2005年6月


 6月1日(木)
 ナンバー、VSの打ち合わせ@都内。夜、安田さんの芝居@中野「ポケット」。その後、中山くんと打ち合わせの後、渋谷へ移動して平田さん、新井さん、秋田さんと飲み。

 6月2日(金)
 銀行、ヤマダ電機、ラスカなどで雑用&買物。午後、原稿のゲラチェック、仕事の打ち合わせなど。深夜、ドイツへ持っていく食材の買出し。ドイツでのスケジュール、連絡先などをホームページにアップ。関係者にメール。

 6月3日(土)
 早朝家を出て茅ヶ崎駅→YCAT→そして成田空港へ順調に到着。でも順調だったのはここまで。とりあえずチェックインを済ませ、それからのんびりしよう……と一服したいのを堪えてルフトハンザのカウンターに並んだのだが運のつき。10分経っても20分経っても列はぴくりとも動かず、むむっ、と思った頃にアナウンス。「現在コンピューターシステムが故障しております。しばらくお待ち……」。結局そのまま1時間半、列に並んで待たされたのだった。おまけに連れのいない僕は列から離れることができず、煙草を吸うこともトイレに行くこともできず、ただただ並んで待ち続けるしかなく。やっと列が動き始めて、順番が来て、ボーディングパスを手にしたときにはすでにボーデンングタイム。にもかかわらずイミグレも長蛇の列。かといって、とりたてて誘導されるわけでもなく、そのまま再び列に並び、ようやく出国手続きを済ませたら今度は呼び出し。結局、そこから駆け足で搭乗口へ向かい、煙草の一本も吸えないまま機上の人になったのだった。2時間も前に空港に着いてたのに。もちろん空港でやるはずだったこともできず、買うつもりだったものも買えず。今回はどうせバタバタの旅になるのだから、せめて出だしくらいは余裕を持って、と思っていたのに。
 機内ではひたすら爆睡。昨日、一昨日とほとんど寝るヒマがなかったことが奏功し、もうほとんど寝ていた。気がついたら離陸していて、気がついたらみんなが食事をしていて、気がついたら隣の女の子がいびきをかいていて。あんまり寝過ぎるのもナンなので、最後の2時間くらいは無理やり起きて映画「ゴール」を見る。失笑した。
 フランクフルトでもやっぱりダッシュ。遅延したので。最後のバスに日本人2、3人と乗って搭乗。そんなわけでデュッセルドルフの空港でちゃんとスーツケースが出てくるか不安だったけど、ちゃんと到着。あの短時間に大したものだ。ターンテーブルで荷物を待っている間にフランクでも一緒のバスだった日本人女性、矢野さんと少しお話。スウェーデンに旅行に来ていたのだが、明日日本代表が試合をやると知って、わざわざこちらへ回ってきたのだという。「私は大したことはないのだけど、弟がサッカー馬鹿なもので」という弟さんは成城大学でサッカー部のコーチをしているということだった。成城大学といえば……と共通の知人の話などする。
 タクシーでアパートへ。住所頼りに向かうが少し迷った。これから1ヶ月過ごすオークイン(別館)は新装されたばかり。きれいだけど、ペンキの匂いが気になる。何はともあれ、通信のテスト。問題なし。ホッとする。これがうまくいかないとストレス多いので。
 夜、ボンの練習から帰ってきた尾崎さんと夕食。こっちのことなど教えてもらう。晩飯は駅のピザーラ。なんだか無性に油っこいものが食べたかったので。

