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 宮崎キャンプ巡り   05.2.15〜18


 2月15日に宮崎入りした。
 取材の面倒を見てくれたのはワールドサッカーグラフィックで、だから一応「サッカー」の取材ということになっている。
 でも、今回はサッカーのみならず野球も見るつもりである。というのも、そもそもこの取材を思いついたのは昨年の西武キャンプに来た際に、「なんだここは天国じゃないか」と思ったことにある。この時期、宮崎はサッカー、野球のプロ球団が大挙してキャンプを張る「スポーツファン天国」と化すのだ(ちなみに今年はプロ野球6球団、Jリーグ10クラブ、さらにKリーグの現代が来宮)。
 そんな宮崎でサッカーのみならず野球の現場に身を置くことで感じられるものがあるはず、というのが取材趣旨だった(そんな贅沢な趣旨にOKしてくれた中山編集長に感謝するばかりである)。

 宮崎入りした15日は雨。もともと夕方の到着でこの日は取材へ出掛ける予定もなかったので、空港近くで予約してあったレンタカーで(この時期宮崎県内のレンタカーは圧倒的に不足する)市内のホテルにチェックイン。ホテルで食事をして、ホテルで大浴場に入り、ホテルで少しの仕事をして、この日は終わった。

 翌2月16日はPカン。起きてすぐに窓の外を見て、僕はガッツポーズをした。だって野球は雨天中止である。それでは出鼻をくじかれることになる。
 というわけで、早速レンタカーで出発した。市内中心部から南下し、10号線がフェニックスの街路樹が並ぶ南国調に変わると、間もなく左手にサンマリンスタジアムが見えてくる。宮崎県総合公園のメインスタジアムだ。
 ちなみにこの総合公園には野球場が2つ(3つかな)、野球の雨天練習場(といってもソフトボールならそのままやれそうな広さ)、その他に陸上競技場、ラグビー場、サッカー場などがある広大な運動公園で、ベガルタ仙台、川崎フロンターレもここでキャンプを張っている。

 でも、ここの主役はもちろん読売巨人軍である。キャンプを見に来た人の8割、いや9割は巨人目当て。Jリーグのチームが隣の競技場で練習をしていることを知っている人さえ希だと思われる。
 九州は野球が盛んな土地だし、テレビ中継は巨人戦がほとんどだし(九州に限ったことではないけど)、おまけに宮崎は巨人が長年キャンプを張り続けている「準ホーム」のような場所。Jリーグとは年季が違うのだから、これは当然のことである。

 とはいえ、巨人人気はやはりここでも翳りを見せ始めているらしい。偶然会った知り合いのカメラマンが言っていた。
「ソフトバンクの方がファンもメディアも多い」。
 同じ宮崎でキャンプを張る“新”球団、ソフトバンクに注目度で劣っているということだった(ソフトバンク人気が同じ九州の福岡の球団だからなのか、真新しさからなのかは不明。でもダイエーの頃も福岡だったわけだから、たぶん真新しさの方なのだろう。メディアはわかるけど、ファンまでというのはちょっと「?」)。

 そんなわけで巨人もファンサービスに励み始めていた。僕がぶらぶらしている間にも、特設ブースにローズが現れてファンと交流していたし、ジャビット君印のバスを運行させたり、ブルペンにも観覧席を設けたり、とこれまでにない取り組みが行なわれていた。

 さてキャンプ。昨日の雨の影響で、メインスタジアムではなく雨天練習場(木の花ドーム)での守備練習(挟殺プレーをやっていた)と、サブスタジアムでのフリー&ティーバッティングが行なわれていたが、いつも思うことだが、野球選手はデカい。サイズの問題ではなく、体の厚み、そして張り、それらが醸し出す威圧感が、サッカー選手とは違う。とりわけ清原はデカかった(つい先日江ノ島水族館で見た「みなぞう」を僕は思い出した)。

 いずれにしても、僕自身が野球部出身だということもあるのかもしれないが、野球の練習は見ていてわかりやすい。守備にせよ、バッティングにせよ、ピッチングにせよ(ブルペンはとても興味深かった。プロの投手のボールをネット越しとはいえ、キャッチャーの真後ろで見るのは高校時代に阪神の山本和のピッチング練習を見学して以来だったから非常に感激した)、テーマが何か、調子がいいのか悪いのかが、真剣に見つめていると見えてくる。だからこそ、野球は書きやすいし、逆にサッカーは書きにくい。

