5月1日(土)
 朝寝て、午後起床。ビデオなど見て、今日もだらだら。ビデオは録画してあったドラマ数本。今クールのドラマは目が見えなかったり、耳が聞こえなかったり、自閉症だったり、というハンデキャップモノが多い。僕が一番気に入っているのは「ホームドラマ」。岡田恵和さんのドラマは大抵ハマるのだけど。ハマるというより共感できるという感じかな。理想郷の絵がたぶん似てるんだと思う。それは彼の他の作品を見ていていつも感じることだし、本人に会って話した時にも確認できたことでもある。ちなみに「ホームドラマ」のテーマは家族。不慮の事故で登場人物たちが一斉に家族を失うという舞台設定で、擬似家族をまさしくホームドラマのように作り上げ…という物語。主人公の堂本剛が元来家族を知らないというところがミソ。そういえば「『ちゅらさん』の一風館は『めぞん一刻』の一刻館をイメージしたんです」と言ってたけど、家族的連帯感への思慕は岡田さんの根っこでもあると思う。
 あと割と一生懸命見てるのが「オレンジデイズ」。柴崎コウの役柄がどうであれ、これは青春ドラマなんです!というトーンがいい。あとあと今さらながら「やっぱりすげぇなぁ」と感心しているのが、「光とともに」の小林聡美。彼女にしか醸し出せないよなぁ、あの空気は。気になるのは同じドラマと「アトホームダッド」の両方で、母親役やってる篠原涼子。彼女大好きなんだけど、そして、しばしばあることだけど、同時に二つのドラマで母親役やられるとこっちとしてはやっぱり困惑気味になってしまうわけで。その他、実はこのドラマ結構面白いし、斬新なんじゃないの?というのが「離婚弁護士」。ちょっと前に流行ったスピード感ありつつ、でも心の機微を描きますよ、みたいな絵作りがなかなかいい。
 特筆すべきは子役たち。みんな驚異的に上手で。こういう子たちって将来どうなるんだろう、何の仕事に就くんだろう…と想像して、これまた困惑してしまったりする。などなど、だらだらずらずらやってるうちに気がつけば、うわっ、5月だ。今月も頑張ろう。

 5月2日(日)
 今日も朝寝て、午後起床。Jリーグをテレビで観戦。ぼちぼち仕事を始める。が、当然ぼちぼちではどうしようもないわけで。
 夜、「情熱大陸」@TBSに川口能活登場。デンマークでの様子を見ながら、会いに行きたくてしょうがなくなる。マジで行こうかな。

 5月3日(月)
 終日、原稿書き。原稿は、反町康治とアルビレックス新潟について。

 5月4日(火)
 朝まで原稿書いて、そのまま海。ちょっとだけ立てた。かなり嬉しい。
 夕方、仮眠。夜、NHK-BSで春から放送中の「みんな野球が好きだった」。キャッチボールの企画でまた泣く。
 夜中、再び原稿。

 5月5日(水)
 午前まで原稿書き。そのまま家を出て、東京Vvs市原@味スタ。森本目当てで(そのためだけに)行ったら、初ゴール、そしてJ最年少ゴールを僕の目の前で決めてくれた。当たり! 思わずVサインした。試合後のオシムとアルディレスの会見も聞き応えがあった。徹夜だったこともあって電車で行ったら、往復3000円もかかってギョッとしたんだけど、今日はコストパフォーマンスのよい取材だった。
 帰りにスピリッツの小田氏と打ち合わせをして、帰宅10時すぎ。マクドナルドを食べて、テレビを見て、寝る。

 5月6日(木)
 早朝起床。ベルマーレの試合ビデオを2本見て、MDPの原稿。なんか体がダルいので午後仮眠。夜から原稿書き。

 5月7日(金)
 早朝、原稿終了。昼、ベルマーレ新スポンサー発表@大神。午後、顔見知りの木村くん、田中さんと雑談しながら練習を見学。なんかお通夜みたいで、とても運動部の練習してる空気じゃなかったので、早々に退散。
 帰宅後、テレビの前で爆睡してしまって、案の定、深夜起床。昼だか夜だか、またしてもさっぱりわからなくなってしまっている。よくない、絶対よくない、もういいトシなんだから…と思いながら映画を見て、無理矢理もう一度寝る。

