NO TITLE 1988
この年、僕は何かを求めて街や人の間を彷徨った。
それは僕にとって初めて、ちょっとだけではあるが心を開いてみたということだ。
どうしてそんなことになったのかはよくわからない。それはきっと喉が渇いたようなものだったろうと思う。
喉が渇いたら水を飲めばよい。心が渇いたら……。
そして僕はほんのちょっとだけ心を開いてみた。でも、ほんのちょっとだけ開いてみると、そこからとても飲みきれないほどの水が流れ込み、同時に僕の中からたくさんのものが流れ出て行った。
その結果、僕は中学校の机のように彫刻刀や鉛筆で傷つけられたり汚されたりした。
もちろん、なかには素敵ならくがきもあったけれど、それはごく一部で、しかもいま振り返ってみると<思い出>という過去形でしか僕の胸に響いてこない。彫刻刀の傷の方はそれが鋭く深いものであれ、鈍く重いものであれ、いまでも僕の心をリアルタイムでえぐってくる。
かしわ手をひとつ叩いてみる。叩いた瞬間が<現在>である。叩く前は<過去>で、叩いた後は<未来>だ。
過去と未来を分ける現在は、かしわ手ひとつ<PANG>であり、一瞬だ。
そして、過去のことはすべてもう起きてしまったことで、未来のことはまだ何もわからない。
この年、僕は4人の女の子とセックスをした。
寝た女の子の数が男たちにとってしばしば酒場での自慢話の勲章であるという意味において、僕にとってこの数字は上出来だろう。
もちろんこれは女の子と寝た数であり、ダッチガール達とのプレイセックスは含まれていない。しかし、中にはダッチガールとして出会って、女の子として別れた子なんかもいて、そのへんがややこしいところだ。
とにかく僕がこの年に寝た女の子は4人だ、ということにしている。そう決めておいた方が色々と便利だし、それに4人という数字は僕くらいの男としては妥当だろうと思ったからだ。公称というやつだ。別に世論調査に記入しなければならないわけでもないし、レポーターに追い回されるわけでもないが、そういうふうに決めている。
「素敵ねぇ」
彼女は僕の顔ではなく、下半身を見つめてそう言った。
彼女とどこで一緒になったのかよく覚えていない。きちんと順を追って考えれば思い出せないことはないだろうが、そんなことをしようという気にもなれない。この年、僕はしょっちゅう飲んだくれて、知らない人に話しかけていたから、きっとどこかの飲み屋で出会ったのだろう。
「素敵ねぇ」と彼女が言ったのはコトが済んだ後のことだった。僕のモノは長さも太さも並以上ということはない。彼女も「立派ねぇ」とは言わなかった。僕はウットリして「よかった……」などと呟いている彼女を無表情に見つめていた。
世の中のことは絶対的と相対的という二つのものさしで計ることができる。
例えば彼のモノは絶対的には小さいが、彼女との相対ではぴったりだとか。めでたしめでたし。
僕の友人Hの彼女はとてもかわいい。僕の彼女だってまんざらではないが、二人を街に立たせて通りすがりの男たちに人気投票をさせれば100人中98人はHの彼女の方を選ぶだろう。
残りの二人のうち一人はただのあまのじゃくで、もう一人は察しのいい奴で、そばに突っ立っている僕に同情してくれるのだ。
とにかく彼女はとてもかわいい。きっと男が好むタイプの女の子なのだろう。整った顔立ち、かといって近寄りがたい美人ではなく、かわいらしいタイプ。そして、ちょっと自信なさげで守ってあげたくなってしまう……。
「目の前で女に泣かれたら、何でもいいからわかってあげるのが男の義務だ」と誰かが言っていたが、もし彼女がうつむいて肩を震わせようものなら、そしてポタリと涙を落とそうものなら、その瞬間にその男は間違いなく彼女の虜になってしまうだろう。彼女はそういうタイプの女だ。
そんな彼女に最初に目をつけたのは実は僕だった。Hは「あんなのかわいいだけで、おもしろみがない…付き合う女としてはちょっとね…」と言っていたのだ。
