2009年12月


 12月1日(火)
 昼前、馬入へ。伊藤に謝ろうと思って行ったのだが、すでに練習終わってたので、さちえちゃんに手紙託してお願い。
 午後、サーフィン。久々で全然ダメ。すぐに息が上がり、腕もカンカン。パドルもうまく回らず、バランスも悪い。やっぱり続けて入らないと。
 夕方、リビングの窓を開けて首を出した途端、年末感。12月だー。
 書き散らかしてる手書きのメモをPCへ。

 12月2日(水)
 昼、海。昨日よりマシ。何度かかなり横に滑れる。後半は腕力なくなりパドルNG。
 マスコミ塾OBの高橋くんとばったり。元気なさそうだった。
 キンモリさんからメール。あちこちガタが来てるよ、こっちもだよ的な。
 FNS歌謡祭@CX。みんな信じがたいくらい歌が下手。アーティストとか世界観とか楽曲とか大仰な言葉に言い換えて誤魔化してるが、歌手ではない、明らかに。森高千里の美脚にだけ感心した。
 相棒@テレ朝。最近おとなしかったが、久々社会派。社会保険庁の組織ぐるみの犯罪をテーマに。「国民から強制的に徴収した年金を湯水のように使いまくったんでしょう。あなた方のおかげで将来が台無しになった人がたくさんいるんだから、あなた方からも将来が台無しになる人を出しなさいよ」
 あ、今日は一円も使わなかった。

 12月3日(木)
 南アフリカワールドカップの取材ADについての会議@JFAハウス。4年に1度のそんな時期がやってきました。僕はやや冷め気味だけど。そういえばこの悪環境で転職した人の話なんかもちらほらと。経費出してくれる版元の激減で、やる気のある取材者ほど成り立たない昨今の状況はさすがにマズイと思う。
 マスコミ塾。今日のゲスト講師は杉山くん。

 12月4日(金)
 夕方、海。強風、波もよくない。1時間半入ってたが、ほとんど立てず。最後に無理矢理テイクオフだけして上がる。疲れた。
 深夜、南アフリカW杯ドロー。うーん。ま、相手以前に問題の方がいまは大きく…。

 12月5日(土)
 平塚でSCNチームと合流して水戸へ。平塚へ行くために茅ケ崎駅へ行ったら、そこに黄緑の人が数人いて、驚いたり嬉しくなったり。少し前には考えられなかった。
 水戸についたらゴール裏入場待ちの長い列。顔を見ながら歩いているうちに込み上げてくるものがあった。
 試合は いきなり2失点。その後追いついて2対2としたが、ハーフタイム時点では甲府に勝ち点で逆転されていた。それでも2失点したときも、甲府に上回られたときも、僕はまったく不安にならなかった。後半、勝ち越して3対2。それでも、もし1点許して引き分けてしまったら逆転されるギリギリの状況だったはずだが、やっぱり僕は何の心配もしておらず。
 試合が終わる少し前に、早目に記者席から降りて、ベンチ裏へ。こういう試合はいつもと違って、ゲーム終わった瞬間、ロープで仕切られたりして報道陣といえども近寄れなくなるのを見越しての動きであった。おかげでタイムアップの瞬間を、チームの近くで迎えることができた。いやあ、嬉しかった。眞壁さんも、さちえちゃんも、みんな心から誉めたい。えらい、よく頑張った。
 帰路もSCN号に同乗させてもらったのだが、渋滞にはまってしまい、平塚で行なわれる昇格祝賀会に間に合わないのではないか、というピンチに。いや、僕は間に合わなきゃ間に合わないで大した問題はないのだが、一緒にいる村上アナは祝勝会の司会なのだ。そんなわけて途中で車を降りて、村上さんとカメラと僕と3人で電車で平塚へ向かう。それでも結構、際どい。本当に際どい。それなのに村上さんはまったく焦ることなく、落ち着いている。すごい。女性で、いや男女かかわらず、この状況で焦ることなく、しっかり急げる人は珍しい。前からすごいとは思ってたけど、改めて尊敬した。