 6月4日(日)
 ケルンにADをもらいに行く。デュッセルドルフからケルンまでは……と自動販売機で9ユーロの切符を買ったまではよかったのだが、どの列車に乗ればいいのかがわからない。特急だとか急行だとか鈍行だとかがあるみたいだけど、どれが止まるのかよくわからないので何人かに聞いてみたのだけが答えはまちまちで要領をえない。おまけに「ケルン」と言っても通じなかったりして。面倒臭くなったのでケルンを通りそうで、大きな荷物を持っている人が多い列車に適当に乗る。大都市だから長距離列車はきっと止まるだろうし、その方がきっと早いはず。
 あっという間にケルンに到着。Uバーンに乗り換える。乗り場まではすぐに行けたのだが、これがまたどの列車に乗ればいいのかわからない。そりゃそうだ、どこ行きに乗るべきなのかそもそもわかってない。ガイドブックくらい持ってくればよかった、と思ったけど、面倒臭いのでやっぱり適当に乗る。考えてみたら日本でもいつもこんな感じだ。ついでに人生もこんな感じだ。カンは大事だ。
 あとこっちの駅には改札ってものがないから、切符を買いそびれてしまった。悪気はなかったのだけど、ホームに着いて列車が来たので乗ってしまった。ごめんなさい。
 Uバーンを降りて地上に出て、今度はトラムに乗ろうとするが、もうまったくわからない。わかないけど、やっぱり適当に電車に乗ろうとしたら、「カワバタさーん!」と呼び止められた。夕刊フジの市川さんだった。「おおーっ。AD作った? 俺もこれから行くところなんだよ」なんて話しながら、、トラムのステップに足をかけ半分乗り込んで一応念のために「これってスタジアムに行くよね?」と尋ねたら「反対方向ですよ。だっていま私、それに乗ってスタジアムから戻ってきましたから」。ええーっ。慌てて飛び降りる。危ないところだった。カンはあてにならない。それにしてもイチカワタカコももう少し切羽詰ったアドバイスをしてくれてもいいのではないか。
 少し立ち話をして、反対側の路面電車に乗る。念のため、「スタジアムに行きますか?」と近くにいたドイツの女性に尋ねる。彼女はうなずいてくれただけでなく、親切に「15分くらい」と教えてくれ、その上、隣の席に座るように促してくれる。ドイツの人は親切みたい。よかった。
 メディアセンターでADをもらう。写真撮影のときに「スマイル」とスタッフが陽気に言ってくれる。が、僕はカメラを向けられるとうまく笑えない。普段は笑うの大得意なのに。できあがった写真の顔はいつものように少し硬い表情。そして髪の毛には寝ぐせがついていた。
 ADセンターでドイツ生まれでドイツ育ちの日本人、働一馬くんと知り合う。すぐに意気投合して、というか彼はとっても親切で、僕をデュッセルドルフまで送ってくれることになった。彼が上司の許可をとってくる間少し待って、それから一馬くんのポロでアウトバーンをかっ飛ばす。
 僕は新幹線で隣り合わせた人の家に泊めてもらったこともあるし、飛行機の中で親しくなった人と長年文通をしていたり、中にはもっと深い関係になった人もいる。ちょっと前まではそんな話をするとみんな面白がってくれたけど、最近ではむしろ怒られるようになった。その人が悪い人でうちに泊めたあげくに何か盗んだり、もっとひどいことをするかもしれない。危ないじゃないか、というのだ。あるいは、その人が悪い人でなかったとしても、もしも必要以上に親しくしたあげくに、その人に何かが起きた場合、どう責任をとるのか、というのである。
 でも、そういうふうに僕を叱る人に限って、刺激を求めていたりする。そのくせアクシデントやハプニングを許容しない。それどころか「感動する」と評判の映画を、感動しようと思って見に行き、本当に感動してしまったりする。泣いてたりする。感動って、思いがけないことに出くわしたり、びっくりしたときにするものだと思うんだけど。まったく理解できない。
 思いついたのでついでに言えば、リスクがあるから…とチャレンジを断念したりする人のことも僕はまったく理解できない。だってリスクってチャレンジしてから生まれるものなんじゃないか。チャレンジする前にリスクだけ想定しようとすること自体がそもそもおかしい。だいたいチャレンジとリスクは常にセットだし、リスクがなかったらそれはつまりチャレンジじゃないということだし。とにかく「うーん、やろうかな、どうしようかな……」と迷っている段階ではまだリスクなんて存在していないのだ。なのに、あたかもそれがすでに身に降りかかっているかのように先回りして心配してしまうのだから、僕にはただの心配性(それもバーチャル)にしか見えない。その気になり過ぎである。心配しなくても何もしなければ何も起きないよ……なんてドイツに来て早々くだらないことを書いてしまった。そして僕は相変わらず性格が悪い。こんなんだからいつまで経っても一人者なんだ、ってそこまで自分を貶めることもないか。
 とにかく僕と同じように、一馬くんにはまったく力んだところはなく、乗せていってあげますよぉ、どうぞどうぞってなもので、僕もまた、マジ? ラッキー! 助かるよぉってな感じで、ケルンからデュッセルまで約40分間、あれこれしゃべりながらドライブを楽しんだのだった。雑談は、サッカー、日本代表、あと一馬くんのカノジョの話とか。ちなみに一馬くんのカノジョは年上のドイツ人、ブロンドらしい。ブロンドはドイツではステータスが高いみたい(な口ぶりだった)。
 アパートに戻った後、浅田くん、尾崎さんとUバーンに乗って、マルタ戦の行なわれるLTUスタジアムへ。今度は浅田くんが一緒なのでまったく心配なし。浅田くんの下準備は僕の百万倍くらい立派なので。Uバーンの中では、オランダから来た日本人一家と会った。今日のゲームは、ヨーロッパ在住の日本人にとってはちょっとしたイベントなのだ。家族揃ってレプリカユニホームを着ていた。スタジアムに着いたら、「あーカワバタさーん」と日本人のおばちゃんが駆け寄ってきて、誰かと思ったら昨日デュッセルの空港で会った矢野さんだった。弟さんの件といい、ちょっと縁がありそう。京都の人なので、いつか訪ねてみたい、なんて思う。
 日本対マルタ戦はおそろしく退屈だった。俊ちゃんたちと雑談モードで見ていた。試合後のミックスゾーンも試合同様やっぱり「?」な空気。とてもワールドカップを目前に控えたチームとは思えない。夏の大会直前の僕らの方がよっぽど気合が入っていた。
 デュッセルドルフ駅まで戻って、フリーの仲間と夕食。なぜか中華。ま、いいけど。店を探して歩いているとき、「なにわ」に大行列ができていた。なにわはヨーロッパでは有名なラーメン屋らしい。ものすごくおいしいかどうかはさておき、日本で食べるのと同じような味を堪能できる、と浅田くんが言っていた。きっとヨーロッパ各地から日本代表を見に来た邦人たちにとっては、この機会に「なにわ!」ということなのだろう。どこにでもおいしい日本料理屋があるわけじゃないから。ちなみに店内には中田英寿や小野伸二のサイン色紙も飾ってあるとのこと。滞在中に僕も一度くらいは食べてみようと思う。
 中田といえば、「なにわ」のすぐそばに「nakata.net CAFE」もあった。2002年に続いて青山にできたカフェのドイツ版。デュッセルドルフはヨーロッパでロンドンに次いで日本人が多い街。もっともカフェといってもパン屋を改装しただけみたいだった。

