
2006年1月
1月1日(日)
いつもと変わらぬ朝。大晦日→元旦の間をとりたてて力むこともなく飛び越えて、いつも通りに迎えた朝。そういえば年賀状もろくに書いていない。それでも午前11時、軽バイクの渇いたエンジン音、続いて「コトン」。金属音が聞こえてきた。いや、聞こえてきた、のではない。耳を澄ましていたのだ。コトン。無事聞こえてきて、何だかちょっと嬉しくて、郵便受けのハガキの束を想像している。もう腰が浮きかけている。あの街の幼友達や、あの学校の先生を想っている。
そんなあれこれに、いつも通りに迎えたいつも通りの朝なのに、やっぱり今日は元旦なのだと、なぜか心が弾む。どうして弾むのか? 行いも改めず、特別な意気込みもなく、形も色も同じ朝なのに……と考えてみて、それはやっぱり今日が元旦だからなのだ、と納得する。納得してまたまた心が弾み、あげくにほんのちょっと行いを改めようとか、今年は(長年の先延ばしにしてきた)アレにそろそろ挑戦してみようとか、考え始めているのだから、元旦は大したものだと思う。僕も「元旦」のような存在でありたいと思ったりもする。
国立競技場。天皇杯決勝。例年通りに「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」の連呼。普段頭を下げるのが得意な人も不得手な人も、みんながみんな米搗きバッタのようになっている。国立競技場の長い廊下や記者席のあちらこちらでバッタ運動が繰り広げられるのを眺めながら、僕も「今日くらいは立派なお辞儀のできる大人になろう」と思ってトライする。
ちなみにサッカーマスコミでもっともホットな話題はドイツ・ワールドカップの取材パスを巡る争い。限られた枚数である以上、それはやっぱりコンペティションで、とりわけフリーランスにとっては4年に一度、露骨な個人評価を下され、順列を突きつけられる場でもある(もちろん、これは社会だし、競争だし、おまけに世界でもあるから、水面下では虚虚実実の駆け引き、政治的活動も行なわれる)。そんなわけでAD取得者が確定するまでは疑心と暗鬼で空気が淀んで、息苦しいことこの上なかったのだが、それも年末に発表されてようやく決着。そんなわけで今日のみんなの顔は(もちろん心中はそれぞれだろうが)憑き物が落ちてさっぱりしているような気がして、それもまた「今日から新しい年ですっ!」的な風景に思えて晴れやかだった。
決勝戦は浦和レッズが清水エスパルスを下して、25年ぶり(とギドが言っていた)のV。エスパルスも十分同点に追いつけそうな気配があったのだが、交代出場した平松がわずか12分間でいなくなり(2枚のカード)、自らフェードアウトすることになった。
帰りは浅田くん、岩澤さんを送りがてら、デニーズ@駒沢通りで夕食。元旦からファミレスはいかがなものか、と思わないではないが、ここは「いつも通り」を強調してスルー。3人で、ああだ、こうだ、なんで?と長〜いおしゃべり。話の内容は割愛。何がどうであれ、人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまうので。それに僕は僕で自分のことで精一杯でありたいので。
帰宅後、テレビ。今回のお正月は普段通りに仕事しよう、と思ってたのだけど。2時すぎ、テレビ+コタツでうとうと……で2006年一日目終了。
1月2日(月)
なんでかなぁ、今年も134号線、パシフィックガーデン前にて箱根駅伝を応援しながら落涙。とりたてて思い入れがあるわけでもないのに、ホント不思議。でも、なんでだかわからないところがいい、とも。「本当のこと」のような気がして。
夜は夜で、「はじめてのおつかい」を見ながらやっぱり……以下略。
あと「英語でしゃべらナイト」のフレーズ。GET LOST!(迷子になろう!)。そこのあなたに捧げます。LOST&FOUND(失って、見つけるのだ)。
1月3日(火)
