2月1日(日)
 今月末の麻原判決を前に、朝日新聞朝刊でオウム連載が始まった。「オウムを生み出した私たちの社会とは何なのか」。「私たち」というところがいい。異物として分析するのではなく、僕たちの一部が肥大した、少なくとも僕たちの中にもオウムの因子はあるのだ、というスタンスに立たない限り、僕たちは一連の事件から何も学べないし、何も変われないと僕も思っているので。

 2月2日(月)
 夜、何気なく携帯をいじっていて、何となく設定リセットを押してしまい、結局、改めて最初から各種設定をやり直し始めて…。このクソ忙しいのに、そんなこんなで2時間くらい潰してしまった。別に「いま」やらなきゃいけないわけじゃないのに、始めちゃうとどうしても最後までやってしまいたくなるんだよなぁ。しかも、(今日の不手際はともかく)忙しい時に限って部屋の片付けとか本棚の整理とかしたくなるんだよなぁ。なんでだろう? 僕だけかなあ。きっとみんな似たような性癖あるよな、メイビー。
 というわけで、不手際が起きたのは「プライド@フジテレビ」の真っ最中であった。あれだけかっこいいとつい真似したくなってしまうけど、あれはキムタクだからキマるわけで、相手が竹内結子だからサマになるわけで、ドラマだからテンポよく掛け合いが成立するわけで、みなさん気をつけましょう!
 それにしても野島伸司。開き直ってるなぁ。開き直って、男性視聴者も女性視聴者もどっちも喜ばせてるんだから、仕事としてはカンペキでしょう。でも、だからと言って、竹内結子風「古き良き時代の、なおかつ気の効いたトークができる女」が増えるわけじゃないんだよな。女性視聴者はキムタク見て、男性視聴者は竹内結子見てるわけだから。残念。ま、お互いさまだけど。メイビー。

 2月3日(火)
 昼、ブッフバルト@浦和。新監督に就任した彼に、今季のレッズについて話をきく。選手時代にもインタビューしたことがあるんだけど、こんな人だったっけなぁ。随分柔らかくなった感じ。
 午後練習が終了後、今度は永井雄一郎のインタビュー。自分でも言っていたけど、本当にFW向きじゃない人柄で。うなずいて励ましといたけど、彼のデビュー戦での衝撃を思い出せば、そろそろ弾けてほしいと願う。Don't think, FEEL!なのだ。
 取材はつい先日竣工した大原サッカー場の新しいクラブハウスで行なった。なかなか立派で、しかも過剰にデカくなくて、サイズもいい感じ。ちなみにここは市の土地なので、あまり豪華なものを建てるわけにはいかなかったという事情もあったらしい。
 あとレッズは報道陣がいつもながら多い。今日も20人近くの記者やカメラマンがいた。メンツも代表8人と豪華になり、クラブハウスもでき、もちろんサポーターは日本一で、あとは結果を出せれば、ビッグクラブの仲間入りなんだけど、さて。

 2月4日(水)
 本日、家の扉を開けた回数、1回。宅急便受け取りのため。

 2月5日(木)

 本日の外出歩数、12歩。新聞と郵便物取りのため。

 2月6日(金)
 完徹で、というかぎりぎりまで原稿を書いて、そのままカシマへ向けて出発。こんなはずではなかったのだけど、昨日の夜中に原稿を書いている真っ最中にPCがガタガタ音を立て始めて、えらいことになってしまったのである。爆発するかと思ったよ、まったく。それにしても、忙しい時に限ってこういうことって起きるんだよなあ、ホントに。
 でもってカシマは名良橋晃の取材。ベルマーレ黄金時代の右サイドバックで、カシマ黄金時代も、日本代表初めてのワールドカップもすべて自分の力でつかみとった日本サッカー史に残る選手であると僕は思っている。しかも、その素顔はオトボケ口調で、微妙なボケをかます、高度な笑いを得意とする洒落者でもあるのだ。そんなわけで、彼と対面していた1時間だけバチッと脳が覚醒して、楽しく話をさせてもらった。

 2月7日(土)
 日本vsマレーシア@カシマ。なんだかなぁ、という一日。試合も、それ以外も。ま、田中くんのおかげで救われたけど。

 2月8日(日)
 U23日本vsU23イラン@埼玉。今日はなかなかエキサイティングな試合であった。イラン、韓国、中国のグループは見応えありそうだなぁ。
 深夜、帰宅してメールチェックをしたら、幼馴染からメールが来ていて、ミズノくんが亡くなったとのこと。心筋梗塞らしい。25年以上の前の記憶を紐解き、ふくよかな彼の幼顔を想う。合掌。
 今日の「週刊ブックレビュー@NHKBS2」は津での公開収録だった。とっても地味だけど、一昨年韓国でNHK‐BS放送を見ていて発見して以来のお気に入り番組。柴田祐規子アナの大ファンでもある。ちなみに今日のゲストは「池袋ウエストゲートパーク」の著者、石田衣良。「学校を出てからの勉強と、結婚してからのオシャレが大事」。確かに。

