2008年3月

 3月1日(土)
 ゼロックス杯・鹿島×広島@国立。J2降格の広島が天皇杯に続き、好サッカーを展開。今季J2は残りの昇格枠1を争うシーズンになること確実。
 田中くん、佐野さんと晩メシ@天悠。
「それでも僕はやっていない」(周防正行)。加瀬亮が自然過ぎるほど自然な演技で好演。

 3月2日(日)
 今日こそ走ろうと思っていたのにダラダラしてるうちにズルズルと一日が。仕事もせず、遊びもせず、人のためになることもせず、自分のためになることもせず。おまけにモヤモヤと。気に入らないことだらけで気持ちが集中できない。されど、己こそ己の主である。
「いまのドラマは若い子たちの話で、若い子たちが主役だから。でもみんなトシとってくんだけどね」小日向文世@僕らの時代。
 与党×野党、政治家×官僚、文民×軍人…構図が絡まりすぎてわけがわからなくなっている。

 3月3日(月)
 
今日はジョグ8キロ。4日も空けたせいか、徹夜明けのせいか、足が重くてペタペタと。伸びない。
 本屋で時代小説を数冊。未踏の可能性、の可能性もと思って。
 志半ばで倒れようとも、志に向かって前のめりに倒れるような生き方をしたい。

 3月4日(火)

 昨晩も寝付けず、20年も前の身勝手で想像力に欠ける自分を思い出し、きっと辛い思いをしていたのだろうなあと思い、自分も辛い思いを噛み締める。20年も経って、取り返しようがないいまになって、だからこそ胸が鋭く痛む。それにしても行き詰まっている。23歳、33歳、そして…43歳。またそういう年がやってきたのだ。
 ジョグ10キロ。昨日よりはマシになった。
 三菱銀行で課長と面談。記帳ができない理由が住所変更されていないからとの言い分だが、もう茅ヶ崎に越して4年も経っている。郵便物も届いている。ちなみに通帳の本籍は野方支店。まさしく20数年前、お金がまったくなかった頃、それでも毎月1000円ずつ自動積立定期預金を始めた街だ。

 3月5日(水)
 ジョグ12キロ。意外といい感じで走れた。

 3月6日(木)
 徹夜明けでビーチ。妖精たちが練習してるかなと思って行ったのだが誰もおらず。帰りにベルマーレで源泉徴収票の件。結局会計士さんと直接話して出してもらうことに。会計士さんも困ってた。

 3月7日(金)
 昼、大橋さんと東京マラソン本の印税について。そりゃいくらなんでも…という額だったので、プラスアルファしてもらうことに。
 夜、堀田さんのテープ起こし。夜中、「化身」(東陽一)。黒木瞳の少年のような裸身がなまめかしい。

 3月8日(土)
 J2開幕戦、湘南×仙台@平塚。Pカンで、8000人超の大入り……とはいえ実は緑と青よりも「黄色」が多かった。内容的には随分問題あったが、1対0で辛勝。今季は結果を求めるシーズン。まずは勝ち点3獲得を喜ぼう。
 帰宅後、8キロジョグ。夜、ダイジェストの採点。夜中、「もう切るわ」(井上荒野)読了。非常にいい。

 3月9日(日)
 昼前起床。ダイジェストの原稿を超特急で書き上げて、J1開幕戦、川崎×東京V@等々力。川崎注目の3トップ、ジュニーニョ、チョンテセ、フッキは機能不全。今後コンビネーションが高まっていくのか。一方、東京Vは17歳河野くんがデビュー。試合後、ついついお父さんの年齢尋ねてしまった。

 3月10日(月)
 ジョグ16キロ。走っている間はノープロだったが、走り終えて少し経ってから右膝に痛み。
 夜、プレジデントファミリーの原稿書き。

 3月11日(火)
 右膝はかなり痛い。やはり急に走り過ぎたか。
 夕方、打ち合わせ@JFAハウス。新しく立ち上がるJリーグニュース+のライターに、藤村さんが僕を推薦してくれた。博報堂のみなさんとブレスト。前提みたいなところを飛ばして話せるのがいい。最近共通理解がなくて、低い次元から話をスタートしなければならず、先まで進めないことが多過ぎてストレス溜めていたので。楽しく仕事ができそう。