 5月8日(土)
 朝9時起床。自転車で海へ。波なし。一旦帰宅して香川屋さんのメンチカツを買って食パンにはさんで食べてたら、なんかアッパーな気分になってきて、いいや、波なんてなくても。どうせ立てないんだし、と開き直って海。牛歩ではあるが、ここのところようやく、あ、これか!の感触あり。へこたれる寸前だったのだけど、もうちょっと頑張れそう。
 夕方、美樹ちゃん、えみちゃん、それに田中くんが来る。美樹&えみは鵠沼でウインドの無料体験スクールの帰り。すっげぇ楽しかった、という2人を前に、我が身を振り返り、羨ましいような恨めしいような。それはさておき、近所の居酒屋で飲んだんだけど、えみちゃんは「ワタシいま戦士ですから」という言葉通り、イチイチ突っかかってきていて、それ自体は全然OKなんだけど、戦士になって戦う方向がそれは違うんじゃねぇか、という話で、実は彼女のことを買っていた僕としては相当がっかりしてしまったのだった。戦士になって戦うんだったら義を叫んでくれよ。義を語りつつ、利で反論してくるなんてダサすぎ。20代半ばなのにそんなヘナチョコじゃ、つまんない大人にしかなれないぜ、と言いたかったけど、僕がまたそういうこと上手に言えないもんだから、なんか非常に欲求不満な夜になってしまった。本人は「買いかぶりですよ」と言ってたけど、そうかなぁ。もっとリキめる奴だったと思うんだけどなぁ。
 田中くんは明日早朝野球だとかで終電で帰宅。美樹&えみはうちに宿泊。2人を放ったらかして僕はとっとと寝てしまったけど。

 5月9日(日)
 8時すぎに起床。爆睡している2人を尻目に仕事の雑用など。
 昼過ぎに家を出て、2人を藤沢で落として、横浜vs東京V@横国。試合後、即効帰宅で原稿書き。
 ベルマーレは今日も負け。それも4失点での大敗に、ホームページのBBSが荒れてる。何時間か置きに見るたびに、どんどんささくれだってきていて、辛い。

 5月10日(月)
 昼過ぎ、原稿終了。
 見るたびにグレーな気分になるにもかかわらず、ベルマーレのホームページのBBSを終日チェック。

 5月11日(火)
 海。ようやく波コケから板ノリに昇格。波ノリ目指してもうちょっと頑張ろう、という気持ちになれてヨカッタ、ヨカッタ。へこたれなくて、ヨカッタ、ヨカッタ。
 夜、「風海コラム」の原稿。

