7月1日(火)
打ち合わせ、というか顔合わせ@東京プリンス。志ベースで一致すれば何の問題もないんだけど、そこを確認したり、合わせたりするのが一番難しく…、というかそこは無理やり合わせたりすることではないわけで。こういう役回りはちょっと疲れるなあ。
7月2日(水)
打ち合わせ、というか打診@渋谷。そのまま東京Vvs浦和@味スタへ行ったら、キックオフ2時間半前に到着。なんとAD番号が「2」番だった。すげぇ、こんなの初めてだぁとびっくりしたけど、さらに「1」番の人がいるということなんだよなあ。すごいなあ、気合入ってるなあ、その記者さん。
7月3日(木)
1年くらい前に現場で知り合った方とメシ飲み@新宿。偶然というか何となく再会のチャンスが訪れたので。実は1年前の印象が「ファッショナブルな有閑マダム風」だったので、きっと飯食って軽く酒飲んで「そろそろ」となるんだろうなあと思っていたのだけど、実際の彼女は超フランクで、そればかりか知識や教養に関してはもちろん、相手と自分の心に対しても聡明な人で。こういうのを嬉しい誤算というのだ、とすっかり楽しくなった僕は遅くまで引っ張りまわしてしまった。
それにしてもいるんだなあ、こういうヒト。大らかさとナイーブさのバランスが絶妙で、ちょっとびっくりするほどだった。人生はまだまだ捨てたもんじゃないし、世界は愛に満ちているぜ。
7月4日(金)
打ち合わせ、というか顔合わせ@電通。一昨日の「打診」を受けての第一回ミーティング。うまくいけばすごく面白いし、社会的意義もある仕事になると思うのだけど、さて。
それはさておき汐サイトにも電通の新社屋にも初めて行ったのだけど、ハイテクでシステマチックでキレイで感嘆したのだけど、なぜかあまり快適そうには見えなかったなあ。
7月5日(土)
夜、清水vs横浜@国立。マリノスが随分変わって見えた、これまではボール持ってても尖った感じがまったくなかったのが、今日のゲームでは矢印、それも太い矢印が随所で見えたというか。
そうそう、その国立へ向かう途中、246でほんのちょっとした接触を起こしてしまった。僕自身は車は走るものと思っているので、さほど気にもしなかったのだけど(そもそもこっちが悪いとも思わなかったし)、相手はそうではなかったらしくプワーンとクラクションが鳴って、とっても面倒臭そうなお兄ちゃんが肩怒らせ気味で歩いてきて、しょうがないので僕も車から降りて……。
と来れば乱闘か…と想像しがちだが、現実にはわずか5分後僕たちは肩を叩き合って別れたのだった(さすがに握手まではしなかったけど)。まあ彼にしてみたらせっかく怒らせていた肩を、まさしく肩透かしされた格好ではあったかもしれないけど、でもせっかく出会った二人なのだから仲良く別れた方がいいし、なんせ僕はこれから国立競技場にサッカーを見に行かなければならないし、とにかく面倒なことをやるヒマも気持ちもなかったので、笑顔とか声色とか話の内容とかちょっと工夫して対応してみたら、なかなかナイスガイな二人で別れることができたのだった。
で、ちょっと経ってから突然思ったのは、もしかすると本当に僕は意外と人当たりがいい奴なのかもしれない、ということ。「本当に」というのは周囲の人々からしばしば「カワバタさんって人当たりいいよね」と言われるので。自分自身では結構イケズな奴だと思っていたのだけど。意外と捨てたもんじゃないなぁ。あ、僕じゃなくて周囲の評価。
7月6日(日)
U20代表vs大宮アルディージャB@埼玉スタジアム第2。サッカー大好きライターの浅田くんに誘われて物見遊山で出掛けたのだけど、これがなかなか面白かった。ボールを蹴る音とか、攻め上がったサイドバックが懸命に戻る息遣いとか、大熊監督のとても試合中とは思えない難解な指示の声とか、そんなのがビビットに伝わってきて。やっぱスポーツってこっちだよなあ、「3−5−2」とか「戦術理解」とか、そんなの二の次だよなあとしみじみ思う。できれば自分も走り回れれば最高なのだけど。
7月7日(月)
終日自宅。秋へ向けての企画書を2本。
7月8日(火)
イランの双子姉妹、ラダンさんとラレーさんが亡くなった。頭部が結合したまま二人は29年間を過ごし、それぞれ法律家とジャーナリストになりたいという夢を持っていたという。その夢を実現するために医師団の反対を押し切り、手術へのチャレンジを命を失うリスクを覚悟で決めたのだという。結末は出血多量で二人とも亡くなるという悲劇だった。しかし、僕は彼女たちの勇気に、究極的なリスクを負ってのチャレンジに敬服する。