始めはちょっとしたゲームのつもりだった。僕にはその時すでにいまの彼女がいたし、Hだって本気じゃなかった。どっちが彼女を落とせるか、ただのゲームだったのだ。
僕らはそれぞれ彼女にアタックを開始した。先に電話をしたのは僕だった。先に食事をしたのも僕だった。彼は映画を見に行ったし、お酒を飲んだ。そうやって僕らは互いの経過を教え合い、自慢し合った。
そして正月を迎え、それぞれの田舎に帰って行った。そのままこのゲームは終わるかと思っていた。
ところが冬休みの帰省から帰ってきてみると、彼が本気になっていた。僕は一方的にHの自慢話を聞く役になった。別に身を引いたわけではないが、自然とそういうことになったのだ。
僕たちはゲームを始める時に、どうなったら<あがり>なのか決めてなかった。どちらかが彼女をモノにすることでゲームが終わることなど考えてもみなかった。そうなった後で僕たちは思った。
すべてのゲームには<あがり>があるのだと。もしHが彼女をモノにできなかったとしても、やはりなんらかの形でゲームは終わっていただろう。そして、一つのゲームの<あがり>に辿り着いた時には、すでに次のゲームの<スタート>に並んでいる。
人はいつも複数の問題を抱え込んでいる。その中でもっとも大きい、難しい問題に心を悩ます。たまに大きくて困難な問題を一度にたくさん抱え込んでしまい途方に暮れる。それでも一つ一つ問題を解決していこうとがんばる人もいれば、すべてを放り出してしまう人もいる。
どちらの道を選んでも、結果は同じようなものだ。問題はいつの間にか、すべて無くなってしまうだろう。
X−1−1…=X−X
しかし、解決した瞬間には次の問題が必ず現れてくることもまた同じである。人は生まれついたときに山積みのトラブルをプレゼントされているのだから。
今日もまたどこかで赤ん坊が生まれてくる。この世に生まれる恐怖に身を震わせて泣き叫びながら。
僕はおじいちゃんが好きだった。
僕にはおばあちゃんが3人いたが、おじいちゃんは物心ついたときにはすでに一人しかいなかった。おじいちゃんは僕と誕生日が同じで、しかもお正月だったので、僕のお年玉はいつも他の従兄弟たちよりほんの少しだけではあるが豪華だった。
おじいちゃんはいつも元気だった。僕も含めた従兄弟たちを海や山によく連れていってくれた。そして、そこで泳いだり、石投げをしたりした。
おじいちゃんはいつも一番遠くまで泳いだり投げたりした。そして、おじいちゃんに次いでいつも僕が2番目だった。僕はおじいちゃんの一番弟子にでもなったつもりで後を尾いて回った。
そんなおじいちゃんだったが、石を投げたって、僕の方が遠くまで投げるようになってしまった。海へ行っても一緒に水につかろうとしなくなってしまった。
幼いながらも僕はかすかな寂しさを感じていたように思う。けれど僕の方も年相応のおもしろいことが出てきて、田舎に足が向かなくなっていった。
そして僕が大学受験で上京しているときに、おじいちゃんは永久に会えなくなってしまった。
僕がそれを聞いたのは上野の旅館だった。僕は涙さえ流せない自分に嫌悪感を感じた。
母からおじいちゃんの末路の話を聞かされた。下の世話の話、ボケてきたこと……僕は聞きたくなかった。
小学校の5年生くらいの頃だったろうか。おじいちゃんと隣町の本屋へ自転車で行ったことがある。途中に線路を横切るところがあった。おじいちゃんは僕に教えてくれた。
「車輪が線路と直角になるようにしなさい。そうでないと線路にハマってしまう」
僕がおじいちゃんに教えてもらったことでもっとも印象深いことだ。
元横綱双葉黒の北尾が大相撲を辞めた年に僕も大学を辞めた。
ボクシングやプロレスなど様々な世界が北尾に声をかけてきた。ある漫才師が北尾に対するコメントを求められ、「まぁ、そりゃ色んな奴が色々言うてくるやろ。でも、そんなもんは聞くだけしっかり聞いて、あとは自分で静かに考えて今後のことを決めりゃあいいんや……」と言っていた。
僕には声をかけてくれる人など誰もいなかった。当たり前のことだ。