 5月12日(水)
 昼、伊藤さん&お友達の詩織さんとランチ@RIKIRIKI。湘南マダムの生態やいかに……なんてつもりは元々なかったのだけど、あまりに違和感なく馴染んでしまう自分もいかがなものかと。
 午後、中山くんとスポーツビジネス講座@産業能率大学。大学で授業を受けるのは久しぶり、というかほとんど20年ぶりだった。20年前だってロクに大学通わなかったからな。そしてここでも、まったく違和感感じない自分にいかがなものかと。
 ベルマーレ@大神経由で茅ヶ崎。中山くんに香川屋のメンチカツを食べさせたのだけど、あまり感激してくれなくて少々がっかり。とはいえ勝手に期待して、勝手に落胆するこの手の感情パターンはオバタリアン症候群の典型的症状といえるわけで、これこそいかがなものか。
 いかがなものか、と言えば大神クラブハウスでの小さな、しかし大変引っかかる出来事。随分前に飲み会で会ったことのあるサポーターのカオリちゃん(20歳そこそこだと思われる)が僕のことを覚えていてくれて、「コンニチワ」と挨拶してくれたんだけど(もちろん、ここまではいかがな出来事ではない)、一方でクラブの一部スタッフは僕に気づいても、それどころか僕が挨拶しても、ウンともスンとも言わないのだ。本人に悪気がないのはわかるが、あれではいわゆる「無視」である(特に僕のことが嫌いで、というわけではない、と思う)。
 カオリちゃんとの対比で今日改めて気づいたんだけど、そういえばいつもこんな感じなわけで、地域に根ざしたり、スポーツ文化を創造したり、GM育成を謳ったりする前に、きちんと挨拶できるようになることが肝要ではなかろうか。てゆーか最近じゃあコンビニのバイトちゃんだって(作り笑顔だったとしても)明るく挨拶してくれるわけで。性格がおとなしいとか内向的とかそういう次元ではなく、社会人の常識というレベルの話なのである。まして公共性の強い会社の社員であればなおさら、スポーツを売りにしている会社ならなおさら、である。少なくとも大神のショップにやってくる人に対しては顔見知りだろうが、知らない人だろうが、大きな声で元気に挨拶することがこの会社の基本だと僕は思う。

 5月13日(木)
 原稿とテレビとビデオとインターネットの一日。

 5月14日(金)
 やっぱり東京は美人が多いなぁとキョロキョロしながら、都内にて打ち合わせ2件。打ち合わせは単行本と肉体ムック。
 今日の圧巻は打ち合わせで訪れたぺりかん社近くにあった巨木。前に来た時には気づかなかったけど、そこに大きくて勇壮なクスノキがあったのだった。どのくらいデカいかというと、隣のビルの8階か9階まで到達しているのである。都心にあるから目立たないけど、地方都市たら間違いなく町一番のノッポである。ちなみに僕が住んだことがある町でいえば三重県の県庁所在地、津市でもきっと1位か2位の高さになるはず。そんなわけで根元から上空を見上げながら、こんな木が真ん中に聳え立っていて、どこにいてもこのクスノキが見えるような町に住んでたら楽しいだろうなぁとしばし夢想したりした。
 夕方、宝島での打ち合わせを終えた後、なんだか無性にビールが飲みたくなったので携帯片手に相手を探してみたのだが、ふと思い立って東海道線で茅ヶ崎に直帰。茅ヶ崎で僕はまだまったくといっていいほど飲み屋もメシ屋も知らないことに気がついたので。というわけで鉄砲通りの「マハロ食堂」にてビール&晩飯。ホントはその後、近所のスナックあたりを探検する腹積もりだったのだけど、一本ビールを飲んだら、何だか十分満たされてしまって結局まっすぐ帰宅。

 5月15日(土)
 湘南vs甲府@平塚。終了間際に2失点して1対2で逆転負け。さすがに呆然としてしまった。さらに監督会見にも呆然としてしまった。
 東名をひた走り、柏vs鹿島@国立。目当ては鈴木亜美復活ライブ……だったのだけど正直イマイチだった。何がイマイチだったかって、わざわざ2メートルくらいの距離まで接近してマジ見したんだけど、あんまりかわいくなかったんだよなぁ。割とファンだったんだけどなぁ。ゲームの方は鹿島が中田浩二の復帰を劇的な勝利で飾った。もっとも前半は「さすがJ1」という試合に見えたんだけど、後半に入ると「あれ?なんか足りなくない?」という試合内容だった。前半、速くてうまくてソツなく見えたのはJ2観戦直後だったから、と思われ。
 あと試合途中にふと気づいたんだけど、今日は「5月15日」。誕生日じゃん。その割には何もイベントなかったな。誰一人話題にもしなかったし。そんなもんかな。ま、なんせ11歳、おめでとう&ありがとう。
 岩澤さんと三茶の王将でメシ食って帰宅。あ、そうそう、彼女にケツメイシのCD買ってもらった。おかげで帰途はノリノリだった。