世間では大したリスクでもないのにうじうじ思い悩んだあげくに、夢へのチャレンジを諦めたりする話がごろごろ転がっている。翻って彼女たちは夢に取り組むために、その前段階で命というリスクを負って手術にチャレンジしなければならなかったのだ。それでもチャレンジしたのだ。リスク、リスクと口にして一歩も踏み出さない弱虫にはなりたくないと僕は強く思う。
あと国内ニュース。扇千景大臣曰く「(日本近海に)金、銀、コバルトが数十兆円分、埋蔵されていることがわかった。資源大国も夢ではない」。これって何? 僕の想像力ではどうもよくわからないのですが。確度はさておき、とにかく劇画みたいでピンと来なかった。
7月9日(水)
U20代表vsFC東京@小平。日曜と違って今日は報道陣もファンもすごくたくさん。おかげで僕は試合を見るより、知り合いと話すことの方に傾いてしまった。
そして……。2、3日前から奥歯に何かはさまったような新聞の記事が気になっていたのだけど、長崎の幼児殺害事件の犯人がなんと中学1年生だった。「12歳の子が4歳の子を殺すなんて…」と声を詰まらせた相談所所長の胸中は容易に共感することを許さない。傍観者の僕たちには想像できないほどの葛藤が渦巻いているに違いない。
ただ、誤解を恐れずに言えば、子供というのはそもそも残酷なものだと僕は思っている。人やモノや動物の体や心を傷つけることに関して子供は頓着がない。それは人生経験が短く、想像力の範囲が狭いからに他ならず、経験が増え、想像力を広げていくためには自分自身が傷を抱え、痛みを知る以外にはなく、それが「大人になる」ということの一面であって……というようなことを考えたりした。
7月10日(木)
「子供がわからない」と大人が言い、「どう育てればいいのかわからない」と親が言うのを街頭インタビュー@ニュースで聞きながら、何年か前にした少年犯罪についての取材を思い出す。神戸で中学生が児童を連続殺傷した後、少年の凶悪事件が相次いだあの頃、僕も何人かの人に会い、話を聞き、自分なりにその根っこを考えてみたりしたのだった。
あの時もやっぱり多くの大人や親が「子供がわからない」と言っていた。そんな戸惑いを前に僕もやっぱり戸惑ったけれど、その末に原稿の最後をこんなふうに結んだ。「僕たち大人も、かつてはみんな子供だったのだ」。
朝日新聞朝刊一面に「中田が東ハト役員に就任」。BCO(ブランディング・チーフ・オフィサー)になったのだそうだ。キャラメルコーンのパッケージデザインに関わったりするらしい。もちろん、そんなことはちっとも真新しいことではない。このニュースの肝はあくまで中田を「CMキャラクター」としてではなく、「役員」として起用したことの方なのである。
つまりどういうことかといえば、「役員に迎えたのであって宣伝効果を目的にしているのではない」と言うことで、東ハトはCMよりもソフィスティケートされたPR効果をあげたというわけである。しかも、たったの1200万円で。もしもCMキャラクターに起用したらそんなもんじゃすまないわけで。いやあ、東ハト新経営陣、賢い。
7月11日(金)
暑い、蒸し暑い、完徹、おまけにめったにないジャケット着用、というわけでグロッキーな一日(と書いてふと思ったのですが「グロッキー」ってどうなんだろう? 最近耳にも目にもしない気がするけど、これって死語?)。
ちなみに「徹夜」は今週2回目。ついこないだせっかく「優等小学生の模範的夏休み生活」になったのに、あっという間にこのテイタラク。しかも仕事してたわけでも何でもない、ただの自由な徹夜というあたりが情けなくもあり、僕らしくもあり。「ジャケット」はビジネスランチ@日比谷のため。めったに着ないくせに俺って夏用のジャケットを3着も持っているんだ、すごいじゃん!と昨晩思った。
7月12日(土)
女子日本代表vs女子メキシコ代表@国立。ワールドカップ予選プレーオフ。アウェーでの第1戦、アステカスタジアムには十万人の観客が集まった、という(本当だかどうだかわからないけど)大和魂を刺激される話に、日本のサッカー関係者が意地をみせた結果、2万人近いサポーターが国立に集結。しかも本気の2万人だったこともあって、ちょっといい雰囲気だった。
結果も2対0で日本が快勝。見事に切符を手にして選手たちは女泣き。ミックスゾーンで間近に見た彼女たちはとても清々しく、輝いていました。色んな苦労をしているからだと思うけど、率直に言って男子よりも豊かな顔つきしているような気もさえした。「顔つき」じゃなくて「顔立ち」の方に難癖つける人もいないわけじゃないんだけど、彼女たちはアイドルタレントじゃないわけで。
あ、あと後半半ば、メインスタンド前段で日本人女性vsメキシコ女性のバトルもあり。あまりの激しい戦いに日本男児、メキシコ男児ともに役立たず、みたいな状況に、やっぱ、いずこも同じなんだなあと妙な感心。それにしても大和撫子もすごくなったもんです。ラテンに一歩もひけをとらないんだから。
