11月1日(土)
うちで鍋。一応、僕の引越記念という名目で。ま、そんなことは一応の名目に過ぎないのでどうでもいいのだけど、この家の一番よかったところは人が集まる家だったこと。駅からは遠いし、決して便利な場所ではなかったのに、たくさんの人がやって来て、飲んだり、食ったり、しゃべったり、寝たり、泣いたり、乱暴を働いたりしていく家だった。
実は僕はそのことにとても感謝している。少し大袈裟なことを言えば、僕の人生の中で、ここで暮らした5年半はそういうことがとても必要な時期だったからだ。だから、この家のドアを開けてくれたすべての人に――その中にはいまはもう僕の周囲にいなくなってしまった人もいるけれど、でもすべての人にありがとうと言いたい。別に面と向かって、わざわざは言わないけど本当に…。
ちなみに今日は田中くん、美樹ちゃん、ジャナ専さん、岩澤さん、浅田くん、中山くん、ユミコちゃん、その友達の沖縄さんとブルガリさん、それに僕も含めて総勢10人が三々五々集まり、三々五々散っていった。そんなルーズな感じもとても心地よかった。最近の僕のテーマの一つ、緩やかな連帯、に近い気がして。
最後まで残った田中くんと中山くんとちょっと真面目な話をして、早朝「鍋」終了。
11月2日(日)
昼ごろ起床。前泊の田中くんといつものように環七ラーメン。夕方、ナビスコカップ決勝前夜祭@新高輪プリンス。右も左も赤かった。終了後、まっすぐ帰宅して、引越の荷造り。
11月3日(月)
ナビスコカップ決勝、鹿島vs浦和@国立。選手もスタンドも記者席も浦和レッズな人々の集中力はすごかった。試合後のプレスルームで、11年間「我がチーム」と思い続けた人がこれだけたくさんいるレッズは本当にすごいし、幸せだと思う。
夜、岩澤さん宅へ。引越が終わるまでマンちゃんを預かってもらうため。
11月4日(火)
引越。朝9時ごろにダック引越センターさんが来て、てきぱきと荷物を運び始め、昼ごろに積み込み完了。その様子を見ながら、ここへ越してくる時よりやっぱり随分荷物が増えてるんだなと改めて。しかも、ここの建物は少し変わった作りで、おまけにトラックを家の前につけられないので、まず部屋から家の前まで荷物を出し、そこから台車で世田谷通りに止めたトラックまで運ばなければならないので大変そうだった。ちなみに今回のトラックは4トン車。そんな大きな車要らないんじゃないですか?と僕は疑っていたのだが、さすがプロ。ドンピシャでした。
昼食をはさんで午後、茅ヶ崎へ荷物の運び込み。こっちはトラックをドアの目前につけられるし、おまけに1階だし、であっという間に終了。そんなわけで夕方には新居に僕とダンボールの山だけが残される。少し寒々しい気分に陥りそうだったので、つべこべ言わずに、と自分に言い聞かせながら、「本」と表書きしてあるダンボールから開梱を始める。
夜、ベルマーレの真壁さんと遠藤さんが来てくれる。二人ともジャージ姿で。そんなことより何より驚いたというか、びっくりしたというか、喜んだというか、なんと二人と一緒に真新しい自転車がドアから入ってきのだ。本当にびっくりした。そして感謝した。ありがとうございます。
11月5日(水)
昨晩から引き続き、家の片付け。リビングの本棚にとにかく本を詰め込み、ダンボールを減らすことに専念する。
夕方、辻堂駅そばのホームセンター、湘南モール「FILL」にて買物の後、夜もダンボールを開き、中のモノを取り出し、詰め込み、ダンボールを折り畳み……をつべこべ言わずに繰り返す。
11月6日(木)
午前、車で都内へ。三茶の家に車を置いて雑用の後、地下鉄でお茶の水へ。JAWOCにて取材。
夜、岩澤さん宅にてマンちゃんをピックアップして、茅ヶ崎へ連れて帰る。車に乗り慣れていないマンちゃんはずっと怯えたように泣きっ放しで、正直辛い。さすってあげたり、声をかけてあげたりしてもあまり効果がないので、とにかく少しでも早くこの状態から解放してやろう&安全運転の両立に猛烈に励む。
深夜、茅ヶ崎到着。部屋をうろうろするマンちゃんの顔色や表情を大袈裟にならないようにずっと伺う。1時間ほど経って落ち着いたらしく、ソファに丸くなって寝た。ほっとした。心配していた岩澤さんも何度かメールをくれていたので、その様子を写メールで撮って感謝を添えて送る。