是枝裕和監督「誰も知らない」。カンヌ、柳楽くんで話題の作品、いまごろ見ました。僕は嫌いではないけど、こういう映画、ホントにみんな好きなのか。やっぱカンヌだから? …と首を捻って、ゴッホの「ひまわり」大行列@バブル生保美術館を思い出してしまう皮肉なカワバタも、本日、41歳になりました。出会いと別れとか、ガッツポーズと井戸の底とか、ひとつひとつ思い出せば山あり谷あり長い長い時間だったような気もするし、そんなすべてをひっくるめて瞬き(まばたき)の間の出来事だったような気も。まさしく一夜も一生も同じ夢。願わくば、瞼を開かないまま、この夢を見続けられますように。
1月4日(水)
朝から茅ヶ崎市役所、世田谷区役所、横浜産業貿易センターと車をブンブン走らせて、パスポートの更新手続き。12日に受け取れるとのこと。それにしても住民票はともかく、戸籍抄本が必要とは思ってなかったので大わらわだった。以前、結婚したときに本籍を世田谷に移していたからよかったけど、そうじゃなかったら大分県中津市だよ。ドイツワールドカップの申請に間に合わないところだったよ。よかった、よかった。
1月5日(木)
2006年、最初の締切。原稿は短いのに、長い時間がかかる。1000Wとかって、もしかしたら一番苦手かも。克服課題だなぁ。上手にさくっとこのくらいのコラム書けるようになりたいなぁ。さらっ、ずきっ、ニヤッという展開が理想。トレーニングするべし。
1月6日(金)
夕方、ナラハシとサワノボリに電話。「田坂」本に協力してもらうため。ちなみに本の出版はまたしても延びたとのこと。「またしても」と非難口調ではあるけど、僕にも責任の一端がないわけではない(のだと思う)。そのあたり版元にも現場にもガミガミ言う人がいないのがこのまったりとした状態の原因。キャプテン役は面倒だし厄介だけど、誰か手を挙げないと。
1月7日(土)
サッカー番組2つ。NHK-BSで再放送の「戦後60年企画・日本サッカー最良の日」はメキシコ五輪銅メダルに至る1960年代を関係者の証言で構成したもの。“黄金の左”杉山がサッカーを始めるにあたり、「手でボールを触ってはいけなくて、足で扱うスポーツです」と明治生まれの父親に説明したところ、「せっかく五体満足に生まれたのに」と嘆かれたというエピソードに微笑み、長沼や岡野が語る“父”クラマーとの心の通い合いに胸が詰まる。やっぱり長沼さんにはもう一度ちゃんと話を聞いておきたい、と強い筆圧でメモ。
深夜、テレビ朝日「朝まで日本サッカー応援宣言」。恒例となった“サッカー朝生”ではあるが、何というか論点ゆるゆる。特に前半、「サッカー日本代表チーム」の話をするはずが、気がつけば日本人論に終始してしまって。いや、そっちはそっちで面白いんだけど、「ドイツ大会で日本代表はどこまで勝ち進めるか」の答えを「日本人の国民性」に帰結してしまうと、それは極めて情緒的な議論にしかならないわけで。僕なんかも一時期陥ってしまっていた落とし穴なんだけど、やっぱり「ピッチの中の問題は、ピッチの中の話で解決しなければならない」by後藤健生さん、なのである(「サッカーに見る日本人論」をやるならパネラーの顔ぶれが違うはず。せっかく豪華なサッカー人を並べたのだから「サッカー」の話すればいいのに)。
…と2つのサッカー番組を見ながら、ああ、昔の人たちには言葉があったな、そして、その言葉を裏付ける覚悟と志があったな、とか、きちんとドキュメントやられるとテレビ(映像付き)に対抗するのは至難の業だな、こちらの武器は筆力か、想像力か、どちらだろう?とか、うーん、やっぱり6月に向けてこの調子で扇情的なキャンペーンに拍車がかかるんだろうな、とか、感嘆したり、憂えたり。でも、このあたりの玉石混交ぶりがいかにもサッカー的で面白いところ。
1月8日(日)
今日も年賀状3枚。3枚届いたのではなく、3枚書いた。書いて、とことこ歩いてポストに投函した。今回の年賀状は(年末のうちにやれなかったので)開き直ってこんな調子でゆっくりのんびり返事書き。しかも、おっ、○○!と田舎の幼馴染、Aくんのハガキを読みながら、別の友達たちを思い出し、せっかくだからとアルバムを引っ張り出し、この機会に、とB子ちゃんに電話して近況を交換し、それをAくんへの返事に書いて……なんてやってるから、いつまで経っても進まない。でも、それなりに真っ当で、かなり贅沢な作業だとは思う。
