2008年11月


 11月1日(土)
 ちょっと風邪気味。せっかくいい感じで走れてきたのにレース目前になって。気をつけないと。
 ナビスコカップ決勝、大分×清水@国立。大分、初タイトル。西山哲平と久々の再会。「天皇杯以来です」らしい。
 夜、赤塚不二夫ドラマ@CX。トキワ荘の奇跡。ライバルであり仲間が集った梁山泊。

 11月2日(日)
 やばい熱ある。トレーニングも自重。
 昨日の大分、堅守速攻でのVが「退屈な試合」「消極的で面白みに欠ける」と酷評されている。
 夕方、サンスポの原稿。

 11月3日(月)
 体調が悪くなってる気がする。迷ったが、走らない。
 天皇杯@テレビ。山形と川崎Fに、今季のJ2のレベルの低さがまざまざと。低いとは感じてたが、まさかこれほどとは。
 サンスポ原稿の直しと、ダイジェストの原稿。
 風邪対策で今日は鍋。

 11月4日(火)
 風邪押して8キロ走る。重いし弾まない。何はともあれ4日ぶりに走った。往路でマナフードの佳子ちゃん、帰路でオスギちゃんと会う。
 午後、ダイジェストの原稿。
 今日も鍋。

 11月5日(水)
 風邪は気にせず10キロ。割とスムーズに走れた。
 午後、ダイジェストの原稿。
 今日も鍋。

 11月6日(木)
 午前、MDPの原稿。
 午後、ジョグ8キロ。今日は気分換えて辻堂方面へ。往路はすーっといい感じ。帰りは逆風でペースダウン。
 夕方からスポルティーバの原稿。鍋をはさんで、夜中まで。

 11月7日(金)
 午後、ビーチパークへ。サニーさん親子とばったり。マナフードのミニケーキを彼女の子供に、黄色いオモチャの傘を別の子供にあげる。
 ミスターマックスでスウェット購入。向かう途中、松下電器の工場がなくなってた。広大だ。跡は何になるのだろう?
 今日も鍋。が治ったと思った風邪が再び。鼻水。おまけに喘息気味。微熱もあるような。夜中、咳が出て寝付けず。

 11月8日(土)
 昨日、筑紫哲也さん死去。闘病伝えられてが。つい先日も声を聞いたばかりなのに。硬派なジャーナリズムを、やわらかくてトレンディな包みにくるんでお茶の間に届け続けたテレビジャーナリストの先駆者に合掌。

 11月9日(日)
 レース1週間前。鼻水、喘息とコンディション良くないが、走らないと、と無理して走る。8キロ。体も足も重い。呼吸は意外と問題なかったが。
 かなり寒くなってきた。のでコタツ出す。
 夕方、浅尾美和の原稿。夕食は今日も鍋。これで1週間連続。
 西武、日本シリーズV。

 11月10日(月)
 今日は久々遅起き。ここで崩れると勿体ないぞ。まだ風邪気味。でも10キロ走る。タイム消してしまったがいい感じで走れる。喘息も走っている間は出ない。このまま治りますように。いよいよレース週。ここからは距離落として調整。
 今日も鍋。

 11月11日(火)
 今日はまたゼーゼー。喘息ややキツイ。午前にビーチパークへ行ってみるが、誰も練習してなかった。
 午後、ダイジェストの原稿。夕食はやっぱり鍋。今日は牛しゃぶ。
 田母神空幕長、国会にて参考人質疑もNHK中継なし。ニュースもかなり意図的。アンフェアである。
 柘植ちゃんからTEL。祐介のお母さんが亡くなったとのこと。中学生の頃、何度もお邪魔した。きれいで品のある、都会の匂いのする人だった。テニスをしたり、ボランティアをしたり、アクティブな人でもあった。そんな僕自身の思い出を蘇らせつつ、祐介や弟の浩介くん、妹の薫子ちゃん、そして御主人の菊山先輩の心中を察しつつ、しんみりと合掌。

 11月12日(水)
 調整がてら5キロ。また喘息気味。体も重い。おまけにリラックスしてゆっくり走ってたのに、左足ふくらはぎに鈍痛。今年はまったく痛みなかったのに、よりによって直前になって。ひどくなりませんように。
「紀子の食卓」(園子温)。タイトルの印象とはまったく異なる、衝撃的で不気味な切迫した物語。コインロッカーベイビー。レンタル家族。あなたはあなたの関係者ですか。おまえはおまえと関係しているか。吹石一恵、つぐみ、吉高由里子。いい。
 ガンバ大阪、ACL優勝。
 夕食の後、また喘息。困った。