7月13日(日)
終日、原稿と企画。雨だったらしい。未明にゴミ出しに行くまで、家から一歩も出なかったので気づかなかった。
7月14日(月)
夕方、バイク便と宅急便が相次いで到着。「バイク便」は構成を頼まれている座談会のテープ起こし素稿、「宅急便」は異業種とのコラボレーション本の参考資料。
7月15日(火)
呂比須ワグナー@半蔵門。初対面の時、そして彼のお母さんが亡くなったあの秋など、彼にはいくつもの思い出がある。そのどの場面でも彼は誠実で人に優しい男だった。久々に会った彼は相変わらず礼儀正しく、思いやりに溢れ、同時に元ブラジル人らしくストレートで、要するにリスペクトしたくなる人間だった。
あと今日は奥さん+子供2人も同伴。家族の目的は取材に同席したベルマーレの遠藤さちえ広報。かつて外国人選手の世話係をしていた彼女と奥さんは、正真正銘の親友になっていたらしく、涙さえ浮かべての対面だった。さちえちゃんはいつも腰が低くて謙遜気味な人なんだけど、ポルトガル語もぺらぺらしゃべってるし、何よりも肩書とかタスクとかを超えた人間関係を築いていることがよくわかって、彼女に対してもリスペクト。もともと一目置いていたけど、やっぱこの人、すげぇなと。
あとあと呂比須家の人々が子供も含めてみんな感じがよくて、おまけに躾も行き届いていて、昨今の日本の家族事情を思うにつけ溜息が出た。夫と妻、親と子の関係というか尊重具合がすごくいいんだよなあ。
7月16日(水)
痴漢冤罪被害を訴えていた男性が、地下鉄車内でカメラ付き携帯電話で女性の下半身を盗撮し、捕まった。男性はこれも冤罪と言っているらしい。「何が真実か」は知らない。でも、結局、世の中は疑心で満ちていくばかり。何かを、誰かを、丸ごと信じることが難しい時代を、どんな心持ちで生きていけばいいのかわからなくなってしまう。懸命に快活に振る舞っている自分がピエロのように思えてしまう。でも、ま、自分の手の届く範囲くらい、無防備に人を信じられる世界を作り上げたいと僕は願う。理想=自然に快活。それが叶わないのなら、当面「作為すまいとする作為」の矛盾を抱えながらも、快活に振る舞いたいと思う。
7月17日(木)
夜中、ファミレスで「コラボ本」のテーマ、コンセプト、コンテンツなどをあれこれ模索。なかなか難しいけど、最終的にどんなアウトプットになるか自分でも楽しみ。
あと最近、馬鹿みたいに何冊もの本を並行して読んでいる。いまは仕事絡みを除いても小説、プロジェクト本、コラム集、ノンフィクションなど。本棚を眺めて、食指が動いた本を抜き出して、ぱらぱらめっくっているうちに読み始めて、1、2章読んで、部屋を移動して、読みかけの本の続きを読んで、また戻って…みたいな感じがなぜか楽しい。
あとあと最近、昔(中学時代とか)のカセットテープを引っ張り出して、カーステで聞くのがマイブームになっている。車が代わってCDだけじゃなく、カセットも聞けるようになったので。今日は「アリス」と「海援隊」のジョイントライブ。「遠くで汽笛を…」とか「思えば遠くへ…」なんかを熱唱しながら運転してたりする。信号待ちで通行人と目が合ったりすると思わず照れてしまうけど、それもまた楽しい。
7月18日(金)
夜、洗面所で黒い物体が走るのを目撃。実は今週2度目である。以前、「一匹いたら百匹いる」と聞いたことがあるが、今日の奴はこないだ見たのと同じ奴だと思い込むことにする。いくらなんでも百匹ということはないだろうが、十匹でもいようものなら僕的には大ピンチなので。一応、居間で寝ていたマンちゃんを無理やり起こして、奴が消えたあたりまで連れて行き、「ここにゴキブリがいるぞ」と言い聞かせておく。僕の知らないうちにマンちゃんが見つけてやっつけてくれるといいのだけど。
7月19日(土)
湘南vs札幌@平塚。本日の平塚競技場はアロハナイト(みんなでアロハシャツを着て盛り上げようというイベント)。そんなわけで僕もアロハシャツで出掛ける。とはいえ内心では「サポーターじゃないのに、この格好はもしかしたらちょっとマズイかも。一応仕事なんだし」と少々不安もあったのだが、スタジアムに着いてみればクラブスタッフもアロハだし、地元メディアのみんなもアロハだし、今日のゲスト呂比須もアロハだし。全然浮いてないどころか、妙な一体感があって、むしろいい感じだった。湘南っぽいし。
ちなみに呂比須に「土曜はアロハナイトだからね。アロハ着用だよ〜」と告げたのは何を隠そうこの僕である。そして、本当にそれを実行してくれるあたりが呂比須という男の人柄なのである。