 せっかくだから野球とサッカーの違いについて、思いつくままに挙げれば、野球はパーツごとの練習だからわかりやすいが、サッカーのように総論的な印象(わかりやすく言えば主観)ではなく、絶対的な評価が下せるから、それなりの眼力が必要になる。
 そのせいもあるのだろうが、取材現場にオンナ+コドモ(すみません、差別ではないです。あくまでもわかりやすく)が少ない。カーブかシュートかがわからないようでは話にならないし、キレがいいか悪いかがわからなければ、原稿も書けないからだ(本当は。実情がどうかは不明)。だから、その分いわゆる評論家(プロ野球経験者)が多い。
 でも野球は取材が難しい。取材させてもらうのが難しい。とりわけフリーランスの僕にとっては「入れてもらう」こと自体が相当大変だったりする。サッカーはその点ではフリーに理解がある(これがJOCあたりになると、存在すら認めてもらえない)。
 あと、これは野球のいいところだなと感じたのは、例えばファウルボールなどを選手がスタンドの子供にあげたりできるところ。サッカーでいちいちボールをあげていたら大変なことになってしまう。僕も子供の頃に加藤初(当時、太平洋)からもらったボールを長い間大切にしていた。その辺がメジャーリーグ→ボールパーク→フィールド・オブ・ドリームスといったメランコリックな連想につながるような気がする。

 そんなわけで午前中は好天の下、あらゆる意味での野球を満喫。午後はサッカー場へ移動して、川崎フロンターレvsU20日本代表のトレーニングマッチを見た。
 まず試合。フォーメーションは下の通り。

           相沢

      佐原  小林  谷口

       チャン    山根
   森               木村
           飛田

       飯尾    西山
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
       前田    平山

           兵藤
  家長              中村
       高柳    船谷

      吉弘  森下   小林

           西川

 フロンターレはセミレギュラークラス。何といってもジュニーニョ、マルクスがいない。一方、U20の方もカタール遠征を終え、本番(6月のワールドユース@オランダ)へ向けてのちょうどインターバル期間で、新戦力の見極めと現有戦力の状態確認&マッチングの模索、というあたりがメインテーマなので、まさしく「トレーニングマッチ」。当然のことながら、もはやユース名物である大熊監督の声がピッチを響き続けた。
 目立ったのはフロンターレの西山。左利きでアグレッシブ。前半は2トップの一角、後半は左MFに起用され、とりわけサイドで輝いていた。だが、関塚監督としては「トップでやれると面白い」と考えているとのこと。もちろんこのチームで2トップに割って入るのは至難だが。

 フィールドの外で感じたのは(もちろんファンもメディアも巨人とは比べようもないのだが)、何よりタッフの数の違い。プロ野球はグランドの中にいるスタッフ(マネージャーと呼ばれる人だけでも十人以上はいるだろうし、監督専属の付き人までちゃんといる)とバックステージのスタッフ(広報など)が相当な人数いるのだが、サッカーは片手で足りるほど。改めてその規模の違いを実感した。

 そして、サッカー場で何よりしみじみしたこと。それは選手リストの生年月日の欄に並ぶ「1985」という数字だった。
 1985――。僕はすでに20歳で、まだ大学生で、そのくせ、いや、だからこそ自分の人生をどのように生きるか、について真剣に(というより深刻に、と言った方がいいかもしれない)考え、そして子供の頃からの予定通り「物書き」として生きていこうと決めた頃である。
 つまり、僕がフリーライターとなってからとほぼ同じ時間しか、彼らはまだ生きていないのである。僕は彼らの2倍生きている……。「ダブル二十歳」の僕としては、そのことに愕然としたのだった。

 余談。ここで僕は僕と同姓の「川端さん」に遭遇した。名前は以前からネットなどで知っていて、しかもそのプロフィールに「大分県中津市出身」とあるのを見て、むむっ、もしかして親戚か!と気になっていたのだ(僕も中津市で生まれたので)。
 残念ながら、というか親戚ではないみたいだったのだが、その一方で、この日は江藤くん(彼も大分県中津市出身!)も来ていて、宮崎県総合公園サッカー場にナント3人の同郷者が揃うという奇跡が起きていたのだった(大都市とか中都市なら別に驚くほどのこともないのだろうけど、中津市だからねぇ。知らないでしょ?)。
 そんなわけで僕は非常に感激したのだった(あとの2人はそれほどでもなかったけど)。

 2月17日は朝から高原町(たかはる)へ。市内からは宮崎自動車道を走って1時間ほどのところにある山間の静かな町である(町内の50%を山林が占める)。人口は約1万。しかし、見事な芝生のグランドを保有していて、そこでザスパ草津がキャンプを張っていた。
 ちなみにグランドが完成したのは平成14年、つまり2002年。でも、このグランドはワールドカップとは関わりなくスポーツを通じた町の活性化(観光)を目指して作られたらしい(もっとも、話を聞いた地元の人は「維持費だけでも毎年800万円もかかって…」とボヤいていた)。
 それでもグランドの周囲は、町内の老若男女が取り囲み、お金が落ちるかどうかはともかく、活気もそこそこあった。意味がないわけではないだろう(もともとこの地域はサッカーが盛んだということでもあったし)。