 3月12日(水)
 プレジデントファミリーと携帯サイトの原稿書き。
 日光アイスバックスドキュメント@NONFIXを見ながら、えのきどさんたちが楽しそうで、羨ましい。生活力がないとボランティアもできない。

 3月13日(木)
 ジョグ5キロ。膝のテスト。痛みはあるが、走れないほどのことはない。ただレース中にひどくなるとマズイことになるが。
 昼、確定申告書の作成。
 広末涼子が離婚したとのこと。

 3月14日(金)
 確定申告@藤沢。その後、シラトリ@Mr.MaXでゲーム取材用のバッグを購入。決めるまでに1時間くらいかかった。最近こういうことが多い。記憶力がなくて比較できず、あっちこっちに何度も行ったり来たりしてしまうので。決断力も衰えているかも。

 3月15日(土)
 レース用の長ソデシャツをサティ、ヤマダなどはしごしながら探すが、見つからず。結局またサッカーのユニホームだな。日の丸ついてるから、「日本代表!」とか沿道の人に叫ばれてちょっと閉口するのだけどしょうがない。
 ブルートレイン「銀河」が引退の報。「いつか」とずっと思っているが、いまだ寝台車に乗ったことがない。あえて言えば東海道線、大垣行きの夜行列車。学生時代に帰省のたびに利用した。品川を出て、ゴトゴトゴトゴト鈍行で進むのだ。首都圏では最終の列車が、途中からは始発になる。ホームで冷凍みかんを買って乗り込み、車両の床に新聞紙を敷いて座り、名古屋を目指した。いまにして思えば、あの大垣行きは茅ヶ崎や平塚を通っていたのだなあ。

 3月16日(日)
 湘南マラソン。今回は昨夏の台風で西湘バイパスが崩落した影響で、30キロに短縮しての開催。加えてコースも大磯スタート、藤沢折り返し、大磯ゴールに変更。スタートしてすぐ西湘バイパスを下りるあたりで(4キロ)、左足ふくらはぎに鈍痛。元々右膝が治らないまま出走していて、走り出してすぐに痛みがあった上に、懸案のふくらはぎ。リタイアも致し方ないと覚悟しながら、スピードダウンして様子を見る。
 幸運にも10キロすぎまでゆっくり走っているうちに痛みも軽減。徐々にペースを戻し、25キロまで辿り着いた時点で、ここからなら大丈夫だろうとスピードアップ。最後の5キロは33分台にペースアップして走れた。ゴールタイムは3時間21分。予定していた3時間30分より早いタイム。故障で前半を抑えたことで、結果的にタイムアップにつながったのだ。いかにアップダウンなくイーブンペースで走るかがマラソンのツボだと改めて実感。フルマラソンだったら、もっと顕著だったはず。
 ゴール後に東京マラソンの取材でお世話になった浦久保さん、それにボランティアマスターでマスコミ塾の一期生でもある飯塚さんと会った。
 それにしても湘南マラソンは第二回にして早くも魅力ダウンした感が強い。昨年の第1回大会では江ノ島スタート/ゴールで、アクセスも含めランナーにとって非常にいい大会だったが、今回は出発地まで辿り着くのがまず一苦労。大磯駅からも二宮駅からも数キロ歩かなければならない。また会場は大磯ロングビーチが使われたが、レイアウトが入り組んでいる上(階段による昇り降りまである)、ジャンボプールをぐるっと回って荷物を預けなければならないなどストレスも多い。噂では江ノ島(藤沢?)の商店街などが反対したためのコース変更だとのこと。市民マラソンは警察はもちろん、沿道の住民・商店などの理解がないと開催できない。開催にこぎつけた関係者の努力には頭が下がるが、第1回が素晴らしかっただけにやはり残念だ。
 夜、「篤姫」と「独眼流正宗」の大河ドラマをNHKとWOWOWで見る。おまけに「壬生義士伝」(浅田次郎)を読んでいることもあり、すっかり日本史づいている。大河ではお馴染みの実力派俳優が違う時代に、違う役を演じているので面白い。例えば僕の大好きな長塚京三は篤姫の父で、伊達の家臣だ。