そんなこんなで気持ちよく(試合を除けば。ちなみにベルマーレは完敗だった…)仕事を終え、「さあ帰ろう」という時になって事件は起きてしまった。なんと僕のかばんがなくなってしまったのだ。始めはすぐに見つかるだろうとタカをくくっていたのだけど、どれだけ探しても見つからず、クラブのみなさんにも、競技場のみなさんにも手を尽くしてもらっても見つからず……。結局、盗難の可能性もあったので、平塚警察署に届け、実況見分を行い、調書を作成し、すべての作業が終わったのは日付が変わる頃だった。
ところが、そんな面倒な状況だというのに僕はといえば、ちょっと嬉しくなったりしていたのだった。なぜならクラブの方々がずっと親身になって付き合ってくれたから。「ベルマーレはやっぱり暖かいクラブだなあ」と僕はすっかり感動して嬉しくなってしまったのだった。もちろん紛失であれ、盗難であれ、嫌な出来事には違いないのだけど、おかげでベルマーレの良さを再確認できた幸せなアクシデントでもあったのだ。すべての出来事には天使と悪魔が眠っているという好例。
7月20日(日)
昨晩のあれこれで結局、完徹。そのまま取材仲間と磐田へ。途中、SAで仮眠。
磐田vs市原@磐田。今季初めてのジェフ。なるほど本当にナイスチーム。前半はやや劣勢ではあったけど、それでもバランスを崩さず、運動量も運動質も豊富。後半の逆転劇も決してフロックではないとしっかり確信できた。もちろん、逆転の直後に同点弾を食らうあたりが、王者との差ではあるのだが。その点ではさすがジュビロ。ツボを心得ている。
試合後、再び東名をひた走り、深夜都内(西部)着。都内東部在住の達也さんの始発が動くまで、中山くんと僕と3人でファミレスで雑談。いやあ、大学生みたいだ。
7月21日(月)
土曜になくなってしまった僕のかばんが、ちゃ〜と発見された。素晴らしい。というわけで、止めたクレジット&キャッシュカードをなだめたりすかしたり、ちょっと怒ってみたり泣いてみたりして「復活」。1週間もカードなしでは困ってしまうので。
ちなみにかばんが発見されたのは「平塚競技場の外」だということ。やっぱり盗まれたのではなく、誰かが間違えて持ち帰りかけて、途中で気づいて放棄したんだな。正当な文句を言えば、誤って持ち去ったのなら元の場所まで返してくれーって感じだけど、でも、実はこういうことはしばしばあるらしく、僕自身も以前成田空港で同じ目にあったことがある。あの時はマドリッド日帰り取材という過酷スケジュールで成田に帰国して、おまけに翌朝には福岡へ行かなければならなかったから、JALの担当者に相当八つ当たりしたのだった。
そしたらやっぱり空港のまったく別の場所で発見され、深夜にJALがわざわざ車で世田谷の我が家まで運んできてくれたのだ。少々恐縮したけれど、「ありがとう。ご苦労さま」と凛々しく労をねぎらって僕は深夜の宅配便を受け取った。僕が怒ったのも真っ当だし、JALがわざわざ運んできてくれたのも真っ当だと思ったので。結局、無責任な人が一人いたけど周囲の真っ当な人や企業の力で最終的にはつつがなく終わったのだった。
でもって、何が言いたいかというと、要するに社会というのはこういうふうに成り立っているべきだろうということ。いつだって、どこにだって、無責任な人や問題を起こす人はいるわけで、それでも周囲がそれをカバーしながら全体として大きな問題なくやっていくのが社会とか世間だと僕は思うのだ。翻って、無責任な人や問題児をスポイルしていったり、見て見ぬふりしたり、ということが現代的な問題なのではないでしょうか、とちょっと問題提起してみたくなった次第です。
7月22日(火)
夜中、人気のないロイヤルホスト@環七にて、企画書、趣意書、自分用企画進行メモなどを延々と、しんしんと綴った一日。夜中になるまで何をしていたかはすでに忘却の彼方。
7月23日(水)
完徹。午前中、雑用。午後、ビデオ@自宅。
夜、日本五輪代表vs韓国五輪代表@国立。韓国の若者たち、とっても上手でした。縦に速い強いだけじゃなくて、テクニックもあるからなあ。アテネ五輪でメダルもまんざら絵空事ではないぞ、なんて仲間と話しながら観戦。
7月24日(木)
10時半、羽田発のエアニッポン機に飛び乗って八丈島へ。都内の自宅を出る時には寒いくらいだったのに、飛行機を降りると熱気がモアッと…。思わずほっとする。実は心配していたのだ。だって八丈島といっても日本なのである、おまけに東京都なのである。もしかしたらやっぱり冷夏…なんて状況もありえるのではないかと。なかなか明けない梅雨に見切りをつけて夏を求めてきた僕にしてみたら、八丈島まで出掛けて冷夏では目も当てられないので。
