2006年2月


 2月1日(水)
 午前、佐野さんとTEL。いつの間にか彼女もすっかり業界通。へーっ、そっちはそんな感じなんだ、あっちはそうなってるんですか、で、あそこはどんな感じなんでしょうか? なんて色々スポーツマスコミ事情を教えていただく。それはありがたいのだけど、ホントにここでいいわけ? やりたかったことはこれ?と微妙な気分でもある。
 午後は古橋達弥の原稿@スポルティーバ。えっと、取材したのが1ヶ月以上前で、書店に並ぶのは1ヶ月後です。なので、思い出しながら、予測しながら、の原稿書き。

 2月2日(木)
 昨日に続いて原稿書き。今日は掌編のフィクション。長い間、色んな雑誌の色んな編集者に「書きたいんですけど」とお願いしてきた企画がやっと実現。フィクションは単純に楽しいので、すらすらと。
 あと今日は山内さんからも何年ぶりかで原稿依頼を頂く。年賀状で「書きたい」と伝えておいたら早速のリアクション、非常にありがたい。こちらもフィクション。ちなみにどっちもペンネームです。ノンフィクションは取材相手への誠意もあるので本名で、フィクションは(筆者の名前で先入観を持つことなく)素読みしてほしいのでペンネームで、というのが僕の考え方。

 2月3日(金)
 Pカン。なので久々にボード抱えて海行ってみたのだけど、風強すぎてNO SURF。小川さんと会った。小川さんはウインド。それでも大変そうだった。
 ほぼ日手帳の今日の一言。「アイデアは近くにいっぱい転がっているんです。どこかに特別なものがあるわけじゃないんです」@スタジオジブリ・鈴木P。そうなんだよなぁ。特別なものがあるわけじゃないんだよなぁ。「アイデア」は他のものでも流用可。例えば、チャンスとか、出会いとか。

 2月4日(土)
 ベルマーレスポーツパーク@馬入。サッカーの紅白戦、ソフトボール、トライアスロンなどの教室など。サッカーは突然ブラジルの匂いがしてた。やっぱすごいな、ブラジル人選手は。いるだけでリズム変えちゃうんだから。
 その後、SCNチームらと水川さんのお見舞い。まったく知らなかったのだけど、水川さんは顎をケガして入院してた。口が開かないらしく大変そうだった。何でも飲んだ帰りに(誰かに?)突き飛ばされて倒れたとのこと。

 2月5日(日)
 終日、原稿書き。原稿は先日取材した「Jリーグ事務局」について@サッカーJ+。

 2月6日(月)
 午前、銀行など雑用。午後、ベルマーレに遠藤さんを訪ねて、「ダイジェスト」の名鑑用に情報収集。アルバイトしている青木さんから「Jリーガーの報酬制度」に関する論文を借用。夜中にパラパラめくったら興味深い記述が散見していておもしろかった。卒論用らしいけど、ちゃんと<聞き取り調査>してて具体的で、大学のゼミなんかがまとめる論文にありがちな机上論でないところがいい。

 2月7日(火)
 夕方、電話。えっ。あまりに思いがけないことでピンと来ない。ちっとも悲しくもならない。リアリティがまったくない。遠いアフリカでの出来事で、まだ詳細はもちろん真偽も不明。通信社のニュースサイトにも出てない。
 夜になってあちこちから電話がかかってきて「事実」だと認めざるをえなくなってくる。懐の深い、やさしい人だった。チャーミングで、いつもまあるい笑みを浮かべている人だった。つい最近「カワバタくんも、すっかり先生だねー」と冗談めかして僕の仕事を見ていることを伝えてくれたときも、やっぱり笑っていた。