 11月13日(木)
 今日も喘息気味。おまけに左足、膝から付け根にかけて結構痛い。こんな種類の痛みは初めて。とにかく休息とPカンだが安静に努める。
「女帝」。チャン・ツィイーの妖艶さよ。そしてチンニーのような女性がいてくれることのありがたさを痛切に実感。「もう寂しくない?」と死に際に。

 11月14日(金)
 ちょっと走ってみるが、全然ダメ。走り始めた途端、左足ふくらはぎ下部がぷるぷる。痛くてろくに地面につけない。何なんだ、急に。がっかり。せっかく夏からいい練習できてたのに、これでは走れない。真っ暗な気分。そして混乱し、うろたえる。落ち着こうと煙草。ああ、最悪だ。
 昼、鳥飼さん@馬入。
 夕方、帰宅後、フテ寝。ショックだ。やる気もうせる。食事も煙草もどうでもいい気持ちになる。でも、人のために走るのではない。自分のためだけに、好きで勝手に走ってるのだ。誰にも迷惑かけないし、誰にも責められもしない。パニクるのはおかしい。でも悔しい。寝付けず。

 11月15日(土)
 朝方寝て、昼前起床。せっかく苦労して生活も直したのに。それでも迷いながらエントリーに大磯プリンスへ。ゼッケンをもらっても気持ちは盛り上がらない。
 夕方家に帰って落ち着いて考える。そして「走ろう」と決める。せっかくこれだけ距離を踏んで準備してきたのだし、走ってしまえば何とかなるさと。決めてしまったら走れる気になってきて少しやる気にが満ちてくる。
 12時前にベッドに入る。が、まったく寝付けず。3時になり、4時になり…今度は咳込み始め……。結局朝6時、そろそろ出かけなければならない時間。諦める。滅多にないくらい最悪な気分。

 11月16日(日)
 ふて寝。レースが行なわれている時間を寝てやり過ごして午後起床。今日湘南マラソンが行なわれてたことさえ感じない。でも悔しさと虚しさ。頭に来た。せっかくこれだけ出来上がってるのだから、このまま次のレースに向う。
 午後、東京国際女子マラソン@テレビ。今回で30回の幕を閉じる。実は「東京マラソン」の影響で弾き飛ばされた形。来年からは横浜へ移動してリニューアル。レースは浅井が独走Vかと思ったら、またもや終盤失速して尾崎が逆転V。ちなみに浅いは10回目のマラソンとのこと。俺と同じだ。
 夜、ランニングノートを見返してみたら、30歳のときにも佐倉マラソンを欠場してた。どんな気持ちだっただろうと考えるが、思い出せず。でもいまのこの頭に来ている感じは切り替えたりせずにリベンジしたい。前向きとか、切り換えとかすぐに言って、忘れてしまったり、なかったことにしたりするスタイルは僕は認めない。簡単に切り替えたりしちゃダメなのだ。
 何はともあれ腹筋、腕立てを結構一生懸命やる。ついでに足を動かしてみたら、不思議なことにまったく痛くない。キツネにつままれた気分。

 11月17日(月)
 早朝寝て昼前に起床。昨晩父からの留守電が家の固定電話に、朝には携帯にも着信。父から電話も珍しいし、留守電なんて初めて。嫌な予感で折り返すと、「お母さんが胃ガンで…」。にもかかわらず、「すぐに帰って来い」というわけではなく、それどころか「いま電話大丈夫か?」と遠慮している。父自身、一人ぼっちで心細かったはずなのに。
 俺は冷静。というよりリアリティがないのだろう。マナフードへ行き、ランチを買い、未奈ちゃんと少し話し、そしたらさらに冷静になって、この先のこと、その前にいまやっておかなければならないことなど頭の中に並べている。
 サンスポとMAREの原稿。原稿を書いている間は、みんな忘れている。この10年かけて鍛え上げた、あるいは身につけた鈍感力、あらゆる感情の感度調整力に、我ながら感心する。自己嫌悪するほどに感心する。
 夕食は鍋。ちゃんとしないとと思う。夜の深まりとともに、色んなことがチクリチクリと心に刺さり始める。母がいなくなった後に俺と出会う人は、母の料理のうまさも、母の完璧な掃除ぶりも、母の異常なまでの相手への気遣いも、母のセンスのいい遊び心も、母の細かすぎるほどの管理と節約と計画性と……とにかく、そんなすべてを知ることはないのだ。僕がどんなに口で説明し、相手がそれをどんなに真剣に聞いてくれても、母という人を知ることはないのだ、と思うと、切なさが込み上げてくる。切なさに油断してしまって、後悔さえも浮かぶ。俺よりずっと母と仲良くしてくれた元妻を思い出し、母との会話を思い出し、料理を教え、教えてもらっている姿を思い出す。
 なんか体調がおかしい。まったくダルくて、頭痛もする。

