MOVIES 2005

 ふくろう/新藤兼人
 
東北の山奥にある不毛の開拓村に灯り、潰えた「希望」。その果てに最後の住人、餓死寸前の母子が打って出る大博打(常識外の)。したたかな女たちに手玉に取られていく男たちの愚かさと滑稽さ、彼らの向こうに強烈なアイロニーで投影される「国」や「権威」もまた理不尽で空虚なものなのだった。
 大竹しのぶが個性爆発で好演。満州からの引き上げに始まる悲惨な物語に浮かべるシリアスな表情と、荒唐無稽な犯罪を無感情に実行する突き抜けた佇まいの対照的で印象的。そうそう、娘役の伊藤歩、オールヌード披露してます(タナカくん向け情報)。
 それにしてもメガホンを握った巨匠はすでに90歳超のはず。「うなぎ」といい、「ふくろう」といい、枯れないなぁ。(05.6.23)


 光の雨/高橋伴明
 革命をしたかった――という独白で始まる「連合赤軍」をモチーフにした映画。――各人の持っている能力を100%発揮でき、富の分配はあくまで公平で、職業の違いはあっても上下関係はなく、人と人との間に争いはないから戦争など存在し得ない、そんな社会を作るための第一歩として、人々を抑圧する社会体制を打ち破るために……。
 そんな理想を掲げ権力に抗い、角材や石を手に大学解体を叫び、ついには武力をもって殲滅戦を戦わんとした彼らが自己破綻をきたしていく過程を、「映画のメイキング」という、いわば劇中劇の手法で描く。
「メイキング=現在」との時間的往復によって、30年も過去に起きた、しかも異常な事件にリアリティが与えられる。つまり視聴者は「歴史」としてではなく、「当事者」として山岳アジトに引きずり込まれる仕掛け。あの世代の多くの人々が、あの時代を語るに際してとり続けてきた姿勢(ノスタルジーに浸るか、あるいは言葉少なに黙するか)へのアンチテーゼでもあるかもしれない。伝えるべきことは確かにあるはずだ、という作り手の意志も感じた。
 浅間山荘で劇の幕が降りた後、「いまの君たちに伝えるべきことは何もありません」とあの世代の独白、しかしタイトルバックをはさんで主人公を演じた裕木奈江と山本太郎がハンディカメラに向かって(主人公となったあの時代に向かって)残すメッセージ、「あれから30年が過ぎ、行為だけが残り、夢は消えてしまいました」、「世の中は感情的になり、自分で自分を守るしかない、そんな時代を私たちは生きています」といったあたりが、この映画のモチベーションなのだろう。
「俺たちは言葉に力があると思っていた。アジテーション、オルグ、機関紙、立て看……」など印象的なセリフ、多い作品だった。彼らが高圧かつ確信的に口にした「自己批判」に、21世紀ニッポンの「自己責任」の大合唱を連想したのはナイーブすぎるにしても。(05.6.16)

 チルソクの夏/佐々部清
 1970年代、戒厳令下の韓国・プサンの男子高校生と、下関の女子高生の淡く真剣な恋をチルソク(=七夕。また来年の夏、きっと……)をモチーフに描く。玄界灘をはさんだ恋情と、主役の女子高生4人の友情、その背景で流れる、あんたのバラード、カルメン77、なごり雪など懐かしの流行歌に「青春」が胸を衝く。とりわけベランダで彼女たちが絶唱する「横須賀ストーリー」は気恥ずかしく、しかし染みる。
 監督、佐々部の出身地である「下関」映画でもある。郷土のスター、山本譲二も出演(05.6.10)。


 夜がまた来る/石井隆
 
夏川結衣が見たくて見た映画。ベタな展開のストリー。絵は割りとかっこよかった。(05.4.5)

