3月1日(土)
 雨。ゼロックススーパーカップ@国立。後半に入ってジュビロがジュビロらしいサッカーへ豹変した。ポジショニングがアクティブになり、ボールが動くようになり、サッカーが踊り始めたのだ。結果、3対0。これで「やっぱりジュビロ」でシーズンに突入できそうだ。それにしても1点目をとった時の俊哉の喜びように彼らの心中が見える。平気のへっちゃらみたいな顔してたって内心はやっぱり穏やかではなかったのだ。余談ながらいま書店に並んでるスポルティーバのタイトル「がんばれジュビロ以外」もこれで生きるというもの。
 会見の後、そそくさと国立を後にして表参道へ。親戚の結婚式に上京している両親と会う。うちへ来たり、食事をしたりと4、5時間を共に過ごす。僕にとっては結構大変な仕事だったりする。

 3月2日(日)
 どうしていつもいつもこうなのだろう、と大変大変疲弊した一日。とにかく生産性のない徒労感はどうにもこうにもやりきれない。

 3月3日(月)
 終日在宅。原稿書きなど。

 3月4日(火)
 僕自身は本質的に何も変わっていないのに、周辺がわさわさしていて、何だか人生が騒がしくなっている。何もかもに耳を塞いで放ったらかしておく手もあるのだけど、さてどうしたもんだろう…と考えていたら一日があっという間に過ぎていってしまって。

 3月5日(水)
 桜の開花予想、東京は3月26日とのこと。ということはアメリカ遠征が行なわれた場合はドンピシャ…。今年もまたお花見ができないのだろうか。嗚呼。とても悲しい。

 3月6日(木)
 またネット心中だと思われる事件が起きた。しかも今回は三重県津市の山中。あの山は長谷山といって、僕が高校時代には野球部の冬の修行で登山マラソンをする場所だった。あの山道を死ぬために車で登っていった彼らの心中を想像しようと思ったけど、まったくとっかかりさえつかめなかった。だって僕たちはあの坂道をはあはあ息を切らせながら走って登ったのだ。とてもきつかったけど、「明日」へ向かって自身を鍛えるために登ったのだ。もがきながら。その同じ山道であるからこそ、だから僕には全く彼らのことを想像することができなかった。

 3月7日(金)
 最近マンちゃんの食欲がすごい。元気なのはいいことだけど、一体どうしたことやら。春だから?

 3月8日(土)
 ナビスコカップ第1節、横浜F・マリノス対FC東京@横浜国際。岡田マリノスへの興味のせいか、ものすごく報道陣が多かった。といってもマリノスのサッカーがものすごく変わったようにはこのゲームに関しては見えなかったけど。僕はむしろFC東京の前4人、阿部、ケリー、戸田、石川あたりのゴールへの勢いが魅力的に映った。
 というわけでJリーグ開幕。来週にはJ2が、さ来週にはJ1も開幕する。といってもその翌週には日本代表のアメリカ遠征でいきなりインターバルが入ってしまう。いよいよ球春到来!みたいなムードにならないこの「さみだれ開幕+すぐにお休み」には僕の周囲では懐疑的な声が多い。

 3月9日(日)
 最近「金八先生」にはまっている。実は本放送ではただの一度も見たことがないのだが、再放送を見れば見るほど感心したり、共感したり、納得したり、時々うるうる来たり。それに3Bの生徒が変わるたびに時代の流れや、その時々の社会情勢などが垣間見えるのも面白い。「高校教師」がいま一つ不作なだけにこのドラマの普遍性を際立って感じるのかもしれない。ちなみに現在再放送中はパート4。杉田かおる「15歳の母」の子供、歩くんが立派に育って3年B組在籍中です。

 3月10日(月)
 日経平均株価が8000円を割った。バブル最高時と比べれば、日本株式会社の価値は5分の1に下落したことになる。もちろんデフレで貨幣価値自体が変化しているから単純比較はできないが。
 今日の「金八先生」はコーラスコンクール。ドラマを見ながら、僕が中学3年生の頃に経験した同じような出来事を思い出した。僕たちのクラスはコーラスコンクールで「翼をください」を歌い、1位になった。衝突したり、反目したり、色々あったあげくに結束した結果だった。細部はまったく覚えていないのだけど、ものすごくいい思い出として20年以上経ったいまも残っていたりする。なんでコーラスコンクールなのかはわからないけど、日本中に僕のような思い出がある大人がたくさんいるのかもしれないなあ、だから脚本の小山内さんもコーラスコンクールを題材にしたんだろうし。