11月7日(金)
昨日と同じように午前、車で都内へ。三茶の家で雑用の後、地下鉄で半蔵門へ。尾崎加壽夫取材@パスインターナショナル。
仕事をしながらも新居に置いてきたマンチャンのことがどうにもこうにも気になってしょうがないので、取材と打ち合わせ終了後、即座に三茶に戻り、車を飛ばして茅ヶ崎へ帰る。
ドアを開ける時、少しドキドキしたのだが、マンちゃんは平気のへっちゃらで、これまで同様、僕を迎えに玄関に出てきてくれた。前の家と比べて導線が複雑な新居の間取りもすでに把握したらしい。もちろんトイレも完璧。他の猫と比べようがないが、マンちゃんは相当賢いし、センスのいい奴だと一人でものすごく感心する。とにかくこれで僕は自分のことに専念すればいいわけで、大変ありがたい。本当に手間のかからない立派な家族である。
11月8日(土)
朝7時半に自宅を出て都内へ。用賀で達也さんと浅田くんを拾って、関越道で新潟へ。
新潟vs横浜FC@ビッグスワン。スタンドはほぼ満員。でも人間の割には熱気を感じないなあと訝っていたら、開始4分、マルクスがPKを決めた瞬間、いや決まるコンマ数秒前、「Yeah!」と大歓声が上がり、あとはノリノリの雰囲気になった。もっとも駒場あたりと比べれば、ここのムードはあまりに健全で、僕は少し小奇麗すぎる気もした。
試合は新潟が3対1で快勝したが、川崎も広島も勝って本日の昇格決定はなし。
再び関越を東にひた走り、都内のファミレスで夕食の後、今度は国道1号線と横浜新道を西へ走って深夜、茅ヶ崎帰宅。疲れた。
あと関越のSAでアイスをかじったら突然前歯が折れた。びっくりした。痛みはないが、財布的に痛い。前歯を入れる余裕なんてまったくないので、当分はこの状態で笑顔を振りまく予定。
11月9日(日)
久々にのんびりマイペースの一日。お気に入りの湘南モールで照明器具と押入れ収納を購入。ようやくリビングに灯りがついた。晩飯はCOCOS。引っ越して以来、ファミレスメシがさらに増えた。
11月10日(月)
都内で雑用。夕方、三茶へ。両親が上京。なんと掃除を手伝ってくれる、というより、そのために上京したらしい。その辺の感覚は僕には理解できないが、人はそれぞれレーゾンデートルを感じるところが違うので、息子である僕はただただ感謝することにする。夜、二人を連れて茅ヶ崎へ。
11月11日(火)
午前、両親を藤沢まで送り、僕は片付けと仕事。
藤沢の帰りには、この部屋を見つけた不動産屋さんに挨拶がてら寄って1時間くらい雑談。抜け道とか歯医者の場所とかを教えてもらう。そういえば、いつだったか薄暮のラチエン通りで僕に手を振ったのは伊藤さんであることが判明する。伊藤さんは僕と同じ福岡の出身で家も近所なのだ。あと、その話をしている時に僕が「車の中がよく見えなくて誰だかわからなかったんですよ。そっか、伊藤さんだったんだ、助手席に犬かなんかいましたよね」と言ったら、「うちの子供!」と返された時には焦った。伊藤さんが大らかな心と洒落っ気の持ち主で「猿みたいだとは言われるけど、犬と言われたのは初めてよ」と笑ってくれたので助かったけど。
11月12日(水)
午前、両親を乗せて都内へ。第三京浜が事故渋滞で初めて2時間ちょっとかかる。
午後、プラネットブルーにお邪魔して、やらなければならない仕事をやり、電話線を借りて送る。ちょうど俊ちゃんがハワイから帰ってきた。真っ黒だった。いつもながら元気な人である。
U−20日本代表vsU−20オーストラリア代表@国立。ワールドユースの壮行試合とはいえ、ユース代表ごときがナショナルスタジアムで有料試合をやることに違和感を感じないではないが、日本サッカーはすごいことになってんだなあ程度の感想であまり深く考えないことにする。
試合後、光文社の編集氏とカメラマン氏と焼肉@四ツ谷の後、深夜三茶へ寄ってゴミ出しなどを済ませ、茅ヶ崎へ。3時ごろ帰宅。
11月13日(木)
小学館の小田氏と打ち合わせ、というか顔合わせ@藤沢。無印良品と湘南モールで買物をして帰宅後、片付け。とりあえず部屋自体は随分まともになってきた。でもカーテンは早く何とかしたい。
11月14日(金)
こないだの鍋で会った直江ちゃんがわざわざ来てくれて、ありがたいことに台所の片づけをやってくれる。本当にありがたい。