迎えに来てくれていたお友達の麻央ちゃんと彼女のお母さんと合流して空港を出る。暑い、嬉しいくらいに暑い。「東京から45分の亜熱帯」という謳い文句は偽りではなかった。
早速3日間泊まる「おざき荘」へ。そもそもこの旅は八丈島出身で実家へ帰省する麻央ちゃんに「いいなあ、俺も南の島に行きたいなあ」と僕がつぶやいたのがきっかけで実現したもので、宿の手配をはじめ、今回の旅では相馬親子に何から何までお世話になる、らしい。「らしい」というのも何なんだけど、至れり尽くせりの旅があまり好みではない僕の「放ったらかしにしててくれていいから」というお願いは、彼女の「訪れる人をもてなすのが島の決まりだから、そういうわけにはいきません(ピシャリ!)」という一言で一蹴されてしまったので。
「おざき荘」は神湊港に面した民宿で、基本的にはおばあちゃんが一人でやっているらしい。部屋の窓からは港とその先に海が見える。海=まさしく太平洋である。「部屋が禁煙」と「エアコン1時間100円」と知ってはじめ困惑したのだけど、何のことはなかった。他に泊まっている人がほとんどいないので、客室が5つ並んでいる2階は事実上僕の専有みたいなもので、喫煙コーナーもプライベートスペースだし(とても快適な空間で、滞在した3日間寝る時以外はほとんどここで過ごした)、ドアを開けっ放しにしててもいいので風が通って涼しいくらいだったのだ。
チェックイン(といっても「こんにちは」と玄関から入って、みんなでお茶を飲んだだけだけど)後、一旦相馬親子と別れた後、早速、宿から徒歩3分の神湊港へ。港の一番奥にある入り江で地元の子供たちや親子連れが泳いでいたので、僕も水着になって軽く泳ぐ。ここではダイビングの講習もやっていた。そんなに深さがあるようには見えなかったんだけど、後で聞けば5メートルくらいはあるとのこと。オープンウォーターの前半や体験ダイビング程度ならここで十分なのだ。実はCカードを持っている僕も久々に潜ってみようかななどと思う。八丈島にはスポットもたくさんあって透明度も高いらしいので。そんなこんなで夕方までは本を読んだり、地図を眺めたり、散策したりしながらのんびり。
神湊(かみなと)は江戸時代に島流しになった罪人が最初に上陸した港で、また島抜けしようとする流人が出帆した場所でもある。港のはずれに立っていた「流人の碑」にはこんな文句が書いてあった。「流人ソノ生活勝手タルベシ」。ここでは何の拘束もしないから勝手に生きていいよ、ということである。言い換えれば、何の助けもしないけど勝手に生き抜きなさい、ということである。その文句を眺めながら、思わず江戸時代の流人たちと、フリーランスの自分を重ね合わせてしまったりした。ちなみに江戸時代に八丈島に流された罪人は約1900人で、うち半数は刑期半ばに島で死んだとのこと。御赦免を夢見て夕刻には江戸の方角を眺めて涙を流す流人も多かったしい。その一方で、刑期を終えた後も島に残り天寿を全うした人もいたのだそうだ。
夕方、おざき荘から歩いて大賀郷の夏祭り会場へ。「歩いて」については相馬親子はじめ地元の人からは「えーっ」と驚かれたのだけど、僕にしたらこれは譲れないところ。自分の足で歩かないと道も覚えられないし、土地のこともわからない。それに歩くといったって2キロくらいのことだし。
夏祭り会場は出店とか抽選会とか屋台とかで賑わっていた。島名物の「光るキノコ」が近くに蘇生しているというので藪の中に入ってみたのだけど、蚊に刺されただけで発見できなかった。 メインステージでは奥田瑛二が島民に挨拶をしていた。8月に「るにん」という映画のロケをここで行なうらしい。エキストラの募集なんかもしてた。その後、歌謡ショー。出演者は八丈島出身の演歌歌手、美咲愛。何を隠そう麻央ちゃんである。彼女の帰省はこのショー出演のためで、要するに半分仕事、半分プライベートなのだった。
ショーが終わった後、相馬親子と合流して三根(みつね)にあるスナック「ライズ」で飲む。お店のママさん、せっちゃんも、たまたま隣り合わせた三姉妹も、みなさんフレンドリーというよりフランクでとても和む。そもそも僕はこういうシチュエーションが大好きだし、大得意でもあるので、しゃべったり、カラオケを歌ったり、楽しく過ごす。あと「島唐焼き(しまとうやき)」という島唐辛子をまぶした玉子焼きが美味だった。唐辛子に当たると激辛だけど。
12時すぎに宿まで送ってもらって、そのままバタンキュー。睡眠不足だったこともあるけど、旅に出るとなぜか快眠できるんだよなあ。自宅ではいつも不眠気味なのに。
7月25日(金)