 3月17日(月)
 30キロだったこともあり、足にダメージがまったくない。午前、MDPの原稿。午後、ラグビー日本選手権決勝、三洋×サントリー@テレビ。三洋はディフェンスの好きな選手が多い。特にFWの前の選手が頑張っている。40対18で、そんな三洋がV。
 最近、昔のことが蘇り蘇り蘇りで、熱くなったり、湿った溜息をついたり、人知れず拳を握り締めたりすることが多い。出会いと別れの中で人は、運命に立ち向かう勇気を見つける――中学時代に気に入っていたアリスの歌詞が、染みる。

 3月18日(火)
 マスコミ塾の準備。
 どうも世の中との折り合いが悪い。結果、孤立感が強い。屈託が屈託を生み、寄る辺ない気分になる。そして、この10年俺が必死にやってきたのはいかに屈託ないふりをするか、屈託なく笑うか、だったと改めて痛感する。10年必死にやって来た末に、いよいよごまかしが効かなくなってしまっている。

 3月19日(水)
 携帯サイトの原稿×2本。
 相棒@テレビ朝日、最終回。出色の出来。冤罪をドラマに、死刑制度、さらには裁判員制度まで視聴者を引っ張った。エンターテイメントにだってちゃんとできることはあるのだ、という心意気が感じられた。

 3月20日(木)
 湘南×広島@平塚。強風と横殴りの雨の悪コンディションの中、個々の選手の技術レベルが明らかに。やはり広島の選手たちとの間には差が。ベルマーレはベルマーレらしいサッカーをすることを選択し、そして合理的に負けた。仕方ないと言えば仕方ないが、リアリズムに照らしてどうか。勝負にこだわる手はなかったか。
 安田さんとえぼし。伝えたいことを使いたい言葉で話して、理解してもらえる幸せに癒され、以前はいつもいたそんな人が、気がつけばいまここにはいないという現実に打ちひしがれ。

 3月21日(金)
 フットボールタイム、負けずじゃけん、星屑たち、天童よしみと自分の仕事を読み返す。他の書き手と比べてどうかはわからないが、いい仕事をしていると思えた。僕が大事だと思うことをちゃんと書いているし、少なくとも適当に手を打たずに粘って書いた形跡も残っている。そういうことを確認できてホッとする。

 3月22日(土)
 朝日新聞土曜版Beに駒井さん。古典新訳文庫の仕掛け人として。「52歳」とあるのを見てなんだか不思議な気分に。そっか、駒井さんは52歳なんだぁ、と。ということはあの頃は30歳そこそこだったんだぁと。
 亀田興毅、8ヶ月ぶりのリング。が、あまりのオーラのなさ。フツウではショービジネスは成り立たない。
 金八先生の最終回を見ながら、自分の中途半端さが情けなくなる。俺には俺にしかできないことがあるはずなのに。そう信じてるはずなのに。

 3月23日(日)
「あたたかさ」と「ドライ」が日本人にはくっつかない、という中島たい子さんの言葉@週刊ブックレビューに感じ入る。日本では、あたたかいはウエットとセットになる。だからわずらわしさにつながる。だから背を向ける。寂しくても一人でいいと。本当はドライであってもあたたかい関係は可能なのに……。まったくそう思う。僕に対して、ドライな面を見て「冷たい」と言い、あたたかい部分を知って「やさしい」と言う人たちに聞かせたい言葉。
 夜から朝、マスコミ塾二期生のみなさんに手紙。感謝と激励。