 2月8日(水)
 メシ飲み@三茶。メシ飲みって言ったって飲んでたのは僕だけだけど。それにしてもほとんど初対面とは思えない、しっくり具合だった。もともとそんな気してたけど、頭も勘も心意気もよくて。「よい」というより「合う」というべきなのかもしれないけど、やっぱりなぁ、という感じ。
 この場合の「合う」は、趣味が、とか、経験が、というような、つまり共通項が多いという意味ではなくて、もっと根っこのところの話。算数の授業の「集合」でいえば、2つの円の重なっている部分が大きいほど、普通、人間関係は築きやすいんだと思うけど、そんなこととは関係なく共鳴できるこういう人がたまにいる。本当にたまにだけど。でもそんな人と出会える可能性を信じているから僕は生きていけるのだ、なんて大袈裟なことも思ったりする。

 2月9日(木)
 夜、ギャラ遅延の件でTEL。昨年末から同じような話をずっと続けてきてアホらしくなったので、「もう面倒臭いから、払ってくれなくて結構」と告げる。そっちもこっちももうその方がいいじゃん、という気分。少なくともこっちに関しては、金額よりストレスが圧倒的に大きい。
 ちなみに僕は18年間フリーライターをやってきてギャラを取りっぱぐれた経験がある。その会社は「来月には」「この次の振込み日には必ず」とやりながら、結局不渡りを出して倒産してしまった。倒産されてしまうと微細な債権者であるフリーライターは取り立てが困難になる。だから、それ以後、ギャラの支払いが遅れる取引先(出版社であれ、編集プロダクションであれ)には僕は十分用心するようにしている。まあ、今回は倒産するような話ではないだろうが、システム的にか、人的にかはともかく「会社」として極めてルーズであることに違いはないわけで、やはり要注意ということになる。
 ついで言うと、いざ会社が倒産となると社員というのは豹変する。自分たちの給料も危うくなってしまうから、それどころではなくなってしまうのだ。そして外部のフリーライターに、ついこの前まで「すみません、来月は払うと経理も言ってますので」と伝えていたことなど、すっかり忘れてしまう。「来月払うと言ったじゃん」と詰問しても、「僕だって被害者です。給料もらってないんですから」なんて逆ギレされるのがオチである……などなど考えてたら、倒産目前の会社に出掛けていって、社長室で社長の財布から何万円か払わせたことがあったなぁ、なんて不愉快な思い出も蘇ってきた。ああ、ホント、不愉快。

 2月10日(金)
 練習試合、湘南vs山形@大神。サイドだね。どうサイドに持っていくか。その前にどうスペース作っておくか。
 昨晩の電話の相手がさすがにやって来て、ファミレスで打ち合わせ……じゃないな、こういうのなんて言うんだ? ま、なんせ頭を下げられた。僕は甘いから、これで手打ち、というか、水に流すことにした。もちろん信頼というのは損なうのは簡単で、築くのは時間のかかることだから、この先のことはわからないけど、まあなんせ「水に流す」ということにした。もっとも僕はてっきり現金で持参してきたのかと思ったら、そういうわけではなくて、それどころか菓子折りも何も持ってなくて、手ぶらだった。もちろん僕は(たぶん誰だって)菓子折りなんて欲しいわけではないが、こういう場合には格好だけでもいいから何か提げていくのが常識だと思って生きてきたのだけど、どうやらその辺の常識も違うみたいだった。最近は会社でそういうこと教えないのかな。僕も会社で教わったわけではないけれど。
 夜、トリノ五輪開幕。開会式の実況に、「3大テノール」とかの素晴らしさをわからない自分の民度の低さを思い知る。

 2月11日(土)
 上村愛子、5位。コークスクリュー、すごかったんだけどな。タイムが遅かったらしい……って、そういうの後から言うなよ。前煽りでは、そんなこと言ってなかったじゃん。ワザが決まったから、おおっと前のめりしていたのに。あれじゃ、詐欺だよ。視聴率のために視聴者を騙してるといっても過言ではない。限度超えてんじゃないの、最近のテレビ。そこまでやらないと見てくれないと思ってるのなら、そもそも中継しなきゃいいと思うのだけど。