ちなみにここまででもっとも印象的な一節。「ノンフィクションは自分の感動からスタートするのが正しいと実感しました」。駆け出しだった頃、お世話になったライターの先輩、越智さんが「星屑たち」を読んでくれての誉め言葉。誉め言葉ではあるのだけど、むしろ自省のきっかけとして肝に銘じさせていただきました。
1月9日(月)
なぬぅ〜。今日も祝日ですか!と(請求書とか納付書とか通帳とか持って郵便局へ出掛けていった僕は)憤慨したのだった。そして、ちょっとお休み多過ぎじゃないですか?と(世間ズレした、もしかしたら反感買いかねない感想を)思ったのだった。だって2週間くらい前から、やたらと休日ばっかなんだもん。そんなに休んで、つまんなくないのかなぁ?(←これ、ヒガミじゃなくて。「仕事」と「お休み」。仕事=嫌。お休み=バンザーイ!みたいなのって、どっかおかしくないですか? そもそも他にそんなにやりがいのあることが……。こういうこと言うと、マジで反感買いそうだけど)。
高校サッカー。野州が優勝。結局今年は1試合も見に行かなかった。それにしてもこの時期、国立の芝生、大変そう。
1月10日(火)
「VS」編集部新年会@新宿。職安通り越えの「てじまうる」にて一次会。2次会、カラオケへ向かう途中、萩原くんを誘ってシェリオン(久々で懐かしい)。歌手になるために広島から上京してきたヒロちゃんにエール。そろそろ現実に棹差そうとしているみたいだけど、やめなければいつか必ず叶うもんだよ、夢なんて。それからパセラ@区役所通りに合流、「夕焼けの歌」を熱唱後、3次会、韓国スナック@歌舞伎町でまたカラオケ。カメラマンチームの微妙なノリに微妙な気分。そういえば3時過ぎに杉山さんが来た。びっくりした。AFC最優秀カメラマンを送って早朝帰宅。
1月11日(水)
というわけで朝寝て夕方起床。夜、ベルマーレのイヤーブック、巻末のコラムというかエッセイというかポエムというか、を執筆。今年で4年目。サポーターの心象風景を抽象的に表現しようとしてきたのだけど、そろそろ大変。おまけにクラブオフィシャルなので。ま、クラブの方はさておくにしても、サポーターというのは自由意志に基づく個人の集合体だからなぁ。見ている景色も望んでいる未来もみんな違う。そんなこんなに心を砕きながらあれこれ考えていて、何年か前の僕のテーマ、「緩やかな連帯」を思い出す。顧みてあの頃イメージしていた状態ではないけど、少しは実現できているかなぁと確認して、ホッ。テーマとかキャッチフレーズなんてものはそのものが重要なわけではないから忘れてしまってもよいけど、「それを決めた」ということは重要なので。何より、人よりマシである必要ないけど、何年か前の自分よりはマシになっていたいと思うので。
1月12日(木)
未明、ロバート・ハリス著「ワイルドサイドを歩け」読了。途中からかなりの斜読み。決してクダラナカッタわけではなく、十分に、いや十二分に、そうそう、その通り、という内容だったので。その通り、俺もそう思う、まったく俺もそうだった、だからもう十分です、という感じ。
昼、パスポート受け取り@横浜。夕方、編集者の半田さん、エンターブレインの佐川さんと打ち合わせ@東京ドームホテル。帰りにインプレッション@駒沢で散髪。
夜、新パスポート番号を手にドイツW杯メディア登録。深夜、浅田くんと長電話。
1月13日(金)
午後、中山くんと来月創刊予定の新雑誌の打ち合わせ@新横浜。いま僕の知っている人の中で、もっとも忙しいのが中山くん。いつ寝てるんだか、どこからその元気が出てくるんだか、尊敬を通り越して呆れるほど。今日も朝から業者だとか取次だとかと交渉、僕と会う前にはえのきどさんと都内で打ち合わせし、僕と別れた後には横浜でタイアップの依頼をし、さらに夜には都内で打ち合わせ兼ねた飲みがあるのだそうだ。マメな僕はそんな中山くんがすっ飛ばさないように「カワバタとのお仕事一覧メモ」を作っていってあげた。