 結局、開始直前に平塚競輪場に到着して、「タクシー代払っとくから先に行って」と二人を送り出し、僕はのんびり会場へ。祝勝会はベルマーレらしい、いつもながらの締まりがあるんだかないんだかわからない(たぶん、ない)イベントだったけど、そんなルーズさも含めてベルマーレなのだ、と今日は思えた。キチッキチッとしていないから、ここまでやってこれたのだし、結果的に昇格にまで辿り着けたである。今日は何でも許せる気分。帰り、隈元さんと平塚駅まで歩きながら、また改めてよかったなあとしみじみ。

 12月6日(日)
 午前、福岡国際マラソン。日本勢8位以内に誰も入れず。
 昼からサッカーマガジン、ダイジェストに昇格原稿。時間なくて浸っている余裕はなかったけど、贅沢は言えない。そして、それでも僕にとっては贅沢な仕事である。
 夕方、201の高木さんが引越の挨拶にいらっしゃる。感じいい。美人だし、スタイルもいいし、礼儀正しい、常識もあるし、笑顔も清々しい。子供も感じいい。
 サンスポとベネッセの原稿を夜中まで。
 石川遼が最終戦Vで賞金王つかむ。18歳、末恐ろしい。楽しみ。

 12月7日(月)
 今年も自殺者が3万人超え。経営破綻相次いだ1988年から11年連続。もちろん死ぬ理由は無数にある。でも失業率と自殺者のグラフがリンクする不幸に悄然とする。僕はどうせ死ぬことになるなら、金じゃなくて、失恋とかで死にたい。

 12月8日(火)
「小説の秘密をめぐる12章」(河野多恵子)読了。
 特に何をしたわけでもなく、何を考えていたわけでもないときに、ふっとマンちゃんの匂いがして、嬉しいような、困るような。改めて指を追って数えてみたらマンちゃんと暮らしたのは18年と3ヶ月だった。要するに母とまったく同じ時間である。マンちゃん、お母さんを越えないように遠慮したのかな、とか思う。

 12月9日(水)
 また少し風邪っぽい。喘息っぽい。
 JFL表彰式@JFAハウス。ガイナーレ鳥取の吉野がわざわざ挨拶してくれる。いい奴すぎて困るくらいにいい奴だ。
 報知の竹内くんから、林直輝さんが昨夏に亡くなったことを聞かされた。知らなかった。林さんは僕がまだスポーツライター以前の頃、東スポとか報知の先輩たちにかわいがってもらっていたときに一緒にいてくれた人。僕がサッカーの仕事でそれなりにやっていけるようになった後に、林さんもサッカーの担当になって、現場で時々会うようになって、いつもどんなときにもにこやかで決して偉ぶらず、それどころか僕のことを立ててくれて。表情も物腰も、心の中も、やさしすぎるくらいやさしい先輩だった。そういえば僕がサーフィンで怪我をしたときにもわざわざ電話をくれた。寂しい。
 
 夜、ベッドに入って、いつものくせでマンちゃんを待って、マンちゃんが入ってくる場所の布団を浮かせて…という動作を、もういないことがわかっているのにしてみて、それから噛み締めて、寝る。

 12月10日(木)
 マスコミ塾。同日、同時刻、同場所でクラブカンファレンス開催中。何だかなぁ。OBの豊田くん、馬場くんが来ていた。馬場くんは中井から野方へ引っ越したとのこと。俺と似たルートだな。