 3月24日(月)
 東山魁夷の連作「白い馬のいる風景」。再び春は巡ろうとしている。再びあなたは帰らないだろう。
 夜から朝、マスコミ塾二期生のみなさんに手紙。

 3月25日(火)
 完徹。昼、波乗り。夕方、MLB開幕戦@東京ドーム。浅田くんがチケットとって誘ってくれたので。実に小学校以来のMLBである。あのときは父親がチケットを並んで買ってくれてトムシーバーを平和台球場見た。対したのは巨人・太平洋連合だったかな。今日は公式戦。ボストン×オークランド。しかも松坂先発である。松坂の出来はいまひとつに見えたけど、延長戦まで堪能。野球はやっぱりいい。
 ドームの前で声かけられてよく見たら大学時代のラグビー仲間、鈴木立だった。よく気づいてくれるよなぁ。感激。
 完徹なのだが、帰宅後寝付けず、結局朝まで。

 3月26日(水)
 真壁さんとミーティングというか相談というか軽くメシ飲み。お金はなかなか大変な様子。
 夜、ワールドカップ予選・バーレーン×日本。なんと1対0で負け。ドイツはもちろん、フランス、アメリカ大会でさえ最終予選以外では日本は負けていない。大丈夫か、岡田ジャパン? 失点シーンについてまったく解説せず「ハンドだ、ハンドだ」と言い続ける松木さん@テレビ朝日も大丈夫か?

 3月27日(木)
 昨日の敗戦、最終予選以外で日本代表が負けたのは89年6月以来だとのこと。イタリア大会予選だ。ホント大丈夫か。
 昼、MDPと携帯サイトの原稿。
 夕方、五輪代表×アンゴラ代表@国立。スーツ姿の外池が挨拶にやってきて、名刺を見たら「電通」。いいビジネスマンになってほしい。
 朝日夕刊に福井さん。松涛に作った書店兼出版社の取り組みが紹介されていた。

 3月28日(金)
 昼、Jリーグプラスの打ち合わせ@博報堂。夕方、プレジデントファミリー編集部。鈴木さんとメシ飲み。終電で帰路につくも乗り過ごし……。気がついたら大磯出るとこ。いつもは乗り過ごしても平塚までなんだけど。結局二宮からタクシー、6000円。はぁ。
 深夜、「独眼流正宗」で中村繁之、「相棒」で池袋人世横丁のパブ「よっと」と、再放送ドラマ2本で懐かしい人や風景。ちょっとしんみり。

 3月29日(土)
 湘南×徳島@平塚。試合後、浅田くんとファミレス。
 夜中、命について考えていて、俺にとって最初の身近な死はピーちゃんだったなぁと思い出す。小学校の頃に飼っていたインコ。夜からぐったりしてて、靴下の中に入れて暖めてあげてたけど、朝俺が目を覚ましたら死んでいた。母に言われて死んだピーちゃんを学校へ持っていき、校庭の隅に埋葬した。いや埋めようと思ったけど、適当な場所が見つからなくて体育館の裏のブロックの隙間に納めたのだった。死んだ命を見たのも、手にしたのも、弔ったのもたぶんあれが最初だ。

 3月30日(日)
 川崎×千葉@等々力。小雨で寒い。竹中さんと立ち話。

 3月31日(月)
「初恋」(塙幸成)。宮崎あおい演じるみすずのモノローグ。時々すべてが夢に思えることがある。放課後のBでのたわいのない会話も、あの凍える朝の鮮烈な出来事も、誰かを思う痛切な傷みも。けれど私の中にある埋めようもない喪失感がそれを否定する。あの一瞬は確かにあったのだと。だから私は待ち続ける。永遠に続くものなどないと知りながら。なぜなら――心の傷に時効はないのだから。
 黙って震えてしまうな。こんな切っ先を突きつけられると。疼くな。忘れたふりしてやり過ごしている過去が。
 ちなみに映画のラストシーンは新宿大ガード。最近は渋谷のスクランブル交差点がもてはやされているが、大ガードには昭和の匂いがする。ちなみにちなみにカメラを振って、新都心への地下道を歩く灰色の群れを映せば高度成長期が滲むような。