 5月16日(日)
 民主党の新党首に予定されていた小沢一郎も年金未納が発覚し、年金政局、いや年金未納(未加入)政局はますます混迷深まるばかり。ま、要するに「赤信号は止まれ」と決まってはいるけれど、現実には車の通りがまったくなければ渡るのと同じで、ルールはともかく、現実的な対応は違うということではあるまいか。サラリーマンの人たちは天引きされるので、選択の余地はないが、もしもそこに意志を持って選択できるのであれば、払うだろうか。加入するだろうか。
 むしろ不思議なのは未納(未加入)が問題となった人たちが、誰一人として「俺は意志を持って納付(加入)してないんだ」と言わないこと。みんな「うっかり」派。「そもそもシステムがおかしいので、私は10年前から加入していません」と言った方が僕にはよっぽど説得力あるのだけど。
 午後、起床。気がつくとベルマーレのことを考えている。

 5月17日(月)
 昨年度のJPSAチャンピオン、牛越峰統@渋谷。JPSAとはジャパン・プロ・サーフィン・アソシエーションの略。そんなわけで「実は僕も始めたんですよ。そして、聞いてください! 先週やっと立てるようになったんです」なんてチャンプ相手に低レベルな私事を交えながらの取材。牛越さんは「よかったですねぇ」と握手してくれるやさしい人だった。
 取材場所は道玄坂にあるケビン山崎氏のスポーツジム。ちょっと話しただけだけど、ケビン山崎さんはなかなか面白そうな人だった。バックボーンとかゆっくり話をきいてみたい気がした。
 取材後、馴染みの喫茶「宮」でオットジョブの広原さんと打ち合わせ。サッカー五輪代表ムックについて。打ち合わせに同行していた太田くんが沖縄出身とのことだったので、「沖縄のどこ?」と尋ねたら「知らないでしょうけど、中城(なかぐすく)というところです」とのこと。知らないどころか、僕は中城城の大ファンなのである。そんなわけで宜野湾、ラグナガーデン、北谷、ジンベイザメと僕の沖縄体験を一気に披瀝しながら、オキナワ行きてぇなぁとしみじみ。本当は住みてぇなぁ、なんだけど。
 帰宅後、夜から朝にかけて原稿書き。途中でなんか突然その気になってカレーを作る。煙草も買い置きしといたし、これで2、3日はうちにコモっても大丈夫。

 5月18日(火)
 原稿書きの一日。

 5月19日(水)
 早朝、ストライカー原稿を終えて就寝。午後、起床後、ビッグコミックスピリッツの原稿。
 7時からJ'sGOALのスコアボードを凝視。仕事しながら…のつもりだったのだけど、1分ごとの更新を90回ずっと凝視し続けてしまった。「2点目」に少し安堵、「試合終了」に大きな溜息。
 夜、マッチデープログラムの原稿。未明、スピリッツの原稿。早朝就寝。

 5月20日(木)
 仕事の雑用、整理、腹積もりなど。3日目カレーがあまりにうまいので鍋を舐めるように食す。

 5月21日(金)
 起床後、ベッドから洗面所を経由してまっすぐ海。が、台風通過後の海はとても僕が挑める状態ではないわけで。そんなわけで2時間ほどぼけーっと海と波と人を眺めてた。それはそれで気持ちよかった。

 5月22日(土)
 湘南vs川崎@平塚。試合後、大好きやともう一軒。

 5月23日(日)
 横浜vs名古屋@横国。途中出場の久保の人間業とは思えない運動能力に嘆息。
 平塚に戻って、市営駐車場にて七夕祭りの飾りつけ製作中のベルサポさんたちのお手伝い。飛び入りだったのにペンキを塗らせてくれた。キングベルの黄色いところ。何だかとても嬉しかった。