5時起床。夜中に一度目が覚めた時、開けっ放しの窓からものすごくきれいな月を見たような。もしかしたら夢だったかもしれないけど。そして5時の目覚めでは朝日。神湊は島の東側に面しているから、太平洋を昇る朝日が真正面に見えるのだ。周囲を海に囲まれた孤島での朝日は格別に美しい気がした。
朝食後、あっという間にお気に入りスペースになった喫煙コーナーで、僕以外の唯一のお客さんと少し話す。コピー機のメンテナンスのために3ヶ月に一度島にやってくるのだそうだ。島にはそういう技術者がいないらしい。僕は「いい出張ですねぇ」と言ったが、彼は「暑いし、飲まされるし大変です」とあまり役得という感じではなかった。昨晩1泊だけして今日の夕方帰京するとのこと。どうせ週末なのだからもう1、2泊していけばいいのに…と僕は思ったが、「日曜はゴルフなんですよ」という彼には言わなかった。人にはそれぞれ趣向がある。
昨日と同じ神湊の入り江で少し泳ぐ。まだ午前中だったので人もいなくてプライベートビーチ状態だった。もっとも八丈島は火山の噴火によってできた島だから、沖縄みたいに白い砂浜というわけではない。溶岩が固まった岩場を歩くと足の裏が痛い。
昼におざき荘に戻って、再び喫煙コーナーでだらだらしながら本を読んでいたら、宿の長男のお嫁さん、ときこさんが掃除にやってきて、ついでに色々話をしてくれた。以前、八丈島を舞台にした小説を読んだことがあるとか、宿の御主人が昨年亡くなったので、おばあちゃんも少し元気がなくなったとか。僕はたまたま読んでいたリリー・フランキーについて「一部ではすでに注目されていて、これからブレイクするかもしれない」なんて話したけど、自分の話が薄っぺらい気がして、もっと地に足のついた話はできないものかと思う。とりあえず「初めて来たんですけど、いいところですねぇ」なんて言って、その流れで「いまは東京に住んでますけど、生まれたのは九州で、その後、関西にいて…」と自分のことを話しながら、やっぱり僕はどこの土地にも属してないのだなあ、とちょっぴり寂しくなったりする。
午後、宿から歩いて20分くらいのところにある底土(そこど)海水浴場へ。相馬親子がおにぎりを持ってきてくれたので、昨晩スナックから持ち帰った島唐焼きが入ったのとか色々な具を楽しみながら食べる。相馬のお母さんは塗装屋さんが本業なのだけど畑仕事もやっていて、今朝もぎってきたというきゅうりが最高にうまかった。彼女たちが帰った後、一人で少し泳ぐ。海水浴場とはいえ波が結構高くて、外海に面していることをひしひしと感じる。ここには観光客の若者たちもたくさんいて、5、6人のグループとかカップルとかなかなか楽しそうだった。みんなで来るのもいいかもなあと思ったりする。
夕方、再び歩いて大賀郷(おおかごう)の相馬家へ。犬、リュウの散歩に付き合った後、今日が最終日のお祭へ行き、ビールを飲んだり、焼きそばを食ったり、ステージに登場したカントリー外国人親子3人組の歌に声援を送ったり、その後に登場した今風の女性シンガーにブーイングを送ったり(東京だったら訳がわからないながらも「癒し系」として受け入れられるのかもしれないけど、ここにはそんな面倒臭い音楽に付き合うフクザツぶった聴衆はいないのだ)。
10時過ぎにおざき荘に帰る。そして今日もまた部屋に入るなり、バタンキュー。
7月26日(土)
5時目覚め。激しい雨、しかも寒い。おばあちゃんと二人で朝食の後、しばらく居間でだらだら。おばあちゃん、小崎エキさんは民宿をやりながら、書道とお花を島の子供たちに教えていて、今日も9時から生徒がやってくるとのこと。決して愛想がいいわけではないのだけど、ぶっきらぼうな所作の中に、ちらっちらっと生身の強さを感じさせる人だ。「お父さんもあと2年生きていたら(結婚)五十年だったのに」と言いながら、僕にお茶を入れてくれ、そのお茶と同時にこの前行った旅行の写真を「ほれ見ろ」と差し出したりする。その写真の中のおばあちゃんがまたとても楽しそうだったりするから、僕ははっとしたり、戸惑ったりしてしまう。
地元の南海タイムズという新聞(たぶん週刊)には「Nターン」「人口9000人割れ目前」「少子高齢化」といった見出し。それには驚かなかったけど、「景気がいいと転出者が増え、景気が悪いと島に戻ってくる人が増える」といった記述には目からうろこが落ちる思い。あと以前は定年後のリタイア組が東京から八丈島へ移住してきてたのだが、ここ数年は老後の過ごし方の意識が変わってきて、医療不安のある島へ移り住む人が減った、という話にもなるほどと思ったりした。