 6月5日(月)
 Pカン。昼からデュッセルドルフ市内を少し歩く。今日は聖霊降臨祭で祝日。何の祝日かはわからないが、きっと宗教関係なのだろう。Pカンだが、やはり少し肌寒い。僕は長袖ポロシャツ。
 駅で列車の予約。DB(ドイツの国鉄)がスポンサーなので、大会期間中はADカードを持っていれば列車はタダになるが、予約には3ユーロが必要。ニュルンベルクでの日本代表の試合は7時台の列車が満席、それじゃ6時台で…、えっ満席? のあげくになんと4時半にデュッセルドルフを出る列車しか取れなかった。
 その後、市街地を歩く。ケーと呼ばれる繁華街(ブランドショップ、デパート、お堀、カフェ)を抜けて、ライン川に出る。流れが速い。土色に濁った水が左から右へ、やや獰猛ささえ感じる流れ。大道芸人が何かやっていて、それを大人も子供も集まって見ている。中年の夫婦、の妻の方が助手に指名され、いじられる。彼女のパーソナリティがさらにその場を和ませていた。
 夜は原稿を書いた。本当はここへ来る前に終わっているはずの原稿。深夜、日本から持ってきたレトルトのカレーを温めて、レンジでチンするだけのインスタントごはんにかけて食べる。
 夜、なんとなく音楽が聞きたくなって、日本のサイトにアクセスして試聴版をダウンロード。♪何もいらないさ〜好きにすればいい。いつだってそこにいてあげるんだっ!だっ!だっ!だっ!ホイッ! とデュッセルドルフのアパートホテルで大塚愛を聞く。
 未明に寝る。