 5月24日(月)
 海と原稿書き。

 5月25日(火)
 石川さん、山本さん、達也さんとメシ飲み@汐留。美女が2人もいたのだから、ハッピーな時間だったことは自明の理。加えて会話も浮かれ加減と地に足着いてる感じが適度なバランスで。ワクワクしたり、ドキドキしたり楽しい夜だった。
 汐留→新橋→神保町と飲んで始発で帰る。達也さんが朝まで付き合ってくれた。

 5月26日(水)
 日本五輪代表vsトルコ選抜@味スタ。トルコ選抜って何なんだ?と疑っていたのだけど、すごくいいチームで、すごくいい練習試合だった。
 試合後、田中くん、浅田くんと焼肉@大口。二人が結構飲んでる横で、僕はウーロン茶。3時すぎに帰宅。

 5月27日(木)
 小泉首相を批判した拉致家族会に対して批判、はまだしも誹謗中傷メールが殺到しているのだという。「弱者」にある時はただ感情的に同情し、しかし、その弱者が自己主張を始めた途端、今度は掌を返したように悪意を浴びせかける。イラク人質事件の時にも思ったのだけど、どうしてこんなに余裕がないのだろうか。他人のことを思いやり、心情を想像し、応援したり、受け止めてあげたりすることはできないものか。自分のことで精一杯なのか。
 もしも自分のことで精一杯だったとしたら、だからこそ僕なら誰かを思いやる。誰かを応援したり、心情を受け止めようとする。所詮、一人では生きていけないからだ。誰かに思いやってもらったり、励ましてもらったり、「うん、うん」と聞いてもらわなければ僕自身が立ち行かなくなってしまうからだ。だから僕は想像する。周りの人にも僕のことを想像してもらいたいと願いながら。

 5月28日(金)
 昼、講談社にて打ち合わせ@音羽。午後、上田栄治女子代表監督取材@JFAハウス。夕方から夜、半田さんと打ち合わせ@神楽坂。

 5月29日(土)
 洗濯機が壊れた。考えてみたら、いまの前の前の家に越してすぐ、近所の中古屋さんで買った洗濯機だからすでに10年くらいは使っている。確か1万円だった。というわけで、もう十分ご苦労さん。で、心置きなく新規購入@ヤマダ電機。
 その後、駅の反対側へ渡って、シーガルのウエットをこちらは思い切って購入@ムラサキスポーツ。これで通年で海で遊べる装備が整った。ムラサキスポーツの親切な店員さんに「次はお金ためて。ボードですね」と言われた。はい、頑張ります。

 5月30日(日)
 戦場カメラマンの橋田信介さんと甥の小川功太郎さんが襲撃を受けて亡くなった。イラク戦争以後、橋田さんはたびたびメディアに登場していたから、その何ともいえず愛らしい人となりをわずかではあるけど知っていた。特に銃撃戦の只中で両耳を抑えてしゃがみ込み、すくんでいる姿はどんなにたくさんの言葉を弄したレポートよりもリアリティがあり、しかもそこに彼のどこかトボケたようなユーモラスなキャラクターが加わって、とても印象的だった。今回のイラク行きは目を負傷した少年を日本に招き、手術を受けさせるためだったという。
 そして奥さんの毅然とした振る舞い。敬服するばかり。「主人も私も覚悟していましたから」「本望だと思います」。凛々しく、清々しく、切ないほどに手折やかな微笑みを浮かべて、粛々と旦那さんを迎えに中東へ飛び立っていった。二人は夫婦であっただけではなく、同志であったのだと思う。もちろん妻は夫のことを100%で尊敬していたのだとも思う。当たり前のようで、そんな夫婦がどれほど存在しているのか。素晴らしくかっこいい二人である。羨望さえ覚えるほどに。
 橋田さんの持論は「戦場記者は<戦況>を語って<戦争>を語らず」だったとのこと(「イラクの中心でバカと叫ぶ」より)。世界の断崖絶壁で底抜けの<バカ>を貫き通したお二人に合掌。
 夜、日本代表vsアイルランド@TV。KUBO! 「日本にもすげぇ奴がいるな」と母国のファンやメディアを驚かせたに違いない。天晴れだ。