雨で外へ出れないので喫煙ルームで港を眺めたり、本を読んだり。そういえば、ここへ来てからまだ一度もテレビをつけていない。携帯電話(八丈島はドコモ圏内)も一応オンにしているけど、相馬家との連絡以外ではまったく使っていない。もちろんメールなんて打つ気にもならない。そういうことなのだと妙に感心したりする。ついでに、二十代の半ばに阿佐ヶ谷の飲み屋で知りあった「私の夢は結婚して、子供を生んで、景色でお腹がいっぱいになるようなところでその子を育てることなの」と言っていた女の子のことを思い出したりした。
階下に降りてみると書道教室の真っ最中だったので、ちょっと覗いてみたりする。本当は「あんたもやりなさい」とか何とか声をかけてもらって仲間に入れてもらいたいと思っていたのだが、おばあちゃんはまったく無視だった。結局、再び喫煙ルームで本を読む。そしたら、突然おばあちゃんがやってきて文庫本を「ほれ」と渡してくれた。昨日、長男のお嫁さんが教えてくれた八丈島を舞台にした小説だった。僕のためにわざわざ持って来てくれたらしい。ここの人たちはやさしいんだか、無関心なのだかよくわからないけど、不思議な嬉しさがあった。
午後、雨も上がり天気も回復。麻央ちゃんのナビ、僕の運転で島巡り。明日葉そばを食べて、郷土民族資料館を見て、南原千畳敷に立ち、東電の地熱発電所で島の成り立ちを勉強し、八丈富士に登り、宇喜田秀家の墓に参る。島の道路はワインディングとアップダウンがあって運転が楽しい。
夕食は相馬家で。おかあさんの手作り島料理がこれでもかというくらいに並び、そのどれもがものすごく美味しく、しかもその大部分がおかあさんが畑で自分で作った野菜で、最高の饗(もてなし)とはこれだなあとハッピーになる。
ちなみに夕食は相馬のおかあさんと麻央ちゃん、僕、それにお友達の赤松さん一家3人で賑やかに食べた。赤松家はお母さん、まさこさんがとても賢くてかっこいい人で、旦那さんのこうじさんはそのお母さんの尻に敷かれたポジションでにこにこと幸せそうに微笑んでいて、娘さんは唐十郎劇団に所属しているという個性的かつナチュラルな家族。娘さんの由美ちゃんは奥田瑛二の映画で方言指導をするために帰省しているのだそうだ。とにかく距離感がとてもいい感じで、なおかつ一人一人の輪郭もはっきりしていて、一緒にいてものすごく居心地がよかった。もっとも話題は娘さんと僕の東京での貧乏話がメインではあったのだけど。
そんなわけでたらふく食って、いっぱいしゃべって幸せな気分で相馬家を辞す。赤松さんに宿まで送ってもらうことになったのだけど、途中で赤松のおかあさんが「ちょっとドライブでもしますか」と言い出して、そのまま島の西側を1時間以上も巡ってくれた。久しぶりという娘さんの運転はかなり危なっかしくて、登龍(のぼりゅう)という九十九折の山道では対向車があったら絶対正面衝突だなという状態だったのだけど、僕はこの一家と死ぬならそれもありかな、なんて不埒なことを考えていたりした。
でもって何のためのドライブだったかというと、一家は僕にきれいな星を見せてくれようとして、あちこち探して走ってくれていたのだった。3ヶ所で車を止め、ここは明るいからイマイチだとか言いながら(明るいといってもちょっとした街灯があるだけなんだけど)、ベストポイントを求めて夜道を1時間以上も激走し続けたのである。最後に登龍の絶景ポイントで見た夜空は、星座すら描けないくらいに空全面が☆で怖いくらいだった。僕は以前、もう十年くらい前に沖縄の渡嘉敷島で見た夜空を思い出した。あの時、僕の隣には泊まっていたダイビングハウスのまだ小学生の娘さんいて、二人で次々と流れる星を眺めながら興奮し感動していたのだった。十年が経って、再びこんな空を、しかもやっぱり素敵な人たちと一緒に眺めることができる僕は幸せ者だとしみじも思う。そしてあの時にも想った、いつかここを終の住処にしたいなあ、という憧れをまたしても想い浮かべてしまった。
2時ごろ神湊に帰る。おざき荘への細い坂道を行く僕の足元を、赤松さんがヘッドライトで照らしてくれた。坂の途中で振り向いてみたけど、僕の方からは眩しくて彼らの姿はまったく見えなかった。でも僕は(かなり照れながらではあったけど)、笑いながら手を振って感謝の気持ちを伝えた。今晩見た星空も、刺激的な話を僕にふってくれるお母さんも、とぼけた調子で、それでも家族の重しになっているお父さんも、あくまでも自然体の由美ちゃんも、ずっと忘れないと思う。
7月27日(日)
7時起床。朝食後、早速いつもの神湊港の入り江でじゃぶじゃぶ。昼ごろ、とびうお会の浜遊びに交ぜてもらう。「浜遊び」というのは要するに浜でやるバーベキューみたいなもの。といってもテントを張って、飲み、食いし、それだけでなく海で遊んだりもする。ま、仲間内でやる宴会で、僕は相馬家のお客として参加させてもらったのだ。