 ここで昨日に続いて、U20代表とザスパ草津のトレーニングマッチを見る。試合前に、手塚監督と植木前監督が、謙遜というよりは正直に「守備はかなり厳しい」と話してくれた通り、ザスパの4バックは今季の苦戦を予感させるものだった。J参入初年度は、とりあえずあらゆる意味でJ2に馴れるための一年ということになりそうだ。
 一応、スタメン。

           北

  堺   小田島   チカ   寺田

       鳥居塚   氏家

  酒井              高須
           山崎

           宮川
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
       前田    辻尾

           狩野
  家長              寺田
       船谷    高萩

     丹羽竜  丹羽大  中尾

           西川

 練習試合を見た後、レンタカーで高原町から西都市へ向かう。
 途中、高岡町というところで「城」の案内表示を発見。迷うことなく寄り道をする(僕は城好きなのです)。
 この高岡町は南北朝、戦国時代を経て、16世紀末以降、島津の所領となった地。その中心部、領内を一望する丘の頂に「天ヶ城」の天守がそびえていた。もっとも、これはいわゆる復元天守。建設時のまま残っている「現存天守」は現在日本に12しか残っていないのである(あの美しい姫路城はそのひとつ。ちなみに首都圏にはまったくない)。

 それでも山頂に立ち、大淀川が蛇行する領内を一望しながら400年前を夢想するのはなかなか楽しい。周囲を川で守られた山城が鉄壁だったことはここに立てば一目瞭然である。

 西都市に入った後には、わずかな時間を利用して西都原古墳群を訪れた。
 日向は神話の里である。古事記、日本書紀にも登場する。天照大神の子孫にまつわる神話に出てくる、高天原(たかまがはら)と午前中にいた高原町(くどいようだが、「たかはる」と読む)の関連を夢想したりするのもまたなかなか楽しかった。

 さて有名な西都原古墳群。東西2キロ、南北4キロにわたって4〜7世紀頃に作られたとみられる古墳が点在する、まさしく古墳群。その数311基。正直言って、どれが古墳で、どれがただの盛り土なのかが見分けられないほど。しかも、いまだ発掘されていない古墳が大部分だというのだから、たぶんこのあたりはどこを掘っても何かが出る、ということなのだろう。

 公開されていた「鬼の窟」古墳に入る。玄室の内部まで入れてしまうので、体感欲求強い僕は不謹慎とは知りつつも(何といっても墓なのだ)、やっぱり棺が納められていたとおぼしき場所に横たわってみた。なかなか結構な寝所ではあったが、もちろんすでに黄泉の国へ旅立った人の感慨はわからない。

 その後、西都市のグランドにてキャンプ中の大宮アルディージャとU20代表の練習試合を観戦。U20を見るのは2日で3試合目。お恥ずかしい話、もはや僕にはさほどの集中力も好奇心も残ってはおらず、かなりルーズな取材になってしまった。終了後、ちょっと話題のハーフ、中尾くんに話をきけたのがまあ収穫といえば収穫。

            北

  堺   小田島   チカ   寺田

       鳥居塚   氏家

  酒井              高須
           山崎

           宮川
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
         原    カレン

           兵藤
  苔口               中村
       高柳    杉山

      小林  河本  中尾

           山本

 夜は朝日新聞の中小路さんが誘ってくれたので、この旅で初めての外食。中央通りの「万才亭」で地鶏を食す。非常にうまかった。が、中小路氏の話の方がさらにおいしくて、印象的だった。
 ちなみにここは割と有名な店らしく(もちろん僕ではなく中小路さんが見つけてくれた)カウンターのみの店内は満員だった。ビールをぐいと飲んだところで僕の3人隣に「みなぞう」、いや清原がいることに気づいて驚いた。
 プロ野球選手はキャンプ中でも「夜」という生活があって、なかなかいい。サッカー選手たちは夜、飲みに行くどころか外出するのさえ億劫になるほど疲れ切っていると思われ……なんて考えて、もう随分前に川口能活が「僕らはいろんな国に行くけど、いつもホテルとグランドの往復だけで、その国や町に触れる機会がない。本当はもっといろいろなことを経験したいのだけど」と話していたのを思い出した。彼もイングランド、ノルウェーと移籍し、いまでは「生活」体験すら持つ国際人になっているわけで、すごいものだと妙なことから感心することになった。