 5月31日(月)
 昼、起床。Pカン。明日あたりからは雨が続くという予報。この時期、太陽は貴重だ。というわけで洗面所経由でまっすぐ海へ。
 海はやや荒れていた。サイズは胸〜腰あたりだけど、波があちこちから入って少しジャンクな状態。おまけに風がかなり強い。でもようやく立てるようになったばかりの僕にとっては力のありそうなブレイクはありがたい。というわけで期待感たっぷりで海に入る。で、いきなり立てる。おおっ、もしかして今日は相当楽しめるのではないか…と思いながら、いつものようにバランスを崩してコケる。ホント、いつものように…だったのだ。
 ところが顔を上げた瞬間、バーンと衝撃。痛い。経験したことないくらいの衝撃だった。瞬間、「これってもしかしたら意識なくすかも→水の中はマズイ→あがれ」と浮かび、顔をおさえながら砂浜へ。もともと浅瀬にいたので大した距離ではない。血がしたたってきているような気がする。とにかく顔が痛い。それでもとりあえず砂浜へ上がり、なおかつ右足に結び付けてあるコードを引っ張って、ボードも海から上げる。借り物のボードだ。流してしまうわけにはいかない。
 少し離れた砂浜にボディボーダーの女の子がいたので、「すみません」と呼びかける。ちょっと腰を浮かせながら怪訝そうに僕の方を見た彼女が、慌てて駆け寄ってくる。「血、出てますよね?」。いまにして思えば間抜けな第一声だ。でも、前にバイクで車と正面衝突した時もそうだったんだけど、こういうときになると妙に醒めてしまったりするのだ。もっとも彼女の方は相当驚いた表情だった。「すごい出てます」。
 そこから先の彼女は素敵だった。「とりあえず横になって」「頭を上に」「こういう体勢が楽なので」とヨガのポーズらしき形に僕を寝かせてくれた。そして「救急車呼びます。いいですね?」。冷静かつ適切な対応だった。感謝と尊敬である。
 彼女が救急車を呼びに走り出した後(だと思う。このあたりは記憶が曖昧)、男の人が横に付き添っていてくれた。考えてみれば彼女も(もちろん彼も僕も)みんなウエットスーツ姿。誰も携帯なんて持っていないのである。たぶん彼女は134号線を越え、近所のショップまで電話をかけるために走ってくれたのだと思う。さらに感謝である。
 しばらく波打ち際に横たわっているうちに頭が痛くなってくる。おまけに風で飛ばされた砂が顔やカラダに飛んできて、気持ち悪い。それで「立てると思うので移動します」と付き添ってくれていた男の人に言って、立ち上がる。が、自分の感覚とはまったく違って、かなりフラついた。支えてもらいながら、辛うじボードウォークのあたりまで上り、そこで再び横たわる。図々しい僕はそんな状態にもかかわらず、「ボードをお願いします」と彼に頼んでいた。
 しばらくして救急車の音が聞こえてくる。どれくらいの時間だったのかは不明。戻ってきた彼女が「こっちです」と救急隊員を誘導してくれている。僕も自力で立ち上がって救急車に向かって歩いた。途中、男性に「すみませんが」と前置きして、「ボードをあそこにある自転車につなげておいてもらえますか」とお願いする。放置して盗まれでもしたら、と心配になったのだった(後になってそのことを話したら、多くの人に「そんな時に」と非難&呆れられたけど)。
 それからお世話になった方々に御礼を言いたくて、でも連絡先をきく余裕もなく、メモも携帯もなく、おまけに記憶できる状態ではなく、というわけで「ありがとうございました。カワバタです」と何度も連呼する。客観的にその絵を見れば、随分間抜けな感じだけど、あの時点での僕の誠意としてはそれ以外にはどうしようもなかったし、それをやらないわけにもいかなかった。