 3月11日(火)
 久々に完徹。昨夜中からロイヤルホストで原稿を書いたり、仕事の整理をしたり、本を読んだりしながら朝を迎え、帰宅してそのまま原稿書き。午後は洗濯、片付けなどをこなし、夜は近くのデニーズで打ち合わせ。そんなわけで、ファミレスで始まりファミレスで終わった一日。

 3月12日(水)
 国連って何なのだろう? 安保理って何? 常任理事国? 拒否権? アナリストの玉石混交の話を聞いたり、読んだりするたびに強まるのは無力感ばかり。何だかなあ。一人の市民として粛々と日々を全うすることこそが大切なのだと自分に言い聞かせるが、それにしてもなあ。

 3月13日(木)
 アメリカ遠征。エアの手配だけは一応すでにしていたのだけど、ホテルもそろそろ何とかしておかないと、というわけでネットで探してみる。ヨーロッパと比べて割高な感じだった。ま、僕にとっては初めての海外旅行以来、十数年ぶりのアメリカ行き。知識がないのはしょうがない。ちなみにサンディエゴの場所も、今日初めてちゃんと知った。

 3月14日(金)
 またもやイレギュラーな生活サイクルにはまり込んでいる。ちなみに昨日も今日も寝たのは遅いAMで、起きたのは早いPMだった。

 3月15日(土)
 J2開幕戦・湘南vs山形@平塚。ベルマーレ2対0と完勝スタート。湘南のフラット3はまだ不安定ではあったが、やろうとしていることが感じられる90分だった。それは山形も同じで、だから個々の能力はともかく、内容的には十分見応えあるゲームになった。それはいいのだけど、試合後の会見でのサミア監督が何だかトルシエ的な振る舞いで…。4年間の代表取材での疲弊を思い出し、もう二度とあんな思いはごめんだと悪夢が蘇り、げんなりしてしまう。ちょっと過剰反応かもしれないけど、その他にも気になることもあったりして、お願いだからベルマーレらしさを失わないで、と個人的感傷に浸りつつ、祈る。
 なんて言いつつもやっぱり開幕白星スタートは気分がいい。帰りの東名は少し渋滞したりしたのだけど、そんなのもへっちゃらだし、帰宅後にはベルマーレホームタウン弁当を開いてさらに上機嫌になる。この弁当はベルマーレのホームタウン7市3町のそれぞれの特産が入っていて(平塚市はハム、秦野市はきゅうり、小田原市は蒲鉾、茅ヶ崎市はしらす、てな感じで)、ご飯にいたってはサポーターが田植えをし、稲刈りして作った米を使用している。弁当を作ったのはベルマーレの選手食堂を支えるボランティアのみなさんで、もちろん売り上げは選手食堂の運営に充てられる。おまけにこの弁当はベルマーレHT新聞の山下編集長が僕のために買っておいてくれたもので…。
 ベルマーレの試合を見て、ベルマーレの勝利を喜んで、ベルマーレの弁当に舌鼓を打つ。なんて正しい一日なのだろう。

 3月16日(日)
 J2・大宮vs新潟@埼玉スタジアム。試合後、アルディージャの菅野監督は相当ムカついていたらしく、「前半、これは勝敗にかかわらずいいゲームになると確信していたのに、たった一つの部分のせいで、いい流れが断ち切られた。せっかく観客にいいゲームを提供できたのに、日本サッカーにとっても残念なこと。とにかくあの前半の内容を、今後は誰に邪魔されることなく続けられるようにしたい」と抑えた口調ながら恨み節をつらつら。確かに、まったく荒れる必要ないゲームを「たった一つの部分」=主審が壊してしまった残念な試合だった。

 3月17日(月)
 アメリカ遠征メンバー発表@サッカー協会。海外組7人は全員招集。なかでも能活に会えるのが何だかとても楽しみ。それはさておき、平田GSはどうなんでしょうかねぇ。