帰りに藤沢を通ったら丸井が閉店セールをやっていたので靴とシャツを購入。靴は冠婚葬祭用の黒の地味な革靴。急にお通夜だとか言われても履いていく靴がなかったので。シャツは帰り際、GAPで激安だったので。ちなみに閉店後この場所は「噂によれば電機屋さんになるらしいですよ」との店員さん情報。
1月14日(土)
目が覚めたら薄暗くて、時計見たら7時で、朝じゃないよなぁ、寝たの午前中だったし……。そんなわけでまたしても夕方の歯医者の予約をすっぽかしてしまいました。ごめんなさい。
1月15日(日)
さすがに昨日からずっと起きていたのだけど、結局昼ごろこたつでうとうとしてしまって、またしても夕方起床。悪循環とはこのことだ。カラダがダルイ。そういえばこの冬は「こたつ率」がかなり高い。半分もベッドで寝てないような。生活も睡眠もこの20年くらいずっとこんなのと、ちょっとマシなのの繰り返しだからいまさら気にしてもしょうがないのだけど。
ほぼ日手帳の「今日の一言」。「腰引かずにバット振ろう!みたいなのが最近のモットーなんですよね。思いっきり振ったら、当たれば飛ぶというのが最近身にしみてきて……」@宮本茂さん(すみません。誰だか知りません……)。そうだよな、「振らなきゃ当たらない」とか「打たなきゃ入らない」みたいな低い次元の話してる場合じゃないよな。みなさん、思いっきり振りましょう!かっ飛ばしましょう!
1月16日(月)
早朝寝て午前起床。湘南ベルマーレの新体制発表会見@サンライフガーデン。教会での会見の後、懇親会、その後上田監督のインタビュー。ひいき目に見ても今季は地味なメンバーであることは否めないが、だからと言って派手なメンバーだったら良い結果が出るとも限らないから、(ましてチームを見ていないいまの時期に)言えることはほとんどない。もちろん感想もまだない。
あと今日は電話が多い日だった。とりわけ福岡の、南区の中学時代の同級生、アタゴからの電話はちょっと感激だった。たぶんしゃべるのは十数年ぶりで、そもそも僕はこの中学校には1年ちょっとしか通ってないから、当時を含めてもそんなにたくさんしゃべったことはないはずで、おまけに彼女は(愛嬌があるとかそういう種類ではない)正統派な美人で、しかも国際線のCAで、と感激する材料があらゆるジャンルで揃っている相手なので。残念ながらいまや人の妻であり母親(同級生なのだから当然だけど)ではあるけど、僕みたいな「故郷なしっ子」にとって、こういうことは非常に貴重で嬉しい出来事。もしかしたら来月あたり会う機会があるかも。懐かしいな、楽しみだな。
1月17日(火)
阪神大震災から11年。あの日、テレビ画面の中にあった光景をいつものように思い出す。こういうことは忘れないこと、思い出し続けることが大事。そして、いつものようにあの竜巻のような煙の柱を見つめていたときの自分自身のことも思い出す。毎年書いていることだけど、あのときちょうど30歳になった僕は井戸の中にいて、あやうく(あるいは、もうちょっとで)漁師になる(あるいは、漁師になれる)ところだった。人や社会や時代から意識的に自分を隔離して、深い深い心の井戸の底で一人で考えたこと、絞り出した本当のこと、などなどを忘れずに思い出し続けることも僕にとってはやっぱり大事なこと。
午後、宮崎勤に死刑判決。昭和と平成の狭間で起きたあの事件は「いま」の時代が始まる警笛だったと、昨今の社会面を眺めながら改めて。
1月18日(水)
ニュースもワイドショーもライブドア強制捜査で埋め尽くされている。とはいえ、NHKのフライング速報に始まり、いかにもきな臭い。耐震偽装事件のカモフラージュにしてはターゲットが政権政党準公認候補というあたりが腑に落ちない。一罰百戒みせしめ捜査にしては異常に大掛かりだし。そもそも特捜って、疑獄にでも発展するのか。いずれにしても振り上げた拳は必ずどこかに振り下ろすのが検察なわけで、狙いはどこ?
