interview

 渡辺真人@JFAハウス         05.4.21


「誰パス」の取材で、サッカー協会の事業部長に話をきいた。
 渡辺さんは、国士舘大学サッカー部の出身。国際試合の手伝いなどにボランティアで駆り出されていた学生生活を終えた後、1987年にサッカー協会に入った。ちなみに大学では柱谷哲二と同期で、柱谷は選手として、渡辺は協会の一員としてワールドカップ出場を誓い合って社会人になったのだそうだ。
 サッカー協会に入って19年目。これまで国際部や強化推進本部などに籍を置き、昨年4月事業部長に就任。

「僕が入ったときのサッカー協会は10人くらいでしたね。岸記念体育会館の陸連さんの隣にいた。入社した直後は横山(謙三)さんが監督を務めていた日本代表のチーム付きをやりました。当時はお金がなかったですから、代表チームといっても監督、コーチ含めてスタッフは5、6人。荷物を運ぶのも一苦労で、見かねたラモスさんたちが『みんなで手伝おう』と運んでくれたり……」といったエピソードからもわかる通り、まさしく“夜明け前”にサッカー界に入った。
 そして、日本サッカーの夜明けとともに、仕事のスケールが大きくなっていくという経験を経て、現在に至っている。
 ちなみにアメリカ・ワールドカップ予選で、ドーハへのチャーター機を手配したのも渡辺さんだということ。当時は何をどうすればよいのか皆目わからなかったという(現在戦っているドイツ・ワールドカップ予選では日本代表がチャーター機を使っていることはさして驚きでもない)。

 とにかく自らが(まだ“冬”の名残が残る頃のプレーヤーであったこと、同じく豊かになる以前に協会職員になったこと、が現在の仕事においても彼のアイデンティティとなっていることに信頼感を覚えたことは言うまでもない。
 また、だからこそ現在のサッカー界、協会職員に対して、厳しい目線も持っていた。
 前述以外も、日本サッカーの変遷がしみじみ感じられるエピソード多く、非常に興味深い取材だった。