 救急車に乗り、脈拍やらをはかってもらっていたような気がする。相当具合は悪くなっていた。頭が痛く、寒気がし、気が遠くなってきたのだ。出血がかなりあったみたいなので、それで貧血になったのかもしれない。もっとも僕は貧血になったことがないので、まったく初めての感覚だった。切実に本気ではないけど、もしかしてこのまま死ぬかも、なんてちょっと考えた。切実に本気ではないにしても、救急車の中でブルブル震えながら遠のく意識の中でそんなことを考えると、結構切実に本気になってしまうものである。でもってマジで死ぬかも、とちらっと思ったら、唐突にものすごくリアリティのある後悔が込み上げてきた。
 これにはびっくりした(心理的にかなり倒錯しているけど。つまり「本当に死ぬわけないよな」と心のどこかで思いつつ、「でももしかしたら」とちらりと心配になり、その「死ぬかも」に対して「ものすごい後悔」が突然込み上げてきて、そんな感情が込み上げてくる自分に、僕はびっくりしていたのだ)。
 自分なりに結構好き勝手に、楽しく、楽じゃないけど盛り沢山で相当ぜいたくな人生をここまで歩んできたという自負があった。死ぬときにどう思うかはわからないけど、それなりに納得はできるだろうと漠然と考えていた。ところが、いざこんな状態になって、死ぬかもと思った瞬間、込み上げてきた感情は後悔だったのだ。しかも、それは「ああ、あの取材もやりたかった」「本当はあんな原稿を書きたかった」とかなり具体的な後悔だった。妙な話だけど、「死ぬかも」→「後悔」という自分の心の動きに驚きながら、僕は「へぇー」と感心してた。まだまだやりたいこといっぱいあるんだ、俺は、と。
 数分後(だと思うが、いつまで経っても病院につかないくらいに僕には長く感じられた)、徳州会病院に到着。実は救急隊員の人に「徳州会病院へ搬送します。いいですね?」と救急車の中で告げられた時に、嫌な予感がしていた(嫌な予感がする理由もちゃんとあるのだけど、それはここでは書かない)。そして、その予感は当たってしまった。
 ひどかった。何がどうと言いたくないが、本当にひどかった。病院到着時からレントゲン、MRIなどの検査中、さらに処置室での対応、とにかく病院を出るまで「こんな病院、こんな看護婦、こんな医師がいていいのか」というくらいにひどかった(病院でのあれこれについて書き始めると不愉快になるので割愛)。
 そんなことより、ここで僕はまたもうひとつのことを思い知らされたのだった。「連絡先を教えてもらえますか」「……」「家族は?自宅の電話番号は?」「あ、一人なので」「両親は?」「いや、九州なので」「兄弟は?」「いません」「それじゃ会社に電話しましょう。会社は?」「……」。電話一本かける人も場所も僕にはなかったのだった。おまけに携帯電話も持っていないから友達にさえ連絡できない(もし携帯を持っていたとしても、一体誰に電話したのだろう?)。頭の中に入っている電話番号はたったひとつ、僕と猫が暮らす自宅のみ……。
「いまさら気づくなよ」という事実だけど、有事の際に連絡する相手が誰もいないということに処置台の上で僕は相当打ちのめされた(後になって友達と、もしも海でそのまま死んでいたとして、それが僕だと判明するまでに一体どのくらいの時間とプロセスがかかるかについて話してみた。まず「帰ってこない」と心配して警察に届ける人はいない⇒最初に異変に気づくのは仕事絡みの人だと思われる。が、もともと用事がある時にしか誰も連絡なんてしないので、気づくまでには数週間、もしくは1ヶ月以上はかかる。もともと携帯がつながらないことなんて日常茶飯事だから1度や2度連絡がつかなくても誰も気にしない。で、「いつかけても携帯が留守電だ」なんてことが何社かの編集者の間で話題になり、ようやく「おかしい」という話になるかどうか。でもだからといってすぐに警察に届けるというわけにもいかないし……。その話をしていた友達の結論は「カワバタさんの場合は早くて3ヶ月ですね」というものだった。ひどい)。
