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 ガンバ&タイガース&more…@大阪        05.8.26〜29


「大阪が熱い!」というわけで、スポルティーバの取材で(編集の)田中くんと晩夏の大阪へ行ってきた。
 ゲームはそこそこに、食べ物はそれなりに、大阪の空気は思いっきり、というスタンスでそぞろ歩いた3泊4日のルポ。
(以下はスポルティーバ11月号に掲載されたものです)
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 2005年、大阪の夏は暑かった、いや暑くて、熱かった。
 高校野球では豪腕のサウスポーが三振の山を築き、なにわのフルスイングがオーバーフェンス3連発。優勝旗こそ北の大地に(またしても)奪い去られたとはいえ、甲子園の度肝を抜く豪胆さを大阪桐蔭は存分に披露した。

 しかも彼らの敗退にへこむ暇もなく、今度は東洋太平洋のベルトを西成の闘拳が奪取。そればかりか手中に収めたチャンピオンベルトを腰に巻くことなく、こう吼えてみせたのだ。
「ここに巻くのは世界のベルトや」。
 その心意気。大阪人の琴線に触れないはずはない。

 そして、何より阪神タイガース。強い。もしかしたら虎キチたちも戸惑うほどに強い。
 昭和のおとぎ話、バース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発からちょうど20年。しかし18年ぶりの道頓堀ダイブからはまだ2年しか経っていない。それなのに強い。これではお浜の美学も形無しではないか。
「そばに私がついてなければ」とど阿呆春団治に尽くす浪速の女、お浜こそが、ダメ虎を愛し続けた阪神ファンの真情だったのだろうと思うからだ。

 失意と落胆の連続は、やがて訪れるカタルシスへのイントロ(のはず)という思い込み、いや信念。根拠などない。いつか、きっと、と理由もなくそう信じられるからこそ、叱咤し、怒り、野次り、しかし、結局は応援し、寄り添う。
 いわば腐れ縁である。いま風に言えば地域密着であり、ホームタウンということになるのかもしれない。とにかく、そこに理屈など無用なのだ。

 腐れ縁の境地に達するには何年あればいいのか。阪神タイガース、1935年大阪野球倶楽部創設からすでに70年。付け加えるならば、大阪人の、たぶん最大のマグマ、「東京なんかに負けへんで」の象徴、阪神×巨人、伝統の一戦もまた1936年、若林忠志と沢村栄治が投げ合った甲子園球場に遡る。

 70年……と噛み締めて、13年目の青き雄を想う。ニッポンではない。ガンバだ。
 高校サッカーの名門、四日市中央工業出身、松下電器サッカー部経由でガンバ大阪フロント入りした伊藤慎次が言う。
「僕らはまだやっと中学1年生やけど、阪神はもう70歳。孫がおるという話やからね。それはすごいことやと思う。ガンバも70歳になれば、昔、大黒という選手がおってな、という時代になるかもわからん」

 無論、孫ができる年齢まで待たなければならない法はない。腐れ縁、いや地域密着の実現を目指してクラブは動き始めている。
 佐野良社長がこれまでの反省を踏まえて、練り直した戦略を語る。
「Jリーグが創設した当初は何もしなくてもチケットは売れた。それがバブルが弾けてからガクンと落ち、2002年のワールドカップで一時、特に女性ファンが増えたものの、翌年にはまたガクンと落ちた。やっぱりにわかファンでは長続きしない。だから、かつての大阪府全域をホームタウンとしていた考え方から、いまは万博競技場に近い吹田、茨木、高槻の3市を重点エリアにして地域密着のための活動に取り組んでいる」

 その活動。フロント職員がチームカラーにペイントした“ガンバカー”で街中を走り回り、駅でビラを配り、選手たちも小学校を訪問し、子供たちとボールを蹴り、給食を食べる。
 ホームタウン推進を担当する伊藤は各地のJCに名を連ね、少年サッカーのレフリーも勤める。街を歩き、人と接して、情に訴える。いわば“ドブ板”である。

 しかし、この道に近道はないのだ。時間を重ね、情を絡めることでしか、人と人は結びつかない。きっと人と土地も、ファンとクラブもそうに違いない。
 まして阪神が辿った70年から、時代は大きく移ろおうとしている。
 例えば、件の「東京なんかに負けへんで」。東京へのコンプレックスが大阪人を燃え上がらせ、打倒巨人が阪神への思い入れを深めさせた時代があった。
 あるいは戦後の文脈かもしれぬ。しかし中央集権が生み出した、とりわけナンバー2だからこその、そんな反骨がエネルギーとなった時代は確かにあったのだ。

 しかし、世は地方分権。そもそもJリーグそのものが上下や大小ではなく、ラテラル(水平)な思想で構築された新世界である。だから、阪神にはあった巨人が、ガンバにはない。
 横浜? 敵対心をくすぐられない。磐田や鹿島? それ、どこや?
 ならばガンバが、そしてセレッソが大阪に根を張るためには、タイガースとは別の物語を紡がなければならないのである。そのためにはやはり――。

 階段を登る途中からすでに汗が噴き出していた。
 階段のせいではない。一歩また一歩と登るたびに、非科学的な話だが、気温も同時に上昇していくような気がするのだ。
 そして、それはスタンドに出たところで確信に変わる。暑い。熱くて暑い。
 伝統の阪神×巨人、甲子園のライトスタンドは、例えばネット裏と比べても、明らかに何度か気温が高いのだった。

