HISTORY



 今年も鈴鹿に  1987・8

 今年も鈴鹿に行けなかった。
 これまで3年連続で計画しながら、その度に用事ができて計画倒れになってしまった。ついに大学4年間の間に一度も行けなかった。
 1年目は相棒のケガ。直前になって一緒に行くはずだった友人が接触事故を起こしたのだった。あの時、友人は病院のベッドの上で
――おまえだけでも行ってくれ。俺の分まで…
 などとドラマみたいなことを言ってたが、俺が一人で行くわけがないと思っていたはずだ。俺は彼の期待通りに8耐の決勝の日、彼の枕元に立っていた。

 2年目は祖父が亡くなった。
 3年目は金だった。直前になって全くのスッカラカンになってしまったのだ。情けないのはスッカラカンになった理由だ。簡単に言えば、女につぎこんだのだ。ゴールデンウィークを過ぎた頃だったか、ひょんなことからとてもかわいい女の子と知り合いになったのだ。
 彼女は−−憎しみを込めて明らかにするが、マリちゃんという名前だった−−本当に冗談みたいにかわいかった。これは俺の主観だけではない。彼女と会ったすべての友人は後で「この野郎、うまいことやりやがって!」と言いながら、俺の頭をこずいたほどだ。
 こずかれても「へへっ」と目と鼻の下を重力にあまりにも従順に伸ばしていた俺がバカだった。気付いた時には、鈴鹿へ行く金など残ってなかった。

 しかし、当時の俺は恐ろしいほどバカだったので、「8耐に行けなくっても俺はマリちゃんがいるからいいんだもん」と今から思えば後ろから蹴飛ばしたくなるようなことを考えていた。
 その結果、お盆に田舎へお墓参りに帰っている間に、しっかりよその知らない男にとられてしまった。友人たちは「当然の結果だ。お前にはあんな女は似合わない」と妙な慰め方をしてくれたが、考えてみればその通りで、一時的にせよ俺があんな女と付き合えたことが奇跡だった。
 あれは夢だったんだ。俺もあっさり納得した。
 しかし、そうなってみると悔しいのは8耐である。俺は地団太踏んだが、後の祭り。8耐は1ヶ月前に終わっている。俺は以後女には二度とかどわかされまいと強く誓って、貞節に1年を過ごし、今年を迎えたのだった。

 ところが、いつもの調子でバイトの休暇予定表に線を書き込んでおいたのが次の日になってみると赤線で消されている。どうしたことかと思っているとヒゲ面の店長が「今年は7月後半は忙しいから休暇は無理だ。他の日にしてくれ」と言う。
 そんなバカな! 他の日に休みなんていらないから、7月26日だけ休ませろ! 俺は店長に詰め寄ったが、店長の態度は硬く…
 よぉーし、それなら辞めてやる! 

 しかし、その言葉は口から出せなかった。貧乏学生の俺にとってバイトを辞めることは死活問題だった。
 くそぉー俺はなんて不幸な星のもとに生まれたんだろう。きっと親のせいだ…と思っているところに、その親から電話がかかってきた。
――大学4年にもなって、就職活動をしないで何やってんだ!
 うるせぇ!とはさすがに言わなかったが、そんなことどころではなかった。ついに今年も鈴鹿に行けなかったのだ。脱力感が襲ってきた。俺は電話を適当に切りあげて、大いびきをかいて寝た。
 夢の中で俺は鈴鹿へ向かって走っていた。見覚えのある道にさしかかった。

 実は俺は一度だけ鈴鹿へ向かったことがあった。4年前のことだ。当時、俺は浪人中でまだバイクに乗り始めたばかりだった。
――バイクに乗るなら一度は鈴鹿8時間耐久レースを見に行って来い。
 先輩が言った一言で何気なく出掛けたのだ。もちろん今ほど思い入れは強くなかった。
 前の晩に出発して、夜中に鈴鹿に着いて、サーキットでゴロ寝するつもりだった。ところが俺は鈴鹿サーキットには着かなかった。