 天国宮崎での最終日、2月18日は、朝から雨。でも、一人でレンタカーを走らせて、10号線を北上し、日向市まで足を伸ばした。宮崎市内からは2時間ほどかかり、ここへ行くと一日潰してしまうのだが、どうしても楽天のキャンプには顔を出しておきたかった。会っておきたかった人がいたからである。
 このほど楽天球団の広報部長になった西村さんである。西村さんは2002年まではサッカー界にいた人で、「ワールドカップ」を招致から開催まで完走した数少ない人である。サッカーの仕事をしている頃も「広報」を担当していて、その後、代理店を経て、つい最近現職に就任した。
 ちなみに前述した通り、野球は「記者クラブ」以外の取材が難しい業界なのだが(相撲はさらに大変です)、ここではすんなり入れてもらえた。もしかすると、このあたりにも西村さんの意向が働いているのかも、と思ったりする。
 実を言うと、野球界に転身した直後の西村さんに、生の感触を聞いておきたいというのがわざわざ日向まで来た一番の動機だったのだが、忙しそうだったので残念ながらゆっくり話をすることはできなかった。でも、まあ、ここで一度顔を見せておいたことで僕の誠意は伝わったに違いない、と自己納得し(こういう納得を自己満足、あるいは自己憐憫と言う。はっきり言って仕事ができない人間の言い訳にすぎない)、新規参入球団のキャンプを見学した。

 とはいえ、雨だったこともあり、正直に言えば、つまらなかった(おまけにここには知り合いの記者さんが誰もいなかった。大抵どこへ行っても一人くらいは知ってる顔がいるのだけど)。
 興味深かったのは、巨人と比べて何をやるにしても(例えば「次、バント練習、その後、フリーバッティングね」みたいな練習の流れ)いまひとつスムーズではないこと。ネットをどこに置くのか、どういうロ−テーションで選手が動くのか、といったことがイチイチ滞るのだ。
 部活動をやっていた人はわかる通り、こういうところにチームの実力が見えたりするもので、その意味ではやはりまだ新規参入球団。グランドの中の実力のみならず、スタッフや地元の手伝いの人たちの習熟度はまだまだ、という感じだった。
 こうしたことは僕には見えないマネジメントの部分でもきっと起きているはずで、やっぱり今季は苦しいだろうなと僕は感じざるをえなかった。

 結局、ブルペンを少し覗き、雨天練習場でのバッティング練習で新外国人(「新」に決まってるけど)をチェックし、ファンの様子や地元との連携ぶり(物産展をやってた)を取材したりと足早にキャンプを回り、幕の内弁当で昼食を済ませ、それから今日の(つまり明日のスポーツ新聞の)目玉であるアントニオ猪木の登場をファンや記者に混じって待つ。
 猪木さんにはもう20年近く前、仕事を始めたばかりの頃、ちょっと誉められたことがあって(これはその筋の人に話せば自慢話としてはかなりのランクになるのだ)、その周辺にも知り合いがいるのだけど、残念ながら今日は見知った顔はなく、一応カツノリが気合を入れられるのだけ見て、楽天キャンプを去ることにする。要するに退屈するのが何より苦手で、おまけに寂しがり屋でしゃべりたがり屋の僕としては、練習は室内のみ、話し相手はゼロというこの状況にこれ以上の長居は不可能だったのである。

 10号線を今度は南下して宮崎市内へ向かう。この10号線を北上すると、大分県に入り、そのまま走り続ければ例の中津市(僕の父親の実家がある)へ着き、さらにそのまま北上すれば山国川を越えて福岡県に入り、豊前市(母方の実家がある)に至ることになる。
 中津にも豊前にも、もう随分(最後に行ったのは一体いつだろう?)ご無沙汰なので、もう2、3日滞在できればちょっと足を伸ばしてみるところだが、あいにく今日の最終便で帰京することになっている。相変わらず不義理は続き、親戚との距離はますます遠のいていくなぁ…とそんなわけでレンタカーの中でちょっとだけ凹んだりする。
 あと、もう一つ悔やんだのが、「欽ちゃん球団」。もう少し広い視野と自由な発想で段取りを考えていれば、取材対象に含める価値は十分あった。残念ながら気づくのが遅かった(明日まで宮崎にいれば巨人対楽天のオープン戦を見られたのだが、それは今回の目論見的には大した失敗ではない)。

 そんなわけで、夕方、宮崎市内へ戻り、浅田くんと岩澤さん、それに初対面の安中さんをピックアップして、宮崎空港から羽田へ戻り、キャンプ巡りは終了。とはいえ、機内ですでに「来年も来たいなぁ」という思いが沸々と。もちろんクライアントを探すことは容易ではないのだけど。