午後、Jリーグ@御茶ノ水にて首藤さんと「サッカーJ+」の取材打ち合わせ。
1月19日(木)
ライブドア関連会社の副社長が沖縄にて昨日自殺の報道。この手の経済事件ではいつも死者が出る。もう忘れてしまったかもしれないが耐震偽装事件でもやはり自殺者が出ている。単なる「お金」を巡る事件に見えて、その裏には表沙汰にはできない筋や脈があるということ。つまり「闇」である。やはりライブドアは単なる経済事案としての捜査ではないのではないか。それにしても自殺の確定は早く、そのわりに発表が遅いのが不可解。この事件、不可解なことだらけだ。
ストライカーで連載中の「FEFC」がどうやら本になりそう。ありがたい。でも連載そのままではなく、物語部分は根本的にリライトというか、書き直すつもり。
1月20日(金)
僕の車にはナビがついていて、エンジンをかけるとそのナビが「今日は○○の日です」と毎日親切にアナウンスをしてくれるのだけど、彼女(ナビが女性の声なので)によればナント今日は「玉の輿の日」なのだそうだ。毎日毎日なんらかの「○○の日」が定められていることに感心したり、呆れたりすることにはもうすっかり馴れていたけど、さすがに「玉の輿の日」には驚いた。ということは「逆タマの日」もあるのだろうか。これからしばらく車に乗るたびに気になりそう。
夜、藤田俊哉からTEL。夕方一度かけたときに都合が悪かったらしく、「夜でよければこちらからかけ直します」ということで彼の方から電話をくれたのだった。当たり前のことではあるけど、選手やタレントにしては珍しく律儀な人だと感心する。取材は「田坂」本のため。ちなみにこの本は来月末に発売になる予定。
1月21日(土)
週刊誌の知人からTEL。やっぱり、というか、案の定というか、沖縄で死亡したライブドア関連会社副社長は自殺ではない(かもしれない)らしい。すでに複数のメディアが取材に動いているというから、かなり濃厚。だとすれば沖縄県警はなぜあっさり自殺を確定したのか。その経緯が気になるところ。普通に考えれば中央(警察庁)との間で何らかのやりとりがあったに違いなく、警察庁とどこかとの間でも何らかのやりとりがあったに違いなく。いずれにせよ自殺でなかったとしたら他殺になり、刺殺された人がいるということは刺した人がいるわけで。政治家や裏社会とはもっとも縁遠そうなITベンチャーの背後にもちゃんと闇は存在していたわけで。なんだか怖ろしいことになりそう。挙がった政治家や団体の名前が本当だとしたら秋の総裁選への影響も甚大。もちろんすべては検察が本気だったら、の話だけど。
1月22日(日)
徹夜。おかげで早朝から昼にかけて各局のサンデーなんとかを見まくる。当然、ライブドア一色。それにしてもテレビの絵作りは笑える。どこもかしこもホリエモン担当記者(ディレクター)の電話取材シーンである。これまでいかに親密にしてきたか、同じ携帯電話、同じ口で、どれだけ取り入ってきたかを晒してでも番組を作ってしまうノンポリぶりこそがテレビの強みと皮肉混じりに感嘆する。いずれにしても品があるとは言いがたい。
1月23日(月)
盛り沢山な一日。朝、クルマ屋さんが一年点検のため車を引き取りにきてくれたのに始まり、取材@御茶ノ水、打ち合わせ@渋谷、あと突然走りたくなってジョギングまで。おまけにクルマ屋さんが置いていった代車のカギを持ったまま出掛けてしまい、うちの前で数時間待たせてしまったり(結局渡せず仕舞い。ごめんなさい)、打ち合わせに行った先で登場した懐かしい名前に反応して長電話をしてしまったり……とにかくなんやかんやと珍しいことがたくさんあった一日だった。