 2月9日(月)
 原稿を書いていたら机の脇のティッシュの箱に何やら走り書きがあるのを発見。「とても静かで、自分の考えていることが聞こえてくるような場所」。きっと何かの原稿を書いている途中で思いついたフレーズだと思われるが、いつ、何を想って、何の目的でメモったのかは皆目覚えていない。でも、なかなかいいじゃん、と自分でちょっと感心した。

 2月10日(火)
 後藤健生・半田雄一対談@双葉社。僕が半田編集長に提案してやや無理矢理実現させてもらった企画。次号で体制が変わる「サッカー批評」のこれまでを記録しておく必要があると思ったので。かといって、半田さんが自分からそういうことを言い出すわけにはいかんだろうと思ったので。ま、要するにお節介企画なのであった。
 取材後、半田さんと「きくずし」。やっぱりこの店はうまい。で、舌鼓を打って、軽く飲んで、うちに帰って仕事をするべくちゃんと帰宅の途についたのだが……。
 なぜか大船で飲んでいたのである。東海道線でうとうとして目を開けたら、そこに20歳ごろにゴールデン街でお世話になった小倉さんがいたのである。ものすごく久しぶりの再会なのである。「ちょっと飲んでこう?」と誘われたのである。これは断れないスジなのである。というわけで当然のことながら電車はなくなり、お金もなくなり、本来なら今晩中にやるはずだったゲラチェックはできず、気がついたら朝だったのである。一部ご迷惑をかけた方々、ごめんなさい。

 2月11日(水)
 昨晩の不始末もあって、原稿が完全に渋滞状態。なのでU23日本vsU23韓国@エコパ行きを諦めて、自宅で終日仕事。

 2月12日(木)
 日本代表vsイラク代表@国立。金属探知機も登場して、ワールドカップモードのセキュリティ。それにしてもイラク代表。結構やるよなぁ。てゆーか、ジーコジャパン、大丈夫か?
 試合後、集英社、小学館と一ツ橋グループを巡り、ゲラチェック&打ち合わせを済ませ、新宿にとんぼ返りして、シェリオンにて山ちゃんと飲み。深夜、吏加&香織ちゃんと餃子&飲み。なかなか慌しく盛り沢山で、しかも具の詰まった、楽しい夜であった。

 2月13日(金)
 高田保則@大神。これで「ベルマーレ十周年本」の取材はほぼ終了(のはず)。さて、これからどうなることやら。
 あ、そうそう、取材の帰りに鰺坂さんにボタン付けをしてもらった。こういうのが一番嬉しい。目覚しくはないけど、さりげなく嬉しい感じが一番いいのである。
 あと帰りにATMでお金を引き出そうとしたのだけど……。いやあ、びっくりした。20年近く前にもこんなことあったなぁ、妙な感慨に浸ってしまった。

 2月14日(土)
 いまこれを書こうとして気づいたんだけど、今日ってバレンタインじゃん。家から一歩も出てないし、誰とも会ってないし、それどころか誰とも口きいてない僕は、もしかして寂しい男なのだろうか。あ、でも、そういえば先日イラク戦の日にテレビ東京の水原アナからチョコレートをもらったぞ。十分でしょう!満足でしょう!美人だし。掌の上にコロコロと、マーブルチョコ(あずき味)3粒だけど。
 そんなわけで、終日、自宅にて一人(当たり前だ、原稿は一人でしか書けん)仕事まみれのバレンタインデー。

 2月15日(日)
 原稿書きの一日。
 夜、GET SPORTS@テレビ朝日で小松原学の特集。小松原は高校在学中からベルマーレのトップチームで試合に出場し、期待を集めた選手だった、確かに。でも「平山よりすごかった男」というのはいかがなものか。テレビのああいうやり方は視聴者をかえってシラケさせるし、何より本人に失礼だと思う。小松原は小松原としてすごかったのであり、それは平山のすごさとはまったく別モノなのである。では中田と平山はどっちがすごかったのか、大久保と平山は?てなもんである。そもそも比較することに意味なんてないのだ(あえて比べるとしたら、いまの平山を超える18歳のFWなんて少なくともこの10年間いないと思う)。
 ちなみに所属クラブがなかった小松原は来シーズンから群馬FCホリコシでプレーすることが決まったとのこと。JFLからの再スタートだ。しかし、まだ22歳。「いま」に満足せずに上を目指して欲しい。ポジションが違うとはいえ、小島伸幸なんてレギュラーになったのが28歳である。もう一度、トップリーグまで辿りつく時間が彼には十分ある。

 2月16日(月)
 午前中まで原稿を書いて、午後、羽田から宮崎へ。宮崎空港で集英社の梶垣さんとカメラマンの小内さんと合流。夜はホテル近くの串焼き屋で野球談義。3人とも微妙に世代がずれているので、野球体験もずれていて面白い。ちなみに僕は平和台球場での太平洋対ロッテ戦をはじめとしたライオンズが原体験で、甲子園は松本、三浦、山口が活躍した夏の大会が最熱中期。バンビ坂本がアイドルになった大会でもあった。

