
2005年1月
1月1日(日)
いつもと変わらぬ朝。大晦日→元旦の間をとりたてて力むこともなく飛び越えて、いつも通りに迎えた朝。そういえば年賀状もろくに書いていない。それでも午前11時、軽バイクの渇いたエンジン音、続いて「コトン」。金属音が聞こえてきた。いや、聞こえてきた、のではない。耳を澄ましていたのだ。コトン。無事聞こえてきて、何だかちょっと嬉しくて、郵便受けのハガキの束を想像している。もう腰が浮きかけている。あの街の幼友達や、あの学校の先生を想っている。
そんなあれこれに、いつも通りに迎えたいつも通りの朝なのに、やっぱり今日は元旦なのだと、なぜか心が弾む。どうして弾むのか? 行いも改めず、特別な意気込みもなく、形も色も同じ朝なのに……と考えてみて、それはやっぱり今日が元旦だからなのだ、と納得する。納得してまたまた心が弾み、あげくにほんのちょっと行いを改めようとか、今年は(長年の先延ばしにしてきた)アレにそろそろ挑戦してみようとか、考え始めているのだから、元旦は大したものだと思う。僕も「元旦」のような存在でありたいとも思う。
国立競技場。天皇杯決勝。例年通りに「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」の連呼。普段頭を下げるのが得意な人も不得手な人も、みんながみんな米搗きバッタのようになっている。国立競技場の長い廊下や記者席のあちらこちらでバッタ運動が繰り広げられるのを眺めながら、僕も「今日くらいは立派なお辞儀のできる大人になろう」と思ってトライする。
ちなみにサッカーマスコミでもっともホットな話題はドイツ・ワールドカップの取材パスを巡る争い。限られた枚数である以上、それはやっぱりコンペティションで、とりわけフリーランスにとっては4年に一度、露骨な個人評価を下され、順列を突きつけられる場でもある(もちろん、これは社会だし、競争だし、おまけに世界でもあるから、隠密行動も政治活動も水面下で行なているに違いない)。そんなわけでAD取得者が発表されるまでは疑心と暗鬼で空気が淀んで、息苦しいことこの上なかったのだが、それも年末に合否が発表されてようやく決着。そんなわけで今日のみんなの顔は(もちろん心中はそれぞれだろうが)憑き物が落ちてさっぱりしているような気がして、それもまた「今日から新しい年ですっ!」的な風景に思えた。
決勝戦は浦和レッズが清水エスパルスを下して、25年ぶり(とギドが言っていた)のV。エスパルスも十分同点に追いつけそうな気配があったのだが、交代出場した平松がわずか12分間に2枚のカードをもらっていなくなり、自らフェードアウトすることになった。
帰りは浅田くん、岩澤さんを送りがてら、デニーズ@駒沢通りで夕食。元旦からファミレスはいかがなものか、と思わないではないが、ここは「いつも通り」を強調してスルー。3人で、ああだ、こうだ、なんで?と長〜いおしゃべり。話の内容は割愛。でも、ま、何がどうであれ、僕は思うのだけど、人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまうので、あまり関わるつもりはないです。神様、僕は関係ないです。自分のことで精一杯です。
帰宅後、テレビ。今回のお正月は普段通りに仕事せねば、と思ってたのだけど。2時すぎ、テレビ+コタツでうとうと……で2006年一日目終了。
1月2日(月)
箱根駅伝。
1月3日(火)
あと年末年始のテレビを見ていて思ったこと。スマップはもはや現代のドリフだなぁ、と感心。