 3月18日(火)
 日本時間午前10時、ブッシュ米国大統領がTV演説でイラクに対して「48時間」と最後通告。もはや戦争についてとか、アメリカについて、とか考えるのが無意味に思えてきたので、「48時間」の方についてぼけーっと考えてみる。例えば48時間前、僕は何をしていただろうかとか、48時間後に何をしているだろうかとか、この48時間に何をしたかとか、これからの48時間に何をするかとか。その結果、自分がいかに自堕落な怠け者かを再認識させられることになり、だったら僕が無駄にしている48時間を寄付してあげるから、戦争までの猶予を96時間に延長してもらえないだろうか、なんてまったくもって子供のようなことを想ってみたりする。そして、ああ、お金は寄付することができるけど時間は寄付することができないんだ、と自明の真理に改めて気づいて、ちょっとたじろぐ。
 もちろん僕と違って48時間をものすごく有効に遣う人もいて、例えばウォーター・ヒル監督の映画「48時間」ではニック・ノルティとエディ・マーフィーが出会い、反目し、その末に友情まで築き、そればかりか一仕事終わらせてしまう。そういえば僕だって去年の6月には48時間の間に日本と韓国を移動しながら3試合を取材したこともあった。あの頃はたとえ1時間でさえ寄付することなんてできなかったわけで、いやあ時間というのは伸びたり縮んだり面白いものですねぇ(なんて能天気風じゃないとやってられない)。

 3月19日(水)
 アメリカ遠征についての情報収集。ここへ来て業界内の噂は中止説にぐっと傾いているが、そもそもなぜ協会がここまでこだわっているのかがわからない以上、正式なアナウンスを聞くまでまでわからない。
 それにしても本当にどうしてここまでこだわっているのだろう。一旦は「中止」と決めたのだ。しかも、あの頃から状況はどんどん悪化しているのだ。にもかかわらずアメリカから帰国して以降、平田GSは「基本的には遠征を実施します」「開戦してもアメリカへ行きます」と不自然なほど頑なに遠征強行を主張し続けている。本当に不可解だ。
 今日はそのアメリカ遠征に僕が行く予定であることを知った知人、友人から電話が数件。みなさん心配してくれていて、大変ありがたいのだが、僕自身には自分の身の上への不安とか恐怖とか危機感がまったくないだけに、どうもいま一つピンと来ない。いや、ありがたくないわけではないのです。でも、この戦争に直接コミットできない以上、せめてサッカーを通じて取材したいと思うのは職業上当然の本能で、だから恐怖とか不安とかが二の次になってしまうのも致し方ないのではないかなあ、と僕は感じているわけで。

 3月20日(木)
 目が覚めたらすでに戦争が始まっていて、以後、テレビを注視。外国人記者のレポートで「イオウジマ」という言葉が何度か出てきて、ふいを突かれる。そういえば9・11直後の演説でもブッシュ大統領は「パルハーバー」という言葉を使っていた。今回、非支持へ回ったフランスに対しても、アメリカは第二次世界大戦での恩を持ち出したわけで、ああ見えてあの国は相当執念深いらしい。
 と思っていたら、この国の国会では総理大臣が「日本への攻撃はアメリカへの攻撃とみなすと、アメリカは明言してくれているんだ」と同盟国をありがたく奉っていた。しばしば言われている通り、日本人は相当物忘れの激しい国民性らしい。
 それにしても小泉首相の抗弁は、「金八先生」で気弱な生徒にガキ大将が言い放ったセリフ、「いじめられたら俺に言え。俺がおまえを守ってやるから」みたいで滑稽だった。戦争放棄を憲法で謳っている以上、ガキ大将の庇護に頼るしかないのは甘んじて許容するとして、このガキ大将は信じるに足る相手なのだろうか。沖縄をはじめ在日米軍軍人によって惨殺された日本人は一体何人いるのか。そのたびに繰り返される不誠実な対応は友情と呼ぶに値するものなのか。
 あ、もしかしたら友達ではなくて舎弟だと思っているのかもしれない。植民地とは言わないまでも53番目の州くらいには思っているのかもしれない。だとすれば守ってくれるよなあ。自分たちの領土みたいなものなんだから。
 ま、あまり愉快でないアイロニーはさておき、この戦争を機に日米安保への疑念が高まるに違いない。それが改憲論と結びつくかも…なんて書くと僕もネオコン扱いされかねないが、でも(イラク攻撃ですっかり小さなニュースになってしまったが)、今日出された教育基本法改正への最終答申をみれば、そんな予兆を感じても不思議ではないのではなかろうか。もちろん僕はそれを歓迎しているわけではない、念のため。