 12月11日(金)
 朝寝て、夕方起床。何か気になって、鳩山家の家系図を眺めながら、色々考えてみる。
 夜、JFLの原稿。

 12月12日(土)
 Pカン、暖かい。が、徹夜で動けない。
 村田忠男さんが昨日、亡くなったとのこと。『日韓ワールドカップの覚書』でワールドカップ日本招致の言いだしっぺとして紹介した。「カワバタくんのおかげで復権できたと喜んでいた」と聞いたことがある。決してスマートな人ではなかったかもしれない。単なる思い込みの人だったかもしれない。でも、いまの日本サッカーを導いた一人には違いない。そんな多くの無名の人たちの代表として、晩年に取材し紹介できたことが嬉しい。、合掌。

 12月13日(日)
「地を這う虫」(高村薫)読了。それぞれ約100枚の中編集。
 私が子供だった頃@NHKに山村礼子(旧姓三好)。バイクに乗っていた頃の憧れのライダーライターである。キュートなルックスもあって、バイク好きの本好きにとっては憧れの存在だった。もちろん僕にとっても。いまは富士山ろくで農業をし、動物を飼って暮らしているとのこと。すっかり老けてた。でも相変わらず生き生きとした顔してた。

 12月14日(月)
 書こうとか、走ろうとか思いながらダラダラ。結局、こういうときの常として、押し入れ冗談のダンボールを引っ張り出して片付けを始める。そのままサッカー雑誌の整理、さらには開けなきゃいいダンボールまで開けてしまい、一日が過ぎていく。

 12月15日(火)
 昨日の引き続き。片付け。過去の開封。中学時代の日記、詩なんて書いている。8歳の頃からスクラップをしてる。主にライオンズの新聞記事。大人になってからのビデオ(VHS)。本当にJリーグに夢中だったのだなあと思う。ただのスポーツニュースまで録画してダビングして残してる。

 12月16日(水)
 なんだかんだで完徹。朝、ジョギング、30分だけ。
 夕方起床後、映画「観戦列島」(瀬々敬久)。たとえ明日地球が滅びようとも今日リンゴの木を植える話。

 12月17日(木)
 久々にマナフードでランチ。午後は取材ノート、資料の整理など。
 マスコミ塾第4期生の最終回。人数が少なかったこともあって、なんか最後少しうるっとしてしまった。

 12月18日(金)
 Pカンだが、波高くジャンク。
 生活がひどすぎて、なんか心身ともにぐったりしている。
 映画「誰も守ってくれない」(君塚良一)。「いいか。人の痛みを感じるということはとても辛いことだ。でも、それが生きていくということなんだ」。

 12月19日(土)
 昼前に寝て午後起床。Pカン、空は真っ青で空気も澄んでて気持ちのいい天気なのだが、眠れないので活動的に過ごせない。
 クラブW杯@日テレ。実況、厳しい。サッカー的じゃないというか。箱根駅伝の功罪。

 12月20日(日)
 何とか夜のうちに寝たいと頑張るが、どうにも寝付けず。諦めて「1Q84」を読み始める。三人称で書かれていることは知っていたが、突然出てくる「彼」に違和感。
 昼間は、寝ないように海を散歩し、公園へ行ってリフティングなど。
 マスコミ塾の高杉さんからTEL。高橋さんのお父さんが亡くなられたとのこと。
 夕方になって家に帰ったら、こたつでウトウトはじめ、ベッドへ。このまま朝まで起きないぞ、と頑張るが、結局夜中に目が覚めてしまう。
 テレビつけたら「GET SPORTS」でタッキー取材のベルマーレドキュメントやってた。

 12月21日(月)
 朝、サンスポのピラティスの原稿。
 昼、サーフィン。また間が空いたので、波は結構いいが、やはりバランス悪。パドルもうまくいかない。
 フロンターレの竹中さんからTEL。年始に退職し、愛工大経営学部の先生になるとのこと。わざわざ連絡してくれて嬉しい。
 夜、寝て、夜中に目が覚めてしまう。「1Q84」BOOK1読了。村上春樹は僕にとっては示唆的な作家で、だから読みながら色んな物語の切れ端が浮かんでくる。