 6月6日(火)
 初めてボンに行き、日本代表の練習を見た。デュッセルドルフからはICEで45分ほど。西ドイツ時代の首都は思ったよりこじんまりとした街。スポーツショップのディスプレイの中で、中田英寿のマネキンが青いユニホームを着ている。日本代表を迎えて、日本色が強い。スポーツショップだけでなく、ちょっとした服屋には日本語のTシャツであったり、通りにも日本語の看板が目立つ。海外でしばしば目にするちょっと変な日本語のオンパレードだったりする。
 練習場までは歩いた。駅から30分ほど。途中、ベートーベンハウスをちらっと覗く。僕は音楽の素養がないので、とりあえず入ってはみたものの、おみやげショップをぐるっと回っただけで出てきた。だいたいどこへ行ってもこんな感じの連続だ。サッカーのおかげで、気がつけば30カ国くらいの国を訪れた。でも、じゃあその国について詳しいかといえば、観光スポットさえ訪れたことがほとんどない。観光スポットはどうでもいいけど、ホント何も見てない。メシ屋以外どこの国もほとんど知らない。以前、川口能活が「僕らは練習場とホテルの往復だけだから」と嘆いていたけど、僕もそんなに変わらない。この旅では……なんて思うけど、スケジュールを眺めれば眺めるほど、望みは薄い。でも何とか時間を作って、ちょっとは街を歩きたいと思う。そろそろそんな旅に切り替えなければ、とも思う。これじゃ、ただのサッカーオタクになってしまう。
 練習場にはテレビやラジオ、新聞の顔なじみが揃っている。ミックスゾーンでは中澤が話をしていないらしい。アサヒ芸能に「AV」持ち込みと書かれたことが大きいらしいが、今年に入って数誌と問題が生じている。中澤は極めて全うな選手だ。選手というより社会人として常識的で、加えてコミュニケーション能力も高い。そんな彼が怒っているときくとメディアの側に何か問題があったのではないかと感じてしまう。
 午前の練習を見た後、市街地まで戻り、G‐JAMPSで手嶋さんと話す。キリンビールをおごってもらった。前のアパートの窓からはブルーフラッグが垂れ下がっていた。お引越の挨拶に協会が配ったのだそうだ。昼飯はボンの日本食レストラン。唐揚げとラーメンのセット。12ユーロ。高い。
 午後の練習を見ているときには少し眠くなった。天気がよくなり、少しポカポカしてきたこともあって。周りの記者たちも同様に疲れている。まだ開幕していないというのに、すでに疲れている。
 帰り道、白い綿毛のようなものが舞っている。目の前にふわ〜と漂ってくる。花粉らしい。聞くとところによれば日本のスギやヒノキとは種類が違うが、少し前まではシラカバ花粉が大量に飛散。いま飛んでいるのはポプラの花粉らしい。目に見える大きさ。吸い込むと気管支炎になるとか。気をつけよう。
 ケルンからデュッセルドルフに戻り、スーパーで水とオレンジジュース、それにコーンフレークを買う。冷蔵庫に入っている牛乳の賞味期限が迫っている。明日の朝食はこれを片付けようと思う。
 晩飯は韓国メシ屋「タワラ」。今月は3周年記念大サービス中! ビビンバ4ユーロ。ピルスビールはなんと1ユーロ。味もよかった。僕はハングルを少し話せるので、この機会に精一杯愛想を振りまいて好印象を残しておく。3周年サービスは25日まで。利用しない手はない。