 11月18日(火)
 未明に寝て昼に起床。また夜型に。午後から夕方、MAREの原稿。
 夕方、実家に電話。ちょうど母が病院から一時帰宅していて話す。このところ体調があまりに悪いし、血便が出たので、病院へ行くことにしたのが土曜日。病気一つしたことがなく、歯医者にしか行ったことないくらい健康な母が、病院へ行こうと思ったのだからきっと相当な辛さだったに違いない。病院へ行く前に珍しく外食し、寿司屋で巻寿司を食べたのもおいしいものを食べて元気になろう程度の気持ちだっただろう。
 ところが病院では顔色を見た時点で、即大騒ぎだったらしい。血液を抜かれ、代わりに点滴を入れられ、そして検査の結果、ガン。そのまま入院。そこで電話をしてこないのがうちの両親らしい。心配させたくないというより、仕事の邪魔をしてはいけないと思ったに違いない。
 お医者さんや看護婦さんの様子で事の重大さを知った母は「さすがにその晩は眠れんかったよ。色々なことを考えて。でも次の日からは大丈夫。もう十分生きたし……」。あげくに「ちょうどいま一時帰宅してきたらヤスオから電話があって話せたし、もういいよ」。その声といい、調子といい、あまりにフツウで、何だかこちらまでフツウな気分になるほどだった。でも話している中身は、末期ガンでもう手遅れで……。「とにかく明日から浜の町病院に入院するけん、無理して帰って来んでいいよ。でも、死ぬ前に一回だけ帰ってきて」。それがまたやっぱりフツウな声で。悲しいやら、切ないやら、腹立たしいやら、情けないやら。すぐにでも飛んで帰りたいような、そんなことをしてはかえって裏切ってしまうような、電話を切った後、覚悟もない僕だけが身動きできずにぽつんと佇んでいた。
 少ししてもうちょとちゃんと状況を知りたいと素子にTEL。彼女が最近タイから福岡に移り、母の近くで暮らし始めていたことは幸運だった。、母にとっては父では対処できない諸々を頼める相手になるし、俺にとっても母はもちろん父の様子も尋ねることができる。もっとも素子の強い口調は、母のいつもと変わらぬ声を耳にしたことで曖昧になっていた現実を、俺に突きつけ……。彼女と話した後、しばらく胸の中が湿った。

 11月19日(水)
 母にメール。夕方返信来たので、今度は息子の写真付きメールを送る。

 11月20日(木)
 昨晩から朝、咳で寝付けず、ネガティブな想像のチェーン。俺も肺ガンとか、母とマンちゃんが同時期に、とか。
 午前、ヨガの取材@碑文谷。帰りにインプレッション@駒沢で散髪。
 夕食に弁当を食べた後、コタツでうとうと。1時間ほどだが、目が覚めたとき妙にすっきりしていて、長い眠りが覚めたような気がして、何もかもが夢だったような。慌てて携帯を確認して、母とのメールのやりとりがちゃんとそこにあり、少しがっかりする。
 昨日からほとんど寝てないのに今日も眠れない。「MISSING」(本多孝好)読了。

 11月21日(金)
 落ち着かない日々を過ごしていたので自覚していなかったが、咳が相変わらず出続けている。来週母に会ったときに心配させたくないので珍しく自発的に病院へ。薬をもらってくる。
 父からTEL。今日の様子、ミニ手術についてなど。夜は素子からTEL。母について、俺たち世代の老後について、など。そういえば母はi-podを自分で買ってダウンロードして使っているらしい。すごい。知らない一面。

 11月22日(土)
 未明から朝、サンスポの原稿。母に富士山の写メールを送ろうと海へ散歩。夜にかけて3、4度メール往復。

 11月23日(日)
 昼に起床。母への写真撮りがてらジョグ。7分半ペースでゆっくり。
 C大阪×湘南@平塚まちなかプラザのパブリックビューイング。熱気に伝わってくる好ゲームだったが、1対2で負け。昇格争いからこれで事実上脱落。