あ、そうそう。これも珍しい、というか初めてのこと。「はじめましてメール」で原稿の依頼を、それも単行本執筆の依頼を受けた。もしかしてイタズラか新たな詐欺ではないかと現時点ではまだ疑い中。
1月24日(火)
終日自宅とその周辺。夕方、クルマ屋さんに昨日迷惑をかけてしまったカギを返却に行き、ついでに藤沢の無印で収納ケースを購入。店員さんがなかなか気の利いた人で助かる。
電話数件。田坂本のタイトルが「負けずじゃけん。」に決まった。発売は2月25日の予定。ストライカー連載「FEFC」の単行本化は3月中発売になるかも、とのこと。だとすると2月いっぱいに原稿を仕上げなければならない。あと昨日のメールでの単行本依頼。本物だった。いやー、時代は進んでる……のか? 仕事を請けるかどうかの判断は直接会ってから。
1月25日(水)
昼過ぎに寝て夕方起床。昨日「3月中発売も」と書いた「FEFC」単行本化。今度はペンディングに。ま、そういうこともある、さ。ただし、こういう場合のペンディングはそのまま自然消滅になることが多いので、やはり残念ではある。
夜から「誰パス」の原稿。
1月26日(木)
早朝、原稿終了。これから寝るのもなんだかなぁという気分だったので、朝っぱらから散歩に出掛ける。茅ヶ崎は細い路地が多いので、行き当たりばったりで歩いていると思いがけないところに抜けたりしてなかなか面白い。途中、高砂緑地で八木重吉の詩碑に感じ入ったり、美術館の図書コーナーでラチエン通りの名前の由来、ドイツ人輸入商ラチエンさんがハノーヴァー出身であることを知ったり、図書館の地元縁(ゆかり)の本コーナーで思いがけない本と遭遇したり、Pカンのポカポカ陽気の下、楽しい散歩だった。そうそう、茅ヶ崎市立図書館には小林さんという本博士がいます。なんでも知ってます。コンピューターなんかよるずっと有能で便利です。
昼過ぎに帰宅して「ZOO」。乙一の小説を映像化したオムニバス映画。アニメの「日溜まりの詩」は好きだった……なんてことをしているうちに、案の定、こたつでウトウト。結局起きたら夜だった。
1月27日(金)
早朝からジョギング。いまやこんな体型で、こんな息遣いではあるけれど、これでも僕は元ジョガーである。ランナーと名乗るには心もとないが、フルマラソン10回完走、サブフォー(3時間台)なのである!と力んでみたところで長年のブランクはいかんともしがたく、海まで行って、深呼吸して、帰ってくる、それだけでいっぱいいっぱい。まだ20代の頃、30になったらトライアスロンをやろう、なんて目論んでいたのだけど、その30代になったら足を故障して走れなくなり、そのままこんな体型の息切れ男になってしまったのだ。でも最近フットサルとかサッカーとかに誘われることがまた多くなってきたし、やっぱりスポーツやりたいよな、と今年はちょこちょこ走ってみている。いまのところ順調。このままなら春にはまたなんかできるかも。うまくすれば10年遅れでプラン達成だって。こういうのは10年遅れでもちっともカッコ悪くないどころか、かえってカッコよかったりするわけで。
1月28日(土)