 ジョゼと虎と魚たち/犬童一心
 
池脇千鶴が足の不自由な、いや、そんな身体的特徴より慇懃で不躾で、そのくせ繊細で透明な少女ジョゼを好演。彼女に恋人(妻夫木聡)をとられた形になる元彼女(上野樹里)が、車椅子(正確には手押し車なのだが)に乗ったジョゼにビンタするシーンがいい。ひどいことを言って、ほっぺたにビンタして、そして立ち上がることのできない恋敵のために腰をかがめてしゃがみ、顔を差し出してお返しのビンタを受けるのだ。そして、もう一発ジョゼの頬にビンタをして、去っていくのだ。障害者に対する姿勢、ではなく、たまたま障害者である恋敵への人間として、女としてのフェアな感情の爆発がとても清々しくて、いいシーンだった。(05.3.3)

 カルテット/久石譲
 久石譲が監督・脚本・音楽を担当。桜井幸子が見たくて見た映画。(05.2.21)

 風の歌を聴け/大森一樹
 随分前に一度見たことがある気がするのだが、まるで初見のように斬新で刺激的だった(室井滋が出ていることは知っていたけど、ヌードになっていることは覚えてなかったもんな)。何より自分にとって刺激的だったのは、ストーリーを追いながら次のセリフ、どころか映画化で省略されたセリフまで、次々に浮かんできたこと。やっぱり村上春樹、特に「羊3部作」は完全にハイッているらしい。学生時代に「物書きになる」と覚悟を決めた頃、ノートに筆写してたからなぁ。再読の意欲沸いた。(05.2.13)

 半落ち/佐々部清

「このミス」1位に輝いたベストセラー小説の映画化。が、しかし、単なるミステリーにとどまらず、警察組織やメディア、痴呆や介護といった現代的なテーマ、さらには人生の深淵にまで踏み込んだ大作であることが原作を未読の僕にも察することができた。
「察することができた」のは映画において、それらの要素が少しづつちゃんとまぶされていたからで、それは言い換えれば、映画においてはそのいずれもが食い足りないものだったということだ。オールスターキャストの役者も力のこもった演技を披露しているのだが、結果的にカタルシスを得られなかったのはそうした「幕の内弁当」的な映画だったからだと思われる。端的に言えば、ミステリーとしても感動ストーリーとしても中途半端で、残念だった。(05.2.1)

 金融腐食列島 呪縛/原田眞人
 高杉良原作の経済小説の映画化。すでに2度目か3度目の視聴ながら退屈しない。カメラワークと陰影映える映像がスピード感と重厚さを醸し出し、反比例的に金融界の(矮小な)人間臭さを際立たせる。役所、椎名らミドル4人組の主人公はじめ、仲代、佐藤慶らの重鎮、風吹、黒木、若村らの華と豪華なキャスティングもはまっていて飽きさせない。(05.1.23)

 みんなのいえ/三谷幸喜
 身の丈の映画。テーマもストーリーもキャスティングも。
 三谷の代弁者たるココリコ田中の「職人とアーティストは相反するものじゃない。職人は作品に味がなければオートメーションの機械と同じだし、アーティストは作品が売れなきゃただの変人だ。問題はどこで折り合いをつけるかじゃないかな」というセリフにシンパシー。(05.1.21)

 キル・ビルvol.1/クエンティン・タランティーノ
 おおっ、パルプフィクション! …と書いて高校の後輩、野間ちゃんを思い出した。彼女が「パルプフィクションって映画が好きなんですよ」と言っていたのは10年、いやもっと前かな。元気かな。(05.1.18)

 ザ・カップ/ケンツェ・ノルブ
 ブータンとオーストラリアが共同で製作した映画。ファンタジーである。
 ヒマラヤ山麓の僧院で修行に励む少年僧、しかし彼らにはどうしても見たいものがあった。フランスで開催されているワールドカップである。もちろん僧院にテレビはない。
 そこで彼らは僧院長に直談判する。「ワールドカップとは何ぞや?」との問いかけに、世界が戦争のごとく争う大会だと、続いて「勝者は何を得るのか?」。カップです。さらに、「その争いに暴力はあるのか?」、ありません、「セックスは?」、まったくありません……といったやりとりがいかにも素朴で、しかし本質的でまさしく慧眼を開かれる思い。色(煩悩)についての小さなエピソードなど、さすがはブータン。そして仏教。色即是空なのである。
 ちなみにキャストにプロの俳優は起用されておらず、そのほとんどが現実に修行中の僧侶だということ。(05.1.4)