 2月12日(日)
 ラグビー日本選手権で早稲田がトヨタに28対24で競り勝つ。ノーサイドまでの数分間、両者のせめぎ合いは見応えがあった。久々にテレビの前で力んでスポーツ見た。大学勢が社会人から(実質的に)勝利を挙げたのは1988年早稲田が東芝府中を破って以来、18大会ぶりとのこと。釜石とか神戸とかの黄金時代以外、僕が子供の頃は勝ったり負けたりだったような気がするんだけどな。オールブラックス級の外国人選手が社会人に加入するようになってから日本のラグビー界の力関係はすっかり変わった、ということでいいのかな。おまけにラグビーは「大人」のスポーツだから環境さえ整えられればやっぱり社会人の方が上に行くということなのだろう。もっともそんな社会人を中心としたジャパンが、「世界」からは果てしなく引き離されているわけで、ワールドカップ招致失敗の顛末も含めて、グランド内外で日本ラグビーは苦しい。
 それにしても、おおっ、1988年、僕がこの仕事を始めた年だ。我ながらよく生き残ってるなぁ。

 2月13日(月)
「VS」編集部を訪問。いやあ、光文社久しぶりだ。何だか嬉しい。1988年から3年くらい大変大変お世話になった。そんなわけで「週刊宝石」時代の話とか、スポーツマスコミの話とか、ドイツW杯の話とか、護国寺、銀座と流れながら。未明、茅ヶ崎移転後、初めてタクシーにて帰宅。高沼編集長が小田原在住だったので。みんな色んな日々を乗り越えて、いや、抱きしめて、今日を笑って生きている。

 2月14日(火)

 ここ数日1988年づいていたのに触発されて「1988」に書いた(と思われる)習作を「History」にアップ。コッパズカシイけど、人間の中身、大して変わってないな、俺。

 2月15日(水)
 Jリーグの某クラブとライブドアとの関連について動いているメディアがある、と知って、そういえばあのクラブはこれまでにも色々噂があったな、と胸騒ぎ。まあ大丈夫だと思うけど。
 夜は旧友再会フォーエバーヤング+αな夜@渋谷。人妻になってもお母さんになってもキレイな人はキレイ。+αな人にはちょっと迷惑かけたかな。僕は汗臭い奴なので。

 2月16日(木)
 富樫洋一さんのお葬式@上野。中学時代からの先輩後輩関係であるという葬儀委員長の、過ごした時間分濃厚で、繊細で、逞しい、友への呼びかけに胸が詰まる。「トガシ、君は記憶に残るプレイヤーとしてこの世を去った」。本当に。合掌。
 出棺後、思いがけず再会した小原さんと昼食@新宿。小原さんは背中に羽根が生えてそうなほど正直でやさしい人。今日みたいな日に一緒にいられて幸運だった。

 2月17日(金)
 原稿書き。先日とは別の、もう一本のフィクションを、もう一つのペンネームで。

 2月18日(土)
 日本vsフィンランド@エコパ。こういう練習試合もあり、か。試合前、記者席にいてふっと富樫さんの不在を実感する。いつもならトヨタカップのベンチコート着て、えっちらえっちら階段を上がってくる富樫さんがもういない。こういう「ふっ」が一番キツイ。
 試合後、実家に泊まる田中くんを静岡まで送り、ついでに焼肉をおごってもらって、それからぶんぶん車を走らせて深夜帰宅。完徹だというのに、茅ヶ崎着後は浅田くんと朝までテレビでトリノ五輪のカーリングを観戦。二人ともすっかりハマっている。

 2月19日(日)
「週刊ブックレビュー」の後半の特集、「日本語とはどういう言語か」が非常に面白かった。とりわけ縦書き言語と横書き言語についてのくだり。紙=世界になぞらると、天と地を明確にする縦書き言語はそれ自体すでに宗教性をはらんでいて、一方、天と地を横に突っ走る横書き言語は話すことに宗教性を託している、といったあたり。あと「言葉なんて覚えるんじゃなかった」@田村隆一。鳥のように一声啼けばすべてを伝えられるのではなく、人間の言葉は次から次へ紡ぎ出さねばならず、それでも伝えきれずにまた紡ぐ……にしみじみ共感。