昼過ぎ「友丸が出航します。乗りたい人はどうぞ」ということで、漁船に乗って八丈小島一周へ。カンカン照りと潮風と波飛沫とで、あっという間に肌が赤銅色に変わっていく。前半はとても爽快で、後半は船酔いもあって胃のあたりがむかむかする。島の人たちはとても元気で、僕同様、客として参加していた町立病院の人たちはちょっと大変そうだった。
午後、おざき荘でシャワーの後、相馬のおかあさんと麻央ちゃんに送ってもらって空港へ。おざき荘を去る時、おばあちゃんに挨拶しようと思ったのだけど、何と留守だった。誰もいない民宿で勝手にシャワーを浴びて、荷造りをしてドアを閉めて出て行くのも妙な気分だったが、ま、おばあちゃんらしいと思った。
八丈島空港に到着した時のおかあさんの素っ気なさすぎるほどの物腰もまた何ともいえない感じ。だからと言って僕も同じ所作はできないので、朝から考えていた感謝の言葉を伝えた。あっさりしていたおかあさんの表情が一瞬、柔らかくやさしく温かい色になった気がした。嬉しかった。心の中で小さくガッツポーズ。この4日間、おかあさんのものすごく自然なもてなしのおかげで、僕は八丈という島を自分の感性+αで感じることができた。別に娘の彼氏でも何でもない突然やってきたわがままな他人に、普通に当たり前の愛情と歓待をすることはそう容易いことではないと思う。いつもどこにいても最後の最後に思うことだが、やっぱり生活している女の人はすごい、のである。
麻央ちゃんとはチェックインカウンターで握手して別れる。とても気が強くて、僕とはしばしばぶつかる彼女だが、彼女がいたから僕は八丈に来れた。「無計画の計画」という概念に即して言うならば、彼女との出会いが僕をここまで連れてきて、そんな出会いこそがまさしく運命であり、摂理ということになるのだろう。
八丈島からエアニッポン、京成、JR、田園都市線と乗り継いで8時ごろ帰宅。島から自宅まで2時間半だった。近い。でも、やっぱり遠いところのような気が、羽田空港から自宅へ帰るまでの電車の中で人々の表情を眺めながら、してならなかった。
夜、留守にしていた間の新聞を読む。津高校野球部は今年は4回戦で敗退。三重県は暑い一日だっただろうか。カンカン照りのうだるくらいの暑さの中での終戦であればいいのだけど、と顔も知らない20年後輩たちを想う。
7月28日(月)
午前中、短い原稿を2本。昼、銀行、郵便局など雑用。午後、独自ドメイン取得に伴うホームページ、メールアドレスの移管作業。
夕方、古道具屋さん来る。うちの駐車場兼物置の奥に山積みになっている不要物を少しでも片付けたいと思って呼んだのだが、残念ながら引き取ってもらえたのはミニコンポだけだった。でも、そのリサイクルショップの親父がなかなか面白い人で、散々持論をぶち合った後、袖擦りあうも…だからと車で送ってくれる。東京に戻っても気持ちいいことが続いて、嬉し温かい。
親父に送ってもらって上目黒へ。P社の鈴木さんと都寿司にて食事。八丈の話をしたら、板さんの宮田恭男さんも俳優時代にロケで滞在したことがあるとのこと。その後、なぜか新宿まで移動して月夜野で飲み、歌い、少し酔う。ママのごつい車で送ってもらって帰宅。
7月29日(火)
昼間、短い原稿書き。取材の段取りなど。
夜、ドラマ「僕だけのマドンナ」を見ながら、岡田惠和氏は本当に「ふぞろい」が好きなのだなあ、と思う。「夢のカリフォルニア」にもそんなシーンがあったことを思い出して。
7月30日(水)
午前、取材の段取り。午後、東アジアサッカー連盟会見@セルリアンタワー。
夜、遠戚の久末さんと食事@渋谷。久末さんは来月、一旦田舎に帰るとのこと。彼女と会うのは2度目なのだけど、今日の僕は少し手厳しいことを指摘してしまったりした。もちろん愛情に根ざした指摘ではあるのだけど、こういうことを人に言う時の僕は観念的になりすぎていることが多いので、注意が必要だと自戒する。
7月31日(木)
夜、コラボレーション本の打ち合わせ@日比谷。僕の友人の友人が働いているこの会社は「外資」の「コンサル」と、いかにも僕なんかとは対極の人々が働いていそうな会社なのだけど、前回もそうだったけど、ものすごく話が合う。「合う」というより面白い。ますますアウトプットが楽しみに。
深夜、高校時代の親友、タバタからTEL。年に何度かある彼からの電話はストレスがたまった時。といってもいまや彼は4人家族の大黒柱で、長期ローンを抱えているとはいえ一国一城の主である。僕が手に入れることのできないものを2つも持っているのだから羨ましい、と逆説的な励まし方をする。
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