 11月24日(月)
 午後、マッチデープログラムの原稿。夜、携帯コラムの原稿。
 母からは「今日は気分がいい」とのメール。

 11月25日(火)
 結局完徹でそのまま羽田へ。早朝のJALで福岡。昼ごろには一旦、実家に帰宅。父と一緒に浜の町病院へ。母は思っていたよりずっと元気。顔色も身体もほとんど変わりなく見えて安心する。加藤先生から今後の処置の説明。手術は延期して、先に抗がん剤を投与するとのこと。
 病院から大名あたりまで父とぶらぶら。子供の頃には浜の町病院なんて遥か彼方だと思っていたのに、いまとなってはすぐそば。あまりの距離感の違いに驚く。
 夜は、母から教わって父が作ったポトフをいただく。
 夜中、父が眠った後、家内を眺めていて気づく。うちにあるものの大部分は俺が知っているものばかり。つまりヤカンもコップも皿もテーブルも椅子も、俺がまだ子供だった頃からのものなのだ。エアコンにいたっては小学校6年生のとき初めて購入したものがいまも使われている。何度も引っ越しをしているというのに、この家にあるものはほとんどがそんなふうに大事に使い続けられているものばかりなのだ。
 爪に火を灯すように、という言葉が思わず浮かんで、ありがたいやら、恥ずかしいやら。母と父はこんなふうにモノを大事にし、お金を節約して、俺を育て、学校へ通わせてくれたのだ、とまざまざと感じて申し訳ない気持ちになる。子供や親戚のために金を使い、自分たちは我慢と質素な暮らしを当然のように続けてきた両親の人生を想うと、やるせなくなる。老後を楽しんでいる人たちと比べて、俺の両親は…と思うと悔しくもなる。
 同じ大人として言えば、消耗品という発想がない両親と比べて、俺の生活は…と考えて恥ずかしくなる。

 11月26日(水)
 朝、父を勤め先のドームホテルまで送った後、母の病院へ。午前いっぱい母と話したりして過ごし、昼過ぎに素子宅へ。レオをスイミングへ連れて行き、父をピックアップして再び病院。
 帰りに素子とお茶をして、新天町で母に頼まれた買い物。
 夜、実家のパソコンを使っていて、ブックマークに俺の名前で検索した結果出てきたであろうホームページがいくつかあるのを発見。冷蔵庫には新聞から切り抜いたワールドカップ予選の日程が貼られていて、母の部屋には俺が海外から何気なく送った絵葉書がビニールポケットに飾られていて、母の部屋にも父の部屋にも本棚には俺の本が数冊あり…。離れて暮らして約25年、それでもこの家にはいつも息子がいたのだとつくづく思い知る。
 そういえばパソコンには5年前に父が入院した際の、両親のメールのやりとりも残っていた。携帯メールを覚えたての父の初々しさはもちろんだが、息子には窺い知ることのできなかった顔を二人ともしている。何だか微笑ましく、息子としては照れ臭さもありつつ、やっぱり嬉しくなる。

 11月27日(木)
 母からのTELで起きる。こんなときまで母に起こされる息子の情けなさ。それでも、母に起こしてもらった、ということのありがたさと嬉しさが込み上げてくる。
 新幹線で京都へ。プレジデントの高橋さんと合流して陰山英男@立命館の取材。夜、茅ヶ崎に帰宅。

 11月28日(金)
 午前、西本聖@新百合ヶ丘。
 山路来て、何やらゆかし、すみれ草。とふと浮かぶ。45年生きてきて、過去とこれからの峠で。

 11月29日(土)
 夜、恵理ちゃんから久々にTEL。何だかやさしい響き。何だかまた人生が動き始めた気がする。
 母からは抗がん剤が始まったとのメール。辛そう。メールも短く、やや投げやり。過剰なほどに丁寧でマメな母の性格を考えると、相当なのだと思う。
 深夜、素子からTEL。信じられないことに、素子の母親もガンが発覚したとのこと。しかも、よくないらしい。この数日、電話線を通じて哀しみと慈しみが行き来している。
 夜中、サッカーダイジェストの原稿。

 11月30日(日)
 母からメール。今日は昨日より楽な様子。体重が1キロ増えたと喜んでいた。
 湘南×岐阜@平塚。3対0で快勝。
 夕方、恵理ちゃんが茅ヶ崎まで来る。駅に現れた彼女はピギーケースをガラガラ引きずっていて、家出でもしたのかと思ったが、何のことはない水のセールスだった。激しく落胆した、というより、失望した。昨日のあのやさしい響きはこのためだったのかと思うと、親友の一人がいなくなったようで、寂しい。