 2月20日(月)
 
HDD録画していた「時代屋の女房」@日本テレビを見ながら、渡瀬恒彦、野性味消えたなぁとか、伝説の夏目雅子と比べられるのは酷だけど、大塚寧々って儚くてキレイだなぁとか、YOUって蓮っ葉な役やらせるといいんだよなぁ、とか。それにしても、なんだっていまごろ「時代屋…」なの?と思いながら見始めたのに、終わり頃には「安かろう、悪かろうではなく、これからはちゃんとしたモノを使って暮らしていこう」と考えてたりするから、僕は単純だ。
 カーリングはスイスに負けて終戦。最後は紳士、いや淑女スタイルでギブアップ。英国系競技だなぁ。ゴルフに近い。

 2月21日(火)
 
未明から早朝にかけて「青い車@奥原浩志」、朝から昼にかけて「アイデン&ティティ@田口トモロヲ」と映画2本を立て続けに観る。どっちも超カッコよかった。「面白くもないのに笑うな」Yeah!「本当バカだぜ、息の仕方を知ってるだけでも奇跡だぜ」ロックンロール!「男は女性が許可したことや励ましてくれた以外は何もしない」。まったくです。そして「すべての愛を与えてくれる人がいたら心して受け取り、逃してはいけない」にしんみり。

 2月22日(水)

 早朝、トリノ五輪、ニッポン最後の砦、女子フィギュア・SP@TV。午前、読書。昼、歯医者、とやってたら寝る時間がなくなってしまて、そのままアジアカップ予選、日本vsインド@日産スタジアム。正直、眠かった。
 試合前、昨年、甲府取材で出会った長田さんとコンコースで少し立ち話。3月でいまの仕事を辞めて、「一回ゼロにして考えてみる」のだそうだ。天職を辞める勇気もさることながら、「ゼロ」にする姿勢を僕は後押しする。ゼロにして、自分で考えて決める、という作業はイージーではないけれど、最高に贅沢なことだと思うからだ。誰でもできる贅沢だけど、不思議とみんなやらないんだけど。

 2月23日(木)
 もはや永田議員も民主党もボロボロである。これが「国会議員も政党も政治も」となってしまうと非常に問題なのだが、現実はすでに「そんなもんでしょ」的にシラケている。この上、民主党に対して自民党が武士の情けなんてものをかけたら、国会そのものが「やっぱりね」ということになってしまう。政党同士で情けなんてかけあったりして、要するに今回は貸しにしとくから、次なんかあったらよろしくね、なんてことをされたら益々シラケるばかりである。
 そんなことより実はここ数日気になっていたことが晴れてすっきり。実は永田某にメールを渡したフリージャーナリストというのが先輩のYさんではないかとヒヤヒヤしていたのだ。でも本日、別人と判明。よかった、よかった。で、ホッとしたのも束の間、今度は「P」誌のNとイニシャルを聞いて、またドキッ。そういえばライブドアの取材もしていたみたいだし…とまたもやヒヤヒヤしていたのだが、こちらも別人であることが判明。いやあ、ホント、よかった。ん? 待てよ。よかった、じゃなくて、こういうのを「残念。せっかくのネタだったのに」と感じられないんじゃ、フリーライター失格かも、な。

 2月24日(金)
 早朝、荒川静香、金メダル。それから仕事の連絡などしてたら寝る時間がなくなってしまって、そのままJリーグプレスカンファレンス@六本木ヒルズ。最近、このパターン多い。やっぱ時差というのは甚大。昨夏、アテネのときもヤフー・スポナビで速報やってたから毎日ほとんど眠れなかったし。そう考えると、やっぱ2002年ワールドカップはすごいことだったんだなとしみじみ。だって時差なかったんだから。招致して開催した人たちは何がどうであれエライよ。何もしないで楽しませてもらった上に文句ばかり言ってる人たちはダサイよ。少なくとも片手落ち。
 プレカンは昨年までは高輪プリンスでやっていたのだが、今シーズンはなぜか六本木ヒルズ。事情は知らんけど、この御時世にヒルズでやるなんて明らかにズレてる、と僕はやや不機嫌で、関係者に八つ当たり気味。まったくもってガキだ。帰路はSCNチームの車で送ってもらえたので楽チン。ラッキーだった。