それはさておき、彼女の知人が先週殺人事件の被害者、つまり殺されたのだという。昨日まで生きていた人が突然もう存在しなくなることの理不尽さや、その後しんしんと染み出してくる喪失感でさえ耐え難いというのに、その死が人為的なものだったとしたら…と考えると、僕はただただたじろいでしまう。
11月15日(土)
湘南vs川崎@平塚。ベルマーレの今季ホーム最終戦。が、僕はキックオフ時間を間違えて後半途中からの観戦。結果は2対2。試合内容はわからないが、スタンドに久々の満足感が漂っていたようだったので、きっといい試合だったのだろうと思う。
とはいえスタンドには「ベルマーレの色は何色なのかはっきりさせろ!」の横断幕が出ていた。当然だと思う。こういうのが出なくなったら、もう終わりだとさえ思う。あと試合後の山田監督の挨拶の第一声、「みなさん!今日の試合はどうでしたか?」にはびっくりした。あんな明るい声出す人なんだ、山田監督って。
それにしても川崎。痛いなあ。
夜、ボランティアのみなさんの納会@平塚にお邪魔して、一次会、二次会、始発待ち三次会と朝まで。そもそもはちょうど忙しい時でもあったので一次会、それも途中退席も、と考えていたというのに結局しんがり組。僕はいつもどこへ行ってもこうなってしまう。どうも帰りたくない人らしい。いいのか悪いのか、わからないけど。
11月16日(日)
昼に起床。原稿書き。
11月17日(月)
東証一部上場のドラッグストア「ツルハ」取材@盛岡。新幹線を降りた瞬間、ぶるっ。まったく覚悟してなかったので、びっくりした。やっぱり盛岡は寒い。ちなみに盛岡の女子高生は東京同様の短さのミニスカートなんだけど、みんながみんなタイツを履いていた。この手の御当地ファッションというのはなかなか面白くて、例えば新潟あたりの女子高生はミニスカートの下に色とりどりのスパッツを履いていたりする。もちろん彼女たちはあれはあれでキマッていると信じているわけで、まだ世界が狭いからこそ平準化されていない彼女たちのファッションには局地的お洒落常識が反映されていて面白い。
帰りの新幹線では山形の看護婦さんたちと一緒になった。彼女たちの方から「これどうぞ」とお菓子を差し出してくれたのだ。「賢治ワールド(温泉&アミューズメントパークらしい)」に遊びに行った帰りだと言っていた。僕は山形に一度も行ったことがないし、行く予定もないので彼女たちとはこれっきりだけど、でも、こないだ一緒に飲んだベルマーレのサポーターの中には今週末山形へ行く人もたくさんいるわけで、Jリーグのすごいところはこういうとこだなあと思う。JFLも加えれば日本中あちこちに友達や知り合いや思い出のある飲み屋を作ることができるのだから。
昨夜完徹で、しかも盛岡駅地下、新幹線車内とビールやら焼酎やらウイスキーやらを飲んでしまったので、東京に着いた頃にはすでにぐったり。なので東京駅からは湘南ライナー、しかもグリーン車に乗って帰った。といっても駅員さんが急かすので面倒臭くなって乗ってしまったのだ。グリーン車がいくらなのかはもちろん、ライナー券が必要なことさえ僕は知らなかった。実を言えば、茅ヶ崎駅を利用したのも今日が初めてで、家から駅まで自転車に乗ったのも初めてなら、自転車置き場(一日100円だった)の存在も今日初めて知ったのだった。そんなこんなで、何はともあれフレッシュで興味深い一日だった。
11月18日(火)
原稿書きの一日。
昨日は渋谷AXでショーケンのライブがあって、伝説のよみうりランドEASTをはじめ、彼のライブの興奮を知る僕としては何が何でも行きたかったのだが、いろんなことがうまくいかなくて今回はしょうがないなと自分なりに納得して諦めていたのだった。それなのにお昼のワイドショーでその映像を見てしまって……嗚呼!って感じ。やっぱ行きたかったなあ。
11月19日(水)
原稿書きの一日。資料を掘り起こす必要のある仕事だったので、仕事部屋の片づけを兼ねて資料を探しつつ、原稿に立ち向かう。おかげで仕事部屋も随分整理整頓された。途中は大変だったけど、結果的には一挙両得。
夜中に小腹が空いたのでコンビニへ出掛けたら、星がめちゃめちゃきれいだった。三茶でもこうだったかなあ。いずれにしても原稿書いて、徹夜して、コンビニ行って、と何だか普通の生活に戻ったみたいで、妙に居心地がいい。