 三重県に入ってすぐだろうか。信号待ちで隣りに並んだライダーに声をかけられた。
――スズカ?
 その声は女性だった。別にツナギに身を固めていたわけではない。TシャツにGパンという格好だったから、注意して見れば女性だということはすぐにわかったはずだ。髪だってヘルメットからしっぽのように伸びていた。
 俺は慌ててうなずいた。そこで信号が青になり、彼女は発進した。俺も後に続く。ナンバープレートに「岡崎」とあった。もちろん受験生の俺は、岡崎…徳川家康の故郷…1603年徳川幕府創設…と連想する。岡崎なら名古屋の先だからそれほど遠くない。ちょっと走ってまた信号で止まった。彼女は話しかけてきた。
――よかったら、ちょっと一緒に走らない?
 もちろん浪人生の俺は二つ返事でOKした。「ありがとう」と彼女は言った。

 23号線を道なりに走っていく。鈴鹿市に入る。間もなく白子駅前。鈴鹿サーキットへ、という大きな看板の右折の矢印が光っている。いつの間にか増えてきたライダーたちが体を右に傾けていく。
 しかし、彼女はそのまま真っ直ぐに進んだ。彼女がちらりとバックミラーを見たような気がした。俺が曲がるのでは、と思ったのだろう。しかし、尻軽な俺は迷わず彼女のヒップにくっついていく。
 津市、松阪市も越えて行った。一体どこまで行くのだろうという不安と、もしかしたら…という期待で俺はドキドキしていた。

 沿道のバッティングセンターやパチンコ屋が流れていく。そのうちホテルのネオンが目立ち始める。しかし、そんな闇の中をこうして知らない女と走っているのには不思議な快感があった。
 あるいは相手が女でなくても同じ気持ちになれるのではないかという予感さえした。
 この時、俺は初めてバイクで走ることの、自然な気持ちよさを知ったのかもしれない。ただ単に女の尻を見ながら走っていることが楽しかったのかもしれない。しかし、それに極めて近い気持ちよさをバイクで走ることそのものから得たような気がする。

 鳥羽市に入ったところで、彼女はやっとウインカーを左に出した。俺も続く。伊勢湾に面した海岸に出る。堤防に沿って少し走ったところで彼女はバイクを止めた。
 彼女はバイクから降りてヘルメットをぬいだ。暗くて彼女の顔はよく見えなかったけれど、結んでいた髪をほどいて風にさらした彼女はとてつもなく美しかった。
 真珠の眠る鳥羽の海のスクリーンの前で、彼女の影はしなやかに揺れていた。
 後ろから見ていた俺は声をかけることもできず、ヘルメットを手にただ呆然と立ちすくんでいた。後から思ったことだが、俺の後ろからもう一人見ていた人がいたら、きっと俺も美しく見えたに違いない。

 何分か経って俺は下腹部に緊張を覚えて正気に返った。俺はなんと間が悪い男だろう。しばらくどうしようかと思っていたが、仕方なく遠慮がちに声をかけた。
――あのぉ…トイレ行ってきます。
 その辺で用を足して戻ると、彼女は海に背を向けて堤防に座っていた。横に行くと彼女は自然なしぐさで俺にキスをしてくれた。ほっぺに、ではない。くちびるに、だ。しかし、それがあまりに自然だったので、俺には感触というものがほとんど残らなかった。俺は「もう1回」と言いたかったが、さすがに我慢した。

――煙草持ってる?
 彼女が言った。俺はポケットからくしゃくしゃになったハイライトを取り出し、1本抜いて彼女に渡した。
――ずいぶん苦い煙草ね。昔吸ったのはこんなに苦くなかったような気がする。
 彼女は少し笑って、煙草を堤防で消し、海に捨てた。
――ごめんね。こんなところまで連れてきちゃって…君はいくつ?
「18歳」と思いの他かすれた声で答えて、俺は慌てて唾を飲んだ。
――私は23よ。5年の差か…あと5年経ったら君はどうなってるかな。
 彼女の生きてきた23年を俺は思った。彼女にはきっとここに何か思い出があるのだろう。それから5年後の俺のことを考えた。そして、にっこりと笑って答えた。
――バイクに乗ってると思います。
 彼女は俺の顔を見つめ、やさしい顔で「来年も来る?」ときいてくれた。俺は「来ます、必ず」と元気に答えた。

 これが4年前の夏のことだ。それから俺は一度も鈴鹿へ来れないまま、来年は彼女と同じ23歳になる。来年何をやってるか解らないが、バイクに乗ってることだけはどうやら間違えなさそうだ。