 2月25日(土)

 昨晩早々に寝たので早朝6時すぎに起床。久々の早起き。そういえば昨夜中、マンちゃんがトイレに流された。僕がおしっこをしていたら、マンちゃんがやってきて、いきなり便器に飛び込み、あの小さな穴に吸い込まれ、ずぼっと流れ去ってしまったのだ。僕は走った。どこへ走っていいのかよくわからないけど、とにかく走った。マンちゃんをどうやったら助けられるか、思いっきり焦りながら走った……と、そこで目が覚めた。いやあ、すごい夢だった。夢だとわかってホッとしたけど、結局僕はベッドから飛び起きて、やっぱり走った。そして居間のコタツ布団のへりで丸くなって寝ているマンちゃんを見つけて胸を撫で下ろし、抱き上げてベッドに連れ帰り、一緒に寝た。その後も何度か起きて、いるかな?と確認した。それにしてもホントものすごい夢だった。
 そんなわけで焦ったり走ったり忙しい睡眠ではあったけれど、早起きのおかげで今日はなかなか清々しい一日だった。天気がいいので早朝から洗濯をして、パンパンやって干して、渡部篤史の「建物探訪」を見て、午前中から仕事もバリバリやった。正午にはもうノリノリだった。
 休憩では昨日中山くんから貰った「フットボールライフ」の創刊号をパラパラ。僕がイメージしていたよりずっと凝縮感があってちょっとびっくりだったけど、前の方の力の入り具合とか、後ろの方の力の抜け具合とかに、中山くんがやりたかったのはこういうことか、と少しわかった気がした。特にソンヤンのページ(10万円で全国Jクラブ巡り)とか、えのきどさんのページとかを読んでたら、僕もどこかに行きたくなってしまった。とりわけ大泉町。僕も行ってみたいなぁ。でも、それ以上に桜橋のマンションに行ってみたいなぁ、なんて思ってしまうあたり、えのきどさんの芸にすっかりヤラれている。それにしてもソンヤンは羨ましい。僕ももう一度こんな頃に戻って、こんな扱いを受けてみたいのだけど、さすがに最近そういう仕事は回ってこなくなった。昔は「目指せ、わらしべ長者!1万円で全国競馬場深夜バス巡り」なんてやったのになぁ。楽しかったのになぁ。いずれにしても、こういう気分になれるところがこの雑誌の肝であってほしいと個人的に思ったりする。
 夜は湘南ジャーナルの山下さんと会食。ベルマーレについて話をしながら。

 2月26日(日)
 
腰の痛みが激しい。立ったり座ったりが難しい。僕はヘルニア持ちなので。でも手術なんてしたくないし。
 夕方、亀田家の次男、大毅のプロデビュー戦。TBSすごい。特に入場。あれって、やっぱり京の五条の橋の上…をイメージしのかな。弁慶にちなんで。あんまりすごすぎて肝心のファイトの印象が薄れてしまうのが玉にキズではある。

 2月27日(月)

 腰の痛み、相変わらず激し。明日は甲府までドライブなのでできるだけ安静に。

 2月28日(火)
 中山くんと甲府。うまくいけば今日のうちに多少なりとも取材…と思っていたのだけど、うまくいかず結局、石和温泉の旅館にチェックインして、中山母ご推薦の「小作」で夕食を食べて初日終了。
 夜は、ロビーのテレビで日本vsボスニアを観戦。その後、互いに「ちょっとだけ」と仕事を始めたら、2時過ぎになっていて、それからそそくさと風呂に入り、また「ちょっとだけ」と仕事して朝方寝る。せっかく前泊してるというのに、まったく中山くんは働きすぎ。それにつられてしまった僕もどうかと思うけど。