11月20日(木)
午前、原稿終了。昼から就寝、夕方、起床。寝ている間に着信のあった仕事の連絡などをこなし、夜はこの1ヶ月くらい不義理していたメールの返信など。
11月21日(金)
朝、俊ちゃんとサーフィン。俊ちゃんの友達で「波伝説」のオカズさんが僕のためにロングボードとウエットスーツをわざわざ持ってきてくれた。超ありがたかった。もっとも僕のはまだまだサーフィンと言える代物ではない。このくらいの年齢になってから初心者として何かを始めるのはかっこ悪いことこの上ないんだけど、でもずっとそういうことができる大人でありたいとも思う。
あと波待ちしている時、右を向くと江ノ島が、左を向くと富士山が誰にも何にも遮られることなく、すぐそこにあった。それだけで十分ハッピーだったりする。
11月22日(土)
午前中、家の整理。午後、仕事の整理。夜、原稿。
11月23日(日)
川崎vs広島@等々力。J2最終節。新潟@ビッグスワンの勝利で、フロンターレと石崎監督はまたしてもJ1に届かなかった。特に石崎監督はこれで3度目。「J2の名将」という呼び名が含んでいる微妙なニュアンスが、不吉な方に少し傾いてしまうのは致し方ないところ。本人も妙にさばさばしていた。あと舞台裏ではフロン太くんの係の女の子が涙を噛み締めていた。最近いつも同じようなことを思って書いているが、かわいそうなような、羨ましいような気分で僕は彼女をチラ見していた。
試合後、このゲームを観戦に来ていたベルサポのみなさんと合流して三軒茶屋で飲む。なぜ三茶だったかというと、それはまったくもって僕の都合だったわけで、おまけに旧宅の荷物の運び出しを手伝ってもらったりしたわけで、本当にありがたいなあと、自分の図々しさはさておきつつ、感謝する。
三茶で少し飲んだ後、山形へ応援に行っていたサポーターのみなさんと東京駅近くの居酒屋で合流して飲み。さらに未練がましい僕は近所の人たちを(たぶん)無理やり誘って藤沢で飲んだ。帰宅は3時か4時ごろ。今日はデーゲームだったはずなんだけどなぁ、と首を捻りながら就寝。
11月24日(月)
午後、起床。昨晩の残り香みたいなもので、誰かが言った「最後の彼氏」という言葉が蘇る。フレッシュとか初々しいとか、主に「最初」についていつも意識を集中して生きている僕にとって、「最後…」という言葉は普段忘れているふりしてることを目の前にすっと差し出されたみたいで、ドキリとしたのだ。そして僕の親友だったシュウジと、その「最後の彼女」のことを久しぶりに思い出した。シュウジはもうこの世にいないし、「最後の彼女」は結婚して子供を産んで元気で暮らしている。死んでしまった友達も、妻となり母となり日々をしっかり生きている彼女も、そんな人たちのことを時々思い出す僕も、みんな等しく正しいと、何がどうであれ僕は思う。
11月25日(火)
札幌。市内に入って腹ごしらえに入ったラーメン屋での「初恋@松山千春」に始まり、「津軽海峡冬景色」、「バラッドをお前に」など状況と気分にぴったりなBGMにそれぞれの場所で恵まれた一日。
取材対象は、すすきの近くのビジネスホテルで、不況にあえぐ北海道にあって客室稼働率90%をずっと達成しているアートホテルズ札幌の副支配人。
取材が終わった後、夕方の早い時間から編集の鈴木さんとすすきのへ。飲み屋街に造詣が深い鈴木さんはすすきのにも詳しくて、ぶらぶらしながらあっちの店、こっちの通りについて思い出とウンチクを語ってくれる。ちなみに本日僕たちが巡った1軒目は気さくなお母さんがとてもよくしてくれる料理がおいしいメシ飲み屋。中でもハッカクの刺身は超美味だった。2軒目は僕たちの趣向を感じ取ってくれず、一方的にシステムを押し付けてくる、いかにものお店だったので危うくケンカ一歩前で退店。3軒目はいわゆるキャバクラ。東京と同じようにかわいい子もいたし、そうじゃない子もいるんだけど、僕自身は「どうせ札幌だしな」感があって、いまひとつその気になれなかった。
そんなわけで早々に切り上げてホテルに戻り、このホテルのセールスポイントである温泉大浴場へ。なるほどビジネスホテルにこれが付いてれば快適、人気が出るのも当然である。もっとも僕はその頃には意識朦朧で、何だか体がふわふわするなぁ、疲れてんのかなぁ、あ、そういえば昨晩完徹だったんだ…てな感じで、大浴場からベッドへ直行して、そのままなだれ込み就寝。