 3月21日(金)
 日本代表アメリカ遠征、中止が決定。なんだってここまで引っ張らなければいけなかったのかはさておき、ここ数十時間にサッカー界で起きた動きはとても真っ当だったと思う。
 そんなわけで僕の方は粛々と「キャンセル」の後始末。最小限に抑えたと思うが、それでも3万円くらいの損失。もちろんこれは仕事の一部、フリーランスである以上「込み」のこと。

 3月22日(土)
 J1、第1節、鹿島vs浦和。お楽しみのE・Eコンビはエジウソンが欠け、エメルソンもベストには程遠い感じ。オフの話題を集めたレッズはちょっと厳しいかな。両チームの右サイドバック、名良橋と山田が共にスーパーシュートを決めたが、勝負ではアントラーズがやはり一枚上。
 鹿島ということでは、ワールドカップ以来のカシマスタジアムの見易さに感嘆し、往復の渋滞には閉口した。

 3月23日(日)
 Jリーグを見たり、センバツを見たり、戦争報道を見たり、テレビの前でほぼ終日過ごしながら日本の安全保障と日米同盟について漠然と考えている。街頭インタビューなどで「米国支持」を「是」とする人のほとんどが「北朝鮮問題」をその理由に挙げているが、もしも万が一イラクの後、アメリカの矛先が北朝鮮に向けられた時、それも今回同様「先制攻撃」を仕掛けた時、それでも日本人の神経は耐えられるだろうか、日本人はそこまで好戦的だろうか、いや、そこまでタフだろうかと考え、懐疑的な気分になる。つまり日本のあちこちにある米軍基地から北朝鮮を目がけて戦闘機が飛び立ち、空母からロケットが発射されてもなお、日本人は「是」と言えるだろうかという疑問。

 3月24日(月)
 アカデミー賞授賞式@WOWOW。「ブッシュ、恥を知れ」と連呼したムーア監督はさすがにラジカルだったにしても、エイドリアン・ブロディ、ニコール・キッドマンらがあの場でああして発言し、また発言できるのがアメリカ人とアメリカという国なのだ(もちろん批判、非難、誹謗、中傷、ブーイングもあるにしても)と、アメリカ的愛国心の多彩さに遺憾ながら羨望を少し覚えた。
 夕方から原稿。進捗具合はかばかしくなく、結局、徹夜。

 3月25日(火)
 ぎりぎりまで遅々として進まない原稿に取り組み、そのまま6時半、鹿島へ出発。久々の代表合宿取材は何だかフレッシュだった。
 先発濃厚の川口能活が「抱負は?」と問われ、「その前に言わなければいけないことがある。戦争を何とかやめてもらいたい。その為にもスポーツで…」といきなり切り出した。彼がイングランドで生活していることもあるのかもしれないが、他の選手とはやはり一線を画す発言だった。そういえば中田もホームページにメッセージを掲出したとか、サッカーに限らず日本のスポーツ選手は政治や国際情勢に無関心過ぎるとか、スポーツ選手といえども大人なのだから社会にコミットするのは義務でもある……なんて話を知人としていたら、スポーツ選手に限らず日本人全体があまりに無頓着だ、ということで話が落ち着いてしまった。成人式の蛮行を挙げるまでもなく、社会人とか大人としての自覚を持たないまま成人した日本人がなるのは「大人」ではなく「労働者」なのかもしれないなあ。つまり、お金を稼いでいれば大人か?という素朴な疑問。
 鹿島から戻った後、昨晩からの続きの原稿に立ち向かうが、2時すぎさすがに視界が歪み始め……ギブアップ。