夏……。僕は仕事を辞めて、もてあました時間でふんだんに遊んでいた。プー太郎ってやつだ。そして気がついたら全くお金がなくなっていた。当たり前のことだ。
翌日から僕は朝5時に家を出て、日雇い労働に行かなければならなかった。
うまく仕事にありつけた日はいい。仕事にあぶれたとき、僕は歩いて帰らなければならなかった。街は仕事に向かう人たちで溢れていた。フツウの人たちがフツウの流れに乗って行動していた。
僕はフツウの人でもなければ、フツウの流れに乗ることもできなかった。僕は道の端をうつむいて歩いた。明るい道のまんなかをフツウの人々が当たり前の顔して歩いていた。
退屈そうなサラリーマン、でも僕にはうらやましかった。それから女の子、みんな早足で歩いていた。思わずナンパしたくなるような子も足早に歩いていた。どこかに向かって歩いていた。僕はどこに行けばよいのかわからなかった。
僕は杉並にある公園にいた。その公園の中にある野球場でホームランを打ったことがあった。
僕はまだ人気のないグランドに入ってバッターボックスに立って、そのときのことを思い出しながらスイングした。相手のピッチャーのフォーム、球筋、打った瞬間の手応え、そして打球の軌跡……。
自分でナレーションを付けながら、「打ちました、大きい、大きい、ホームラン!」。
ベンチで煙草を吸っていたら高校の野球部時代を思い出した。仲間の姿が浮かんだ。田舎に帰ろうかな……。目の前が滲んだ。
家に戻ってテレビをつけると、薬師丸ひろ子が歌っていた。
あんな時代もあったねといつか笑って話せるわ……
テープ箱の奥をかきまわして中島みゆきを探して、何度も何度も同じ曲ばかり聞いた。そして寝た。
その日の夕方、週刊誌のデスクから電話が来た。
「明日からウチに来なさい」
受話器を置いて一人の部屋で百回くらいガッツポーズをした。大袈裟ではなくて、本当に百回くらいガッツポーズをして、友達に電話をかけまくった。それから鼻歌を歌いながら銭湯に行った。田舎に帰ることなんてすっかり忘れてしまったし、もちろん中島みゆきなんてこれっぽっちも思い出さなかった。
それからも何度か長い夜を過ごしたが、本当に長くて寒い夜を何度も何度も過ごしたが、僕はいまでもこうして元気で生きているし、こうして年の瀬になると来年のことを夢見ている。来年はお金を貯めようとか、フルマラソンに挑戦しようとか、煙草をやめようとか……
だけど本当はその前にやらなきゃいけないことがいっぱいあって、例えば年賀状を書いたり、洗濯をしたり……。
そして、またいつやって来るかわからない暗くて長い夜のために、いまのうちにしっかり寝て、しっかり食べて、しっかり夢をみて……おかなくっちゃ!なんてかわいく考えている。
「1988年は村上春樹現象が日本を覆っていて、『ノルウェイの森』がおしゃれでトレンディ」だとテレビや雑誌が言っている。
だけど、だからと言って村上春樹の文体を真似たからって、内容が「おしゃれでトレンディ」になるわけでは決してない。第一、「おしゃれでトレンディ」な文章にどんな意味があるのだろう。
文章に意味があるとすれば、それは「おしゃれでトレンディ」なことではなく、「暗くて長い夜」の方だと僕は思う。村上春樹の本当の素晴らしさは「暗くて長い夜」の物語だからだ。そして、それは中島みゆきの「時代」とある意味ではまったく同じものだ。少なくとも僕にってはそうだ。
僕には僕の意見とか希望とかそんなものがある。だけど、それはあくまでも僕個人のもので他の人に向かって発表する価値のあることではない。価値のあることではないけれど、発表するのは自由だからあえて小さな声で言ってみると、「え〜僕としては、この前会った○○さんって、ちょっとヨカッタなぁ」なんてことになる。もちろん僕のキモチでしかないのだけど、世界はそんなちっぽけな気持ちがいっぱい集まって成り立っているような気がする。
それと、これもきっと正しいと思うのだけど、ACTIONがあって初めてRE・ACTIONが起きるのだ。そして僕はきっとカチンコを鳴らすのが好きなのだ。
「用意……スタート!」
カチン。