 打ちのめされたのはそれだけじゃなかった。連絡する相手がいなかっただけではなく、誰に連絡するか僕自身がまったく決められなかったのだ。実はこっちの方がよりショックだった。つまり特別な人がいない。戸籍上でも契約上でも心情上でも何でもいいけど、ピンチの状況でぱっと思い浮かぶ人が誰もいなかったのだ。これは相当さみしい人生なのではないか、そう思って僕は痛みの中で、精神的にもどんどん落ち込んでしまったのだった。
 結局、僕が連絡を頼んだのはサーフボードを借りている小川さんだった。小川さんは茅ヶ崎に住んでいるし、会社は辻堂だし、サーフィンのこともよくわかっているので、色んなことをうまく対応してくれるだろうと考えての選択だった。といっても小川さんと僕はまだ2回しか会ったことがない友達の友達だ。かなり図々しい話だった。でも、小川さん以外に適任者が見つからなかった(ちなみに小川さんの会社の電話番号がわからないので「104で調べてください」という僕の頼みに対しても看護婦さんは相当嫌な顔をしていた)。
 そんなこんなで数時間後、小川さんが病院に来てくれて、僕は無事病院から家に帰ることができた。もう最後の1、2時間は「帰りたくて、帰りたくて」しょうがなかった。何かの処置ををするわけでもなく放置されていただけだったので。おまけに僕は起きてからまだ何も食べておらず、水さえ飲んでいなかった。そして、何より煙草が吸いたかった。
 小川さんの車で自宅に帰った後、ようやく煙草を吸って、少し落ち着く。小川さんは病院にちゃんとTシャツと短パンを持ってきてくれ、海に置きっぱなしの僕の自転車と小川さんから借りているボードも回収してきてくれ、そればかりかサンドイッチまで買って来てくれた。後できいたら、病院から電話があった時は都内にいて、そこから慌てて戻ってきてくれたらしい。あらゆる意味で、小川さんに連絡してよかったと思う。想像するに「病院ですけど、カワバタという男性が救急車で運ばれてきているのですが…」という電話をもらった時には、一瞬「?」だったのではないか。カワバタという名前を覚えていてくれたことだけでも相当の感謝である。そればかりか飛んできてくれて、色んなことをテキパキとこなしてくれたのだ。どれだけ感謝してもしきれないほど。一生の義理だと思う。
 小川さんが帰ってから、サンドイッチをひとかけらだけ食べる。今日一日何も食べてないのに食欲がまったくない。鏡でちらっと見たら、相当ひどい顔だった。
 少し経って、小川さんを紹介してくれた俊ちゃんから電話が入る。小川さんが気を利かせて連絡してくれたらしい。心配してくれていることが心に染みる。それから八戸さんに電話する。近くに住んでいて頼りになりそうな人……と考えたら彼女が浮かんだのだ。俊ちゃんは札幌で、八戸さんも青森にいた。でも、明日戻るのでそしたら来てくれるという。明日になれば誰か来てくれる。それがわかっただけでも随分マシになったような気がした。無性に体がダルくて眠気が襲ってくるので、小川さんが買ってきてくれたアイスノンを枕にベッドに入る。こういう時はマンちゃんが寄り添ってくれたり、顔を舐めてくれたりするんだよなぁ、と思ってマンちゃんを探したら、少し離れたところから様子を伺っていた。呼んでみたけど、近寄ってもこない。いつもは一緒に寝るくせに、なぜだか今日に限ってベッドにも来ない。後になって「顔が変わっていたので、俺だってことに気づいてなかったのかも」と考えてかなり落胆する。だって人間じゃないのだ。マンちゃんは猫なのだ。見た目じゃなくて、気配とか魂とかで認識してくれるものではないか。まったく薄情な奴である。
 マンちゃん、と何度か呼びかけて、無視され、なんでだよぉ…とすっかり弱気になりながら、いつの間にか眠りに落ちた。かなり嫌な夢をたくさん連作で見た。



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2004年5月

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