 3月26日(水)
 今日も鹿島。日本代表は紅白戦。ちょっとどうなのかなあ……という内容ではあったが、ま、紅白戦だしなあ。そんなことよりスタンドに鹿島のみなさんがたくさん詰め掛けて、選手に声援を送る風景が妙に斬新だった。とても普通のことなのだが、前任者の時代には考えられないことだったので。ファンが選手の姿を拝めたのはワールドカップ直前、日本平での紅白戦だけだったのだ。それもあの試合は有料だったわけで。
 サポーターに見せる/見せないだけでなく、ジーコ監督になって合宿の空気も激変。自由になり、自然な笑顔が見えるようになった。自由→緩み、という懸念がないとは言わないが、不必要なストレスを抱えなくてすむようになったのはいいことに違いない。
 そんなこんなで週末からこれで鹿島3往復。さすがにぐったり。それでも帰宅後、早朝までかかってようやく原稿アップ。

 3月27日(木)
 日本代表TR@国立。小野伸二の図抜けた運動神経を間近で見て感嘆。あと日本とウルグアイの選手たちがボールを蹴ったり、止めたりするのをすぐそばで見ながら真似してみて、やっぱサッカーは自分でやろうとすると難しいなあ、と当然のことを改めて痛感する。身振り足振りしながらのそんな運動談義の方が、戦術がどうのこうのとか、あのクラブのあの選手みたいなサッカー知識談義より、よっぽど面白いと思うときがある。やっぱり僕にとってスポーツは「やる」が一番、次が「見る」で、「語る」はその次という順番みたいだ。
 それに付随して言うと、最近サッカー専門誌でさえファン誌的趣きがかなり強いが、たまにプレーヤー誌(ストライカーとか、サッカークリニックとか)のフェイントとかキックの連続写真を手本に、その真似事を部屋でやってみると、とても楽しかったりする。残念ながらここ数年足の故障でまともに走ることさえままならない僕には、それを試す機会がないのだけど。

 3月28日(金)
 日本代表vsウルグアイ代表@国立。2対2の引き分け。日本の得点はPKと稲本のミドル、失点はDFのマークミスとGKのハンブルだった。試合後の報道陣にはジーコの「自由」に対してちょっとした疑念が芽生えつつあるような気がした。ムードとしての自由については僕は大賛成、というより不必要なストレスは絶対ない方がいい。戦術的な自由=甘さについては、これから厳しくしていけばいいんじゃないかなあ、と思っている。規律からスタートしてオリジナリティを要求するよりも、オリジナリティから始めてそこに規律を施す方が心地よくチーム作りができると思うので。その規律が自由やオリジナリティの中から芽生えた規律であればさらにいい。

 3月29日(土)
 横浜FCvs新潟@三ツ沢。今シーズンの昇格候補最右翼と思っているアルビレックスを見るのは今季2試合目。もっとも今日はなんだかものすごく緩い試合をしているように見えて、ありゃこんなんだっけなあ、と内心首を捻りながら観戦。で試合後にはやっぱり反町監督がものすごく怒っていた。「このタコっ!という試合だった」と。抑えようとしても込みあげてくるという感じで怒っていた。
 あと城彰二。ゴールに絡む仕事はきっちりしたのだけど、ほとんどそこだけだった印象。それ以上にボールやゲームへ立ち向かう姿勢として、ちょっとどうなんだろうと思った。でも試合後、少し話をきいたら膝の状態がよくなく、コンディションもまだまだということ。とはいえ効率的なプレーで1試合1仕事でOK、という年齢ではまだないわけで、早くコンディションを整えてぎらぎらしたプレーを見せてほしいと、クアラルンプールやジョホールバルを思い出しつつ、熱望する。

 3月30日(日)
 日大フェニックスの篠竹幹夫監督が明日付けで退任とのこと。大学スポーツ界のカリスマがまた消えて、スパルタや大和魂がさらに遺物になっていくのだとすれば寂しい。彼らがカリスマでありえたのは強烈な指導力と、それを作りあがるだけの自己追求と、それを発露できるだけの個性、つまりバックボーンがあったからこそだと思う。いわば男子の本懐、覚悟と潔さがあったからなのだ。そして外来スポーツで勝利を追及した彼らが辿りついた道はやっぱり大和魂だったのだと、スポーツ界のみならず昨今の内憂外患状況に想う。

 3月31日(月)
 銀行、取材アポなど雑用をこなす合間にマクドナルドをテイクアウトして公園へ。桜が控えめに開花する下で、先週より一枚薄着になって、ハンバーガーをほうばりながら読書。春だなあ、とじんわり。



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2003年3月