 2月17日(火)
 朝からレンタカーで宮崎南部の南郷へ。終日、西武キャンプを取材。夕方、「ポスト松井」として注目を集める中島裕之にインタビュー。中島は初々しくて、少年みたいな笑顔が魅力的な21歳。評判の長打力は紅白戦の2打席目で目撃した。ややインコース寄りのストレートをジャストミートした打球は、ライナーでぐんぐん伸びて、バックスクリーンに飛び込んだのだった。バチンと音がした時は、あるいは少し詰まったかと思ったのだけど、いやあ、すごい打球だった。
 それにしても野球のキャンプは楽しい。朝から晩までシートバッティングとかノックとか連係プレーとか、次から次と飽きることがない。そればかりかメイン球場を離れても、松坂などが投げているブルペンも見れるし、あちこちでテーマ練習はやってるし。おまけにこの時期の宮崎ではレンタカーがあれば、数球団をはしごすることも可能なのだ。そればかりかJリーグも、Kリーグも、トップリーグもキャンプを張っているときている。いいなぁ、2月の宮崎。スポーツ好きにとっては天国だよ、ここ。
 最終便で帰京。帰宅後、また原稿書き。天国を恨めしく思い浮かべながら。

 2月18日(水)
 日本vsオマーン@埼玉。色々あってもともと不機嫌だったところに、日本代表があのゲーム。おかげで心の中はもうすっかり暴風雨なのであった。
 それにしても、ジーコ、やばいんじゃないの? ワールドカップ予選なんだから仕方ない、という人もいたけど、内容があまりにひどい。ひどすぎる。少なくともトルシエの頃よりチームとしては明らかに弱くなっているわけで。トルシエの4年間がよかったとは言わないけど、あの4年間を無にしてしまうのは勿体ないんじゃないでしょうか。

 2月19日(木)
 終日、原稿書き。

 2月20日(金)
 朝、寝て、午後に起床。夕方、藤沢税務署へ。確定申告のため「茅ヶ崎税務署」の場所を問い合わせてみたら、そんなものはなくて、茅ヶ崎市民は藤沢税務署の管轄だったのだ。税務署は自治体単位ではないので、あるいは、とは思っていたけど。
 夜から朝にかけて再び原稿書き。

 2月21日(土)
 海へ。ここのところ心がズタボロなので。苛立ちと徒労感を洗い流すべく2時間半ばかり。おかげで随分風通しがよくなったような。
 夜は原稿書きと手紙書き。原稿はサッカー批評の対談原稿、手紙は小学校時代の同級生に。

 2月22日(日)
 誰とも会ってないし、誰とも話してないというのに、ナンダカンダとアップダウンする心と格闘した一日。とにかく腹が立ったり、観念的になったり、義憤にわなわなしたり、冷笑したり、諦めたり。結局、やるせない。

 2月23日(月)
 小春日和の晴天の下、自転車で藤沢へ。30分くらいかかったけど、なかなか爽快だったし、帰りには海を経由したりして、目論見通りに気分一新できた。特に海の力は凄まじく、「すげぇな、海」と敬服。
 藤沢では郵便局、税務署で雑用。ぺりかん社の塚本氏に原稿渡し。

 2月24日(火)
 朝、俊ちゃんと海。昼から新橋でコーヒー、グレープフルーツジュース、コーヒー。最初の「コーヒー」はBainにて単行本の打ち合わせ。「グレープフルーツ」は友達の小崎くんのクリニックを訪問して近況報告など。最後の「コーヒー」は電通にて企画の進行状況報告など。

 2月25日(水)
 原稿書きの一日。

 2月26日(木)
 そりゃねぇだろっ!と腹が立った一日。

 2月27日(金)
 東京地裁で麻原被告に死刑判決。極刑は免れようがない。しかし、そんな当然の判決によって事件が一件落着したかのような錯覚に陥ることを懸念する。「オウム」の本当の意味での「検証」あるいは「自省」を僕たち自身が行ったのだろうかという不安は、死刑判決報道のけたたましさによってかえって膨らんでさえくる。あれから9年。僕たちの国の景色と隣人関係はすっかり変わってしまったのだから。

 2月28日(土)
 やってられねぇよ!とブチ切れた一日。

 2月29日(日)
 凄まじい脱力感と徒労感に占領された一日。
 昨晩のアド街@テレビ東京は「学芸大学」。当然のことながら後輩の嶋がやっている四川料理屋「天悠」も登場。真っ当に仕事に取り組む後輩の姿に安堵と勇気を覚える。助かった。



                  INDEXへ



2004年2月

about KNET
川端康生の個人サイトです。
KNETについて
History
Books&Movies
Bellmare
Column
Works
I'm here