと躊躇していたのだった。そしたら、なんと仕事場奥の小物入れから図書券5000円分が出てきたではないか。これは「買っていいよ」というお告げに違いない。しかもこの図書券は幼稚園か小学校の先生から何かのお祝いか激励に頂いたものと思われ、だとすれば大辞典という恒久的に利用できるものに使うのが筋も通ると思ったので。帰宅後、早速小1時間ページをめくり続ける。なかなか楽しい。

 11月29日(金)
 お友達の平林さんのライブ「MAYUMI's Cafe@代官山」。久々のMayumiライブはピアノ弾き語り+αになっていた。αは電気音から自然音まで。音とリズムが増えることでシナジーが得られているのかどうかは僕にはわからないが、いつものようにMayumiさんは気持ちよさそうに歌っていた。気持ちよく歌って、気持ちよくしゃべって、お客さんたちを気持ちよくできる音楽というのはすごいなあ、と思う。以前、知人の演歌歌手にも言ったことがあるのだが、ステージに立って瞬発力で何かを発散できる人を僕は尊敬する。あとゲスト共演していた岡さやかさんはちょっとした発見だった。

 11月30日(土)
 J1最終節。広島の降格が決まった。上村の離脱が今季のサンフレッチェにとってものすごく大きかったことが伺える。もちろん本人にとってもワールドカップをふいにしたのだから過酷な一年だったに違いない。一方、いつまで経っても突き抜けきれない久保には苛立ちさえ感じた。
 夜はうちで鍋。いつものように田中くんが手際よく準備をして、サッカー仲間と夜中まで。



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2002年11月