「FEFC」の原稿書き。雑誌連載はいま書いているのがラス前。4月発売号にて連載終了の予定。
夜、えい出版の大橋さんが「田坂」本の校正紙を車でわざわざ持ってきてくれる。ありがたい&えらいっ。
1月29日(日)
早朝に起きてジョギング。昨日に続いて「FEFC」の原稿。その後、思い立って近所の開高健記念館。海に行くときにいつも前を通りながら、これまで2年間一度も訪れることができなかったので。だって平日やってないんだもん。海行くときはウエットだし。
晩年を過ごした旧宅をそのまま遺した記念館では、食道楽の先生に因んでフランス料理のシェフの講演が行なわれていた。「心に通ずる道は胃を通る」。その方面に縁遠い僕は、お話はパスさせてもらって仕事部屋などを拝見。テラスで一服しながらこれを機になんか降臨してこないかなぁ、なんて都合のいいことを願ったりするが、もちろんそんなことが起きるはずもなく、哲学の道を通って早々に辞す。「朝露の一滴にも天と地が眠っている」。これからも時々お邪魔します。
その後、パームブランチで昨晩大橋さんが持ってきてくれた「田坂」本の校正に赤入れ。パームブランチは真っ白いカフェで、あまりに真っ白なものだからこれまで敬遠していたのだけど、コーヒーお替り可の便利で気さくなとこだった。また来てもいいかも、と思いながら数時間、コーヒーのみでゲラチェック。ちなみにここは杉山愛さんの店。
……と書いて「?」。なぜ開高健は呼び捨てで、杉山愛には「さん」付けなんだ、俺は。いや、村上春樹だって綾瀬はるかだって呼び捨てだから開高健でも別に問題はないんだけど、なんで杉山愛は「さん」なんだろう、と。こういう場合は身近な人に対しては「さん」を付けてしまう傾向があると思うんだけど、杉山さんとはお話もしたことないし、去年ローランギャロスで目撃したけど、それだってこっちが一方的に見ただけだし。どっかで身近に感じてるのかな。いやあ不思議だ。
1月30日(月)
今日も朝起きてジョギング。午前中に原稿@フットボールライフを終わらせて、午後はそのフットボールライフの取材でベルマーレに来ていた中山くんを激励、というかつかまえに。同誌の創刊でひっちゃかめっちゃかに忙しい中山くんと会って話をするのは相当難しいのだ。
打ち合わせというか雑談コミュニケーションした後、普段はレポーターで今回はライターの脇本さんも含めて3人でファミレス。脇本さんは肌が真っ白で、おまけにノースリーブで、見た目華やかなんだけど、実はお芝居やってる人で、ほのかにアングラ感もあっりして、僕的にはかなり前のめりで話が弾んだ。
1月31日(火)
朝、えい出版の大橋さんが単行本のゲラを取りにわざわざ来てくれる。一昨日に続き、すごい。ちなみに大橋さんは明後日からヨーロッパへ出張で、それまでにこの本の入稿を終えなければならない。そんな忙しいときにわざわざ足を運んでくれたことに感激しつつ、ちゃっかり都内まで車に便乗させてもらう。雨も降り出したので、非常に助かる。
午後、Jリーグの取材@JFAハウス。以前、「サッカー批評」でやったサッカー協会事務局取材と同様に、午後中かけてJリーグ事務局の職員4人に話を聞く。今回は新事務局長の羽生さん、運営部の小亀さん、事業部の成川さん、それに元浦和レッズの、いや技術アカデミー部の佐藤さん。
夜、表参道で会食。「しまだ」のカレーうどん。めちゃめちゃうまかった。