 ケーオーケーオー、ジャイアンツ(KO、KO、である)。
 あまりにもベタないでたちで、老若男女が連呼している。とりわけ「老男」のボルテージが熱い。
 思わず「年季」と思った。こてこての年季である。そこでは間違ってもLEONなんて読まない中年超のオヤジたちが硬く屹立していた。
 もちろん時代の移ろいは聖地にも忍び寄っている。オヤジたちの合間に点在するピンクの縦縞にはブームの匂いぷんぷんだ。20年前のダイブと2年前のダイブにしても似て非なるものだった。2年前のあれは、その前年2002年の乱痴気騒ぎのコピー&ペーストに見えた、と言ったら叱れるだろうか。

 とにかく、いまやあらゆるものは「現象」である。21世紀の僕たちは現象をなぞり、そこで得られる一瞬の高揚感に身を委ね、しかもそれを消費し続ける。そんなふうに時代は移ろったのだ。
 だからと言って「所詮、現象さ」と切り捨てる気はない。現象も常態化すれば日常となる。少なくとも一度、現象が起こらなければ物語は始まらないのだ。もちろん日常を変えることもできない。

 ならば、やはりガンバは勝たねばならない。熱狂という現象を起こし、物語を始めるために。
 Jリーグ開幕からすでに13年。しかし、大阪勢、いまだ無冠である。11年目のセレッソも、縮尺を緩めて9年目のヴィッセルも、チャンピオンベルトを腰に巻くことができない。わずかに10年目のパープルサンガが元旦の天皇杯で不馴れな雄叫びを挙げたのみである。

 だが、今季のガンバはチャンスありだ。アラウージョ、フェルナンジーニョ、そして大黒様の「いえまえトライアングル」がゴールを量産。破壊力は昭和60年のクリーンナップにも劣らない。掲げるコンセプトはアタッキング・ムービングサッカー。2点取られても3点取って勝つ。
「本当は失点していいわけではないのだけど、今年はとにかくたくさん点を取ることを強調しているから」と指揮官、西野は苦笑交じりだったが。

 その西野が開幕前に選手たちを鼓舞した合言葉がいい。
「秋に痺れる試合をやろう」
 ここまでは順調だ。夏には5年ぶりの首位にも立った。もうすぐ痺れる試合が始まることになる。

 そういえばホームタウンど真ん中、吹田市出身の小泉佳奈広報が言っていた。
「7月に清水戦でロスタイムに追いつき、逆転したとき、万博に地鳴りが起きたんです。初めての経験でした」
 劇的な同点弾、そして逆転弾にスタンドから地鳴りのような歓声が上がったのである(結果的にはその後、さらに追いつかれるというオマケ付きだったのだが)。そのとき観客のマグマは発火し、もしかするとゴール裏スタンドの気温も何度かは上がったかもしれない。

 ESTADIO DE HOKUSETSU。
 万博記念競技場にはそんな横断幕が掲げられている。北摂、北大阪である。
 野球でいえば南海、サッカーでいえばヤンマー、セレッソが本拠地を置いた南大阪が、いわゆるこてこての下町なら、北は山の手エリアである。70年代に大阪万博と千里ニュータウンによって作られた町は歴史も浅く、その分連帯感も薄い。
 だが、その万博で地鳴りが起きているのだ。熱狂はすでに手の届く距離にある。そして、もしもこの秋ガンバが痺れる試合を制し、見事チャンピオンの座につき、熱狂の物語を始めることができた時、それは大阪にもうひとつ新たなスポーツの物語が始まることも意味する。

 忌憚なく言おう、強い山の手チーム×弱いけど人情厚い下町チーム、かつてのタイガースとは異なる対立の構図、大阪内部での抗争が始まるのである。
 ダービーが盛り上がるためには、やはり圧倒的な強者と、それに挑戦する弱者がわかりやすい。今年のダービーでは万博も、長居も満員になったのだという。クラブ上層部間の対抗意識も相当なものらしい。こちらの素地もすでにできているのである。

 大阪を去る直前、通天閣に昇り、91メートルの展望台から大阪を見渡してみた。
 大阪城のずっと向こう、北の先に万博公園が広がり、そこにガンバがいる。
 西側には大阪ドームが光り、そのやや左、南港の先には甲子園がある。遠くで霞むのは六甲山だ。
 東に連なる生駒の山並では大阪桐蔭の辻内と平田が育った。
 南東に銀色に輝く2枚の屋根はセレッソの長居。3年後には世界のアスリートが集結する舞台にもなる。
 その遥か彼方、堺ではトルネードの志、NOMOベースボールクラブが息吹いている。大阪の熱さはまだ当分続きそうだ。

 エレベーターを降りて、「東京の人はなんや知らんけど、こてこてと吉本が好きやな。おみやげがよう売れてありがたいけど、なんでかわからんわ」と客を客とも思わぬ発言をするおばちゃんに、「あんたこそ、こてこてやん」と突っ込みを入れようかどうしようか迷っている時、大事なことを挙げ忘れていることに気づいた。
 ここからも間もなく世界チャンピオンが誕生するのだった。どつかれる前にしっかりと記しておく。西成は東洋太平洋のベルトでは不満だった闘拳、亀田興毅の故郷である。