 6月7日(水)
 やらなければならないこと、やりたいこと、書きたいこと、書かなければならないことが次々に頭に浮かんでくる。次々に浮かんでくるので、浮かんでは流れていく。もう少し整理しなければいけない。でも最近の僕は頭が馬鹿なので整理するのに時間がかかる。時間をかけているうちに、また次のことが浮かんできてしまう。収拾がつかない。
 昼に起きて、午後、高原@ストライカーなど締切の近い原稿の準備。夕方、アメックスでTCを500ユーロ現金化。初めての海外旅行以来のTC。現金両替よりもTCの方がレートがいいのだとか。まったくそんなことは知らんかった。浅田くんが教えてくれた。
 それにしても初めての海外旅行…と考えて、わずか15年ほど前であることに驚く。もう25歳くらいだった。高校時代の親友とロスアンゼルスに行った。いわゆるツアー。空港に現地ガイドが迎えにきていてホテルまで連れて行ってくれるようなタイプだった。あれからわずかに15年。気がつけば飛行機もホテルも安いものを手配してあちこちに行き、大して上手とはいえない英語で何とか生活できるようになった。それまではものすごくドメスティックな、バイクで全国回るような若者だったのに。
 夕方少し散歩。靴下を買う。4足で5ユーロちょっと。それからインマーマン通りで日本スーパーに入ってみる。棚にはインスタントラーメン、チンするごはん、缶詰、あげくに弁当。何のことはない。わざわざ日本から持ち込まなくてもここで何でも手にはいる。ちょっと割高だけど。本屋もあった。読む本に困ることもない。もちろん今回はそんな時間はないが。
 昨日のタワラ(韓国料理)の隣のスーパー「プラス」でインスタントコーヒーとミルク、それに綿棒を買う(これで耳かきができる)。このスーパーは駅などと比べても圧倒的に安い。
 洗濯室で洗濯モノを回しながら、朝日新聞の海外電子版を読む。村上ファンド、逮捕。何か法を犯しているのだろうか? これではもぐら叩きだ。目立ち過ぎると足を引っ張られる。そして嫉妬される。とにかく一罰百戒国策捜査。でも国民もマスコミも、鬼の首をとったみたいに溜飲を下げている。冗談みたいに日本的で笑うしかない。力なく。
 洗濯が終わった服や下着を部屋に持って帰って、備え付けの引き出しに種類別にしまう。どんどん自分の部屋のようになってくる。自分の家ではいい加減なのに、妙にきちんと仕分けしたりするから笑える。
 夜は、ダイジェストの「ふすばる漂流記」の原稿。昨日行ったボンの風景と、G−JAMPSでビールを飲みながら聞いた手嶋さんの話を書く。4時すぎに就寝。日本にいる頃と生活がまったく変わらない。

 6月8日(木)
 10時ごろ起床。ベルマーレの上田監督辞任のニュース。磐田の山本監督も。これでアテネ五輪監督が揃って辞任したことになる。広報嬢から「苦しいです」のメール。ヒデに伝えたいと思う。
「スポーツで働く」の原稿を書いていたら、達也さん、俊ちゃんからTEL。カバがあったよ!というありがたい御連絡。買っておいてもらう。
 3時からボンで日本代表の練習取材。一昨日にはあったキリンなどの看板がない。大会5日前からはFIFAのコントロール下。スポンサーも制限される。DFの練習。宮本、坪井、中澤、駒野、三都主の練習台に、玉田、小笠原、大黒、それに小野がなっている。巻はビデゥカの代役か。福田正博が「スパーリングパートナーはキツイんだよね。主語が自分たちじゃないから」とうまいことを言っていた。
 練習後、ヒデが一人でボールを蹴っている。腕立てもしている。昔と変わらない。ミックスゾーンで声をかける。わずかだが、4年ぶりにしゃべった。でも本当に伝えたかったことは言えなかった。残念。ちょっと落ち込む。
 一度アパートに戻って、それからタワラで俊ちゃん、達也さん、尾崎さんと前夜祭を兼ねて夕食。10時すぎホテルに戻り、ベルマーレの現状をネットで見る。憂い。大神の移転問題もあるし。
 朝方、田坂とテルにも電話してみるが、通じず。田坂は再婚、テルは「東海道てくてく旅」がそろそろ終わる。
 夜明け。部屋に今日昼間に達也さんたちが買っておいてくれたカバ(の置物)を飾ってから、ベッドに入る。やっぱ生活には潤いが必要だ。女の子なら花を飾るところだけど。

 6月9日(金)以降の日記は