 12月22日(火)
 ココスで朝食バイキング。前からちょっと気になってたので。
 午後、サーフィン。昨日より若干サイズあるが、面悪くまとまりない。それでもサーフィン自体は昨日より少しマシに。何度かうまく横にも滑れた。
 ブラインドサッカー日本代表、アジア予選通過し世界大会へ。「せっかく視覚障害者に生まれたのだから…」という選手の言葉がいい。非常にいい。僕が書きたいことの本質の本質がある。大変なのに頑張ってる的な感動話はなんか違うと思う。

 12月23日(水)
 今日もココスでバイキング。満席で少し待った。朝から奥さまたちは元気で賑やかだ。
 午後もココス。雲出さん、水谷さんとベルマーレとの来季のこと、マスコミ塾とかその他の年間計画について。

 12月24日(木)
 マスコミ塾のこれまでについてまとめて報告書の形にして眞壁さんに提出。こういうことをしっかりやらないとPDCAサイクルが行なえないと思うので。あれ、どうなってんだっけ?的な「積み残した荷物」の山積み状態ではいつか行き詰ると思うので。
 昼、マナフード。未奈ちゃんの娘、まだ1歳半だが、すでに超カワイイ。そういえば未奈ちゃんが「お母さん、どうですか?」と尋ねてくれた。誰かが知っていてくれているというのは嬉しいものだ。

 12月25日(金)
 今日はドラッグストアでバイプユニッシュなど買ってきて、あちこち掃除。
 南アフリカワールドカップの取材AD。思いがけず「発給」の連絡。ありがたい。が、この4年間の仕事を考えると本当に俺がもらっていいのだろうかという驚き。そんなこんなを夜中、浅田くんとTEL。
 ネット見てて、「症例A」などの多嶋さんが行方不明なのだと知った。自殺説もあるらしい。

 12月26日(土)
 午後、反町監督。夕方、ベルマーレ藤沢祝勝会。帰りにサポーターと少し飲み。

 12月27日(日)
 今年のベストセラー1位、「1Q84」。文芸書がトップは「TSUGUMI」以来20年ぶりとのこと。それにしても200万部は売れすぎ。そういう売れ方をするべき本ではない。
 その一方で今年も170の雑誌がが休廃刊になった。雑誌がなくなったことで打撃が大きいのがノンフィクションだ。版元にとしても取材費を捻出する媒体がなくなり、雑誌発表時の原稿料をもらえないこととも重なって書き手にとっては二重の痛手である。要するに単行本になるまで金が入らない。運よく単行本になったとしても印税はたかがしれてる。
 規制緩和で豪華付録がOKになった付録付ファッション誌の好調が、出版界にとって明るい話題というのは寂しい話。寂しいだけじゃなく、出版にとって本質的な収入でもない。

 12月28日(月)
 仕事部屋の模様替え。サティ、島忠、ニトリなど。

 12月29日(火)
 マナフードでランチ。
 天皇杯・G大阪×仙台@国立。遠藤うまいなぁ。
 帰りに外苑前でサッカー仲間のみなさんと忘年会的な飲み。

 12月30日(水)
 窓ガラス、拭きなど。
 数件、TEL。年末年始のお誘いもいただくが、断る。一人でいないと始まらない。
 夜、やっと年賀状。とりあえず先生方分のみ。

 12月31日(木)
 仕事部屋の片づけ。夕方、父からTEL。途中で母に替わる。元気そう。声に張りがあった。
 ビッグダディ、いい。生まれたばかりの紬美ちゃん、かわいい。
 K1と紅白。K1リング下には毎年恒例、原さん、落合さんなど働くカメラマンの姿。
 子供の頃からの恒例、年越し腕立て&腹筋。
 朝生。「対米自立が目的化してしまっている。自立してどうするか、どんな国になるかがいまの日本にはない」という同志社大・村田教授の発言に激しく共感。