11月26日(水)
6時すぎ起床。目が醒めたら目の前が空で、おまけに雪が散っていて、足がすくむやら、びっくりするやら。ベッドサイドの大きな窓をカーテン全開で寝てしまったので、まるで空中に浮遊しているみたいだったのだ。ああ、怖かった。落ち着いてから、あ、初雪だと今度はにこにこ。
昼過ぎに羽田着。羽田空港からは藤沢行きのバスに乗ってみた。が、思ったより時間かかったし、運賃も高かったし、これなら電車の方が楽かも。
そのバスに乗った頃から携帯がひっきりなしに鳴り始めて、結局自宅に帰り着いても何やかんやと雑用続きで、結局落ち着いたのは夕方になってからだった。
夕方、光文社のバイトちゃんがわざわざ茅ヶ崎まで僕のビデオを借りるためだけに派遣されてきたので、何だかかわいそうになってちょっとだけドライブして海を見せてあげた。とても寒かったので、彼女自身が喜んだかどうかはわからないけど。
11月27日(木)
原稿書きの一日。
11月28日(金)
家の引き渡し@三軒茶屋。それってリフォームじゃん、という請求をされそうな雲行き。この件では腹立たしいことが続いていて、しかし不動産の知識がない僕には真っ当な対抗手段があまりなく、そんな自分が情けなくもあり、やるせなくもあり…という状況が続いているのだが、さすがに今回は言い値を払うことはしないつもり。
11月29日(土)
2003J1、2ndステージ最終節。横浜vs磐田@横国。ラスト5分、すごいドラマが起きた。ジュビロの優勝決まりだなと思ったら、マリノスが逆転し、あ、これでアントラーズの棚ぼただと思ったら、あっちでもロスタイムにゴールが決まって。
逆転して試合が終わった直後、横浜国際競技場のオーロラビジョンにはアントラーズの試合が映し出され、おまけに小笠原や秋田の茫然とした表情がアップでとらえられ、選手もスタンドも記者席も注視の中、タイムアップの笛が鳴り、スタンドと選手たちは小躍りし、報道陣もどよめいた。いやあ、ジュビロからアントラーズ、マリノスとするするとカップが滑り落ちた感じ。ドラマチックだった。
とはいえ、味噌をつけるわけではないが、あくまでもカップは「滑り落ちた」のであり、勝ち取ったのではなかった。しかも「史上空前の大混戦」とメディアは仕方なく煽っていたけど、たった15試合の短期決戦なのだ。ばらける前に終わってしまうのだから混戦はある意味当たり前だし、引き分けが導入された今季以後は毎シーズンこうなる可能性も十分あるのである。
そんなわけで、ドラマチックなフィナーレを堪能しつつも、やっぱり1シーズン制でのリアルなリーグ戦を見たいと思わずにはいられない。たぶんみんな同じ意見だと思う。何より44試合のJ2に慣れ親しんでいる者からみれば、15試合によって決まる優勝はイマイチ軽く感じられて仕方ないので。
試合後、第三京浜を東京方面へ走って学芸大学へ。高校時代の後輩がやっている四川料理の天悠にて、野球部の恩師、薮内先生に会う。すでに退官していまは高校野球の審判をやっている薮内先生は、20年前と変わらず、それどころか当時より若く元気なほどだった。デニムの上下に身を包み、教え子が来たことに体全体で喜びを表してくれる先生を見ながら、僕もすごく嬉しかった。
そして、まだ上手に大人とコミュニケートできなかった高校生の頃には知ることができなかった薮内先生のパーソナリティに接し、しかもそれがとても朗らかでやさしいものだったことも嬉しかった。子供の頃には「大人はみんな偉い」と何となく思い込んでいたりして、それが自分も大人になってみると「大人でも大したことない人がいる」ことがわかり、もっと言えば「いい生き方だなあ」と思える人間はそれほど多くないこともわかったりする中、僕の人生の中で特別な時期の恩師を「ああ、素晴らしいな」と心から感じられたことが何より嬉しかったのだ。
付け加えるならば後輩とはいえこの店の店主、嶋も人として男として本当に立派な奴で、僕は会うたびに尊敬し、誇らしく思う。
11月30日(日)
昼ごろ起床。天皇杯を横目に、仕事と家事と片付け。夜、原稿書きなど仕事。
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